帰ってきたMP嬢の裏事情 BY Youngboggy

はじめに

筆者が過去3回に渡って『外道の細道』に投稿した「裏事情」シリーズは、MPの雑学というべき内容であった。既に書き尽くした感があって今更改めて付け加えることもないと思いきや、時間が経つにつれてあれやこれや思い残すことしきり、再度執筆に踏み切った。重複する内容はなるべく避けて、筆者が意識的に(無意識に?)今まで触れてこなかったことなど、徒然に書き連ねてみたい。筆者の個人的な体験談、交遊録、事件簿みたいになってしまったが、タイの風俗にまつわるひとつのエピソードとお考えいただければありがたい。現在は存在しない店、店名が変わった店などは読者にとって何ら参考にならないかもしれないが、筆者の感慨(愚痴?)とお許し願いたい。
  1. 20年前のMP(2011年11月2日)
  2. ニュークレオパトラの功罪(2011年11月15日)
  3. 引退したMP嬢に再会したお話(2011年11月29日)
  4. スカウトマンP氏のお話 (2011年12月14日)
  5. 某有名MPのマネージャーJ氏のお話 (2012年1月20日)
  6. 女コンチアUのお話など (2012年2月7日)
外道の細道





20年前のMP

 こう書くと筆者の年齢がバレてしまうが、まあ、よかろう。筆者が生まれて初めてタイの地を訪れたのは、かれこれ20年前になる。某日系企業の現地駐在員として赴任したのがタイとの馴れ初めだった。例外に漏れず、筆者も上司や同僚に連れられるままタニヤやスクムビット界隈の日本人向けカラオケやクラブで遊ぶ機会を得て、MPも知った。記憶を辿れば、同僚に連れられて初めて入浴したMPは、スクムビット・ソイ12にある「ダーリン」だったと思う。当時この店は政治家、軍や警察の高官、権力者、裕福なビジネスマン、芸能人などの客層を抱え、駐車場は連日高級車で埋まり、雰囲気も落ち着いていて、雛壇の規模は大きくなかったが、市内屈指の名店だった。当時のMPはタマダー、サイライ、ダラーなどに分かれていなくて、サービスの内容からボディーマッサージの娘(マット洗いの娘で、タイではBコースと呼ばれる)と、普通のマッサージの娘の二種類しかなかった。前者が90分B1800、後者が2時間B1600くらいだったろうか。娘を二人選んでサンドイッチを所望、コンチアにちょっとまけろというと、合計B3200のところB3000に割引してくれたりしたことを覚えている。ここの娘たちは客層を反映してか物腰が柔らかく、接客態度もしっかりしていて、(ベッドの中でも)客をもてなすことに真摯な姿勢があり、この店で働けること(そういう客層を相手にしてカネを稼げること)に誇りを持っていた。ふた昔前のMPというのは、客が娘のサービスに不満でコンチアに文句をつけたりすると、後で殴られるか解雇されるのが当たり前だったらしいから、客がどんな破廉恥でお下劣な要求をしようと娘はイヤとは言わなかった。現在のMP嬢だったら露骨に嫌な顔をされて拒否されるようなプレイさえ、ほとんど100%受け入れたのである。ディープキス、生尺、玉舐め、アヌス舐め、口内射精などはごく当たり前で、要求すればアナルセックスも文句を言わず応じた。生ハメ、生出しも稀ではなかった。当時、ゴム付きでフェラする娘など、少なくとも筆者は出会った記憶がない。娘二人と3Pすると、どんな気紛れなリクエストも面倒がらず、逆に、娘が自分から積極的に戯れてきたりした。時間内に客が何回発射しようと嫌がったり、チップを余計に欲しいなどという娘も皆無だった。みんなプロに徹していたのだ。当時は携帯が普及していなかったので、娘の携帯番号をもらって連絡を取り合い、個人的に店外で会ったり、娘が店に管理されていた時代なので、娘の住んでいるアパートにしけこみ関係を持ったりはできなかったし、客のミアノイ(愛人)になるべく自分から積極的に言い寄ってくる娘もいなかった。この世界にいったん足を踏み入れたらフツーの人間ではないのだ、という覚悟(かつての日本の遊郭や置屋の世界に似て、普通の一般世間では生きられない)があり、客に性的奉仕をする玄人だという意識が強かった。現在のMP嬢はこの点で、ふた昔前のMP嬢に明らかに数段劣る。これも時代の流れなのだろう。客のどんなリクエストも全面的に受け入れていたら、危険な病気に罹るリスクも相当なものだったろうが、現在、MPに遊びに行く客が要望することとMPのシステムやルールには、かなりのズレが生じてきているような気がしないでもない。(娘にリクエストして拒否されること自体、何やらおかしいと思う) 話しを戻そう。当時、娘は店の管理の下に置かれていたから、娘のラインアップやサービスがそのまま店の特徴に反映していた。(外道読者の中には、MP嬢は店の従業員だと信じている御仁が多いようで、大半の投稿者が「この店の娘は」と書くが)現在、MPで働いている娘は従業員ではなく、大半がエージェントお抱えの娘なので、店の特徴というよりも、一人一人の娘の資質によることが多い。第一、現在のMPはその店独特の特徴なんて無きに等しいだろう。昔のMPはその点、数回入浴しただけでも店の特徴がよく掴めた。筆者が訪タイして一年程経った頃、その後一世を風靡した店が華々しくオープンしたことを今でも鮮明に覚えている。(それだけ通った回数が多かったということである) 現在「ラ・デフォンス」になっている「ジュリアナ」である。現在でも同じ建物が同じ場所に建っているが、オーナーは全くの別人。当時この店は規模だけでなくサービスや娘のレベルが最良で、パラム9は現在のような大きな通りではなく、建物もほとんどなくて空き地だらけで薄暗く、陸橋の高架もなく、店の前に大きな駐車場があって、連日高級車で埋まり流行っていた。当時のパラム9は便が悪く、スクムビットに住んでいた筆者は時間に余裕のある日しか遊びに行けなかった記憶があるが、それでも、「ジュリアナ」の娘は他店と較べて一段と質が高く美人揃いときていて、みんなサービスが良かったから、筆者も頻繁に通った。現在は娘を選べなくて苦労するMPが多いが、当時の「ジュリアナ」は店に行くたび、(今宵はどんな娘を選ぼうかな?)とワクワクするほどだった。今から考えると、贅沢な悩みだったのだ。この二店は経験豊かなプロを揃えている店だったので、サービスの良い娘は必然的に若干年齢が高かったから、経験やサービスが劣っても、とにかく若い娘とヤリたいときは、河岸を変えてペッブリーの店を訪れた。ペッブリーは現在でもMPが乱立しているが、かつてのペッブリーのMPは質において現在と全く異なっていた。筆者がよく通ったのはペッブリー・ソイ39の奥にある店だった(現在は「エンガラ」になっている)。当時の店名は「ベルンダ」とかいったか。この店はとにかく、ほとんど例外なく18歳未満なのではないかという若い娘ばかりのラインアップで、経験豊富な玄人のMP嬢が多かった「ダーリン」、「ジュリアナ」とは明確に雰囲気が違っていた。テクニックに秀でて洗練されている玄人娘にはない魅力、庶民的で素人っぽく、ちょっと荒っぽく娘を扱って、いたぶったり弄んでも、娘は嬉々として何でも応じてくれた。日本でいう中学生くらいの年齢の娘も多数在籍していて、幼くて可愛いくせにやることがエロエロで(筆者の要求ゆえ?)、おまけに上記二店より入浴料も安かったので、筆者は大満足で通った。現在、こういう店は望んでも到底望むべくもない。当時ラチャダーにMPはなかった(と思う)。ラチャダーは中古車販売の店がちらちら出来始めたばかりで、「フォーチュンITモール」&「メルキュールホテル」になっているデカイ建物には、かつて「ヤオハン」が入っていた。通りを隔てた向い側、ヨーロッパ風建物が目印の「アムステルダム(旧シャンゼリゼ)」もなかった。ディンデーンに「ニュークレオパトラ」もなかった。(往年のMP「クレオパトラ」にあやかっただけで全く別の店だった。旧「クレオパトラ」はウィッタユー通りがペッブリーに抜ける直前の右奥、現在、「The Pent」という高級クラブのちょっと先にあった。「ニュークレオパトラ」も閉店して久しい)「ユートピア」、「ポセイドン」、「ナタリー」もなかった。(チャオプラヤー1&2は当時からあった) 「ラデフォンス」の奥にある「カトリーヌ」もなかったし、当然、「コロンゼ」もなかった。現在よりMPが少なかったことになるが、各店、娘の在籍数が大変多かった。旧「クレオパトラ」の雛壇に並んでいる娘は200名近くいたろうか。「ジュリアナ」も150名以上は在籍していたか。現在のMPで娘が200名在籍する店はないが、当時の客は同じ店であっても、豊富なラインアップ(それも選べる選択肢が多い)から毎回違う娘を指名して楽しめた。現在はMPに行って雛壇を眺めていると、(こいつもダメ・・・あいつもダメだな・・・)と吟味に吟味を重ね、最後は諦めてしぶしぶ一人選ぶというのが圧倒的に多いのではないか。懐古趣味になるから、(昔のMPは良かった!)と言いたくないのだが、通い過ぎて飽きたか、性欲が衰えてきたのか、そういうことに胸がワクワクしなくなるほど年を食ったのか、判断に迷うところではある。バンコクの往年のMPで遊んだ経験がある外道読者のオールドファン(きっと、いるはず)、どう思いますか? ちなみに「ダーリン」は現在も同じ場所で営業しているが昔日の比ではない。オールドファンから話しを聞いて、(場所も近いし試しに入浴してみるか)と考える御仁もきっといるだろうが、やめたほうがよい。ボラれるだけだろう。現在と貨幣価値が違うから単純に比較できないが、当時、1バーツ=5.6円〜5.7円だったから、タマダーの入浴料のB1600は、当時のおよそ9000円に当たる。現在のレートではB3750に相当するから、当時のMPはかなり高かったことになる。現在、平均的なMPのタマダーの入浴料がB2000前後だから、オールドファンにとってはかなりお得な感じさえする。サイライの入浴料がB4000前後というのもオールドファンにしてみれば、昔のタマダーと同じじゃねえかという感じだ。従って、現在のMPの入浴料が高いのか安いのか、判断しずらいが、娘やサービスの質から判断すると、業界全体がレベルダウンしてきたなと痛切に感じるだけに、筆者などは正直なところ、高いと感じることのほうが多い。最近、MPでコンチアに娘の値段を訊くと、『あの娘の、いったいどこがB4500なんだ?』と言い返したくなる。コンチアが推薦するとかいって自信満々に連れてきた娘を見た瞬間、『この娘にその値段を払わせるかぁ?・・・タダでもヤリたくねえや・・・』と罵詈雑言を浴びせたくなり、『あんた、自分でこの娘とヤルんだったら、その値段払う?』と詰問したくなる。妥協して何とか選びコトが済んだあと、『おまえ、どういう男とつきあってんの?・・・初心者並みのテクじゃねえか!』と娘を説教したくなる。最近のMPってそんなもんだろう。外道諸氏はどう感じてますかね。(筆者は最近滅多にMPに足を運ばなくなったが、出かけることがあればコンチアに、『誰でもいいけどさあ、せめて、本物のタイ人にしてくれる?』と注文をつける。それほど、非タイ人のMP嬢がどこでもやたら急増している。タマダーどころかサイライまで非タイ人になっている店もある。嘆かわしい。ここはタイではなかったか?・・・ミャンマーとかカンボジア、ラオスじゃないだろ。タイ娘の成り手がいくら不足してるからって、こいつら、サイライにしてB3000払わせるなよ・・・どうせ安くコキ使ってるんだから、ボロ儲けじゃねえか・・・タイ人じゃないんだから、安くしとけよ・・・本当はどんなに高くたってB1000ってとこだろう?・・・と、やはり、愚痴になってしまった)





ニュークレオパトラの功罪

 アソークがパラム9と交わる交差点(そのまま直進するとラチャダーに入っていき、右折するとパラム9、交差点の左角に「アムステルダム」がある)を左に曲がって少しばかり行ったところに、かつて、「ニュークレオパトラ」というMPがあった。現在はホテルになってしまったが、この店は功罪が相半する店として、バンコクのMP史にその名を残している。かつて、ウィッタユー通りの奥に、「クレオパトラ」という名物MPがあった。首都高速を走るとクレオパトラが寝そべっているドでかい看板を目にすることができたので、ご記憶の方も多いだろう。ディンデーンの「ニュークレオパトラ」は、旧「クレオパトラ」にあやかって、名前だけを借りて全く別のオーナーがオープンさせた店で、バンコク市内のMPでおそらく初めて、現在大半のMPが採用しているシステムを確立して成功し、一世を風靡した名店だった。かつてのMPは、娘のラインアップは二種類しかなかった。ボディーマッサージの娘と普通のマッサージの娘である。マット洗い(日本のソープでは基本中の基本)が廃れていったあと、この店では娘の容姿、体型、年齢、前歴、就業条件などに準じて、値段に格差をつけたのである。値段の高い娘は当然、容姿に優れ、比較的年齢も若く、スタイル抜群で、就業条件も甘く、拘束や毎日の出勤義務もなく、バイト感覚で働けるようにした。タマダー、サイライ、ダラーといった現在どこのMPでも採用しているシステムを初めて試み成功させたのが、実はこの店なのである。この店のモデルクラスは圧巻で、極めて容姿に優れ、実際にグラビアモデルやヌードモデルも多数在籍していた。普段はパトロンにでも貢がせて遊び呆けていても必ずカネに困るときはある。そういうときだけ一発奮起して働くようなモデル級の娘は週に2日どころではなく月に2日しか出勤しない者もいたが、全盛期のラインアップはゴージャスだった。また、この店で働いていた従業員は後に様々な有名MPに散らばっていき、このシステムを普及させ、活躍の中心を担った。筆者が個人的に知っている男は「ニュークレオパトラ」でコンチアをしていて、現在「ユートピア」のマネージャーであるが、その他のコンチアも、「アムステルダム系列」、「カトリーヌ系列」、「ザ・ロード系列」などの有名MPで活躍中である。これが「ニュークレオパトラ」の功績の方である。一方、罪過の方はといえば、店の売り上げ増加と客の嗜好を満足させるべく作り上げたシステムの構築に成功した半面、MPのサービスを素っ気ないものにしてしまった責任を指すのだろう。店が娘を完全に管理していた時代、娘は従業員なので、サービスその他の面で店が娘に無理強いできたが、容姿の優れた娘、それも、一級品を是が非でも求職させ、MP嬢としての覚悟や商売女としてのプロ意識、必要なトレーニングなどを度外視した結果、(収入、就業条件などを含む)娘の我儘を許すことに繋がっていったことである。店側が無理強いできない娘は店の方針や教育に従うはずがない。また、お抱えのエージェントの台頭を許したことも見逃せない。エージェントに依頼して娘を発掘すれば、自己負担を減らして手っ取り早く娘のラインアップを強化できる。外注でスカウトしてくるみたいなものである。携帯の普及がMP嬢の仕事に与えた影響も大きいかもしれない。客と二人になった隙に、自分の連絡先を与え(又は客の連絡先をもらい)、店外で個人的に商売してしまう。あまり仕事にやって来ないモデルの娘などは皆、自分に無条件で大金を貢いでくれる客が大好きである。店外で会えば店に搾取されることなく全額自分のものにできるし、出勤義務がないからいつだってウソをついて店を休める。仕事に来ない日に娘が何をしていようと店は干渉しない。客と店外デートの約束がない日は普段通りに出勤すれば、いくらか稼ぎにもなるし、新しい客と知り合う機会にもなる。そういう娘にとって、店に仕事に行く目的はパトロン探しがメインだと考えてもよい。そのうち熱心に口説いてくる客が現れて、愛人になるチャンスも訪れる。MP嬢を愛人にして囲う客というのは、店とエージェントにとって娘泥棒といえる。店やコンチア、エージェントに娘泥棒の事実が筒抜けになっていたら、次回、店に行っても上玉を紹介してもらえなくなるのを覚悟した方がよい。また娘を泥棒されると怪しまれるからである。「ニュークレオパトラ」の功罪は、優れたシステムを作り上げ、サービス向上に努めることに成功した反面、働いている娘の我儘を許してしまったことだろう。それは娘のサービスの内容にも確実に影響を与えた。昔はどんな娘も1ロープの報酬が一律だったが、値段の高い娘の取り分は値段がより安い娘よりも当然高いから、サービスが劣っても、最初からその手取りが保障されているようなものだ。店にとっても娘の我儘を最初から呑んで働いてもらっている都合、娘のサービスの良し悪しを云々する資格がなく、娘も聞く耳を持たないから、客の要求をあっさり拒否して客からクレームがついても店は娘に何も言えない。これがMPのサービス低下に繋がっていったことは、ほぼ、まちがいないと思う。以前外道の投稿にも書いたことがあるが、「ニュークレオパトラ」は旧オーナーが亡くなったあと、二人の息子が経営を継いだが、ほどなく兄弟の権力争いに発展してしまい(ひどいときは店で発砲沙汰が絶えなかったと、元コンチアの証言)、双方譲らず、最後は元オーナーの未亡人が人手に渡して閉店してしまった。評判の良かったモデルクラスの娘たちは店を辞める者が続出し、閉店する末期はロクな娘が残っていなかった。全盛期のタマダー娘のラインアップは質・量共にかなりのレベルを誇っていて、筆者は数軒のMPをハシゴして好みの娘がいなければ、最後はこの店で入浴することにしていた。その意味で、筆者にとって“最後の砦”だった。閉店してしまったのが実に残念である。近い将来、復活する可能性はゼロだから、諦めるしかない。(「ニュークレオパトラ」の営業認可は「ザ・ロード」のオーナーが2000〜4000万バーツで買い取ったと聞いた。今後、バンコク市内で警察が新しくMPの営業を許可することはまずないので、MPをオープンするには既存の店の認可を買い取るしか手がないという。認可する軒数が決まっているようなので、残念ながら、これ以上バンコクにはMPを増やさないそうである)





引退したMP嬢に再会したお話

 当たり前の話だがMP嬢に定年退職はない。30歳を超えても、40歳を超えても、毎日MPの雛壇に座っている娘(おババ?)もいる。現在ほとんどのMPでは18歳未満のタイ娘を採用できないので(在籍していたら非タイ人の可能性が高い)、MP嬢の旬の年齢は18〜28歳(実働10年)くらいであろう。彼女たちは引退したらいったい何をやっているのか。数年店で働いてカネを貯め、田舎に戻り、家でも建てて、幼馴染の男と一緒になり、子供をもうけ、平凡な暮らしに満足して余生を送れば幸せだろうが、不幸にも、「それから幸せに暮らしましたとさ・・・」とはならない。なかなか並みの暮らしに満足できないのが商売女の業である。簡単に大金を得られた過去を忘れられない。全盛期は毎日カネ(日によって数千バーツ)を手にすることができたが、地道な商売に転じると、その数千バーツにも困り果てる生活を強いられたりする。旦那が稼いでくれればよいだろうが、商売女が全員裕福な旦那を見つけられるとは限らない。金持ちの旦那どころか、女房の稼ぎを全面的にアテにして生きているような男に惚れ込む商売女も多い。繁々と通ってきて口説く客の愛人となって二号生活を数年送っても、パトロンに捨てられたあと、サイフに残っているカネがゼロなんて娘もザラにいる。稼いだカネをホストの男(売春夫)に貢いで、稼げなくなった頃に棄てられる娘もいる。商売女の悪癖(男・ヤク・賭博)に稼いだカネを全て費やして自滅していく自業自得・・・まともに生きていればマシかなと思うくらい、商売女の成れの果ては哀れで悲しいものかもしれない。商売を鞍替えしてかなり年長の欧米ファランと知り合って玉の輿に乗る娘も中にはいるが、大抵、甘い言葉(家、クルマなどを買ってやると約束する)に乗せられ、短期間現地妻になったとしても、弄ばれて最後に棄てられるのがオチである。筆者が知っているMP嬢のその後の例をひとつ挙げてこの項目を締めくくろう。筆者が20年前に贔屓にしていたMP嬢と十数年ぶりの再会を果たしたという稀なケースである。その娘、筆者がかつて、「ジュリアナ」で知り合い、頻繁に指名した娘だった。源氏名は忘れたが記憶には残っていた。それだけ通った回数も多かったのだろう。市内の某通りにあるタイ人相手の鄙びた安カラオケ店にタイ人の友人と一緒に遊びに行った。英語も日本語も通じないローカルなタイ娘と知り合い、何回か遊びに行った後、当然、関係を持つに至った。(若い男と同棲でもしてるんだろうな・・・)と内心思いつつ、ある晩オフした後、彼女は筆者を自分のアパートに連れて行った。かなり古くて安っぽい、小汚くて狭いアパートだった。ヤッたあと、腹が減って飯を食いたいと言い出したので、二人とも部屋着に近い格好で表に出た。薄暗い通りを歩いていくと、屋台の飯屋が一軒だけまだ開いていた。飯を食い始めると、飯を売っている40代とおぼしきオバサンが、仕事の手を休めて筆者の顔をしげしげと見る。(こんな時間に、こんな場所で、外人が飯を食ってるのが珍しいんだろうな)と思い気にも留めなかった。一緒に飯を食いながら、娘がそっと、「このオバサン、さっきからずっとあなたの顔見てるよ・・・知ってるの?」と囁く。無言で否定する。ちらっと顔を盗み見たが記憶にない。(こういうふうに、いつもどこかで、商売女とたびたび飯を食っていると、別の娘と飯を食ったことがある屋台で、このオバサンが飯を売ってたのかもしれんなあ・・・)と勝手に想像した。突然、娘の携帯が鳴った。客からだわとか断って少し離れたところまで急いで歩いていって、筆者に聴こえないように会話を始めた。(こりゃ、本当の恋人から電話が入ったのだろう)と思いながら苦笑い。飯を食い続けた。すると、店のオバサンが突然、筆者に話しかけてきた。「あんた、覚えてるよ・・・」一瞬どきっとしてオバサンの顔をまじまじと眺めた。う〜ん・・・全く記憶にない。いったい誰だったか?・・・あちらはおれを覚えているようだが・・・う〜ん・・・携帯で話しをしている娘はなかなか会話が終わらず、長話になりつつあった。筆者はいったん箸を置いて煙草に火をつけた。オバサンはさらに意外なことを言った。「20年前と同じね・・・」頭がカラッポになった。20年前ということは、屋台で飯を売っているオバサンなんかではないよなあ・・・おれの20年前を知っているということは、その昔、働いていた会社の同僚?・・・従業員?・・・待てよ、20年前ということは、このオバサン、20過ぎだったことになるな・・・おれが遊んで知り合った娘か?・・・昔よく昼飯を食った日本レストランの給仕娘?・・・一人ちょっと関係持ってすぐに棄てたっけな・・・いや、こんな顔じゃなかった・・・待てよ?・・・他にも何人か関係を持って捨てた素人がいたな・・・が、おれのこと、覚えてるはずがないな・・・・いったい誰?・・・もしかして・・・いや・・・そうじゃない。あれこれ記憶を辿っても、全く一向に思い出さなかった。諦めて、「誰だったっけ?」と興味津々に尋ねた。オバサンは小声で、「ジュリアナ・・・・」と囁いた。客は筆者一人だけなのに、言うのが恥ずかしそうだった。携帯で話している娘は、向こうで長電話に夢中で気づかない。「あそこで働いてたのか?!」と驚くと、オバサンは少しにっこりして、指を広げて三つという合図をして見せた。突如、20年前の記憶が蘇った。もしかして、ひょっとして、3番じゃないか!・・・3番というのは、娘があの店でつけていた番号で、筆者が特に贔屓にして惚れ込み、通いつめた娘だったのだ。そうか・・・あの娘だったか!老いてはいたが小柄な体型と長い髪は変わっていなかった。こんなところで再会するなんて本当に千載一遇。「あの、携帯で話してる娘、あんたの恋人?」とオバサンが訊く。いいやと否定しながら、筆者は懐かしい過去にタイムスリップしていた。あの当時、筆者はこの娘に首ったけでよく指名したっけ。彼女も筆者の気まぐれな要望に嫌な顔ひとつせず応えてくれて、筆者を満足させてくれた。かつてMP嬢だったなんて信じられないほどの変わり様で表情に生活の疲れが深く刻まれていたが、懐かしさと妙な疼きにニヤリと笑いを禁じえなかった。この娘には特別な思い出があった。繁々と通っていたある晩、コンチアに娘の番号を伝えたら別人が出てきた。あれっと思い、娘が違うと文句をつけると、あの娘はもうここで働いていないという。同じ番号をつけたその娘が彼女のことを何か知っているかもしれないと思い、別人だったが指名した。前に同じ番号だった娘を知ってるかと訊くと、お金持ちの愛人になって店を辞めたという。好きだったの?・・・・と訊くから、まあねと照れ笑いしたら、あの子から聞いたことある・・・あなた、日本人でしょう?・・・そう、そう・・・あの子ね・・・あなたのこと好きだったんだって・・・でも、お客さんだから相手にしてくれない・・・自分から言えないし・・・あきらめたって・・・と聞いた。とほほ・・・そりゃ、もったいないことをした・・・ちきしょう・・・金持ちのバカ野郎!・・・愛人にしやがって・・・と妙に悔しく、ショックだった。(十数年後、筆者はこの時の復讐を誓って某MPのNo1を愛人にしてやった。ケケケ)あの娘が20年経って筆者の目の前にいる。二人とも妙に黙って会話が弾まないでいると、カラオケ嬢が屋台に戻ってきてしまったので、ジュリアナ嬢との再会は終わりを告げた。勘定を払ってカラオケ嬢のアパートに戻るとき、筆者はオバサンの顔をもう一度見つめて微笑みかけ、感謝の気持ちを込めて頭を下げて挨拶をしていた。オバサンは無表情だったが、遠いところを見るような目つきで筆者を見つめながら、食器を片付けて店じまいの支度を始めていた。カラオケ嬢は部屋に戻ると屋台のオバサンのことなど忘れたように、二回戦目を始めるべく、筆者に抱きついてきた。カラオケ嬢を抱きながら、筆者は記憶の中で20年前に抱いたジュリアナ嬢の姿を必死に思い出していた。二回戦終えて疲れて眠ってしまったカラオケ嬢を独り残してボロアパートを出たら、ちょうど、夜が明ける頃になっていた。オバサンが売っていた屋台のあったところまでとぼとぼ歩いていったら、既に店は閉まっていた。この辺りに住んでるんかな?・・・今はガキでもいるだろうな・・・パトロンには捨てられたかぁ・・・と勝手に想像しながら帰り道を急いだ。元ジュリアナ嬢に会う機会はそれから二度と訪れなかった。カラオケ嬢とはその後何回か情事を繰り返したが、すぐに飽きてつきあいがなくなった。彼女のボロアパートに行ったのも、その晩が最初で最後だった。今でもふと、(あのオバサン、まだ、あそこで飯を売ってるだろうか?)と思い出すことがあるが、再度あの屋台を訪れる勇気はない。過去の記憶の中だけに留めておきたい。 (まるで、タイのカラオケVCDの中に出てくるようなストーリーだ、と自分でも呆れる。日本人の旅行者は観る機会がないだろうから馴染みがないかもしれないが、タイのカラオケVCD、特に、タイ・ルークトゥン=タイ演歌のVCDに出てくる話は実にタイらしいバカげたストーリー展開で大いに笑える。タイの男女関係の本質を余すことなく伝えていて、タイ娘を知れば知るほど、その内容に膝を打って“正にこれがタイ娘の本質だな”と感心することが多い。どこにでも売っているから、日本に帰国するときに土産にするとよい。一枚たったのB150前後だからお買い得である。VCDだから画質・音質は良くないが、DVDのようにリジョン・コードを気にすることなくPCで簡単に再生できる。同じ表紙で同じ曲が入ったCDも同時に売っているから購入の際は注意したい。カラオケは「karaoke VCD」と英語で表記してある。筆者お薦めの女性ルークトゥン歌手は断然、フォンこと、“フォンタナ・スントーン”である。若くはないが典型的なタイ美人で、大人の女の色気があり、めちゃくちゃ可愛い女である。タイの演歌を聴く気になれなくとも、唄う姿を見ているだけで見惚れることうけあい。日本でいうところの“いい女”なのだ。タイでは30代以上の男性を中心に絶大な人気を誇り、ほとんど信仰に近い熱狂的ファンも存在する。他に有名な女性ルークトゥン歌手としては、メンポー、タガテーン、ターイ・オラターイなどがいるが、特にメンポーは、まだ若くて可憐、おまけに美人ときていてたまらない。唄って踊れる歌手で、その姿は正にカフェーのナクローンそのものといった感じ。実に“そそられる”ものがある。タイのオヤジの間でもすこぶる人気が高い。是非一度、ご覧あれ。洋楽のタイ女性歌手にも可愛い娘がたくさんいるが、父親が欧米人で母親がタイ人というハーフばかりで個性に乏しい。丸っきり白人娘で、ちっともタイ人らしくない。ルークトゥンの女性歌手はみんな“伝統的タイ美人”で、いかにもオリエンタルでGood)





スカウトマンP氏のお話

 筆者の知人(友人ではない)にMPの娘探しのプロがいる。そのP氏、現在はある小さな店のマネージャーになっているが、以前は有名MPの依頼を受けて娘を発掘するスカウトマンとして有名だった。美しいばかりでなくサービスも上々の娘を抱えて、店をたちまちのうちに人気店とし、MPのオーナーがこぞってこのP氏に娘の発掘を依頼していた。かつては羽振りも良くかなりの権力も持っていて、この業界で彼を知らない奴はモグリだとさえ言われたくらいだった。P氏の実兄はいかにも女にモテそうな面構えの芸能人で、P氏本人もかなりのイケメン。妻を5人持ち、愛人は数知れず、MP業界の名物男だった。筆者がこのP氏と知り合ったのは、彼が「カトリーヌ」のマネージャーだった頃である。P氏が娘を発掘してラインアップを充実させた店は、「カトリーヌ」を筆頭に、「コロンゼ1」、「ロングビーチ」、「コパカバーナ」、「ヴィクトリア」、「ザ・ロード」などがある。妻の一人が「カトリーヌ」のカフェーのナクローンで、その友人ナクローンが筆者と愛人関係にあったため、毎晩のように一緒に酒を飲んで飯を食ったものである。業界のもう一人の名物男、「ユートピア」のマネージャーであるS氏と三人でカフェーに繰り出して遊んでいた時期が懐かしいが、MPのオーナーから借りた娘探しの金をポイペットに行って一晩で使い果たしたりしていたのが災いして信頼を失い、仕事の依頼がぱったりと止んで落ちぶれてしまった。スカウトマンは地方に行って娘を買ってくるのが主な仕事だが、筆者はこのP氏から恩恵を受けることができた。正式なMP嬢になって店で働き始める前に、娘を味見させてくれたのだ。そういう娘には当然ながら未成年者も含まれていたし、正真正銘のヴァージンもいた。筆者は、数年後に有名MPでサイライになっていく美しいMPの戦士たち(?)を、その遥か以前から賞味していたことになる。P氏がスカウトした娘たちの中で、その後、筆者が愛人同然につきあうようになった娘も何人かいたし、店で働いてカネを稼ぐ前に筆者が独り占めして横取りしてしまった娘もいた。つまり、娘泥棒である。それを知ったP氏には憎まれ口を叩かれたが、男の性(さが)がよく理解できる同性同士ゆえ、つきあいに決定的なヒビが入ることはなかった。外道読者でよく、コンチアに知己を得たと投稿する御仁がいるが、その程度のつきあいならば、大勢の客の中の一人に過ぎない。店で働いているコンチアは皆同じではない。店の中でコンチアには格付けみたいなものがあって、知り合って得するようなコンチアは店の中で権力を握っている奴に限るのだ。エージェントやマネージャーと知己を得たならば、さらに旨い汁を吸えるのは言うまでもない。が、店に行くたびにちょっと会話を交わして顔見知りになり、携帯の番号をもらって連絡がつく程度で満足しておいたほうがよい。コンチアがどれほどロクでもない人間か、フツーの客は知らなくてもよい。また、それほどのつきあいをすべきでない。P氏が現在働いている店は残念ながらまだ訪れていないが、元気にしているでしょうかね?





某有名MPのマネージャーJ氏のお話

 某MPのマネージャーにJ氏という人物がいる。当初コンチアだったが、有名MPを転々とした後、エージェントに転身してから大成功、上司である店のマネージャーを追い出して、自らマネージャーに成り上がった経緯があった。このJ氏、筆者は個人的にどうも好きになれないタイプの男で、多くの同業者からも嫌われているが、なぜか、こういうひとクセある奴がこの業界で勝ち組になる。エージェント時代は発掘した娘をほとんど自分の性的奴隷にしていて、店の娘とも関係を持っていた。常に銃を携帯、子分を引き連れて行動しているところからすると、よほど敵が多いにちがいない。このJ氏に蹴落とされた業界人は数知れず、必要以上に搾取されてカネを騙された娘は星の数に達し、金銭トラブルも多く、いつ誰に殺されてもおかしくないような男である。筆者は店で顔を合わせる機会があれば挨拶を交わす程度のつきあいはしてきたものの、努めて親しくしないできた。J氏が某MPの副マネージャーだった時代に、筆者はその店から数人の娘を泥棒したことがあるので、J氏にとって筆者は因縁のある客だったのだ。(客が娘を愛人にして商売から足を洗わせてしまうことを娘泥棒という。カネと時間をかけて折角発掘した娘を客に盗られるのだから、エージェントにとって金蔓を失うのに等しく、カネと時間をかけて新しい娘を発掘しなくてはいけなくなるから、二重に損する)最近はどんな手段を講じても客の娘泥棒を未然に防ぐ手立てがないと諦めたのか、以前のように娘を徹底的に管理するようなことはなくなって本人任せにしているようだが、筆者が泥棒した娘の一人から聞いた話によると、店を辞めたあと、一年以上に渡って毎日のように電話をかけてきて精神的嫌がらせに近いことを言って脅かし、他のMPの知り合いに連絡をつけて他の店では働けないように画策したり、ネチネチとつきまとってきたらしい。外道読者はご存知ないかもしれないが、バンコク市内に数十軒あるMPの世界は広いようで狭く、全く関係がない他の店で働いていようと別系列の店であっても、ほとんど皆が知り合いみたいなもので、働いている娘や従業員、常連客などの情報はほとんど筒抜けになっている。○○の△△という娘が◇◇に求職した、○○の△△というコンチアが◇◇に移って働き始めた、果ては、○○の常連客の△△という奴が◇◇という娘を愛人にしたなどという話しまで、皆、ほとんど知っている。J氏は現在マネージャーに出世したから搾取される立場から搾取する立場になったわけで、ますます傲慢になってきているが、以前より好々爺になり、客への応対はめっきりと柔らかくなった。が、これで満足するか疑問である。オーナー職を狙っていると専らの噂で、これからひと悶着起こしそうな気もする。近い将来、MP再編の台風の目になるかもしれない人物だけに、筆者は個人的には距離を置きつつ、ちょっと注目している。





女コンチアUのお話など

 これは筆者が騙された話だ。恥をさらす覚悟で書いてみよう。こんな話もあるかと聞き流していただくとよいかと思う。某MPに馴染みのコンチア(このコンチアはトム、つまり、好んで男装し、女が好きなレズビアン)が移って働き始めたというので見学がてらに遊びに行った。あまり外人客が訪れない店である。タマダーは平凡で、そのコンチアがサイライ担当のコンチアだということもあって、サイライ娘を見学。が、どうもそそられるものがない。数はやたら多いが質は大したことがない。まあ、義理で指名するかと決め、もう一度眺めていたら、馴染みのコンチアがVIPルームの客の世話をしなくちゃいけないと、女コンチアを一人紹介して立ち去った。用事があったらこのコンチアに言いつけてくれということらしかった。そのコンチア、年齢は29歳、短髪が良く似合い、おまけにやたら美人だった。30数人いるサイライよりも遥かに可愛い。筆者はすっかり気に入って、その女コンチアをからかうことにした。サイライを選ぶのも忘れて話し込んで判明したことは、その女コンチアの前職は、タイの某ファッション雑誌の専属モデル。道理で見栄えのするプロポーションとファッションセンス、メーキャップも玄人並に巧く、喋り方もかなり上品で、持ち物のバッグやアクセサリーにもセンスが溢れていた。なんでこういう女がMPのコンチアしてるかなと訝ったが、筆者は遂にサイライを選ばず、その女コンチアを相手にして二時間近くも居座っていた。そのうち、馴染みのコンチアがVIPルームから降りてきて、「まだ、いたのォ?」とゲラゲラ笑って、「娘、選ばないの?」とカマをかけてきた。筆者は仕方がないから義理で一人選び、部屋には上がらずソファー席に陣取って、馴染みのコンチア、美人コンチア、サイライの三人を同伴させながら酒を飲み、美人コンチアと二人で盛り上がった。そういう馴れ初めで知り合った美人コンチアに筆者はどこか惹かれるところがあったのだろう、それからほとんど毎日、美人コンチアに会うために店に通いつめてはサイライを一人選び、同席させるだけで何もせず、美人コンチアを口説いた。店に在籍するサイライ娘のほぼ全員を毎日一人ずつ指名しては一人も抱かず、美人コンチアのポイント稼ぎ(客が娘を指名して部屋に上がるとコンチアにポイントが与えられ、給料に反映する)に貢献、仕事が休みの日はデートに誘い、ほどなく男女の仲となった。その頃には既に全従業員、在籍する娘、常連客など、店で誰一人知らぬ者のない間柄になっていた。彼女は以前から、店に在籍する彼女より年齢の若いサイライ娘の誰よりも可愛くて美人だと評判で、数人の常連客から熱心に口説かれていたらしいが、今まで彼女を征服した客はいなかったと聞いていた。つきあい始めて知ったのだが、彼女には離婚歴があり、前夫との間に二人の娘がいた。幼くて可愛い二人の娘とも次第に親しくなり、休日になると彼女のアパートに出かけてパパ代わりになったりして、商売女ばかりにどっぷり浸かった筆者の生活に潤いを与えてくれたような気にさえなり、すっかり夫婦になったような気にすらなった。ほどなく、筆者は彼女にコンチアの仕事を辞めるよう勧めた。そして間もなく彼女は本当に職を辞した。当然、彼女には収入がなくなる。経済的に世話してやらなければいけなくなる覚悟で同棲を打診した。筆者は当然承知するものと思っていた。ところが、彼女はやんわりとではあったが、頑固として承知しない。しょげた。当然喧嘩もするようになったが、筆者はこの美人コンチアにぞっこん惚れていたから、彼女の決心が固まるのを気長に待つことにした。彼女、恋人になってから判ったことは意外と派手好みで、生活の価値観や考え方が筆者が考えていたのとはちょっと違い、次第に筆者の気にそぐわないような我儘女に変貌していった。筆者も密かに後悔し出した。決定的に疑いを持ったのは、あまりにも、例の馴染みのトムコンチアと親密につきあっていたからである。アパートに行くとトムコンチアが必ず居候している。恋人同士の秘めやかな事柄も全て筒抜けになっている。二人で話せば済むことまで必ずトムコンチアが首を突っ込んでくる。筆者はとうとう彼女に疑惑の目を向けるようになっていった。(あの美人コンチアとトムコンチアは恋人同士で、おれは二人に騙されているのではないか?)と。それが悲しい真実だと教えてくれたのは美人コンチアの実母だった。この母親は自分の娘がトムとつきあっているのに我慢がならず、徹底的にトムを嫌っていた。美人コンチアは筆者に実母を紹介するのをひたすら避けていたが、とうとう会ってしまったのだ。この実母、実家が裕福で経済的に困っていなかったから、娘のウソに同調せず、筆者に事実を打ち明けてくれた上、娘の詐欺まがいの行為を許してくれと謝った。筆者は彼女に娘二人をインターナショナルスクールに入れるための学費を約束していたが、最後は当然反故にした。筆者は彼女の元を去った。ほどなくして彼女がコンチアの仕事に復帰したと聞いた。数年後、風の便りで、彼女が年配客の愛人になったことを偶然知った。例のトムコンチアとは関係を続けていたらしいから、その男も筆者と同じように詐欺に遭ったことだろう。同情に堪えない。彼女が働いていた店にはこの忌々しい一件以来足を運んでいないことは言うまでもない。(トムコンチアも美人コンチアも、現在当時の店で働いていない)
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