外道風土記 |
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これはオレ外道ヒロが自分の住む国タイを旅したときの記録です。オレのサイトはエロサイトだけどこれは特にそれを意識せずに書いています。かといって好きさえあれば場末マンコをしたいという欲求はあるので機会があればそれも書くことにしますが、それを主眼としたコーナーではありません。オレの趣味であるマイナー好みからしてほとんど人にはなんの参考にもならない旅行記となることが予想されますがそんなことは知ったことではありません。それを期待してこのページを開いた人は直ちに退出しなさい。その方が身のためです。では勝手に始めます。なおこの連載は極めて不定期です。 2007年10月1日:泰国風土記として始めたこのコーナーですが、考えてみれば泰以外の国もオレにとっては旅なのでやはり単純に『外道風土記』と改めました。これなら制限がないから、心の旅、ビタミン剤火星旅行まで書くことが出来る。お気楽が一番だ。
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外道の細道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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幻の赤を求めて |
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去年の洪水の時、バンコクで一番早く水が入ったのはバンコク最北端サイマイ区だった。一番遅く水が引いたところでもある。つまり一番ひどい目にあった。 それまでサイマイなんて聞いたことがなかった。なによりバンコクは50区もあると知ったのもその時が初めてだった。洪水のおかげで地理の勉強になった。 地図を見てサイマイ区を探すとおぼろげに記憶があった。ドムアン空港の裏だ。ああ、あのあたりか・・・ゴミッとしたところだ。渋滞しか記憶にない。・・・あそこ都内だったの?そんなところだった。 浸水を伝えるニュースで水以上にオレが気になったのは、サイマイはバンコクで唯一、赤(タクシン派)の強力な支持基盤であると言うことだった。 タイにおける保守と革新の支持基盤は日本の間逆。つまり保守派=バンコクなど都市部、革新(タクシン派)=農村部で、どう保守と革新なのかは日本の自民・民主同様あやふやなモノだ。金持ち・貧乏と分けた方がわかりやすい。どんな奴でもバンコク人は田舎者よりはマシというこの国の現実を反映している分、対立の構図はわかりやすい。 バンコク赤人であるサイマイ人は現在赤が天下を取るタイの国政を笠に着て暴れ放題。堤防や水門壊したりして、修理に来た役人に殴りかかり、かないそうもない軍隊が出動するとパチンコで手榴弾投げたりする暴れん坊貧民だった。 オレはとても興味を引かれた。 赤と言えば貧乏。貧乏といえば淫売。淫売といえば、そうわたくし外道紘。 すっかり水の引いた一月のある日、限りない貧乏と淫売を求めてサイマイに行ってきた。インバイいねがなー?ただサイマイに行くのではなく、なるべく饐えた貧乏の薫り高い地域を探す。川っぷち線路端は貧乏の巣だ。 パホンヨティン57/1・・・ここが臭いとオレは睨んだ。空軍の基地と公団団地に挟まれた川っぷち。絶好の貧民窟立地条件だ。 バンコクは狭いが渋滞がひどい。目的が目的なだけにやる気が湧かないのにひどい渋滞であった。1時間近くかかってパホンヨティン57/1にたどり着いた。こ、、、ここは・・・。予想以上のすさみ加減。自らの勘の良さが恨めしい。歩道もなく道ばたに砂の舞う今時考えられない土間ネスク廃材様式の平屋建築群が連なり、運河沿いには人が住めるのかどうか自信がなくなる水辺の蛋民住宅がつらなる。何より最近バンコクでは目にしなくなった人と動物の共生が見られる。ヤードバーズさんなどは当たり前、アヒルさん、ガチョウさん、黒豚さんまでもがそこら中をうろつきまわり、ムスリムのような出生率を証明するガキどもの群が動物と戯れる。不思議なことに野良犬は見あたらない。全部食ってしまったのだろうか? えーーー言って良いのでしょうか?正直に告白します。タイとは思えませんでした。インドネシアのそれもジャワ島ではなくスマトラとかスラウェシの都市部にイメージが重なる。ガキだけではなく住んでいる住人もバンコク人とは思えない黒さでどことなく殺気立っている。冗談でも『赤ですか?』とか質問できる雰囲気ではない。オレは数枚の写真を撮っただけでリンチに合う前に赤貧民窟をあとにした。川っぷちを過ぎるとそこは新興住宅街。都心で住宅を買うことが不可能になったニューリッチたちのお住まいが続く。なぜかこうした貧民窟の隣は高級住宅街だったりする。隣接して小綺麗なショッピングセンターがあり、そこにあったマックでこれを書いている。ここはここでタイではなかった。日本の郊外、そうイオンなんかがあるショッピングセンターのような人工的な清潔さと余所余所しさ。その時、この人工的な清潔感と比べて、先ほどの赤貧民窟の方に親近感を感じてしまっている自分を見つけたのだった。 オレのいるアパート大家は遠からずくたばり、そうなれば利に聡い息子たちはあんな古い都心のアパート経営なんかやらずにビルに立て替えるだろう。オレの居場所はなくなる。その後、同じような条件の物件はないので、そうなったらこれぐらいバンコクの僻地に引っ越しても良い。オレの仕事は電話線さえ来ていればどこでも良いのだから。 サイマイに引っ越そう。そこにはバンコクの昭和があった。 |
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ブエナビスタ 竹ボンと獄門首のある風景 |
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市街地デモの強制排除当日、俺はそんなことになるとは思わずバンコクを脱出してコチャン(チャン島)に疎開することにした。一日中銃声が鳴り響き、電気水道すら止まって耐えられなくなったからだ。 時刻は朝6時。ちょうど装甲車が動き出した時間らしいが、閉鎖エリアにあるオレの部屋付近のバリケードでは、警備の兵隊さん達自動小銃を抱いて爆睡中。いくら地域が違うとはいえここまで緊張感がないと、まさかその日に武力鎮圧があるとは想像もできなかった。ルンピニ・シーロム以外の兵隊さん達には知らされてなかったのかも知れない。・・・・・ちょっと日本ではあり得ないが、タイだと思うと十分あり得る。 ラパオ通りを遡り、ミンブリからチェチェンサオへ、そこから215号線をくだり、チョンブリに入る。244号線との交差点を右折してラヨーンに向かう。何度か給油や休憩をして、そろそろラヨーン県内に入ったかなと思ったのは10時ぐらいだろうか。太陽はほぼ真上にあがり、ジリジリと暑くなってきた。ホワーーン、とした気分でバイクに乗っていた。こんな時は何も考えないのが一番いい。ボーッとしている間に目的地に着く。そんなオレのほのぼのした気分をぶち壊してくれたのは一台の忍者だった。オレの横を爆走していきやがった。 忍者・・・と言うバイクを皆さん覚えていますか?かつて一世を風靡したカワサキの大型バイクだが、その恥ずかしい名前からか日本より海外での評価が高かった。かつて・・・の話ですが。かつて、と過去形で話したのは現在でも販売されているこのカワサキのバイクは妙なロングセラーでオレが高校生の時にはすでにあった。代替わりしていまはそれなり洗練されているが、オレが一目でニンジャと判断できたのは、それが古くさい80年代の初代ニンジャだったのだ。ウーーン、高校の時に欲しかったヤツだ。あー懐かしく恥ずかしいあのころ。まだ走っているだけでも驚きなのに、オレの牧歌的厭世気分をぶちこわしにするとはけしからん!一瞬後を追ましたが・・・150で追っても離される。大変危険な荒ニンジャとわかり諦めた。 一般の旅行者はあまり知らないかも知れないけど、タイの国道というのは基本的にアウトバーンで制限速度無し、と言うか取り締まるお巡りがいないため結果としてそうなっている。できるんならどんなにスピード出してもいいよ、でも事故ったら自己責任だよ、というのがタイ国の姿勢で、これはあらゆる他のことにも共通する。なにかあったら所轄官庁の管理責任とか妙な理屈を振り回す日本とは違う。そう言った意味でタイは日本より大人な国だ。 まあいい、なにしろそのニンジャはクソ古いくせに160以上で爆走して視界から消えた。なんて危ないヤツだ、若いヤツは命を知らない・・・でも後ろ姿はオヤジだったな。信号がほとんどないのでいくらでもスピードは出るが所詮は国道である。5-10キロおきに信号はある。他の国道との交差点か、田舎町を通り抜けるときだ。やがて信号に当たった。さっきのニンジャも止まっている。オレは横に着け、その懐かしい骨董品のようなバイクを眺めた。 タイでは大型バイクは珍しくすべて輸入品のため割高。結果的に趣味の世界にどっぷり浸かっている。若い頃、雑誌でしか見れなかった大型バイクを本当に買ってしまうのはオヤジが多い。一昔前の日本におけるハーレーの扱いを思い出して欲しい。アレも乗ってるのはオヤジばっかりだったでしょう。 ニンジャに乗っているオヤジと目が合い、お話しする。 なんでも自分で整備しながら10年以上も乗っているそうだ。84年製と言う初代ニンジャでオヤジによれば息子と同い年だそうだ。オヤジバイク談義をして盛り上がる。もうそろそろ信号が変わるな、と思い視線を道に向けたときだった。急にオヤジが言った。 『ところでお前、ブエナビスタやるか?』 あのーー私はラテンには疎いので・・・と思ったが、聞き間違いでした。 カンナビス・・・大麻でした。 うーん、タイに暮らして長いが信号待ちしてて大麻やるか、と持ちかけられたのは初めてだ。 けしからん!人を外見で判断しおって、私がそんな人間に見えますか? オレは即座に『やる!』と答えた。 信号が青に変わったのでオレたちはバイクを測道に寄せた。 『この先にダチの家があるからそこで味見すべえよ』 『ダチの家って遠いのか』 『すぐだ次の信号だから30キロぐらいかな』 『そんなことだと思った。ガス切れそうだから途中で給油する』 『わかった、ところでお前どこまで行くんだ』 『バンコクが話にならんからコチャンに行く』 『おーーいいな、チャンか。もうすぐ満月だからパーティーがあるぞ』 思った通り悪そうなオヤジで島のパーティーのことまで知ってやがる。 『島に行くなら草持って行け、現地では高いぞ』 そんなことまで知ってやがる。ウーーー期待が持てそうだぜ、オヤジの草。 それからはこのニンジャオヤジとのツーリング。20分ぐらい走ったところでで大きな交差点があり、左折してすぐにオヤジが言っていたダチの家があった。典型的な田舎のタウンハウス(商用長屋)で無意味に広い。前にバイクを止めているとそのダチが出てきた。なんでも二人で借りているそうだ。お前ら女房はどうした?と聞くと二人そろって最近逃げられた、そうだ。ウーン・・・オヤジの悪は鄙びている。ゆうに100平米はある平屋タウンハウスは月3000Bだそうだ。 ニンジャオヤジの名はチャイラットさん。歳は中年から老年にさしかかったくらいかな。年甲斐もなく黒の革ジャンにチェ・ゲバラのT-シャツ、下も黒のレザーでよく暑くないな。バイク乗ってるときは黒のメットの後ろから束ねた長髪がボリューム無くたなびいていた。メットを脱いでわかったのだが、押し寄せる年波はいかんともしがたく前頭部からはげ上がり、なまじ長髪なだけに落ち武者、または獄門首のようだ。 さっきから気になっていたのだが、チャイラットさんは少し日本語を話す。『そこ右』とか『ちょっと待って』とかだが妙に使い慣れた発音だ。 『チャイラットさん、日本語うまいね』 『前ジャイカで働いていた』 JICA・・・独立行政法人国際協力機構(英語表記:Japan International Cooperation Agency、略称JICA(ジャイカ))は、独立行政法人国際協力機構法(平成14年法律第136号)に基づいて、2003年(平成15年)10月1日に設立された外務省所管の独立行政法人。政府開発援助(ODA)の実施機関の一つであり、開発途上地域等の経済及び社会の発展に寄与し、国際協力の促進に資することを目的としている。 『ジャイカ・・・ですか』 『いまはバンコク銀行だ』 『なにやってる?』 『特殊な警備業務だ現金輸送車の護送とか、友達は同僚だ』 どおりで部屋にダーティーハリーみたいな大口径の銃が転がってる。なんでもいいが日本のODAは巡り巡ってニンジャや大麻にもなっているようだ。 チャイラットさんの友達がオレに尋ねる。 『どれくらい欲しい』 『あんましいらない、ワンパケで十分。500B分くらい欲しい』 オレ自身、今はほとんどやらない。主にノリピー専門だ。先に島に行っているなっちゃんのパパ、筋彫り大魔王が、執行猶予が明けたばかりだというのに『草欲しい』と言っていたのを思い出して買うことにしただけだ。また成田で捕まっても知らないぞ。今度捕まったら確実に恨まれるだろうな、筋彫りのお袋に。母親は理不尽だ。筋彫りはどうでもいいがなっちゃんが不憫でならない。 チャイラットさんの友達は、部屋にそんなに無いと言ってバイクで買い出しに行った。待っている間、チャイラットさんは味見しろといって大麻の小片を取り出した。オレはこの先チャン島まで行かなきゃ行けないから辞退と言ったにもかかわらず、チャイラットさんはゴソゴソとなにかをベットの下から取り出した。マズイ・・・竹ボンだ。 竹ボンとは竹の幹を使った吸引具で一種の水パイプで側面に穴を開けて別の細い竹を通し、その先に草を詰めて火をつけ・・・・・説明やめる。わかる人は言わなくてもわかると思うし、わからない人はわからなくても一生困らない。 まあなにしろ竹ボン具というのは少量の草で大量の煙を吸い込むことに特化した吸引器で、当然の事ながらガツンと利いてしまう。これよりキビシイのはバケツボンだが・・・これも知らなくていい。まだ100キロくらい走らなきゃいけないのに・・・と言うオレにチャイラットさんは『まあまあ、一服いきねえ』と非情なお言葉と共にお先に一服。 ボコボコボコ・・・バスーッ! こんな音がしますが、まあ一気飲みみたいなものだ。竹ボンに詰めた大麻草を一息で吸いきるとこんな音がする。ウーーーイカン、この成り行きでは日本代表としてオレも同様に一気吸いをしなければならない。 ボコボコボコ・・・バスーッ! 妙なナショナリズムに目覚めて一息で火を落とした。 フッフッフ・・・歳食ったんだから無理するもんじゃないな。いきなり決まってしまった。相変わらず日本では大袈裟な扱いだが、実際問題、大麻は言うほど大したものではない。クリントンもブッシュもやったと告白しているし、現在のオバマ大統領は税収のために合法化しようとしたこともある。そんなものなんですよ、実際は。ビールくらいかな、酔い方は、決して蒸留酒ほどの深酔いはしない。ヨッパライ方も酒といっしょ。普通に紙に巻いて吸えばの話である。こんな竹ボンでやったら寝起きにテキーラだ。ヘロヘロに決まってしまった。 そんな感じで獄門首のニンジャオヤジと共に国際交流。ヨッパライの間で意志疎通に言語や国籍・年齢の差は障害とならない。チャイラットさんはどうも泣き上戸らしく、逃げた女房とニンジャと同い年の息子の思いで話を涙ながらに語りだした。聞き役のオレはすっかり酔っぱらってしまい長椅子にグダーーンと横たわるオヤジマグロと化し、ただウンウンと相づちだけを打ちまくる。話の内容はとうに意味不明になっていた。 大麻のお使いに行っていたチャイラットさんの友達が帰ってきて、大麻酒盛りに参加。竹ボンの火を落としまくる。ビールも買ってきたので、それも飲み、いったい何で酔っているのかわからなくなった。 どれくらい時間が過ぎたのだろうか?壊れているとばかり思っていた古い柱時計がボーンっと時を告げた。 『ウウッ・・・今何時だ?』 『お前寝てたぞ、4時だ』 『なにっ!コチャン行きの最終フェリーは何時だ?』 『わかんないけど五時か六時だろう。島に夜行くヤツはいない』 『グワーなっちゃんとなっちゃんのパパが大麻待っている。なっちゃんはやら無いがママはやる』 『大丈夫だ。今日はここで寝て行け。お前決まってるし運転危ないぞ。明日の朝一で行けばいいだろう』 こんな最低なオヤジ環境で泊まったら、いったいどこまで酔うかわからない。お礼を言って大麻代を払い、強行出発した。だが・・・はっきりわかるそのヨッパライさ加減。全然危ないしバイク運転で眠りそうになる弱り方。歳は食いたくねえな。『ウーーー急がなきゃ』と思い、気分だけは首都高バトルのような高速走行を続けるもメーター見ると時速55キロ。イカン、視力が酔っていて高速走行に見えるが、実際はのろのろ運転で原付のオバサンに抜かれる。ヘロヘロになりながらもトラートの船着き場に着いたときは六時半過ぎ。もう駄目かなと思ったが最終便は七時で間に合った。フェリーに乗って海風に吹かれ、遠ざかる陸を眺めているとまだ決まっているのか身体が左右に揺れる。船でしたね・・・揺れるのは。そう自分に言い聞かせないと判断できないほどヘロヘロになりながらたどり着いたチャン島でした。 |
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安らかに眠れ 英霊とはずれ籤 |
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日本から『証言記録 兵士達の戦争 Vol1-6』を送ってもらった。 半年に一度のDVD便だ。 2次大戦は負け戦だったので、大抵はひどい話ばかりで、当時の精鋭兵士も今はすっかりよれよれの年寄りとなっており、基本は年寄りの泣き言集になっている。その中で印象的だったのが大陸打通作戦。南方から船で物資を運ぶと途中で沈められるので、中国大陸を通って陸送するためのルートを開く、と言うことだったが当時すでに退勢だった日本軍は進軍に使う鉄道も自動車もなく、すべて徒歩で踏破。途中でご飯猫ババや戦闘しながら進軍という素人目にも無茶な作戦で、旧軍お得意の敵よりも味方により多く殺される結果になったようだった。『グワーすげえな!こんなに歩いたのか』と印象に残った。番組では南中国まで踏破した時点で終わっていたが、実際に一部は終戦時までにマレー半島まで達して総踏破距離1万5千キロ!! マジですか?歩きですよ??ドMですか??? その大陸打通作戦に参加した37師団が終戦を迎え、武装解除されたのがタイのナコンナヨクだった。知らないだろうけどバンコクの隣で、人口だけはあるけど他は何もないという埼玉みたいな県だ。当然、誰も埼玉なんかに遊びに行かない。天国には遠すぎ、バンコクに近すぎた不幸だ。その何もないナコンナヨクに37師団の石碑があると聞いて行ってみることにした。 かつて副都心計画があったランシットまでは、程度の差こそあれ都会でビルが建ち並ぶ。ランシットの立体交差をなんだかグルグル回されて右折するとナコンナヨクに向かう国道305号線だ。運河沿いにダルイ直線道路。まだ首都圏で渋滞もある。先に工業団地でもあるのか大型車両も多く栄えているのか殺伐としているのかわからない。 小一時間も進むとようやくあたりの風景は典型的なシャム平原の農村になった。日本の農村風景ではない。規模がでかすぎるのだ。しかもまったく平らで起伏一つない。こうした風景を見るたびに、タイの豊かさを実感する。同じ農業でも意味が違いすぎる。タイ人の持つ、そして日本人が決して持ち得ない心の余裕の源泉だ。 タルーーーンとした気分に浸っているとすぐにナコンナヨクに着いた。ランシットから1時間くらいかな。ナコンナヨクの街と言ってもそこはただの交差点にいくらかの役所と商店が集まっただけの集落。なるほど・・・ナコンナヨクのニュースを聞くことがないわけだ。信号2個過ぎるとナコンナヨクの街は後方に遠ざかった。国道305号線はいつの間にかに3049号線へと変わっていた。4桁道路になると急にすべてがショボクなり、風景もノンビリではなくグッタリする田舎になった。大きな国道から離れたところに真の田舎は存在する。日本と同じだな。 37師団の碑があるのは3049号線から脇道にそれて50メートルほど言ったところにあるプラムマニ寺だと言うことはわかっていた。オレのマイナー旅行の味方『タイの変なスポット』(http://maleangpo.blogspot.com/search/label/%E3%83%8A%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%A8%E3%83%83%E3%82%AFNakhon%20Nayok)で調べていた。 だが問題はそれがナコンナヨクの街からどれくらい離れたところに位置するのか、また左折なのか右折なのかサッパリ書いていなかった。まあ行けばわかるだろうとたかをくくり適当に行き過ぎたらそこらの百姓に聞いてみよう。田舎で寺は目印だ。 街から5キロほど過ぎてそろそろ人に尋ねようと思っていたところ、道ばたにでかい寺の広告看板があった。寺の広告、それも野立ての看板・・・みたいなのは日本にあまりないが、タイでは普通。しかし繁盛している寺のみ。繁盛している寺=商業主義的=金に汚い寺とも言えるので『タイの変なスポット』にはいたって普通の寺、とあったので違うかなと思いつつ看板を読む。オレのカタカナ読みタイ語読解では判読困難も・・・奇遇ですな、プラムマニ寺の看板だった。50Mおきに大きな看板が立っている。どうも有名な寺のようだ。看板を道しるべに寺を探す。最初の看板から1キロほどの所にプラムマニ寺はあった。門前道は人や車でごった返し、交通整理の兄ちゃんがラウドスピーカーでがなり立てる。一発でわかった。 誰も知らない静かな寺でひっそりと眠る英霊達の碑・・・をイメージしていたのでなんだかガックリ。まあいい。プラムマニ寺は周囲を堀で囲まれた大きな寺でツアーバス用の大きな駐車場まで完備。どうも金の匂いがプンプンする。 境内に入ってすぐその原因がわかった。これは・・・なんという罰当たりな寺であろうか。宝くじの寺だったのだ。参道の両脇にぎっしりと並ぶ宝くじ売り、所々に占い師というか宝くじのあたり番号を予想する予想屋まで開業している。金に弱いタイ人に大人気な訳が分かった。しかしまあ、いくらタイとは言え此処まで現世利益に徹底した寺は珍しい。大にぎわいの人出に比べあまりにも小さい本堂には住職・・・ではない、予想屋総代ともいうべきババアが鎮座ましまし、信者・・・と言うか金の亡者どもがお布施・・・と言うか見料を払うとデカイ竹筒振って出た竹籤の数字を読み上げ、本堂に詰めかけた人々は赤鉛筆でメモ、中には見料払わずに窓から覗いて聞いている奴までいる。本堂は熱気でむせかえり、予想屋総代のババアがいちいち蘊蓄をたれる。『ウン、この数字で去年100万当てたな・・・フッフッフ、今年も来るかなこいつは』などと言うと一気にどよめく観衆。中には急いで籤買うために境内にあるATMに走るババアまでいる。寺とATM・・・皆さん、こんな事があって良いのでしょうか?場外馬券売場とパドックを合わせたような寺だ。 オレはあまりの事にフラフラと本堂を出た。ショックで危うく本題を忘れるところだった。英霊は・・・英霊はどこなのだ?その時宝くじ売りのババアがオレの手を取り『あんた籤買いな!あたり間違いなしだよ!!』と営業を開始。違う、違うんだオバサン。オレは手に取ったプリントアウトの資料を見せ、この日本軍の碑はどこかと尋ねた。ババアは、ケッ!外したぜ、こいつは金にならねえ、と言う態度をあからさまに見せながらも『日本はあっちだよ』と駐車場の方を指さした。なんというギスギスした寺だ。 旧陸軍第37師団の慰霊碑は現世利益とまったく関係ないので駐車場の脇に追いやられ、顧みる人もいない寂しいものだった。一応掃除はしているようだが、場所が場所のためちょうどいいのだろう。半ば廃材置き場と化し、駐車場に使う赤いコーンなどが重ねて置いてある。オレはコーンをどけペンキのカンカラを碑の後ろにどけて線香に火をともした。 『すいません英霊の皆さん、罰当たりなタイ人どもがこんな仕打ちをして。戦友や遺族の皆さんもご高齢でしょっちゅうお参りにはこれないのです。皆さんとしても不本意でしょうが、代わりに外道者のオレが来ました。うるさいところですが、安らかにお眠りください』 オレは手を合わせ、こんな所まで歩いてきた英霊の冥福を祈った。 しかしまあ、人間大抵のことはやればやれるのであって、出来ないと言うのは言い訳に過ぎない、とはわかっていたがこれはあまりなことだ。37師団は日本陸軍最大の作戦、大陸打通作戦に参加し、中国山西省から縦に中国大陸を縦断。その後フランス領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)を経てタイのナコンナヨクに至り、この地で終戦を迎えた。その距離1万4百余キロ・・・歩いてですよ・・・昔の日本人は我慢強かった。好きでやったわけじゃないだろうけど。 途中で倒れた将兵7930柱が此処に眠る。やっぱり根性だけでやって良いことではなかったようだ。また当然碑には書いていないが、途中で相当ひどいこともしたようで、途上の住民にとっては人災&怨恨の対象でもあったようだ。色々に悲しい時代だったんですね。 プランマニー寺はカオヤイ国立公園の麓にある。カオヤイはタイの軽井沢とも言うべき避暑の地でタイ人には大人気。寺の先10キロほど行った。ダム湖まで行った。川下りボートやキャンプ場などタイ人の行楽の地だった。洒落たリゾートホテルなども建ち並ぶ。綺麗な所だが、旧軍の皆さんは景色を楽しむ余裕はなかっただろう。残酷な時の変化に、なんだか心に空白を感じだ。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC37%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D) 第37師団(だいさんじゅうななしだん)は、大日本帝国陸軍の師団、盧溝橋事件後華北から華中・華南へと戦線が拡大し日中戦争が泥沼化するなかで、占領地の警備や治安維持を目的として、1939年(昭和14年)2月7日に新設された三単位編制の治安師団の一つである[1]。 大陸打通作戦で北京からバンコクまで踏破し、日本一歩いた軍隊と言われている[2]。 沿革 編成後ただちに中国戦線に投入、華北の第1軍戦闘序列に編入され八路軍の活動に対抗するため山西省晋南の警備に当たると同時に、ほかの治安師団と同様に1939年(昭和14年)夏以降に行われたさまざまな治安作戦に参加する。 太平洋戦争開戦後も第1軍隷下にあり山西省に駐屯していたが、1944年(昭和19年)3月31日に第12軍戦闘序列に編入され大陸打通作戦に参戦、4月17日に戦闘が始まった第一段の京漢作戦においては4月23日河南省密県、4月30日には許昌を占領する。続いて同年7月17日には第11軍戦闘序列に編入、第二段の湘桂作戦において9月29日に湖南省宝慶を占領、11月24日広西省南寧に至り、12月10日には綏禄にて仏印方面から北上してきた第21師団の部隊と連絡し大陸打通を達成、12月19日印度支那駐屯軍戦闘序列に編入される。印度支那駐屯軍(同年12月20日第38軍に改称)隷下タイ王国のナコーンナーヨック県バーンナー近郊に駐屯して対イギリス戦に備えていたが、当地で終戦を迎え1946年(昭和21年)に復員した[3]。 1.^ 同じく1939年(昭和14年)2月7日に第32・第33・第34・第35・第36師団が、同年6月30日には第38・第39・第40・第41師団が新設された。 2.^ 隷下の歩兵第227連隊の中隊長として大陸打通作戦に参戦し、中国大陸から仏印・英領マレーを転戦、マレーで終戦を迎えた太田武男大尉の著書に『歴戦1万5000キロ―大陸縦断一号作戦従軍記』がある。 3.^ 戦後、ナコーンナーヨック県の駐屯地は、タイ王国陸軍のジュラジョームクラオ士官候補生学校に転用された。また、ナコーンナーヨック県のプランマニー寺に慰霊碑奉賛会が納めた石碑がある。 |
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大人の遠足 工場見学 vol.2 萌えるアマタ |
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タッキーの営業に意味なくついていって、アマタナコン工業団地を表敬訪問。前回のサハ工業団地に続いて、工場萌え第二弾だ! ウー・・・萌えるぜ工場。タッキーからの事前情報では『デカイっすよ』だけだった。タッキーは仕事なんだから早いですよ、と宣言していたのも関わらず9時に電話するとまだ寝てやがった。その上、待ち合わせにも遅刻で理由を聞くと朝からら臨月の女房と修羅場バンバだったそうだ。ウーなにげにラテンな鉄火場家族。工場萌えは初めからヒートアップだ。 タッキーはまだブツブツ言っている。どうも後に引きずるのは東北人の特徴のようだ。 『無茶苦茶ですよ、あのキチガイ女』 『孕んで気が立ってるんだろ、ガキなんだから許してやれ』 『だって勝手に僕の車使ってどこか行きやがって、起きても仕事行けないじゃないですか。10時に配達の予定なのに』 『おまえだって寝てただろ。間に合うんだからいいじゃないか』 全く遊びで工場見学がメインのオレはお気楽だ。 『やっと帰ってきたんで僕が怒ると、朝から仕事行くなインポ野郎!とか言いやがるんですよ。』 『インポなのか?』 『・・・孕ましたじゃないですか』 『でもDNA検査するんだろ』 『・・・白人とか黒人が生まれない限りウヤムヤにしようかと・・・』 『大人だ・・・・・な』 そんなことを話しながらサハ工業団地への配達を終え、俺達はメインターゲット、アマタナコンへと向かった。 『正面ゲートから入らないとどれだけデカイかわからないので回り道しますね』 『・・・そんなにでかいのか?』 『10キロ四方くらいじゃないですかね。僕も全部は把握してません。中に高速まで入っていてそれをまたぐための陸橋があります。最終的には隣の県まで拡張するらしいですよ』 『植民地みたいだな・・・』 実際に正門ゲートをくぐるとそこは工業団地と言うよりは大型展示会場みたいな感じででコンビニやマックなどファーストフード店が並び、なんとなくお祭りみたいな雰囲気だった。すべて巨大な駐車場を持っている。道幅は広く片側3車線くらい、行き交うは当然だが会社のロゴや名前の入った業務用車やコンテナを積んだ重量車、従業員送迎用バスなどばかり、妙なことに気づいた。せわしい雰囲気だが全く歩行者がいない。すべてが利潤追求、効率化のために出来ているため生活感の全くない、不気味な近未来SFみたいだ。 『人が全くいないな・・・』 『こんなところ歩けませんよ。工場の間隔が1キロ近くあるところもあるし、勤めの工場からゲートまで何キロもあるのは普通でしょう。みんな車か送迎バスです』 『こんな所で生活できるのか?』 『生活の場じゃなくて仕事オンリーですよ、こんな所に遊びできているのはマジ紘さんだけです。もう昼近いので飯にしましょう』 タッキーが案内したのは工業団地内サービスアパートにある日本亭レストラン。工員ブチこんどくだけだからアユタヤの山田みたいなショボイ所ろだろうと想像していたがこれが大違い。リゾートホテルみたいに平面にデカイ 豪華な施設だった。さっきまで重量車ばかりだったのにここだけカムリ・アコード・レクサスなどのセダンが並んでいる。タッキーが解説する。 『ここはサハやアユタヤとは違い、すこしシーロムの香りのする工業団地なんです』 『なんだそりゃ?』 『トヨタを初めとする大企業が多いですからね、メーカーでもなんだか偉そうなんですよ。ここだって1泊1500以上するんじゃないですか内部もホテル以上です』 『気にくわんな』 『しょうがないですよ。工業勤務だけじゃなく、日本からの出張者もいてホワイトカラーも多いです』 日本亭は座敷まであり、ゆったりと空間を使った優雅な内装。オレは工場の賄いを想像していただけにカルチャーショック。生意気にも背広ネクタイのリーマンどもが昼から鰻重とか食ってやがる。お値段もそれなりに張る。俺達は一番安い蕎麦かき揚げ定食。うまい!!蕎麦も乾麺じゃないし、かき揚げ丼のエビがプリプリしてうまい。下手なスクンビットの飯屋をぶん殴ってやりたい。考えてみれば働いているのはオトーサンだ。暇な駐妻なんかにうまいもの食わす必要ない。オレとタッキーはうめえうめえとガキのように食う。 昼飯が終わって本格的に工場ウォッチングを始める。タッキーがバスガイドのように解説する。 『左手にあるのがダスキンの工場です』 『でけえな。ダスキンって掃除用品の?なんでこんなデカイ工場が必要なんだ?』 『エアコンでしょう。アジア地域に出荷するはここで作ってるみたいですよ』 『エアコン??それにしてもデカ過ぎないか』 『研修所もかねてるんですよ、それにここでは普通の大きさです』 その工場は果てしなくフェンスが続いていて終わりが見ない。デカイといってもここでは平面的なでかさだ。道の広さも相まって妙に空が広い。なんだかいい気分だ。敷地内に銀色の外壁で覆われた映画にでてくる化学兵器工場みたいなのがある。 『なんだあれは?』 『ああ、あれが研修所です。あれだけでうちの工場よりでかいです』 オレは言葉を失った。 『右手が三菱エレベーター』 『ウウッ!』 『左手がデンソー第一工場 続いて第二工場 その次が最終検査所』 『ウウウッ!』 なんだか巨人の国に迷い込んだようだ。すべてのスケールが違う。太田区みたいのをそうぞうしていたオレが間違っていた。 『みんなこんなでかいのか?』 『メインの通りにあるのは大企業でデカイですが裏通りとか出荷に不便なところには下請け、孫受けみたいなしょっぱい工場もあります。』 ここにも身分差別はあるようだ。工場なんかみんな一緒だと思っていた。 右手に公園みたいな緑地が広がる。木が少なくやたらと芝生ばかり。この国では木陰はないと公園として不自然だ。 『なんだこれ?』 『ああ、アマタのゴルフ場 アマタカントリーですよ』 『ゴルフ場?工業団地じゃないのか』 『ゴルフなんかリーマンのお習い事でしょう。必要なんですよ。敷地内に作っておけば接待ゴルフも遠くに行かなくていいし、なんか生産ラインに問題が起きたら、すぐ工場に戻れるじゃないですか。それとキャディーのスカート滅茶苦茶短くて有名です。』 『だんだん混乱してきた・・・・あの巨大なラブホみたいな建物は何だ?まさかマンコまで工場の近くでやるんじゃないだろうな?』 『クラブハウスですよ。この広大な工業団地で唯一昼間から酒が飲める場所です。あれもうちの工場よりデカイなー』 なんだかわからなくなった。オトーサン達ははたして仕事してるんだろうか工業団地で遊んでるんだろうか? 『右が小松、その先に見えるのがブリジストンです』 『全然見えない』 『一個一個がデカイんですよ。しばらくすると見えてきます』 やがて見えてきたブリジストンは飛行機でもつくってるのかと思うほどでかかった。 平面的にデカイので高さはさほどない。そのせいか隣の工場が見えないのは普通で、皆同じような建物のためどこ行っても概視感というかデジャブーに襲われる。 『左に広がるのがトヨタの工場です。ここはエンジン組立だけで小さい方です』 『なに言ってんだデカイじゃないか』 『まあそうですが、チェチェンサオにあるメインの工場はそれだけでとてつもない広さですよ』 『デカイばかりで想像できない、比喩ではなせ』 『そうですね・・・皇居より大きいでしょう』 『なんという慎みのない工場だ。国賊め!』 ・・・結局オレの想像力では理解できなかった。 日系だけで400社 全部で1000社近くが入るアマタナコン工業団地は平面的に萌えた!そして・・・広すぎて今どこにいるのかさっぱりわからなかった。 きりがないので主な企業を日系だけでリストアップすると Adcomat (Siam) Ltd. (アドコマット/岸本産業:自動車部品) Ageless (Thailand) Co., Ltd. (三菱ガス化学、三菱商事:酸素) Aichi International (Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) Aiphone Communications (Thailand) Co., Ltd. (アイホン:インターフォン) Air Products Industry Co., Ltd.(工業用ガス) Aishin Takaoka Foundary Bangpakong Co., Ltd. (アイシン高岡:鋳鉄鋳造) Amagasaki Pipe (Thailand) (尼崎パイプ:銅パイプ) Asahi Soomboom Aluminium (旭テック:アルミダイカスト) Asia Precision Co., Ltd.(OA部品) Asia Shaft Co., Ltd.(OA部品) ARST(Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) Auto CS Engineering Co., Ltd. (セントラル自動車:自動車部品) Bangkok Komatsu Co., Ltd. (小松製作所:建設重機) Bangkok Komatsu Industries (小松リフト:輸送機器) Bangkok Marine Enterprises Ltd.(物流) Bridgestone Tyre Manufacturing (Thailand) Co., Ltd. (タイヤ) Calsonic Kansei (Thailand) Co., Ltd. (自動車部品) Calsonic Product (Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) CKD (Thailand) (CKD:空圧機器) Cherry Serina Co., Ltd. (石川ガスケット:ガスケット) Complete Auto Rubber Manufacturing Co., Ltd. (ゴム製品) Diki Nikkei Thai Company Limited (日本軽金属/ダイキ:アルミニウム) Daikin Airconditioning (Thailand) Ltd. (ダイキン工業:エアコン) Daikin Industries (Thailand) (ダイキン工業:エアコン) Dainippon Ink and Chemicals (Thailand) Co., Ltd.(インク) Daipla System Technology Co., Ltd.(自動車部品) Denso (Thailand) co., Ltd. (デンソー:モーター) DIA Modem Engineering (Thailand) Co., LTd.(金属部品) Dyna Chisso Chemical (Thailand) Co., Ltd. (チッソ:プラスチック) Eagle Industry (Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) E&H Precision (Thailand) (エトー:精密部品) Exedy Friction Material Co., Ltd. (エグゼディー:クラッチフェーシング) FDK Tatung (富士電器化学:電子部品) FIC International(コンプレッサー) Fujita Rashi (Thailand) Co., Ltd. (藤田螺子:金属加工部品) Gifu Seiki (Thailand) Co., Ltd.(金型) Glory Plan (Thailand) Ltd. (貞苅椅子製作所:家具) Hanano Thailand (ハナノ:自動車部品) Hayashi Telempu (Thailand) Co., Ltd. (林テレンプ:自動車内装部品) Hiclear KS Envirotech CO., Ltd.(下水処理タンク) Hino Motors Manufacturing (Thailand) Co., Ltd.(トラック製造) Honda Lock Thai (本田ロック:自動車部品) Hoyo (Thailand) Co., Ltd. (物流資材) Hoyu Cosmetics (thailand) Co., Ltd.(ヘアカラー) HW Turbo Systems (Thailand) Co., Ltd.(ターボチャージャー) Ihara Manufacturng (Thailand) Co., Ltd. (イハラ製作所:バイク用部品) Iida Seimitsu (Thailand) Co., Ltd.(精密金属) IHI Turbo(Thailand) Co., Ltd. (石川島播磨重工業:ターボチャージャー) Inaba (Thailand) (イナバ:ホース) Inoac Automotive(Thailand) Co., Ltd.(プラスチック製品) International Casting Co., Ltd.(鋳造品) International Precision Co., Ltd.(ギア) ITSP Co., Ltd.(パイプ) Jibuhin (Thailand) (自動車部品工業:自動車部品) K Line (Thailand) Ltd.(ロジスティックス) Kaise (Thailand) Co., Ltd. (パイプ) Kanayama Kasei(Thailand) Co., Ltd. (金山化成株式会社:発泡スチロール) Kanto Hara Co., Ltd. (関東工業・原製作所:プレス加工) Kao Industrial (Thailand) (花王:雑貨) Kawabe Precision (Thailand) Co., Ltd. (カワベ:プレス加工) KITZ(Thailand) Ltd. (北沢バルブ:バルブ) Kohbyo (Thailand) (甲府精鋲:金属部品) Konsei Thailand (近藤製作所:自動車部品) KPN Automotive Public Co., Ltd.(:二輪車・四輪車部品) Kusatsu Electric (Thailand) Co., Ltd. (草津電気:モーター) Kyokuyo Industrial (Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) Kyoritsu Iyo (Thailand) Co., Ltd. (共立機電工業:金属精密加工) Linex International (Thailand) Co., Ltd. (いすゞ自動車:物流) Lube Technology Co., Ltd.(メタルワーキングオイル) Mabuchi (Thailand) Co., Ltd.(スチールモジュールケース) MC Metal Service Asia (Thailand) Co., Ltd. (三菱商事:コイルセンター) Meiwa Mold (Thailand) Co., Ltd. (明和製作所:金型) MEP Technical Center Asia Ltd. (三菱エンジニアリングプラスチックス:プラスチック) MIC Industries (Thailand) Co., Ltd.(ミック工業:エアコン部品) Mino (Thailand) Co., Ltd. (美濃工業:アルミニウム加工) Mitsubishi Electric Consumer Products (Thailand) Co., Ltd. (三菱電機:エアコン) Mitsubishi Elevator Asia (三菱電機:エレベーター、エスカレーター) Mitsui Grinding Technology (Thailand) (三井研削砥石:グラインダー) MORESCO (THAILAND) CO.,LTD. (株式会社 村松石油研究所:オイル) Nagoya Yuka (Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) Nanbu Cyl (Thailand) Co., Ltd.(シリンダー) neis (Thailand)Co.,Ltd. (ナイス株式会社:特殊溶接材) NIFCO〔THAILAND)CO.,LTD. (ニフコ:自動車用プラスチック部品) Niles (Thailand) Co., Ltd. (ナイルス部品:自動車部品) Nippon Paint (Thailand) (日本ペイント:塗料) Nissei Precision (Thailand) (日精電機工業:精密部品) Nissho Precision (Thailand) Co., Ltd. (日昌:プラスチック・フィルム) Nittan (Thailand) Co., Ltd. (日鍛バルブ:バルブ) Nitto Matex (Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) NSK Bearing Manufacturing (Thailand) Co.,Ltd. (日本精工:ベアリング) NSK Safety Technology(Thailand) Co., Ltd. (日本精工:シートベルト) Ogawa Asia (小川工業:プラスチックプレーティング) Oizuru (Thailand) Co., Ltd.(:プラスチックプレーティング) Okamoto Logistics (Thailand) Co., Ltd.(物流) PCM Processing (Thailand) Ltd. (淀川製鋼所・阪和興業:プレコート鉄板) Pigeon Industries (Thailand) Co., Ltd. (ピジョン:育児・介護製品) Ryosan Engineering (Thailand) Co., Ltd. (リョーサン:半導体素子冷却用放熱器) S.A PRECISION CO.,LTD.(三和スクリーン:スクリーン印刷) Saga Fastner (Thailand) Co.,Ltd. (佐賀鉄工所:自動車用ボルト) Sankin (Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) Sankyu Logistics & Engineering Service (Thailand) Co.,LTd. (物流) San-ei Electronic Industries (三映電子工業:ボイスコイル) Shimohira Electric (Thailand) Co., Ltd. (下平電機:スイッチボックス・ワイヤーハーネス) Shinpack (Thailand)Co.,Ltd. (親和パッケージ株式会社:パッケージ) Shiraishi (Thailand) Co., Ltd. (白石工業:精密プラスチック) Shiroki Corporation (Thailand) Co., Ltd.(金属、プラスチック製品) Siam Auto Manufacturing Co., Ltd.(自動車部品) Siam AT Industry Co., Ltd.(アイシン高丘:鋳鉄製品の機械加工) Siam Calsonic Co.,Ltd. (カルソニックカンセイ:自動車部品) Siam Denso Manufacturing Co.,Ltd. (自動車部品) Siam DK Technology Co., Ltd. (エグゼディー:クラッチ) Siam Hitachi Automotive Products Ltd. (日立製作所:自動車部品) Siam Hitachi Elevator(日立エレベーター:エレベーター) Siam Hitachi Elevetor Service(日立エレベーター:エレベーター) Siam Hi-tech Steel Center(豊田通商、三菱商事:鉄鋼加工) Siam Ito Engineering Company Limited. (真空ポンプ) Siam Kayaba Co.,Ltd. (カヤバ工業:ショックアブソーバー) Siam Keeper Manufacturing Co., Ltd.(オイルシール) Siam NDK Co., Ltd.(自動車部品) Siam NGK Spark Plug Co., Ltd. (日本特殊陶業:自動車部品) Siam Auto Manufacturing Co.,Ltd. (自動車部品) Siam Orient Electric(春日電機:電機機器製造) Siam Riken Industrial Co.,Ltd. (株式会社リケン:ピストンリング) Siam Sanpo Co., Ltd. (三峰:コンプレッサー) Siam Tone(利根ボーリング:ボーリングマシーン) Siam Toyota Manufacturing(トヨタ:エンジン) Siam Zexel Co., Ltd. (ゼクセル:コンプレッサー) SM-Cyclo (Thailand) Co., Ltd. (住友重工業:モーター) SNC Sound Proof(日本特殊塗料:自動車用防音材) Sony Mobile Electronics (Thailand) (ソニー:カーステレオ) Sumitomo Electric Sintered Components (Thailand) Co., Ltd. (住友電気工業:焼結部品) SUMMIT CHUGOKU SEIRA CO.,LTD. (中国精螺株式会社:ボルトナット) Sun Automotive Co., Ltd.(自動車部品) SUNCALL HIGH PRECISION (THAILAND) LTD.(サンコール株式会社:自動車部品) SUNCHIRIN INDUSTRY (THAILAND) LTD. (サンライズ工業:自動車部品) System Upgrade Solution Bkk Co., Ltd.(アルミニウム) Taisho Seiki (Thailand) Co., Ltd. (大正精機:プラスチック) Tayca (Thailand) Co.,Ltd. (テイカ株式会社:合成洗剤原料) T.B.K. Krungthep (東京部品工業:自動車部品) TFO Tech (Thailand) Co., Ltd.(冷鍛部品) Thai Asahi Glass Public Company Limited. (旭硝子:フロートグラス) Thai Auto Conversion Co., Ltd.(自動車部品) Thai Dai-ichi Seiko Co., Ltd.(プラスチック製品) THAI DAIZO AEROSOL CO.,LTD. (株式会社 ダイゾー:殺虫剤) Thai Eizen Co., Ltd. (永善塗料:家具塗装) Thai Iwaki Glass(岩城硝子:自動車用ガラス) Thai Kabaya Industries Co., Ltd. (カヤバ工業:ショックアブソーバー) Thai Kikuwa Industries (タイ菊和:ダイカスト) Thai Matsuura Co., Ltd.(自動車ドアウェザーストリップ金型) Thai Matto NS Co., Ltd. (真人日本精機:プラスチック) Thai Nippon Seiki Co., Ltd. (日本精機:スピードメーター) Thai Nishiken Co., Ltd. (西建:建設足場) Thai N.O.K. (エヌ・オー・ケー:オイルシール) Thai Pigeon(ピジョン:乳幼児用品) Thai Sadakarai (貞苅椅子製作所:家具) Thai Safety Glass(旭硝子:ガラス) Thai Seat Belt(東海理化電機製作所、豊田紡績:自動車用シートベルト) Thai Sekisui Foam Co., Ltd. (積水化学:Foam) Thai Steel Pipe Industry(住友金属:金属パイプ) Thai Tohken Thermo(東研サーモテック:熱処理) Thai Yukilon Company Limited (スポンジ) Three Bond VIV (Thailand) Co., Ltd. (スリーボンド:Adhesive Marterials, Glue) Toacs Thailand(東海興業:自動車部品) Tohpe (Thailand) Corporation Ltd. (東亜ペイント:Paint) Tokai Plastic Industries Co.,Ltd. (Plastic Injection Molding) Topy Fasterner Thailand(トピーファスナー工業:工業用ファスナー) Totem Industry Co., Ltd.( ツカサ工業:Metal Elbow for Air Conditioner) Toyoda Gosei (Thailand) Co., Ltd. (豊田合成:Steering Wheel) Toyota Tsusho (Thailand) Co., Ltd. (豊田通商:Warehouse, Packaging Service) Tri Petch Isuzu Sales(いすず自動車:自動車部品) TRW Fuji Serina(富士バルブ:自動車用バルブ) T.S.K. Forging(鈴豊精綱:金鍛造部品) TT Fuji Tool Support Co., Ltd.(:切削工具) TTK Logistics (Thailand) Co., Ltd.(:ロジスティックス) Tungaloy Manufacturing (Thailand) Co., Ltd.(切削工具) Tryba (Thailand) Co., Ltd. (PVC, Window Frame) Tsubakimoto Automotive (Thailand)Company Limited (椿本チェーン:Autoparts) Tsuchiya (Thailand) Co.,Ltd. (Film Printing Products) United Coil Center(伊藤忠商事:鋼鈑加工) Usui International Corporation (Thailand) Limited. (臼井国際産業株式会社:自動車用チューブ) Vuteq Industry(中部工業:金型) Walbro (Thailand)Co.,Ltd. (キャブレーター) World Shiba-Tech Co., Ltd.(:キャリブレータ) Y.M.P (THAILAND) CO.,LTD. (新日本工機,三井物産:工業機械) Yahagi (Thailand) Co., Ltd.(自動車部品) となり主に自動車関係。ほっておいても工業団地は殺伐とするが、生活消費材工場がないことがいっそう生活感を殺しているようだ。 主な工場を巡る、工場萌えツアーVOL,2は数時間かかった。タッキーは結局営業なんか面倒くさくなったようでオレと一緒に遊んでいた。オレが『うーーーデカイ!萌えるぜ!』とか言う度に喜んでいる。工業団地を案内してこんなに盛り上がったのは初めての体験だったそうだ。 朝やった女房との修羅場バンバが怖くてタッキーはうちに帰れず、夜までオレのホテルでゴロゴロしていた。 次は重化学コンビナートのイースタンシーボード工業団地だ!と宣言した。 タッキーはゲンナリしている。 アマタナコン工業団地 Amata Nakorn Industrial Estate 所在地 チョンブリ県ムアン アクセス バンコク中心部から 57 km スワナプーン空港から 40 km レムチャバン港から 46 km 用地区分 一般工業区、免税区 販売敷地 16,577ラ イ (1ライ=1,600 m2) 電力供給 30 KVA/ライ 水道供給 7 m3/ライ/日 BOIゾーン ゾーン2 販売価格 4 百万バーツ~/ライ |
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英霊の御霊眠りしチンコの杜 |
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まず最初に謝っておきたい。 戦没者遺族の皆さん、右翼の皆さん、国粋主義者の皆さん、オレは単なるエロサイト運営者でこれを公開しているのは、くだらない下劣なエロサイトです。マジにとらないでください。オレはもちろん相手にするに足りない最低な人間です。 どうも右翼と遺族ぐらい冗談が通じない相手はいないので初めから土下座だ。 書き終わった後、恐ろしくなってこの一文を冒頭に挿入することにした。 本題に入ろう。 タイに住み始めて失ってしまった習慣の一つに初詣がある。 別にあってもなくてもかまわないような惰性型イベントだが、だらしなくダラダラと始まり、またダラダラと自然に消滅するタイのイベントばかりに触れているとたまには、記憶に時を刻み付けるようなことがしたくなる。まあ本当はただなんとなく思いついただけだが・・・初詣に行くことにした。 初詣はやはり神社だ。寺なら鬼のように沢山あるが、19の正月にバイト先で一緒だった麻耶ちゃんと明治神宮にいって初めて一発やらせてもらった事が脳裏に焼きついているオレは初詣は神社に限る!とプログラムされている。 神社=神道は、つまるところ日本教であって、日本以外の土地にあるわけが無い。普遍性の無い宗教だ。シナゴーグもユダヤ人が民族離散したからこそ世界中にあるり、関帝廟も中国人が拡散したからこそ世界中にあるのだ。日本人は今のところ離散も拡散もしていない。つまるところ日本人はいまだ国から出ていない。別にそれでいいんだけどね。オレが言いたいのは海外に神社はありえない、と言う事だ。だいたい信者がいない。 ところが・・・有ってしまった。それもなぜかタイに。 カンチャナブリからビルマに伸びる泰緬鉄道は旧日本軍によって地元の百姓と連合軍捕虜をこき使って作られた。いかに軍用鉄道の突貫工事とはいえ400KMの鉄路を1年半で完成させるのは大日本帝国の精神主義をもってしても滅茶苦茶。そのため、いっぱい連合軍捕虜(タイ人も)が死に、戦後BC級戦犯の大量生産をした。映画にもなったクワイ川を横切るカンチャナブリ鉄道橋は、日本軍の悪逆非道ぶりを世界中に伝える不滅の金字塔として、多くの観光客と連合軍戦死者遺族団などがこの地を訪れ、大量の金を落としている。英軍と豪軍にとってのパールハーバーだ。こんなところ映画と橋がなければ単なる田舎町に過ぎないのに、いつでもタイ人はうまく立ち回る。 (二次大戦中、タイ王国は日本軍に占領されていたわけではなく、日本の同盟国として連合国側に宣戦布告し、イギリスやフランスにとられた旧領地をバキバキ勝手に切り取っていた。敗戦直前に一転して寝返り。『日本人に無理やりやらされました。タイ可哀想。取った領地は返します』とアメリカに訴え、認められたので敗戦国にはならず、責任も追及されなかったがイギリス・フランスはかなりぶち切れていたそうです。また当時のタイの置かれた地政学的立場を考えれば、それも仕方ないと理解できる。でもまあしかし、見事な世渡り上手だ。日本人にはまねができない。タイは戦争に参加しておきながら勝者にも敗者にもならなかった稀有な国だ) そして当たり前といえば当たり前だが、実は日本軍兵士も沢山死んでいる。ビルマから逃げてきてここで死んだのか、それと過酷な突貫工事中に日本軍お得意の精神主義によって『貴様、マラリアは根性で治せ!』とか無茶な命令により治療が遅れ、傷病死多数を出したようだ。ここでも日本軍は敵弾でなく、半ば自爆だった。彼らの戦友や遺族も慰問したいのだが、市内のまともに良い場所はすべて連合軍墓地に使われ、我々日本人の居場所は無い。沖縄状態だ。また忘れてはならないのは我々は敗者だということ。この事実は今も重く、市内で連合軍遺族や元捕虜なんかと鉢合わせしたら罵倒、復讐されかねない。そのため公のアナウンスもほとんどなく、白人様の目から逃れるように市内から数キロ離れた人目につかぬ土地(本当にわかりづらかった)に、ひっそりと安心して慰霊できる場所を作ったようだ。敗者はいつでも悲しい。この場所は公の観光案内に記載されないし、またそうされたくない様子が伺える。 その名も『平和祈念公園』(http://www.heiwakinen.com/)。 JAPANの文字は意図的に無い。 その一角にあるのがオレが訪れた『桑井川神社(クワイガワジンシャ)』だ。 おそらくこの神社と慰霊碑を建てる目的だけで、この公園は建設されたのだと思う。地元の人もその存在をほとんど知らない。毎年、お盆の時だけ日本から観光バスに乗った年寄り一団が訪れるそうだ。~戦友会、~遺族団、~遺骨収集団、みたいなのだと思う。 しかし・・・まあ・・・なんと言うか、何年もタイに駐留したかつての兵隊さんたち『~戦友会』もこの公園建設に参加しただろうに、なんでタイ語の『クワイ』を入れるか? 発音の複雑なタイ語をカタカナ表記するには無理があり、カタカナどおりに発音すると、クワイ=チンコまたは水牛野郎(日本語で言う馬鹿野郎にあたる罵倒の言葉)になってしまう。日本軍兵士の駐留というはそういった現地の言語を全く習得しない、交流の希薄な軍事行動だったのだろうか? 桑井川神社とは、チンコ川神殿、または馬鹿野郎川堂となってしまう。これでは鎮守の杜ではなく、チンコの杜だ。事実、オレと一緒に初詣に行ったタイ人たちはこの神社の名前をめぐり腹抱えて大爆笑してやがった。 『ワット・クワイ!(チンコ寺)ギャーッハッハッハ!!日本人エッチーーー!キャーキャーキャー!!』 なんていう無教養かつ失礼な奴らだ。 オレはビビッて周囲を見渡した。幸いなことに右翼も遺族も戦友もいなかった。普通、宗教施設や慰霊碑で爆笑する奴はいない。 カンチャナブリ神社でもタイ平和祈念神社でもいい。建設途中に誰もそのことを指摘しなかったのだろうか? 確かに泰緬鉄道はカンチャナブリを流れるクワイ川に沿って建設され、鉄橋もこのクワイ川を横切っている(タイ語の発音ではクワイ川はチンコでも水牛でもない)。 『えー皆さん・・・』(爆笑は続いている) 『聞いていますか皆さん・・・』(腹抱えてやがる) 『このくされ淫売ども!・・・せっかく来たのだから他も見て回りましょう』 爆笑初詣を終え、オレ達は公園を散策した。 いったん入り口の戻り記帳。今年最初の訪問者はオレだった。戦没者のみなさんはどう思うだろうか?いきなり元旦からエロサイト主催者の訪問を受けて・・・まあ気にしないことにする。 規模に比べて入り口の山門というかアーチというか、凱旋門で無いことは確かだが、なにしろデカイ入り口だ。入ってすぐは駐車場。余裕でバス3台はとめられる。駐車場のすぐ右手に入り口があり、少しだけ階段で下りるようになっている。ここで日本の宗教施設特有のスポンサー告知がある。まあ、『北秋田市 ヒロポン軍曹 金10万円 寄進』みたいな金出した奴一覧表だ。いつもこれが気になって仕方ない。日本の習慣と言えばそうで、無意識なのだろうけど、慰霊とか信心にしては生臭すぎる金への執着だ。まあいい。オレが勝手に気にくわないだけだ。一応見てみると不思議なことに気づいた。ある地方からの寄進が圧倒的に多い。この地方都市出身者の部隊がここに駐留し、いっぱい死んだのだろうか? でもまあ、右翼、いやいや国粋主義者の団体が絡んでいるようで全国から薄く広く金集めている。そのせいか公園内にある石碑や施設にすべて『温故知新』とか『憂国無死』とかの定食屋メニューみたいな言葉が並んでいる。遠慮なく言わせてもらえばなんの統一性もない。寄進者に配慮したのだろうか『大和魂』や『風林火山』もあった。わけわからん。これが『鯖味噌煮』や『毛沢東万歳』でも不思議でない統一性のなさ。 公園の中程に慰霊碑があった。オレが線香を手向けたのを期に馬鹿野郎な癖に迷信深いタイ人たちも次々とお祈りする。この後はオレたち爆笑慰霊団はちゃんとお参りする。馬鹿野郎に線香は利く。 そのすぐ横に世界平和の碑があり、なぜか各国の国旗が書いてある。この地で死んだすべての兵士のために、と言った意味合いからだと思う。日本、アメリカ、英国、オーストラリア、オランダ、もちろんタイも、そして・・・・なぜか韓国もある。 何かの本で読んだことを思い出した。韓国は当時日本の植民地だったが、建前、皇民化政策(=同化)と戦力不足を補うため朝鮮半島で徴兵した朝鮮人を南方に送ったそうだ。もちろん朝鮮人なんか信用できないので前線では使えず、鉄道建設に使った連合軍捕虜収容所の看守として使った。 そのため戦争中におきた捕虜虐待の責任を問われ、多くの戦犯を出したそうだ。世界平和の碑の中で一番哀れに感じたのはこの韓国の国旗だった。彼らは自分たちを2流市民としてしか扱わなかった国家によって戦争にかり出され、そして罪を負った。ここで亡くなった人や戦犯として処刑された人もいるだろう。 今の世の中でも、全く矛盾なき政策や政府なんて幻想だろうけど、これはいくらなんでも不条理すぎる。日本軍、連合軍兵士とも無茶な死に方だったかもしれないが、建前『お国のため』の御旗の元に死んだと諦めることができる。朝鮮人は何を根拠に命をも諦めなければならなかったのだろうか? 国や組織に忠実であればあるほどに、その裏切られ方はやるせない。今も昔も変わらないようだ。オレはそれぞれの国旗の前に線香さして回った。するとタイ淫売どもも、それが日本の作法だと思ったのかまねしている。 この公園は川をはさんのでタイ寺院の向かい側にある。その寺の坊さんが用地を提供してくれたそうで坊さんの碑まであった。タイ淫売によると有名な高僧だそうだ。淫売どもが急に神妙にお参りを始めたのはこの坊さんの碑を目にしてしまったからかもしれない。お前らなんか地獄行き決定だ。ガキばっかり流しやがって、そんなことを考えて川の流れを見ていたとき、いきなり川面に変化が起きた!!水からザバーと上がってきたのはボンドガール!の訳はなく、半魚人かと思ったら頭から投網かぶったタイ人のガキだった。不覚にもオレはビビッてしまった。元旦早々、投網打ってやがった。でかいナマズが捕れたそうだ。宗教施設のそばで殺生するんじゃない。淫売どもがガキからナマズ買ってやがる。 『見て見て、これ20バーツで買っちゃった。バンコクだったら100バーツよ!キャー!』 ・・・今度は一人で慰霊に来たいと思う。こいつらと一緒だと余計罰が当たりそうな気がする。 小一時間も公園で遊んだろうか。その間、初詣に来たのはオレたち以外に一人もいなかった。冷たいぞ戦友。英霊達は誰も来ないので寂しがっている。きっと戦友のみなさん達はお年だろうし、日本でコタツに入りながら孫と遊んでいるのだろう。右翼もいない・・・いるのはエロサイト主催者だけ・・・あと淫売。施設が妙に立派で庭の手入れも行き届いている分、余計に寂しかった。 戦友や遺族や右翼のみなさん、お盆には来てくださいね。 外道者どももマンコばっかり食ってねえでたまにはお参りでもしろ! 2009年1月1日 川のせせらぎと虫の声しか聞こえぬ桑井川神社にて 外道紘 |
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ノックちゃんと小鳥のマンション |
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『私の家は貧乏じゃない!』 『嘘つけ!一族郎党、女はみんな淫売じゃねえか!!弟に至っては懲役行ってるし』 『違うもん!小鳥にだってマンション建ててあげるのよ』 『そういう無理のある嘘ばっかりつくから信用されないんだ。だから貧乏なんだ』 『違うーーー!!本当に小鳥のマンションあったら、あんた1万バーツ払う?』 『おう!100万でもいいぞ、この大法螺吹き』 『なによ貧乏日本人!100万ないか無いくせにー!』 『お前こそ早く携帯代払え。毎日ワンギリするんじゃねえ小鳥売女』 『畜生ーーーー絶対100万だからね!水牛野郎!!』 こんな育ちの悪さむき出しの言い争いが、すべての事の始まりだった。 なんでも田舎ヤクザの抗争に巻き込まれて親父が射殺された後、よほど考えの無かったお袋はカード賭博で親父の残した財産をすっかり使い果たし、仕方なくノックちゃん一族は淫売へと身を落とした。親父はやり手の田舎ヤクザ兼漁師で一時は小鳥マンションも持っていた。つまり以前は金持ちだった。 これがノックちゃんの主張だった。 ・・・どうですか? ・・・信じられますか? オレは全然信じていなかった。信じられるわけ無いだろ。普段の行いが行いだし、『可哀想な小鳥のために5階建てのマンション建ててあげた』だと・・・冗談はマンコだけにしろ。全く相手にしていませんでした。 ある日、バン週(バンコク週報 日本語新聞)のサイトを観ていたら、タイ観光庁の提供でタイ各地のマイナーな観光地を紹介する企画を見つけた。マイナー好きのオレは読み込んだ。そこで見つけてしまったのだ・・・『ナコン・シー・タマラート県パクパノン ツバメのマンション』。 ・・・本当だった。 なんでも海に近い川沿いに建物たてると勝手に燕が巣を作る。それを片っ端からネコババして売っているそうだ。これなら絶海の孤島の岸壁や洞窟なんかによじ登るリスクを負わずに、女子供でも簡単にツバメの巣をとることができると言う、いかにもタイ人らしいダレた発想の商売だ。 ツバメの巣は、拾ってきた海草をツバメの唾液で固めているものらしい。つまりはトリのゲロ食って喜んでいることになる。中国人は変態だ。 可哀想にツバメは巣を作るそばから、あこぎなタイ人に盗まれてしまうので、死に物狂いになって唾液を出して巣を再建、身体壊して唾液に血が混じる。それが最高級品のピンクの巣となってさらにタイ人の懐を潤しているそうだ。主に働くのはツバメだけ、と言うところが他力本願なタイ人気質にピッタリだ。 一般に、南部人は豊かであるが気が短いとされる。あくまで他の地方のタイ人と比べた話で、それでも日本人や韓国人に比べればずいぶん温和な人たちだ。また短気の反作用かサバサバした男気のある性格でもありその点はタイ人の中でも特徴的だ。 なかなかイメージがわかないかもしれないが、南部の主な産業は農業、漁業、流通小売などの商業だ。短気な百姓というのも変な話だが、南部の農業はかなり商品作物に偏っている。ゴム・サトウキビ、アブラヤシ、これは農業ではないが極めて農牧畜業的な色彩を持った海老の養殖があげられる。そのまま食えるようなものは少なく、国際的な投機相場の対象になるようなものも少なくない。そのせいか、農村漁村出身の癖にやたらと相場に詳しい、山師みたいな気質を持っている。 またこれらの商品作物を産することから仲買卸に強い華僑、インド人なども古くから入り込み血を混ぜたせいで顔立ちも独特なものになり、他の地方とかなり違う。失敗作としか思えないのも沢山いたが、中国人の白さとインド人の彫りの深い目鼻立ちが混じった南部人は実は大変美形だ。それも所謂バタ臭いエキゾチックだ。可愛いではなく、寒気がするような美人。 フィリピン人の淫売を理想の女性像とするオレはこの手の顔立ちに大変弱い。タイ風俗の世界ではマイノリティーとされる南部人インバイとのお付き合いが多かった。 ノックちゃんとも彼女が19歳の時からのお付き合いで、一族郎党、ホストにはらまされてガキ生んだオネイサンの娘も、やっと兵役から帰ってきたと思ったら、シャブで3年6月の懲役行っている弟まですべて顔見知り。嫌な腐れ縁だった。 まっ・・・そんなわけでオレは100万バーツの代わりに南部淫売の田舎のクソ漁師町に行く羽目になった。ノックの勝ち誇った顔が気に食わなかったので『自分の目で見るまで信じない』と言い張ったのが裏目に出て、本当にトリの巣マンション見に南部に下ることになったのだ。 なんでもいいが・・・遠いんだよ!南部外道の取材も兼ねていた為、途中あちこち寄り道し、何泊もしてたどり着いたぜナコンシータマラート県はパクパノン郡。メーター読みで1009・7キロもありやがった。 ノックの田舎は思ったほど田舎ではなかった。南部すべてにいえることだが、意外にも生活が豊かなのが肌で感じられる。地方の市町村なんか、役場と警察署を囲んで地方銀行と雑貨屋が数軒あるくらいが普通なのだが、南部では県庁所在地でなくともスーパーなど大型小売店があり、他の面でもしっかりしている。パクパノンもそうだった。ノックの話ではヒヤと呼ばれるオオトカゲ(1メートルもある。デカイ・怖い、ルンピニの池にいる)が沢山住んでいると聞いていたのでドクターモローの島みたいなとんでもない僻地かと思っていた。田舎の癖に生意気にもスーパーがありやがり、女子大生のスカート短すぎる。ご休憩ホテルまで二軒もある。気に食わん、やっぱりあのインバイの田舎だ。くさっとる!と思いつつ、川べりの船着場に行った。 この街はパクパノン川を挟んで東西に分かれており、橋はなぜか街をそれているので渡し舟が運行している。時刻は夕方5時。仕事や学校でナコンシータマラートから帰る人たちで船着場はごった返している。人ごみを掻き分けて桟橋まで出ると目の前に不思議な光景が飛び込んできた。 なんだこれは・・・決して驚異的な建物があるわけではなく、デザインが奇抜なわけでもないが、不自然でバランスが悪く。狂人の幻覚のようだ。今までずっと平屋とかせいぜい二階建てが限界だったこの田舎の風景が一転して港湾都市の倉庫街を海上から見ているような錯覚に襲われた。 そう、これがノックの言っていた小鳥のマンションだったのだ! 高さは概ね4-6階建てほどか、それほど高いわけではないがこの田舎では異常事態だ。それも住人はツバメだけなので機能のみを追い求め、外壁に塗装すらない、窓もない、明かり一つない異様なビル群が所狭しと林立する、死霊のマンハッタンみたいな光景だ。 ウーン・・・これだけ生活感のないマンションは世界でここだけだろう。 ノックの言っていた通り、ツバメの巣ネコババ商売のせいで街は分不相応ににぎわっており、お寺も新築中で立派・・・と思ったら、この寺にもツバメが住み着いたようで、坊主どもは信仰そっちのけでネコババにいそしんでいる。本堂を新築中なのは、かつての本堂にツバメが住み着いたので、本堂を放棄しツバメに解放してしまったようだ。どう考えても寺の建物なんだがすべての窓をふさぎツバメのお家化している。寺まで不自然。 この街に入って驚いた。燕巣行が街のいたるところにあり、今日の相場価格まで表示している。 バンコクで金行を目にした事があるだろう。お金の売り買い(貸し借り)をするのが銀行なら、金の売り買いをするのが金行だ。そしてツバメの巣を売り買いするのが燕巣行と言うことらしい。 ほのぼのしない田舎だな。そういえばノックの親父が殺されたのもツバメの巣マンションの利権をめぐる抗争らしい。田舎の癖に殺伐としてる。 正確に数えたわけではないが川岸ばかりでなくかなり川から離れた場所にも燕マンションは有り。その数は50をくだらないと思う。 パクパノンは大きな漁港でかつて漁船は数千隻を数えたそうだが、今では燕のマンションにすっかり毒されてしまい、漁師たちは船を降り、漁船は4分の一に激減、なんとも海の男らしくない根性のなさだ。 でもまあ・・・おそらくこれでよかったのだろう。あの腐れインバイみたいな考えのない奴以外は豊かになれたようだ。 寺の駐車場では隠れてタバコ吸ってた中学生に火をかりて、仲良く歓談。彼の同級生らしき一団はスケボーとバスケの練習していた。川べりの夕涼みゴザ食堂では家族連れが仲良くめし食っている。河口に近いせいか流れる風はどことなく潮の香りがする。 牧歌的ではないが平和な田舎の一日が暮れそうとしていた。 バンコクに戻ったあと、ノックに事後報告。 お前の田舎は貧乏部落じゃなかった、お前の家が特別貧乏なだけだ。(本当にお土産もってノックの実家に行った。マジでぼろかった。オネイサンの私生児可愛かった) お前の田舎は馬鹿ばかりじゃなかった。お前が特別馬鹿なだけだ。だから貧乏なんだ。 だいたい、田舎者の癖に上物建てて燕に巣を作らせ、それで利益を上げるなんて、なかなか凄いアイディアじゃないか、馬鹿ばっかりだと思っていたが、お前の親父は考えのある人だったんだな・・・お前は駄目だが。 と褒めたつもりで言うと、ノックの口から驚愕の新事実。 燕のマンションは、初めからそう意図して作ったものではなく、一時の大漁にうかれた漁師(ノックのオヤジ)が大した考えもなく田舎にマンション建て始めたら、途中で資金が切れ、建設途中で何年も放棄していた。そこにツバメが住み着いたので、巣をとって売ったらマンションなんかよりよっぽどいい金になることがわかり、建設は本格的に中止。窓すべて埋めて内部を薄暗くし(出入り口の小さな穴は開ける)、燕が巣を作りやすくした。ノックのオヤジが大金手にするのを見た他の漁師たちもマネしはじめて、今のような燕のマンション群になったそうだ。 ・・・やっぱり考えは大して無かった様だ。 |
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日本シリーズ2007 |
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日本シリーズ vol 1 P 最低なコンディションであった。およそ旅のはじめににはふさわしくないことに4連続徹夜明けの出発だった。 こんな事になったのは言うまでもなくアナル山本との根性焼きのようなビタミン剤合戦の結果だ。やってはいけないと分かっていながらやってしまう・・・出発1時間前まで炙っていたせいで飛行機の中では皆寒くて毛布をかぶっているのにオレだけ汗ダラダラ・・・いけない汗を流していた。 日本到着は夕方だった。あらかじめ予約してあるホテルへと向かう。何故、実家に帰らないのかだって?フフッ・・・男には家なんてモノはねえのさ、と言うのは大嘘で帰ればお袋の無限連鎖説教が待っているのは分かり切ったことだ。辛いと分かっていることをやるほどオレは人間出来ていない。しょうがなく都内に安ホテルを取った。 成田からは京成スカイライナー。全席指定の喫煙席だった。忘れていた日本にはたばこ吸っていい電車があったのだ。席はがらがらだった。この列車にはいってすぐに気づいた。当たり前のことだがたばこ臭い。タイにはない臭いだ。なにか懐かしいと思っていたら、これは昔の日本の臭いだった。列車内でもホームでもかつてはこの臭いが普通だった。もう忘れてしまったが昔は満員電車内でどうやってたばこを吸ったのだろうか?喫煙席に残る昔の日本をかぎながらショボイ千葉の風景を見ていた。空港が出来て何十年も経つのに相変わらず成田はどうしようもない土地だった。そんなことをしている間に日暮里に着いた。ホームが狭い・・・スーツケースをガラガラ轢きながら常磐線を乗り継ぎ南千住へ。 ウーン・・・ショボイ駅だぜ。よたよたとプリントアウトした地図を頼りに歩く。地域的には山谷に当たる場所だ。つまりドヤである。サダル・カオサンとくれば日本では山谷だ。オレとしてもそんなところの方が気楽でいい。 その時だった! こっこれは!!泪橋じゃねえか! 『ジョー!立つんだジョー!!』などと叫ぼうと思ったが、どぶ川は埋め立てられて暗渠となり、川がないので橋はなく、当然、丹下ジムもなかった。・・・明日に向かって打つことも出来ない。名作『あしたのジョー』の舞台である泪橋は交差点の地名として残っているだけだった。この泪橋からほど近いホテルはドヤというのは綺麗すぎるビジネスホテルだった。だた、部屋の狭さは想像を絶する。普通はね・・・でもオレはカオサン経験者だ。カオサンのパッカー部屋を畳にしたようなかんじ、部屋とホテルの設備は今時の日本らしく近代的でカオサンとは比べものにならない。風呂も大浴室とコインシャワーで24時間。部屋のテレビは普通のチャンネルとインターネット オンデマンドとかで訳分からないが24時間東映映画チャンネルとエロビデオチャンネルが流れている。疲れ切ってビタミン剤が切れたオレはエロビデオチャンネルで女子高生が犯されるのを見ながら泥のように眠ってしまった。 日本シリーズ vol,2 スイカを買う P ICカードっていうんですか?アレですよアレ。日本に住んでいる皆さんにはなんの変哲もない日常でしょうが、オレにとってはTVでしか見たことがありません。自分で買ったことはなかったのです。日本に帰ることはあっても滞在はせいぜい数日なのでそんなものは買ったことがなかった。今回はそれを買ってみたかった。あんまり必要はないがポケットの中が小銭でジャラジャラになるのはイヤだ。 赤ハゲ先生の生誕地、山谷からは妙の交通の便が悪く、そんなところだから都心にもかかわらずドヤになっちゃうんでしょうが、言っても始まりません。都内では滅多に使うことがなかったバスを使うことにしました。あしたのジョーの泪橋からは数本のバスが出ており、東京駅八重洲口行きと上野行き、千住行きだった。自然に上野行きを選んでしまったところにオレのお里が知れる。バスに乗った運賃は200円・・・20年前と同じだ。バスはノンステップバスとかで床が異常に低い、乗ってる乗客も年寄りばかりで床の低い理由が何となく察しられた。走り出したバスが最初に止まったバス停は吉原大門・・・先生の田舎は淫売町だった!結局タイ女に落ち着いてしまったところをみるとイヤダイヤだともがきながらも故郷の村に戻ってしまったU-ターン百姓みたいだな。しかし、この辺りは・・・なんとも乞食の多いところだな。赤ハゲ先生には申し訳ないが、こんなに乞食の多いところはバンコクではクロントイスラムだけだ。(後日そのことを電話で伝えると『いいですよ、どうせまた書くんでしょ!』といきなり卑屈になっていた。やはりこれはふれてはならない心の傷のようだ)路線は下町の路地を縫うように進みバスが通る道とは思えないほど狭い。乗ってくる乗客も婆や爺ばかりで女子高生とか若い奴はいない。つまんないな。そんなこと考えている間に上野に着いた。ウーン・・・20年前とさほど・・・イヤ、さっぱり変わってないな。上野は変わらなくて正解の街なのかもしれない。様変わりしてしまうと田舎モノが迷子になってしまう。みどりの窓口はみどりの窓口のままだった。職安までハローワークとかに変わってしまったくらいだからいつまでもみどりの窓口のわけはないと思っていたが、この辺りは一切変わらなかった。ここでスイカが買えるのだろうか?そんな表示は一切無かったがとりあえず列に並ぶ。並んでいる間考えた。スイカは1枚なのだろうか?1個なのか?それとも2000円分ください、が正しいのだろうか?オヤジの心は千々に乱れたが、すぐに順番が回ってきた。 「あのースイカってここで買えるんですか?」 「ハイ、取り扱っておりますよ」 「じゃあ、1万円分ください」 「こちらで取り扱っているのは2000円までなんですよ。あちらの自動機で追加分を入金してください」 同じ、JRなのになんでやってくれないのか不思議だったが係員の口調は国鉄当時と同じ有無をいわせぬモノがありなにか日本の国自体も表していた。それならしかたない2000円分だけ買う。ついでに使い方も教えてもらう。 「これって触れなきゃいけないんですか?」 「触れるっていうかね、触れるか触れないかの瀬戸際、かざすだけでいいんですよ」 結局どっちなのだ?日本語は難しい。 「これでバスとかも乗れるんですよね?」 「そうですね、だいたいokですよ。あと駅のキオスクとかでも買い物できます」 ウーン便利なモノだ。早速自動券売機の横に置かれているスイカ専用とか書かれた機械で8000円分追加した。残高証明を見てみる。なんだか銀行のatmみたいだ。合計1万円。間違っていない。昨日の成田からずっと感じていたことだが日本は何でも自動化されていて人と会話する機会が極端に少ない、それはそれで省力化、経費制限の為に日本人が選択した生き方なのだろうが、妙に寒々しい雰囲気が町にあふれている。また。こうした自動化はあくまで日本人に向けて行われていて外国人にはなんのアナウンスもない。日本に来た外国人は不便だろうな・・・半ば外国人として日本を観察する俺の目はそう判断した。なぜか言葉の通じてしまうSF世界。自動化されきった日本の街は俺の目にブレードランナー日本語吹き替え版に見えた。早速スイカを使ってキオスクでお買い物。カードでエロ本かってやったぜ!ますますブレードランナーだ。 日本シリーズ VOL 3 女子高生はAVに限るの 千葉や千住の女子高生は酷かった・・・なんでお前がそんな制服着るんだ無礼者め!そんなブスばかりだった。滞在3日目に入りオレは渋谷に行った。目的は女子高生見学。純粋なオヤジらしい渋谷訪問だ。街は変わったのか変わらないのか分からず、センター街は店だけ変わって内容の薄っぺらさは20年前とさほど変わらなかった。AVや報道の影響が大きく渋谷と言えば女子高生しかいないのかと思っていたら、その実態はオヤジの街だった。オレのようにタイから来た者には日本はどこ行っても平均年齢が高すぎる。昨日の上野に比べれば多少若い子が多かったが、それでもサイアムスクエアに比べればジジイババアの街だ。サイアムスクエアにオレとポンポコ堂が女子高生見学に行ったときなど、ほとんど景観条例違反で存在自体猥褻物陳列、または変質者が暴れていると言った感じだった。入ったファーストフード店などそれまで女子高生満杯だったのにオレ達が入店して15分後にはオレ達以外掃除のおばちゃんしかいなくなってしまった。ポンポコ堂は天然に気づいてなかったが、ほとんど右翼の嫌がらせ状態だった。ここ渋谷ではそんなことは起こりそうにない。スタバに入ってみる。ここはガンマンコオユカに渋谷で唯一喫煙可能な茶店だと教えられていたのだ。それと同時に女子高生が多いとも教えられていた。どちらもオレにとっては魅力的だ。ウーン・・・煙い。たばこを吸う人間がすべて逃げ込んでいるせいか店内はかつての学食顔負けの煙りよう。ここでオレは初めて見た!AVと同じ女子高生!!『ウーン、AVと同じやー』となぜかここだけ関西弁になり喜んでいた。しかしながら辺りを見渡すと、昨日の上野と同じ無礼な汚い女子高生も沢山いる。やはり女子高生はAVに限るの・・・と将軍様になったような気分だった。 日本シリーズ VOL 4 P2 SFのような回転寿司 日本訪問でオレが楽しみにしていたのは回転寿司だった。 昔は回転寿司と言えば新橋とか御徒町とかでオヤジが肩を丸めて卑屈に食う寿司と決まっていた。知らぬ間に回転寿司は市民権を得ていた。郊外型とかで駅前ガード下の店は激減し車でしか行けないような国道沿いに出店している。それも大型店だ。どおりで武蔵野の強姦魔ときどき骨董品屋の名を欲しいままにするポンポコ堂が詳しいわけだ。オレはネットで回転寿司屋を探した。回転寿司パラダイス(http://www.maracas.net/kaiten/)-回転するから寿司なんだ!のキャッチコピーはオレのセンスにビビッとした。えーっと、千住千住・・と。千住には回転寿司が絶滅しているのか?しばらく方々のサイトを調べたあげくやっと見つけたのは 無添 くら寿司 南千住店 ウーンなんだか分からないが前記のサイトでも評価は悪くない。早速行ってみる。都心とは思えないほど寒々しい南千住の駅から5分ほど歩いたところにショボイショッピングセンターがありその二階にくら寿司はあった。同時に100円ショップダイソーもあった。どちらもその貧乏さ加減オレにぴったりだ。ダイソーに入ってみる。オレはタイのダイソーに行ったことはあるが本場の日本のダイソーにはいるのは初めてだ。まるでパリのルイ・ビトン本店に入店するような気持ちで中をのぞく。意外に一般人というか単なる主婦のオバサンやそのクソガキが店内を走り回っている。うーん、、、オレの予想では100円ショップにいるのは人生半ば終わったようなしょぼくれたオヤジや車上ホームレスがジャリ銭握りしめて今日の糧を買いに来るようなひなびた場所だと思っていたのだが、意外に店内の雰囲気は明るかった。当然だが本場は違う。タイのダイソーとは品揃えのスケールが違う。品物の質は・・・同じだった。品数が多い分楽しめるかな。すぐにあきたオレはくら寿司へと向かった。 入店してすぐにカウンターがあるのかと思っていたオレは面食らった。ファミレスのような姉ちゃんが『いらっしゃいませー 何名様ですか?』・・・一見だからって嘗めてるのかこの売女!回転寿司と言えば学生の団体以外、一人に決まっている、とおもったが、みわたすとすべてファミレスのようなボックス席に埋め尽くされている。ファミレス違うのはその真横に工場のベルトコンベアが回っていることだ。当然上には寿司の皿が回っている。まるで家族住み込み可の流れ作業工場に流れ着いた貧民家族のようだ。カウンターというか一人がけの席ははじの方に追いやられ、まるで貧民の中の貧民、極貧天涯孤独アパルトヘイト席だ。オレ以外は、なにか無性につまらなそうな顔をして寿司つまんでいるリーマンがいるのみだ。やっぱりアパルトヘイトだな・・・。『ご注文はこちらのタッチパネルでお願いいたします』・・・なんだそれ?回転寿司はベルトコンベアの上を流れるネタから喜捨選択するしかない消去法寿司のはずだが・・・。オレの不信感は募る。知らぬ間に回転寿司は進化していた。流れてくるネタを勝手に取るのは同じだが、この方式だと食べたいネタがなかなか回ってこず、中にはメニューにはあっても幻のネタとしか言いようのないネタがあった。その弊害をなくすため個別に注文できるようになっていた。対人恐怖症傾向の世の中に迎合してか板前に直接注文するのではなくあくまでデジタルに機械に打ち込むだけで注文で来るようになってい。えーっと、マグロと甘エビと茶碗蒸し・・・それから・・・どうするのだ・・・オレは悩んでいた。店員の売女、ではないオネイサンが教えてくれた。『おきまりになりましたら注文ボタンを押してください』オレはすっかり世話の焼けるオヤジになっていた。やっと注文の仕方が分かったオレは面白くなってしばらくタッチパネルで遊んでいた。それにしても変なネタが増えたな。なんだこのハンバーグ軍艦巻きっていうのは?一瞬頼みそうになったが保守的なオレはネギトロ巻きにした。注文したのはいいが自分の皿が回ってくるのはどうやって認識できるのだ。座席に電流が流れるとかどうあってもごまかすことが出来ない仕組みがあるはずだ。オレはまた悩んだ・・・その時だった『ピコーン、ピコーン、ピコーン、ご注文の皿が参ります』という電子音が響く。見ると数メートル先から『注文』と言う下駄を履かされた茶碗蒸しがやってくる。音からして後3分でエネルギーが切れるのかと思った。ゴトゴトと回るベルトコンベア、一心不乱に作業(食事)を続ける住み込み家族労働者達(客)、とぎれなく店中で響く電子音、レストランではなく精密部品工場と言った方がぴったり来る寿司屋だ。やっとSFチックな回転寿司にも慣れ腹一杯になった。ここでまたも問題が出現。お勘定はどうするのだ。店内では誰も大声で『オネイサンお愛想!』とか怒鳴っているオヤジもババアもいない。オレは悩んだ。その時目の前にあるタッチパネルに『お会計』のボタンがあるのに気づいた。それを押すとすぐ売女・・・じゃないオネイサンが飛んできて電卓みたいな端末で計算してくれる。オネイサンに金を渡そうとすると変なレシートをくれて『お支払いはあちらでどうそ』と追いやられる。徹頭徹尾、機械化と省力化、分業化が進みインドのカースト制がサイバー空間に具現化したような寿司屋だった。 うまかったし、サービスも文句はなかった。だが、日本人がどんどん人付き合いが下手になっている現実を見せつけられたような寿司屋訪問であった。結局これも時代の要請ってやつなんでしょうかね? 日本シリーズ vol 5 追憶の日々 オレは今回の帰国で自身のショボイ足跡を辿ってみたくなっていた。それだけ年を食ったと言うことだろうが、冗談でなくこの機会を逃してしまうともう二度と生きてはその地を見ることが出来ないかもしれない。大げさだが外国に暮らすオレにとってはまんざら嘘でもない。 オレが日本の首都東京で暮らしたのは丁度4年間だけだった。学生時代の4年間だ。オレは元々学校が大嫌いなクソガキだった。もっと端的に言えば団体生活、集団行動に最後まで馴染まなかった。クラスメート、クラスのため、我が校のため、というがオレはそんなの選んでいない。勝手に誰かに押し込まれた単位に過ぎない。そんなオレが心から楽しみ自由を味わったのは大学生活だった。高校まではお仕着せの仲間ごっこだ。幸いなことにオレは馬鹿だったので都内のマンモス大学へ入学できた、と言うかそこしかなかった。当然こうした大学は授業なんてあってもなくても同じで試験期間以外顔を見ない奴なんてざらだったし、オレ自身必ず秋休みを取っていた。勝手な幻想ではあってもここで初めて自分のやりたいことのみをし、やりたくないことは全くしなかった。薄暗い地下にある部室にしけ込み連日の麻雀、仲間内だけの馬鹿話、おおぼら吹きの理想主義者にあい、バンドマンや劇団員との麻薬を最初に覚えたのもここだ。今考えると恥ずかしいばかりの薄っぺらな仮想社会だったがオレにとっては居心地の良い空間だった。 20年ぶりに降りたその地下鉄の駅は何か覚えているようなそうでないような不思議な感じだった。地上に出ると見覚えがある景色が目に入った。しかし、不思議なものだ。よく子供のころの思い出の場所に行くと大通りだと思っていた家の前の道はショボイ路地であったり、見渡す限り広大な公園はブランコと砂場があるだけの普通の公園であったりして拍子抜けすることがある。すでに20を過ぎて暮らしたその街も年を食ったオレの目にはミニチュアのようだった。こんな小さかったっけかな?これは日本とタイのスケールの違いにもよる。帰国して以来、すべてのものが小作りであることに気づいていた。スペースを有効に使っていると言えばそうも言えるが絶対的な空間の狭さはどうしてもごまかせない。日本は狭いのだ。物理的にも。何度となく歩いた上り坂を歩いて校門へと向かう、毎日しけ込んだ喫茶店は奇跡的に残っていたが、ここのメインは酒なので営業開始時刻は遅い、その時は開いていなかった。『おばちゃん』と呼んでいた婆さんはとっくに死んでいるはずだが、その息子の万年助監督がまだ意地で営業を続けているようだ。出来れば入店したかったが開店していないのならば仕方ない。校門をくぐるとすっかり様変わりしていた。古びた校舎群はすべて高層ビルとなっており、なんだか予備校みたいだ。ション便臭い地下室も無くなっていた。なんだか自分の一部を失ったような気がして寂しくそこを後にした。おそらく二度と来ることはないだろう。 こうして自分と共に時代も老けていく。 日本シリーズ vol 6 法事 そうだった・・・回転寿司なんか食って喜んでいたが、今回の帰国の目的は法事だった。オヤジ死んでまでしつこいぞ。 日本にいる間中、家にいるとオレのような男はお袋と女兄弟の良いオモチャだ。愚痴や文句を思いっきり言える相手として・・・。それがイヤで東京に宿を取ったのだが法事当日はイヤでも家に帰らねばならない・・・正直、すごくイヤです。想像していたとおり数年分の説教や身内のショボイ愚痴に夜遅くまで付き合わされ、耐えられなくなりTVを観ていると『人の話を聞かない』などと怒り、『そう言うことだからお前は駄目なのだ』などとまた最初から説教が始まる始末で、ほとんど拷問だ。 毎回帰ることに思うが、男にとって一旦離れてしまった実家というモノは、どんどん遠い存在になる。嫁に行っても実家を自身の一部と考え絶えず接触をする女とは違うようだ。遠くなるとは、それだけ他人の家と同じになるわけで長くいて居心地が良いわけがない。さっさと法事を済ませたら南千住のドヤに帰ろう。その方がまだマシだ。 法事も数度目となると故人につながる人も少なく、オヤジの兄弟すら半分も集まらなかった。おきまりの読経と焼香の後、坊主の説教。タイのノリで宝くじの当たり番号聞こうかと思ったが。お袋の顔にビビって断念。数少ない身内を連れて近くの飯屋で飯を食う。親戚を見渡すと・・・みんな小さくなってしまったな。生命の火が消えつつあるとは、本当にロウソクの火にたとえるのが正しいようだ。だんだん小さく弱くなり、いずれはフッと消える。限りなく続いてきた生命の営みだが今のオレにとってはそれが妙にもの悲しい。遠からず消えていく人たちを前にこの人達は懸命に生き、一体何を残したのだろうか?と考えた。金の問題ではない。生きた証みたいなものだが、子孫の生命以外たいしたものはない。人が後の世代を残したいと思うのは結局は自分のためではないのだろうか? 今後こうした集まりも疎らになり、オレはますます日本と疎遠になるだろう。そうして消えていく人間がいても良いのではないのか、事故の執念にはキリがない、そんなことを寒く考えた 日本シリーズ最終戦 なんだかんだで日本に住まなくなって20年になる。その間短期の帰国はあっても日本に腰を据えて住んだことはない。今回の帰国でオレが強く感じたのは『オレはもはや日本人ではなくなった』と言うことだった。20年の歳月は馬鹿に出来ず当たり前と言えば当たり前だが、その現実を素直に受け止められるようになった。 皆は海外に出たときこう感じることが多くありませんか? 『フーン、ここではこうしてるんだ。馬鹿だなー日本みたいにここをこうした方がずっと合理的で便利なのに?』 同じ事を今回オレは日本で感じました。もはや日本の諸制度・生活習慣を外国人の目で見て批判する自分に気づいたオレは純粋な意味での日本人ではないと思う。それは人種的地理的な問題ではなく心の中身の問題だ。それだけにこれは根が深くそう簡単に元の日本人に戻れるとは思えない。それに対してオレがどう考えているかというとこれも以前とは様変わりして日本の国籍というものに対しての執着はすっかり色あせました。それはよく日本国籍の方が~について有利だ、いやアメリカ市民権の方が~については有利だ、みたいな金融商品の比較のような打算ではありません。もっと心の深い部分で日本そのものに素直に共感できなくなっている自分を見つけたのです。では、タイ人なのかというとタイ人になるのは簡単なようで難しい気がする。これも法律ではなくその精神の中心にある幼い頃から培わないと自得できない何かをオレは持っていない。 アメリカのような移民社会ではオレのような人間も多くいるのではないかと思いますが、此所タイでは中途半端で、もはや自尊心は日本国籍だけという情けない人間も多くいます。オレはそうした人たちを心の底から軽蔑し、かつ憐れんでもいますが、『おまえはどうなんだ?』と言われると即答するだけの自信がないのが本音です。ヒスパニックには『パチューコ』と言われる世代がいたそうです。境目と意味だそうです。父祖が持つメキシコ人としての自覚もなく、かといってアメリカ社会にとけ込んでいる自信もない。つまりは境目の人という意味だそうです。オレも大体はこれに当たるような気がします。オレ自身は移民としたら1世に当たるけどね。 みんなは世界第二位の経済大国日本と聞いて何を感じますか? 成功者としての自尊心でしょうか? 強さ・豊かさでしょうか? 精巧で高度な工業製品でしょうか? 人それぞれ感じ方は違うでしょう。しかしオレにとってそれは惨めな幻想でしかないように思えてならない。 信じ続け、それに懸命について行かないと、こぼれ落ちてしまうような危機感。何にしがみついているかも分からず、ただ懸命に普通でいることを求める人々。特別な人を憎み恐怖し、引きずり落とそうとする、常に自分が普通であることを確認し、そうでないと惨めな自分に気づいてしまう事に恐怖する。恐怖の実態は分からずとも恐怖それ自体に恐怖する不条理な社会で自分自身の作る陰におびえる経済大国日本人。日本は一つの宗教である。オレはどこかそう感じている。 飛行機が成田を離陸したときほっとした。 |
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ウタラディットの真実 |
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かつて、外道で連載した『パンちゃん物語』のパンちゃんはタイ北部のウタラディット出身であった。ネグロさんが執筆したこの連載の反響は大きく、初期の外道に大いに貢献してくれた。オレはいまだに第二のネグロさんを探している。(なかなかいない) 最終回でパンちゃんは上辺ばかり華やかなバンコクの花柳界から身を引き故郷のウタラディットに帰って行った。そこで物語は終わっている。 今回赤ハゲ先生の実家ジュラ紀の里に行くとネグロさんに話したところ、ついでにウタラディットに行って写真を撮ってきてくれとの依頼を受けた。 下は他のサイトからパクって来た情報 ----------- ウタラディット県・・・ウタラディットはタイ北部地方の下部に位置する歴史ある県です。この地域は元来「バーンポーターイット」と呼ばれており、ナーン川の右岸に位置するため河川交通の要所とされ、様々な物資が取り引きされる河港として栄えてきました。ラマ5世の時代にバーンポーターイットは県に認定され「北方の港」という意味を持つ「ウタラディット」という名前に改められました。ウタラディットは7,838k㎡の面積を持ち、豊かな自然に恵まれています。 イントロダクション ウタラディット県の、ウタラディットという地名は、『北の港』という意味です。元来は、 「バーンポーターイット」(??????)とも、呼ばれている。 地勢 ウタラディットは、バンコックから、457kmの、距離。タイの北部地域に位置しています。県内を、ナン川が北東から西南に、流れ、シリキット王妃・ダムにつながる。 ダムは25,000ヘクタールの広さを誇る。ウタラディットの県は、ナン川に沿うように広がる。 東南アジアでは、多くのチーク材が、伐採されたが、いまでも県内には、多くチークの森がある。なかでも、サックヤイ国立公園では樹齢約1500年、幹の太さが最大9.87メートル、高さ37メートルの世界最大のチークの木が、有名である。 おもな見所 Lam Nam Nan国立公園 Phrae県, Uttaradit県 2の県にまたがる 面積 999.15k㎡ Phu Soi-dao National Park サックヤイ国立公園 Doi Phu Soi Dao 高さ2,102mの山がある Ton Sak Yai Forest Park トンサクヤイ森林公園(ウォン・ウタヤーン・トンサクヤイ) 樹齢1500年といわれている「トンサクヤイ」という、巨木がある. The Field of Three-leaf Pines on Phu Soi-dao プラヤーピチャイ戦勝記念塔 ラップレー郡 ラップレー(桃源郷) シリキットダム(クアン・シリキット) シリキット王妃・ダム ----------- とまあ、こんな感じの何でもない田舎町であることが情報からも読み取れる。ウタラディットは一応タイ北部に属するが北訛りはあまり強くなく、淫売自然保護区とまで言われるチェンマイ・パヤオ・チェンライほどセックスのイメージも強くない。あらゆる意味で目立たないマイナーな県。日本で言えば滋賀とか岐阜・佐賀かな・・・いることすら忘れてしまうような県だ。マイナーマニアのオレにはちょうどいい。 北旅行の帰り道、オレはウタラディットに向かった。 馬鹿みたいに広い国道一号をパヤオの先でプレー県へと向かう道に入る。道は急に狭くかつ悪くなりスピードは出ないが急ぐ旅でもなくバイクではこの程度が一番気持ちいい。時折ある標識は『牛飛び出し注意』とかで、のどかなことこの上ない。プレーをすぎたあたりから急に山道になり、タイには珍しいヘヤピン続きの峠道だ。問題は注意標識等が一切無いので何もない直線道を140で走っているといきなりクランク、無言でヘヤピンは危険きわまりない。そんなところには決まって事故った車の残骸や、スリップ痕、死者に捧げた花の残骸などがあり、意味無く恐ろしい。ビビリながら走る。 峠の頂上には、見晴らし台けん土産物売り休憩場があり、オレも一服した。ソンカーンの時期はどこも地獄のような暑さだがここでは涼やかな風が流れ、景色も最高。百姓の馬鹿野郎がやっている山焼きのせいでガスがかかっていたのが残念だった。ここからは30キロほどでウタラディットの町のはずだが一面山ばかりで町が近い予感は全くしない。ベトコン狩りに来た米兵みたいな途方に暮れる気分だったが、気を取り直して走り出した。 山を下る感じでなだらかな傾斜が続く、突然平地に出た。北の山地からの谷の始まりなのだろうか?だんだんと山との間隔は広くなりのどかな農村が続く。案内標識にいきなり『右折ウタラディット』とある。曲がるとすぐに『wellcome to Uttaradit』の大きなアーチ門と国王陛下の肖像がでかでかと掲げてある。タイのどこにでもある田舎町のおきまりごとだ。そのゲートをくぐり、市内への道と入ったとたん・・・橋が落ちている。・・・町の入り口がこんなことでいいのか?一応、補修して仮設橋を架けてあるがオレの中にある嫌な予感がだんだんと現実になってきたようで不気味だ。ビビリながら仮設橋をわたる。 仮説橋を過ぎて2キロほど行くがまだ町に着かない。疎らに自動車修理工場や雑貨屋があるのみ、その他は水田だ。変だな地図ではもうそろそろウタラディット駅に着くはずなんだが・・・もしかしたら、このショボイしもたや群がウタラディットなのか?だとしたらメーサイ以下だ。嫌な予感でビビリながら進むとやっと駅に着いた・・・ショボイー!!オレの想像以上に田舎町だった。 駅前に数件の商店と爆睡中のタクシー運転手がいる。眠ったような町だった。日暮れが近づいている今夜はここに泊まることにしよう。町中をあてどなく走り回るが『hotel』の文字が見あたらない・・・。フッフッフ・・・無計画旅行にはよくあることだ、どこが町の中心でホテルが集中しているところがどこであるか見当もつかないため、あてどない彷徨を続けることになる。パッカーの時は面倒くさくて駅で寝てしまった。しかし今はジジイだ、屋根のあるところで寝たい。しばらく迷った後、踏切を越えて駅の反対側にでる。わかった!こちら側が新市街だ。道幅も広く整備されている。県庁舎、各種地方行政の役所、駅弁大学、病院などが集中している。と言ってもとても狭い。ウタラディット病院の裏通りが新市街の繁華街だった。その中で一番高い建物を目指す。田舎町で一番立派な建物はたいていホテルだ。だが、その建物は閉鎖された映画館というかボーリング場みたいなたたずまいで、hotelの文字がない・・・本当にこの町にはホテルがないんだろうか?・・・いや、まがりなりにも県庁所在地だ宿泊施設がないわけない。恐る恐る入っていくとホテルだった。結婚式の真っ最中だったようで、田舎モノが精一杯着飾ってごった返している。 seenaraj hotel 8階建て、ウタラディット一の高層建築ホテルだった。シングル1泊800B(朝食付き)安いー!疲れていたし即決でチェックイン。レセプションの女の子、オレがチェックインのための書類を英語で書き始めるといきなりパニック・・・よほど珍しいのか。一応、チェックアウトタイムを聞くと『7時』なんてとんでもないことを言う。意味通じてないようだ。裏からマネージャーが出てきてやっと意味が通じた。7時は朝食が始まる時間で、チェックアウトは普通に12時だった。それにしても『チェックアウト』という言葉が通じないのはイラン以来だ。困りものだが、なんだかうれしくなった。部屋は普通のビジネスホテル風。でも日本のそれと比べるとずっと広い。町で一番高い建物なので部屋からは町が一望できる・・・木が多いな・・・単なる森に見えなくもない。プールもありソンカーン前と言うことのあって町のガキどもが暴れ回っている。若い女はいるかと思って目をこらすが、いるのはお母さんばかりだった。 シャワーを浴びて一息つくと、もう日が暮れかかっている。夕食がてら町をうろつくことにした。レセプションで簡易地図をもらう・・・タイ語のみ。それにしても簡単すぎる地図だ。マネージャーに飯食いたい、どこが中心地だ?と聞くと、にべもなく『ここだ』と言われる。しかたなく、またあてのない彷徨にでる。 とりあえずさっき見た駅に行ってみる。駅舎にはいると意外にたくさんの人が列車の到着を待っていた。時刻表を見ると・・・一日2本。なんでこんなに人がいるんだ?時刻表の急行の他にも普通列車があるようだ。旧市街は古くからの市場があり、意味無く汚いが、時刻は6時過ぎだというのにほとんどの店のシャッターは閉まっていて、犬しかいない。田舎の夜は早いぜ・・・ここは特に早すぎる。 仕方なく新市街に戻った。あてどなく走り回ると町はずれにロータススーパーマーケットがあった。ロータスは日本で言うダイエーやイトーヨーカ堂に当たりどんな田舎にもあるスパーマーケットだ。こんな田舎町だとエアコンの入っている商店はここだけ。ケンタッキーフライドチキンの看板を見て不思議と安心してしまった。店内はどこにこんな人がいたかと思うほどごった返している。ウタラディットの最新スポットはロータスのようで家族連れやカップルでにぎわっている。バンコクにあるロータスと商品は同じだが、どこか一モデル前のモノが多く泥臭い。建物は巨大だが平屋。土地はいっぱいあるようで駐車場は広大、バイクの駐輪場の異常にでかい。見渡す限りにピックアップとバイクの海。ここでは公共の交通手段が限られている。 結局、ホテルの前の屋台街で飯を食い、ぶらつくがオレが探し求めるギラギラしたネオンはない・・・マジにないようだ。諦めてホテルに帰ってわかった。ネオンはオレの泊まっているホテルだった。ホテルの裏手にナイトクラブ「ブルースカイ カラオケ」があり、大音量のタイ演歌が流れている。確信した・・・ホテル併設のカフェーだ!早速レセプションで確認。 「裏のカラオケは何だ?」 「カフェーですよ。ちょうど今日はコラートから!#@$#%^&*&(知らない演歌歌手)が来ています」 「そんなことはどうでもいい。女はいるのか?」 「もちろんですよ!とびきりの美人です」 「何人だ?」 「10・・・いや、6人かな・・・よくわかりません」 イヤーーーな予感がしながらもこれも外道者のつとめだと思い田舎カフェーに潜入した。入るとすぐにウエイターがきてビールを注文。9時だというのに店内は人でいっぱい!しかも・・・家族連れ多し。どうも、ここが市内唯一のエンターテイメントのようだ。確かにギラギラした衣装を着たカラオケオネーサン(オバサン?)もいて、順に歌を歌っている。お金の首輪をあげると同席しくれるシステムも同じだ。だがぎらついた邪な雰囲気全くなし。家族連れはお笑い芸人身やドサ周り演歌歌手を見ながらトムヤムの大鍋つついている。ウーン、外したぜ。まあこんなモノかと諦めて部屋に帰る。12時前には物音一つしない静寂が訪れた。オレもあっさり寝てしまった。 翌朝7時頃、この町を去る。パンちゃんが花柳界から引退して開いた食堂は市内にあるそうだが、ネグロさんもオレも住所はとっくに無くしてしまい彼女を訪ねることはできなかった。また仮に居場所がわかったところで、この静かな町で平穏に暮らしているであろう彼女に何らかの悪い影響を及ぼすようなことは避けたかったので、初めから探す気もなくただ単に男のセンチメンタルを満たしただけだった。 さようならパンちゃん、幸せに暮らしてください。 くだらないとわかっていても何となく好きだな、そういう男の弱さが。 朝のウタラディットは、涼やかな風が頬を切る美しい町だった。 |
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ジュラ谷探検記 |
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ウウッ・・・ワイルドだったぜ、ジュラ紀の谷。 赤ハゲ先生の田舎のチェンライ・ジュラ紀の里は実は新植民地(全然新しく見えない)で、親の代はそこから遙か離れた(歩いて3日)のジュラ紀の谷の原住民だった。そこがあまりにも酷いというので今のジュラ里に逃げてきたそうだ。以前、先生が撮影した自虐ナルシズム趣味のビデオで見せられひどく興味を引いた。今回は文明から隔絶された未開の土地、ジュラ谷を目指す旅だったのだ。 前日の約束が8時だったのでオレはタイの約束時間をなめきっていて爆睡中だった。(昨夜はバービヤのビューちゃんが、あまりにもかわいかったので夜更かししてしまった。)大切なことを忘れていた・・・田舎の朝は早いのだ。タイ人とは思えないことに時間を守りやがった、このハゲ医者!・・・別に怒ることではない。だいたい先生はタイ人じゃなかった。でもなにはともあれ、想定外の時間厳守。 眠剤が効いていて眠い。先生のタイでの愛車『ロータス ピックアップ』には関係ない百姓が満載されている。相変わらず金は出しても主導権はないオヤジだ。 ロータス ピックアップ フルハウススペシャルで出発。 先生の話では、ジュラ谷までの道のりは、未舗装の獣道で川には橋がわたっていないので雨期には外界から孤立し、蛇にかまれると血清が間に合わず死んでしまうような僻地だそうだ。主な作物はアヘン。警察よけのためにわざと川に橋を造らなかった云々・・・。 チェンライから出発し、しばらくは国道県道、きれいな舗装道路だ。ここからジュラ谷への入り口という田舎道に入る。・・・きれいな舗装道で中央線まで引いてある。赤ハゲ先生の実家のジュラ紀の里よりよっぽどましだ。 「道きれいじゃないですか?」 「アレー変だな・・・最近舗装したのかな??」 この医者は悪気無く、大げさ・大風呂敷で安請け合いなので話半分に聞かなければならない、という鉄則を忘れていた。谷は狭くなり民家もまばらになったが、まだ道は綺麗で電気も来ている・・・。 「先生、電柱立ってるし公衆電話ありましたよ。全然、孤立して無いじゃないですか?あっコンビニだ」 「イヤー、時の流れは侮れないねー。タクシン様々だな、ハッハッハ!」 都合が悪くなると、笑いで誤魔化そうとしてやがる。こういう奴でないと金は残せないという症例だ。若いみんなは先生を見習って自分の言葉に責任を持つことを辞めましょう。 しかし、最後の雑貨屋がすぎた辺りから道は段々と未舗装になり、ジュラ紀の谷はその真実の姿を現すかと思われた。前方に小川が見える。・・・橋かかってる。 「・・・橋でしたね」 「全く地元から首相がでると違うねー。前来たときは無かった」 「いつの話です?」 「ウーンと、最初の子供が生まれた年だから、イヤー歳はとりたくないね、ワッハッハ」 徹頭徹尾、笑って誤魔化す気だな・・・。 どんどん谷の奥に分け入る。すると先生が言っていたように状況は僻地化してきた。だが、川に橋がないと言っても水は足首程度しかなく、とてもこれで外界から孤立しているとは思えない。2時間近くかかってやっとジュラ谷の最深部の村に着いた。村の入り口には役所がたてた「麻薬取引は辞めましょう」の看板が立っている。ウーン盛り上がってきたぜ。先生がいちいち説明してくれる。ここは行かず後家シスターズの館。ここはロンパリオヤジの家。ここは村長の家、通称ヘロイン御殿(先生の家より立派だった)。高台にあるのがヘロイン寺で裏に逃走用の馬飼ってる。山に逃げたらタイの警察は追ってこれない。この村の名字はすべて同じで血が濃いからキチガイやカタワが多い。 外界から隔絶したと言うより隔離していると言った方が近いような気がするが、ワイルドなことは間違いない。村を流れる川はタイとは思えない清流で、谷を吹く風は清々しい。ヘロイン撲滅運動の看板さえなければ、絵に描いたように美しい僻地村だ。マイナーマニアのオレは燃えた。そのとき・・・。 「なんっすか?あの板は」 「・・・ウーン、ソーラーパネルかな?」 「電気ありますね」 「ハッハッハ、文明ってすばらしい」 一緒に来た百姓たちは、口々にタクシンの政策のお陰だと言っている。反タクシンの先生と裏腹に小作人たちはタクシンベッタリのようだ。でもやはり携帯はいまだにサービス圏外。数少なくなったタイの僻地の一つなようだ。 村はすべて親戚なので比較的ましな家を訪ねそこで昼食。オレはヘロイン御殿で食いたかった。ワイルドな飯だがふつうの北料理だ。うまい。そして、なんとなく汚い色合い。先生は女に金取られすぎたのがトラウマになっており、タイ飯恐怖症なので奥さん持たされたおにぎり食っている。昼食後、ジュラ谷散策。最高!! ウーン、なんと言えばいいかオレの語彙では説明できないが汚いが美しい。こんな時間の止まった村で数週間過ごすと都会のでるのが恐怖になるのがわかるところでした。でも綺麗で良いところ。もう一度行きたいというと、先生げんなりしている。 ・・・マンコ以外はタイ嫌いな医者だな。 無理矢理、夏にもう一度行くと約束させた。 |