パッポン |
-花の色はうつりにけりないたずらに 我が身世に降る眺めせしまに- |
バンコク市内シーロム通りソイ・パッポンにある有名な歓楽街。タクシーには、一言「パッポンへ」と言えば連れていってもらえる。市内中心地にあるバンコク最大の歓楽街! かつて、米ニューズウィーク誌に世界最高のバーと絶賛されたこともあるキングス・キャッスルをはじめ、バンコクで最高質の女の子を集めた最大の歓楽街パッポン、ここでは約20軒のゴーゴーバー(ストリップバー)、ショーバー、フェラチオバー、ソープランド、オープンバー、カクテルラウンジ、ディスコなど、男の求めるものをすべて集めた所だ。 |
注意情報:パッポンの某有名ゴーゴーバーでボラレたとの投稿が幾つか届きました。これらの投稿を読みながらオレは考えてしまいました。 まれにですが、以前からパッポンのゴーゴーバーでは、不慣れな観光客を狙って、不当に高い料金を請求することがありました。その多くは従業員数人がグルになっての内職で、組織的な犯罪行為では無かったと思います。(一部例外もありましたが) 当然、”ボッタクリ=不慣れな外国人へ法外な金額を請求をして金を巻き上げる”と言う行為は許される事ではなく、事の善悪は論ずるまでもないでしょう。しかし、オレが納得出来ないのは、ボッタクリ被害者達はその不当に高い請求に対して、あまり抵抗や抗議をした様子がないのです。ただ「パッポンのバーでボラレた。悔しい!」だけなのです。何故、「マネージャーと話したい」とか「警察で話をしよう」と言えなかったのでしょうか?慣れない外国での言葉の壁と言う問題も理解は出来ます。しかし、どんなに意志の疎通が困難な相手でも”ポリス”の意味は通じるはずです。あまり抗議の出来ない日本人はボッタクリ内職従業員の標的にされやすいのではないのでしょうか?不当な請求に対してははっきりと抗議の意思表示をしましょう。抗議をしたからと言って、他の客も多く通りに面した一階のバーで危険な目に遭うことはないでしょう。パッポンにはツーリストポリスも常駐しています、不当な請求をされた時は迷わず訴え出ましょう。 tourist police tel:1699 こう書くとなんだかパッポンは恐ろしい所みたいな印象を受けるかもしれないが、本当はぜんぜん大丈夫!オレは10年間一度もボラレた事が無いぞ!小金を持った気の弱そうな奴は狙われるみたいだけど、普通は大丈夫!パッポンでボラレたら”自分は気弱そうに見えるんだな・・・”と自覚しましょう。 また、今回投書のあった数店は、元々明朗会計を売り文句にしてパッポンナンバー1の地位についたグループ店だった。以前と違い経営規模が大きくなった今は、末端まで監視が行き届かないのかもしれないが、もはやパッポンの顔のなった風俗店グループである、此処での評判がパッポン全体の評価になりかねない、再度従業員の教育と監視を徹底し猛省を期待したい。 |
情報の投稿は、こちらまで(外道紘) 情報の無いところが多くすいません!どなたかパッポン通の方、力を貸して下さい。 |
投稿文について:投稿の際には、ご希望のハンドル名、又は本名・匿名希望の方はその旨お知らせください。特に指定のない物はそのまま載せちゃうよ。また、基本的に投稿文はそのままコピー&ペーストで張り付けるだけなので、公開したくない情報はその旨注意書きを添えてね!後になってから削除してくれと言われても、オレはボーとしながら更新していてどの投稿文だか覚えていないし面倒くさいので、 |
風俗店の常として、料金の変動や従業員の移動が激しく、料金やサービスについて完全に把握することは難しいのが現状です。此のページにある情報は、あくまで参考程度と考えて下さい。また、此のページにある情報の誤りを見つけた方は、お手数ですがメールにてその旨お知らせいただけると幸いです。皆さんのご協力を元に出来るだけ正確な情報を提供出来ればと考えています。 |
[外道の細道] |
ブラックパゴダ |
パッポン2 パッポンの新ゴーゴー ブラックパゴダについて 評判悪いがサイトからパクってきたコピーでは にぎやかなパッポン通りの上にそびえ立つガラス張りの楼閣がバンコックで最もユニークなゴーゴークラブ、ブラックパゴダです。 リラックスできるシックな雰囲気の中で、美しい女性とすばらしい音楽を聞きながらパッポンのにぎやかな通りを眼下にエンタテーメントを心行くまでお楽しみください。 サービス、安全、品質を保証いたします。 お問い合わせ、ご予約は当社のクライアント広報ディレクターのアミ、baruch@blackpagoda-bangkok.com までご連絡ください。 皆様をお待ち申し上げます! ブラックパゴダはパッポン通りにあります2。パッポンソイ2にあるパゴダブリッジにあります。上を見て頂ければすぐに見つける事が出来ます。 Foodlandの向かい、COSMOSの横の階段をお上がりください。 と、最高に変な日本語で説明されていた。自動翻訳だな。(2011年1月31日) ばぶさんからの情報:パゴダブリッジの上からのレーザー光線狙い撃ちに負けて入店ファランで満員、日本人は俺ら2人女が傍へ来たが、知り合いの奥さん(ブス)に似てたので放置隣の席のやんちゃなファランとしばらく盛り上がってからそそくさと退店(2011年2月24日) 超速さんからの情報:何気に、人生お初のパッポンA-GOGO探索3件目。スリウォン通りからパッポン2に入って、シ-ロム通りを目指して行くと、空中にせり出した「渡り廊下」見える。そこが、斬新な営業スタイルのA-GOGO「ブラックパゴダ」。この店の特徴がいくつかありますので、箇条書きにさせてもらいます。 1・客席からパッポン2通りが見下ろせ、パッポンのネオンも綺麗で眺望の良さはA-GOGOでは群を抜いてます。 2・嬢は全く踊りません。 3・ドリンク攻撃は非常に強いです。 4・断ると、ビックリするほど罵られます。 5・以後、誰にも全く相手にされなくなります。 6・若いファランが半裸の嬢を抱えながら、店内を闊歩します。 7・勿論誰も止めませんので、エスカレ-トしていきます(以降はご想像の通りになります)。 行った日が悪かっただけかも知れませんが、ドリンクを半分以上残しての退店は、初めてでした。 ビアシン120Bです、他は放置プレ-だったので知りません。 まだまだ修行不足でした。(2011年1月28日) |
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BADA BING! BADABING! GO-GO BAR Patpong soi 2 10500 Bangkok THAILAND |
超速さんからの情報:何気に、人生お初のパッポンA-GOGO探索2件目。店内は割と暗いが、照明の使い方が上手いのか、客席は暗くても、ステージで踊る嬢は明るく見える。この店は、選曲が良いですね。この日のDJは若いファランがやってましたが、曲の編集が上手いからか嬢達が良く踊ります。嬢の容姿も、ソイカの平均よりは高いと思いますよ。ビアシン140B、LD160B、PB600B、喫煙可能。(2011年1月27日) ゴーゴー・バーバカ末期症状の煩悩堂さんからの情報:コヨーテのような服を着たおねーちゃんたちが踊っています。番号を付けているので、ペイバーは可能でしょう。例の赤シャツのバカどものせいなのか、時間が早かったのか、おねーちゃんの数が少ないですね。パッポンにしてはビールが高めですが、綺麗な店です。ここも落ち着いて飲めます。(2010年8月16日) 日本に強制送還された煩悩堂さんからの情報:最近開店したきれいなお店です。ビールの値段はナナ並みで、パッポンとしては高め。おねーちゃんは・・・よく覚えていません。(2010年1月27日) |
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ピンクパンサー | ゴーゴー・バーバカ末期症状の煩悩堂さんからの情報:元パッポンのおねーちゃんを待つ間、ものすごく久しぶりの入店(今世紀初と思います)。実は、小生のゴーゴーバー初体験はこの店でした。ただし、15年前ですが。その間キングス系、R系と売れ筋ばかりおっていました。店の前は数百回通ったと思いますが。小柄ではありますが、カワイ感じの子が2名ほど。待ち人がすぐに来たのでじっくり観察していません。(2010年8月11日) WILD CATさんからの情報: 2月15日に彼女がマッサージに行っている間の時間つぶしに行きましたが、この店では○○のゲストとしてダンサー皆に知られていて一人で行っても誰もアピールしてくれませんでした。 相手をしてくれるのはウエイトレスのみで、それもドリンクはと言うだけで、レディは?と聞く事さえありません。 あまりにも行き過ぎると皆に顔と名前と覚えられてダンサーが相手してくれなくなるのは困り物ですね。(2010年2月25日) ケン坊 さんからの情報:ここは、GOGOなのでしょうがリズムを取っているだけであまり踊っているとは言えないみたいです。通路を挟んで隣にあるバービアも同一の経営で、そちらの女性もGOGOの店内に入ってきます。比較的若い子が多く、ナーラックな娘も居ますので女性の質はなかなか良いと思います。(2009年10月12日) HIDEさんからの情報:まず、ピンクパンサーですが・・・ こには約8年来お世話になっています。 名前は変わりましたが、確か数年前に25周年をやっていましたので、かなりの老舗ですね。 コーラ攻撃の激しいパッポンにあって、GOGOガールのしつこさはありません。 マネージャーとGOGOガールの関係も良いようで、長続きし易いためか年齢が高く感じられます。 その分気立てのいい娘が多いですし、チップでもきちんとワイできる娘が多いです。 最近は若い娘も増えてきていますが・・・、何人かをペイバーしていますが失敗したという記憶はないので、最後はここに来てしまう感じですね。 とくに最近のオキニとは(今もお世話になっているので名前は秘密ですが)、PB600Bでロングで2500Bです。 とはいっても、チップで1000Bあげてしまっているのですが、まったく惜しくないくらい心身ともに満足させてもらってます。 あと、ムエタイのショーは必見です! すぐ目の前で、本気で戦っているので見ごたえあります! 若き戦士にチップをあげたくなってしまうくらいです。 ゆっくりできるバーですので、寄られてみてはいかがでしょう。(2009年10月5日) KENさんからの情報:ピンクパンサーというGOGOにいきました。 女性連れということもあり、GOGOガールは寄ってこず、ゆっくりとダンスとムエタイショーを満喫することができました。 この店は、一人で入ってもあまり女性が寄ってこず、きても一言二言話すだけでしつこさはないみたいです。 日本人やファランが一人で来ていましたが、彼女達はそこの席にいこうともせず、呼ばれるまではダンスに夢中だったようです。 ムエタイのリングは狭いですけど、キックは本気で蹴っているようですので、ショーアップされてはいるものの、見ごたえはあるかと思います。(2009年5月21日) |
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ストリップ |
TOMさんからの情報:パッポンで面白いGOGOを発見。パッポン2をシーロム側から入ると右側にあるStripというGOGOがある。ここは中央にステージがありそれを囲むように客が座るいすがあるのは他のGOGOと変わらない。店内の左右に4つぐらいずつ個室が配置されているのが他のGOGOと異なる。個室といっても半円形のソファーの上から天蓋のようにカーテンがあり、普通はあけられている。通常時はそこに座ってステージ上のダンスを楽しめる。なんとこの半個室はカーテンを閉めることで中で、GOGO娘と楽しめるというものらしい。30分550Bを店に払うとカーテンを閉めて個室として利用可能。ペイバー・アオカン謝礼(1,500B)・飲み代・部屋代すべてで2,500B程度みたい。疲れていたので実際に利用しなかったが、目の前がGOGO店内という状況でアオカンできるのは興奮度が高まるかなとも思ったりした。次回はぜひと思っている。ただし客のほとんどはファランだった。一人昔日本人と結婚していたという中華系タイ人がいて日本語が上手だったが到底ペイバーできるレベルではなかった。らくらくに掲載されてますね。らくらく持参でこの個室使用料が半額となるようです。(2009年2月1日) |
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CLUB 66 | シーロムから入るとキングスコーナーの少し手前 とむやむ君さんからの情報:結論から言うと最悪、絶対行かない方がいいです。シーロムから入るとキングスコーナーの少し手前、入口がピンクづくしなので分かりやすいと思います。中に入るとなぜか2階に上がらせられた。嫌な予感は的中で、およそ女とは呼べない生き物が何匹か踊っていました。オキニが一生懸命に露払いをしてくれましたが、そんなのカンケーねー!と言わんばかりに私達の席の周りには「コーラおごって猿」が10匹くらい群がりました。イヤになったのでチェックビンするとビール2本で1200THBの請求。オキニが「ッザケンナ、ゴルァー!!」とブチ切れている私の通訳をするとあっさり320THBになった。日本人が私しかいなかったのでどうも確信犯的にぼったくろうとしてるようです。私とがねーしゃ氏の今回のスローガンである「メダイと言える日本人になろう」のおかげで事なきを得ました。(?)(2007年12月28日) |
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スーパーガール | ジャンプ君さんからの情報:10月24日訪問。早い時間だったためか、女は数もレベルも問題外だった。ちょっとここまでどうしようもないのも珍しい。コーラ攻撃もなく、ゆっくりは出来るけど。コーラ95B。(2007年12月19日) |
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ゴールドフィンガー | ロウバシンさんからの情報:オーナーのファランのおっさんもなかなか気前がよく、常連のファランばかりですが、飲みっぷりが凄い。ちょっと客引きに疲れたときなど、休憩がてら飲むだけに立ち寄るのもいいでしょう。肝心の嬢はつれて帰れない子もいないわけでは無さそうですが、あまり日本人好みではないかもしれません。頭の片隅にでも入れておいていただければ。(2007年12月14日) |
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エレクトリック・ブルー | 超速さんからの情報:何気に、人生お初のパッポンA-GOGO探索。バ-ビア以外で遊んだ事が無いだけに相場も分からないので、最初は無難に「エレクトリック・ブル-」へ。ビアチャンのドラフト(95B)を2杯頼むと1杯オマケのプロモ-ションをやっていた。ビ-ル愛好家には最高のプロモだが、注文時に「1杯づつ持って来てね」と言わないと、実費分の2杯を同時に持って来るので注意。永年、私の実家近くで売春していたと言う日本語堪能なチ-ママがウザイが、嬢の容姿も含めて十分楽しめる店だと思う。フォンちゃん21歳、日本語も多少イケる自称大学生、レインボ-系でも十分通用できそう。LD 150B PB 600B S2000B(言い値) 喫煙可能。(2011年1月26日) HIDEさんからの情報:エレクトリック・ブルーはここ3-4年ですが、ここもコーラ、チップ攻撃が激しいですねぇ。 今年の5月に何人かのお持ち帰り対象となりそうな娘に誘われて入りましたが、相変わらずといったところ。 ショートで2500Bとのことで、2000Bまでは交渉しましたが、やれ飯だの買い物だのなんだのとぬかしているのでソッコー退散しました。(2009年10月7日) 可口可楽王子さんからの情報:そこそこかわいい娘はいるがレディドリンクやチップ攻撃がうるさい。聞いてもいないのにママさんが日本語でペイバー1000B+ショート2000Bとふっかけてきたので即退店.(2008年5月15日) マイアロイさんからの情報:12月31日 店頭には「私たちは日本人が大好きです」なんて看板があったのでうっかり入店。ママをはじめ、コーラ奢れ攻撃、相手にしてないやつまでチップくれ攻撃。この時ふと思った。「私たちは日本人(の財布)が大好きです」と。900Bとちょっと余計な出費。(2008年1月14日) エンジェルハンターさんからの情報:2005年10月頃、パッポン1「スーパースター」にいた、お気にが、パッポン2の「エレクトリック・ブルー」へ変わったと言うことで、行って参りました。女の子の数、綺麗系から、可愛い系まで、どこからこんなに集まってくるの?って言うくらいいました。そして、何よりも、皆楽しそう、ダンスも、上手いヘタは、別として、ダラダラ踊っている子が殆どいない。女の子の層も厚いせいか、客も、ファランから、日本人、他東洋系、色々いました。ここの、ママや、チーママも、気さくで、親切に対応をしてくれる。日本語も通じるので、初心者にはうってつけなのでは?ここまで、好印象植え付けられると、他の子の味見もしたくなる物で・・・(笑)。日を改め、お気にが出勤する前(お気にが遅番なのだ^^;)に、可愛い系の娘に声をかけ、コーラーを奢り、自己紹介などしばし談笑、そろそろお気にが来る頃と思い、ここは、うるさいから静かなところで、ゆっくり話そう。と言うことで、ペイバー(600B)。スリウォン通りのカフェで、軽食をとり、ホテルへお持ち帰り、元々好き者なのか、私が気に入られたのか(時惚)あの手この手で、女の子に終始攻められっぱなしで、こちらが攻める前に、撃沈こされてしまいました。ビール100B+コーラ80B+ペイバー600B+ショート1500B+@後ホテル代。この調子で、違う日に、3回、それぞれ違う子をお持ち帰りしましたが、値段にも余りバラツキもなく、娘との会話や、Hも非常に満足行く物でした。後に、お気にに、違う子達を連れ込んだことがバレてしまい罰として高い買い物をさせられました。(泣)(これだけで済んで、良かったと思うことにします)自分なりの評価として:自分だけでなく、他の客を見る限り、女の子のコーラ・ペイバー攻撃も余りくどくなく、店内も割と広いので、見るだけの人でもゆったりくつろげるのでは、無いかと思います。因みに年が明けた今でも(2006,5,6)通い続けております。(05/21/2006 ) |
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キングス・キャッスル1 |
キングスグループNO1の店だが、伝説のナンバー1”パッポンの藤原ノリカ”引退後廃れ始め今やその地位をグループ内のキングス・キャッスル2に譲ろうとしている。巻き返しに期待したい!!この店の特徴は抜群のプロポーションにきつい顔。ペイバー400バーツ。ペイバー費用⇒ダンサー400バーツ ウエイトレス(呼び込み含む)600バーツ。
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美しいというよりもカワイイといいたくなる子が多い。キャッスル1とは路線が異なり、お互いライバル意識があるようだ。ペイバー400バーツ。ペイバー費用⇒ダンサー400バーツ ウエイトレス(呼び込み含む)600バーツ
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キングス・キャッスル3 衆道の皆様はバンコクLB天国 参照のこと |
最早カマ専。かつてはカワイイ女の子もおおかった。ペイバー400バーツ。
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キングス・コーナー |
カマの方が多い。その筋には大人気!世界一美しいカマの総本山!ペイバー400バーツ。そのあまりの美しさから旅行者は良く勘違いしてカマをペイバーしているようだが、此処でのカマの見分け方は簡単。ビックリするほど綺麗で性格がよければカマ。その反対なら女だ!
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キャッスルグループの二軍。キャッスル1・2を見た後で行くとガックリ来るが、それなりにカワイイ子もいる。
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クレオパトラ (Kings cloud 跡地) |
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クイーンズ・キャスル3 | マーシさんからの情報:訪問日:20.May.2006 11:00PM 状況:場所は階段を上がった2階。 ビール70BT。 娘のコーラは110BTでした。 雰囲気は、半数全裸、半数水着。 合間にダンスショーがありオナニーショー、コーラをマ●コに1瓶流し込み、たいまつを口の中に入れ消す(火傷しそうです)など。 年齢層は20台前半から25,6ていった感じです。全裸になる子もいるので、予めボディーチェックが出来ます。 PBをじらしているとそのうちに奥のシートへ行かされ、3人の全裸娘に攻められ続けました(手コキ、DK)が、こちらも勿論、触り放題です。 3人PBを要求されましたが、金の持ち合わせが無かったので、マ●コが一番濡れていた1人をPB。 ショート1,000BT(ロングは1,500BTと言ってました) *尚、呂利は見当たりません。(06/02/2006 ) |
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タイバー |
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キッス |
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スター・オブ・ラブ リンダ・ハウス |
ババア度100パーセント、テクは人間国宝。
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スター・オブ・ライト |
ババア度100パーセント、テクは人間国宝。ソイ2にある。
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店 名 |
コ メ ン ト |
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パッポン2のバービア | rU-to-Ru<チェス>さんからの情報:太陽はまだ顔を出さないけど、すっかり朝になった午前6時。ディスコがハネ、ファイクワンでの食事も終わり、一人でホテルまで戻ってきたものの、まだ飲み足りなく思って、パッポン2のバービア街に行ってみた。以前、客がいなくなるまでやってる店があった。記憶にある店は閉まってた、けど、Uの字のカウンターとTVと中年丸出しの釜3人と、、、それで全部の店がやってた。釜たちはビールをおごれと言うが、ディスコに女の子達と行って、使い果たしちまって、もうないんだなこれが…ゴミンネ…と返すと、うなずいて納得してくれたりするから、優しさ(哀れみ?)を感じる。。。ビアチャーン1本と氷と20Bづつのチップで、夏休みのラジオ体操後のような、すがすがしさ感じる朝でした。ちなみに、このバー、24時間やってると言ってました。 とんでもない時間に、外で飲みたくなった時には良いかもしれませんが、いつでもおじさん釜オンリーじゃ、、、いやだなー。(2010年8月16日) |
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BAR BAR | SMクラブ ばぶさんからの情報:2/18はマカプーチャ ナナ・ソイカ壊滅、仕方ないのでボラれるのを覚悟でパッポン連れがどうしても行きたいから付き合えとのことであまり乗らなかったが入店入り口で900B払えとのこと、持ち合わせ1000B紙幣で渡すも、お釣り無しいかついおっさんだった。小生の釣りくれとの訴えは聞こえない振り面倒臭くなったので、2階へそん時客は、、ねえちゃんの足の親指口に含んで恍惚の表情浮かべてるファラン1人これわとんでもないところへ来てしまったのか・・・仕方なく席に着くとねぇちゃんが4人やってきて、2人づつワンペアで連れと小生の至近距離で何の前触れもなくSMショーおっぱじめた10分くらい見てた終わると、今までケツしばかれてたNaちゃんと、Salaとかいうババァが着席、Naちゃんのマムコ触りながら、ババァに乳首を弄ばれる 上でやろうやろうと煩い一人3000、二人5000 Naちゃんとだけなら上がってもいいが、ほったらかすとババァが可哀想だったので 何もせず退店多分2度と行かないと思う(2011年2月23日) シー カン ボーさんからの情報:Gダイなどの宣伝(http://www.barbar-bangkok.com/home.html) を見て知っていたのですが、一緒にいた友人に強く薦められ訪問してきました。 場所はパッポン2、シーロム通りから入ってすぐ。 店はドアで閉められており、店の前に親父が「SMショー興味あるか~?」 なんて感じでした。 で、入る意思を示すとドアが開き、「何を飲むか? 最初のドリンクはB900だ~!」 と説明してくれます。 で、2Fに上がりパブがあるのですが、客はおらず、レザー系の衣装を着た女の子(?)達もだらけていましたが、ソファーに座り、ビールが出てくるやいなや、突然ショーがはじまりました。 昔Soi33 ケーブ (今のデモニア) に行った時にも思いましたが、所謂S系の女性の表情は似ているなぁ~と。 目の前でふたつのショーが同時進行、左手はかなりプンプイな女性が縛られ尻叩かれています。 一方右手には小さな女の子が四つんばいになり、パンツの上からアソコをこすられており、こちらはかわいい。 簡単なショーがおわると女王様達が「お前たちも参加しろ」 とばかりに手招きするのですが、友人には悪かったですが、そそくさと右側のかわいい娘の方に行かせてもらいました。 特に鞭打ちたいとも思いませんので、胸と下を触りながら名前を訊くと ガンちゃん、21歳、ウドン出身で、このパブには8ヶ月働いているとの事。 (後でサイトで女の子の写真確認しましたけど出てなかったなぁ・・・。) この子にもドリンク驕り、おしゃべりタイム、まぁこの辺はGoGo と同じ感じですが、常にガンちゃん、小生の愚息をしごきます。 そのうち「3Fに部屋あるから行こう。」と。 しかし直前に抜いてきているので、この後を考えてもここで抜くのは想定外。 「なら、同じ階の別室(と言ってもカーテン下がっているだけ)行こう」 って事でプンプイな女性につかまっている友人を見捨ててそちらに移動。 するとガンちゃん、口でしてくれると・・・。 やはり21歳の若い肌はいいですね。 口抜きしてもらいました・・・・ (←全く予定外でしたが、かわいい娘だったので。。。) 入場から出るまでの総費用は B4,300 (チップ込み、スペシャルチップも込み) /2名でした。(2007年6月28日) M Ryuさんからの情報:パッポンの一つタニヤ側の小さなソイを抜け道するために通りかかった時に、呼び込みに『SM、SM』って声を掛けられた。はぁ?っと思ったが、たしかGダイアリーで最近観たSMバーかな?と思い、その本に広告載せてる店か?と聞くと、そうだそうだと、店のママが出てきて言った。旧CAVEで楽しんだ経験のある筆者は、Gダイアリーに載せてる店ということで安心感も少しあり酔いにも任せて勇気を出して入店。入店料900バーツを払い、黒い薄い上着を着せられ、店内へ案内された。。そこには、、、、ソファーが2脚、壁沿いにあり、ファランのカップル?夫婦?が座っている。30後半くらいの年齢。。倦怠期夫婦が刺激を求めて来ている? で、3人くらいのボンテージをまとった女の子達が、その男性のシャツのボタンを外し、彼の両脇からたぶん彼の両乳首を舐めている。。それを横で奥さん?がじぃっと観ている。。ぽぉっとした顔で。。。 う~ん、不思議な空間だ。 筆者には何をしてくれるんだろう。。不安と期待が交錯する。。 同じようにソファに案内されそこに座った。そして、目の前にある小さな円柱状の檻の中で下の下着だけ着たきれいな女の子が両手を天井から下がったロープに縛られ、体中も縄でどんどん妖艶に縛られてく。周りでいじめるようにボンテージ姿の女性2人が小さな鞭でビシ!っとたたき、小さなうめき声が薄暗い部屋の中をこだまし、鞭の合間に股間をいじめられてるその子のあえぎ声が筆者の自制心をろうそくの様に溶かしていった。。ぼぉっと観ていると、店のママが上の階でもっと楽しむ?女の子4人で8000バーツ、2人で5000バーツ。。。言われるがまま、5000バーツを払い、背の高い少し気の強そうな白いきれいな黒髪の女の子と少しファランっぽい茶髪の女の子を選び、ソファーを立った。階上に行く前に一階で女の子達が道具を選ぶ。選ぶ際に、Are you S? M? と聞かれた。。高い金払って自分でやるなんて、もったいない。ここは、まぐろでいこう、と、思い、躊躇なく、I am Mと言った。すると、縄、手枷、口枷、その他・・・を女性は手慣れたように手に取り、そして3階の個室へ。普通の連れ込みホテルのような部屋。違うのは、ソファ木馬が置いてあった。下にはろうそくの垂れ跡がいっぱい。その時点で筆者のモノは痛いほど膨張していた。Take off your clothと言われ、全裸に。。その瞬間、黒髪の女の子が女王様に。。Come here, and sit down! イスに座った彼女の前で正座。そして”命令”が連発される。彼女の黒タイツの脚にキス。それも四つんばになって。そしてその状態で犬のように部屋の中を歩かされる。そして、また彼女の前に戻らされる。次に、いよいよ道具攻めが始まる。立たされ、縄で体を亀甲縛りされ、そして壁にすえつけられてる手枷に両手を固定され、壁に体がXの形で貼り付けられ、体中をいじくられる。乳首を噛まれる、舐められる、鞭でかるく叩かれる、そして、罵声を浴びさせられる。。『変態!!』日本人が多いんだろうか、、客に。。日本語のそのお言葉でもう羞恥心が吹き飛んでいく。。で、壁からはがされた筆者の体はソファ木馬を抱えるように上から四つんば状態で乗り、両手両足をまたもや固定。うしろからあまり痛くない鞭の嵐。音だけで実は全然痛くない小鞭がかえって自分の変態さを自覚させるようだ。そして、背中から、ろうそくを垂らされた。。これは初めての経験だったが、微妙な熱さ。。確かに熱い。でも、ギリギリ我慢できる熱さだ。でも、あまりにもの熱さに殺してた声が出てしまった。それを勝ち誇ったように見下げる二人の女性。。タイ人女性が日本人男性の上になった勝利の瞬間と思ってるような微妙な笑い声。股の下に置かれたろうそくの熱気が筆者のモノにジンジン伝わり、えもいわれぬ快感が背中を走る。。そして、ベッドに寝かされ、茶髪の女の子の胸で顔を覆いかぶされ顔面胸騎乗状態。。破裂寸前のムスコのことを知ってるかのように、黒髪の彼女が、微妙なスピードでムスコをしごきはじめた。『Can you show me your spam?Huhu・・(さぁ、あなたの精液、みせてごらんなさい・・フフ)』 うぉぉ・・・・!闇の世界に全てのストレスを投げ捨てるように煩悩が散っていった。。チップ、飲み物入れて7000バーツ。安いかどうか定かでないが、日本に比べると価値はありと思う。闇の世界へ入り込まない自制心だけ持っていれば、タイの夜に飽きたストレス溜まった輩にはちょっとした刺激になると思う。闇の世界を少し垣間見た想いを胸にパッポン通りをあとにした。 |
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FUNKY DOJO TWILO | ライブバンドのあるバービア バンドの質はいい 煩悩堂さんからの情報:元パッポンのおねーちゃん達とランスワンで飯を食った後、クラブに行こうと話しになり、どこに行くか相談。Soi―11の「BEDに行こうか?」との案もありましたが、少し時間が早いのでパッポン近辺で一杯。しかし、一杯飲んでしまったら、それからスクンビットまで行くのが面倒になり、結局近場のTWILOへ。11時頃に行ったので最初は空いていましたが、時間とともにファランやタイのおねーちゃんたちで混み始めます。小生は元パッポンのおねーちゃん達がオーダーする訳の判らないお酒で大酔っ払い。ここに来るおねーちゃんたちは、弁当持ちの小生にも優しく微笑んでくれますが、彼女らここに来る前はどこにいるのだろう?GOGO BARではないようだし。(2008年8月14日) 外道紘からの情報:パッポンのバービヤ ライブでバンドが入っている。バンドの質はここが一番いいかもしれない。小柄色黒のフィリピン人みたいな女性ボーカルは素でシャキーラの声質。客層黒人多し。淫買も多いがどちらかと言うと自分が楽しみにきている。暇な貧乏外人のたまり場となっている。(2008年8月10日) 煩悩堂さんからの情報:メジャーなところは先輩士族の方々が投稿していますので、(多分)今まで投稿が無かったところを一軒。SILOMからPATPONG1に入り、最初に右折する角にあるバー。角地を利用し、2面をオープンにしているので、知っている人も多いと思います。ライブのバンドが入った店で、店内はファランとプロの(と思われる)ねーちゃん、それに黒人/インド人少々が加わり、あふれていました。ハイネケン:100B。GO-GO遊びが少しマンネリ化してきたように感じていたので、この店は新鮮にみえました。尚、同経営と思われるもう一軒のバーが隣接しています。こちらはライブバンドなしですが、バーカウンターの後ろにあるDJブースから音楽を繰り出していて、店中に不健康そうな照明の光であふれていました。MUZZIK CAFEの同系列のようですが、確認していません。(2005年09月07日 ) |
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FUNKY DOJO TWILOの隣にあるバー。 | 煩悩堂さんからの情報:店の中はファランとセミプロ(だと思う)のおねーさんのみ。DJが繰り出すちょっと尖がり気味の音楽と怪し光に満ちています。パッポンのゴーゴーは3時までですが、ここは3時過ぎでもかなり混んでいます。(3時すぎにはほかにあまり行くところが無い。)(2008年1月28日) |
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ルシファー | 淫売御用達 パイオニア@30さんからの情報:キングキャッスル2の斜め左前あたりにあるルシファーというクラブ?ディスコ?トランス・テクノやってますが、午前1時頃からは風俗嬢も多く、可愛い娘がいて良し!ただし、音がうるさいのと暗いのでゆっくり出来ないのとじっくり観察しないと顔がわからない。でも、ディスコ好きの娘はスタイルいいのが多いし、可愛い娘が多いと思うのはおれだけ?(03/12/2006 ) 座頭市兄弟さんからの情報:パッポンにルシファーというディスコがある。マルコのおねーちゃんと、キーマオ状態で午前1時に入店。う~ん葉っぱの匂いが充満してるな。中はあまり広くないが、ファランの男と、淫売のおねーちゃんであふれていた。どっかで見たことがある子がいたので、よく観察してみると、タンポポにいた女だった。きっとあぶれたのだろう。最後にはファランをゲットしてかえっていった。男はファランだけ。(2004年7月28日 ) |
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ボーイズバンコク | ゴーゴーボーイズ パッポンではなく、スリウォン、ソイ・トワイライトにある。女性・バイセクシャルの方がご利用になる。お客にパッポン・タニヤ女多数。
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キングス・ラウンジ |
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キングス・ガーデン |
キングスグループ経営のオープンバー。生バンドがあり未だにディープ・パープルをやっている。2時以降から混み始める。ここで店のはねた子を捕まえるのが一番安上がり。 |
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ミュージック・カフェ (元アジアブックスのあった場所) |
キングスコーナーの向かいにあったアジアブックスが無くなり生バンドが入ったバーが出来たのは知っていた。しかし、「どうせキングスガーデンみたいなもんだろ・・・」と思い無視していたのだが、先日ディスコであって意気投合したイカレ外人とその連れの淫売とに朝までやってるからと言う理由で連れてこられた。楽しかった・・・バービヤとディスコの合いの子みたいな店だ。広くない店内に充満するイカレた淫売と外人達。オレのシート隣ではカマと白人がペッティング状態に入り、その隣ではキャメロットのレズがディープキスを始め、オレも調子に乗って女の子のシャツの下に手を入れてオッパイをもんでいた。オープンエアの空間なのにそんなことが出来てしまう・・・さすがにパッポンは侮れない。 外道紘さんからの情報:夜中に大根と牛肉の煮しめが食いたくなり食材を買いに行く。この時間に開いているのはフォードランドだけだ。ちょうど風俗店の閉店時間と重なり店内は淫売てんこ盛り。明るいところで見ると痛いオネイサン方だ。なかにはおかあさん方もいる。無事に大根を買う。このまま帰るのもなんだかつまんないし、ちょうどオープンバーは盛り上がりの時間で貧乏外人がビール片手に大騒ぎしている。ちょっとだけ寄ってみた。コーナーの向かい側ミュージックカフェだ。元々はアジアブックスがあった。しかしまあ、みんなキングすぐループになったな。店内はヒップホップ系のバンド。どこから連れてきたか安い黒人までマイクを握って大騒ぎだ。やっているのはローライダーとかエミネムとかの悪そうなラップ。客層も悪い。それは前から同じだ。ある意味100年1日の観あり。平日の2時過ぎだというのに、なんだこの大騒ぎは。うれしくなったな。うれしくないのはパッポンはもはや獣欲にギラついた街ではなくなった。女連れが多い。バーにたむろする淫売もオネイサンからおかあさんに移行しつつある。もちろん例外もいるがそんなのはすぐ肉食白人に捕まってしまう。全然かわらんな・・・と少しうれしくなったパッポンでした。(2009年3月27日) 外道紘からの情報:ぐったり一人で遊びに行く。パッポンは相変わらずの退潮傾向だが、夜店の多さとカマが意味なく騒いでいるのは相変わらず。女遊びというより、その準備体操の場所となったがする。 この店は相変わらず暇そうな外人のたまり場。場末万歳の癖に意外にいいバンドが入っていて一人でもほっておいてくれるのでオレは気に入って最近よく行っている。気づいたのだがこんな店にも常連がいて毎日同じ顔を見る。女も商売っ気が強くなるのは12時過ぎからでそればではバンドマン目当てのしょぼいグルービーインバイみたいなのだけ。少しだけお話した。マイちゃんはスイス人のハゲがいるが金だけ送ってきて本人が来るのは半年に一度ほど。暇なので元の職場で友達もいるパッポンに来ている。お目当てはグラサンの長身ヴォーカル。競争相手は多いらしい。そういえば奴の正面のテーブルだけいつも女で満席だ。暇なお手当てインバイの娯楽の場でもあるようだ。マイちゃんも時々浮気けんバイトをしているので少しだけ商売っ気があった。あまり金に不住していないのでケチは嫌いだそうだ。そりゃそうだろうな。オレはお話だけしてお礼に一杯おごった。ロングアイランドというカクテル。少し飲ませてもらった。見た目は綺麗だがものすごくきついカクテルだった。マイちゃん曰く『やりたい女に飲ませろ。すぐ酔っ払うから』だそうだ。マイちゃんはお友達でいい。歳だし・・・。(2008年10月15日) 外道ヒロからの情報:ロリザルが見つからない・・・時刻は午前一時。タニヤは無理だ。熊医者は店から出てくる女を捕まえようとデュークタワー前に行きたがる。カムリ乗ってる割に行動がセコイ。一見、女を待つヒモかホモのタチンボに見える。かったるいのでオレは勝手にパッポンにうつる。かつては毎日入り浸っていたのにすっかりご無沙汰だったな。基本は10年前と変わってない。淫売とギラついた男達の世界だ。育ちが悪くて下品なところが良い。 此処は相変わらずだな・・・いきなり淫売と気の弱そうな白人がビール瓶逆手に持って喧嘩し始める。モリズカは雰囲気だけでビビっている。ローリー達も諦めて合流してきた。こうしたバーでの遊び方は日本人には不慣れなので皆どうして良いのかわからず、ボーッと座ってる。黒人のラッパーが歌うエミネムにオレは爆笑して遊んでいた。オレは此処でも十分楽しかったが、他の連中が可哀想なのですぐ出る。(2005年8月10日 ) |
パッポン学校(Sさんからメールでパッポンについて教えてもらいました。ウーン、勉強になるなー)
パッポン物語
パッポンの名前と評判はみんな知っている。バンコク第一の歓楽街、また世界でも知られた赤線地帯である。しかし、ほとんどの人はその名前がどのように付けられたかを知らない。パッポンを作り有名にした中国系タイビジネスマンのパーソナルヒストリーを...。
この物語の主人公であるウドン パッポンパニッチは前月の10月始め、79歳でバンコクホスピタルで亡くなった。彼は巨万の富を稼ぎ出す帝国を残した。それは今彼の家族たちに引き継がれ経営されている。彼の死はパッポンの終焉の始まりだろうか?はたまた、より発展するために運命づけられたものなのだろうか?
今バンコクを訪れるほとんどの外国の人たちは自分の希望に関係なく、観光場所に組み込まれているせいか一度はパッポンを訪れる。そして、夜には何百万バーツのお金がたくさんの露店、カウンタバー、レストランへ流れて行く。もちろん売春にも...。パッポンではセックスが売られている。しかしその前に、食事代、酒代、ダンス、ロックミュージック、ビデオパーラの代金が補助経費としてかかっている。この儲けは大きい。
名前の由来
今からちょうど50年前、パッポンと知られるこのエリアは荒れた土地で、チーク材で作られた家が1軒しかない場所だった。この家はバンコクのホンコンと上海銀行の本店だった。そして1941年から1945年は日本憲兵隊に徴収されていた。どのようにしてこの静かなバンコクの片隅が世界の歓楽街の1つに成っていったのだろうか。とても興味深い。
パッポンと言う名はもともと中国のハイナン島の中で、通りや人名で見られる。ここは南国なまりでハイラムとして知られている南支那海の島で、移民が何百年の間、タイに流れて来ていた。商才のあるタエチウ、カントニーズやハッカと知られる南中国からの華僑と同じである。
ポーンパット少年12歳も他の中国人と同じく夢を求めてバンコクに今世紀初頭、バンコクにやって来た。ポーンパットはサラブリ県で米を商いとする会社で働き始めた。彼は地方の農家から薬草を買い、バンコクのチャイナタウン.ヤワラートの雇い主の元へ運んでいた。彼は将来を考えて若い中国娘と結婚する。そして、1916年長男が生まれた。その子の名前がウドンである。
そうこうしているうちに、ポーンパットへ人生の転機が訪れた。それは成長するバンコクの建築産業にセメントを供給するため、サラブリにセメント工場が出来たことから始まる。この賢い中国人はセメントの働きには炭酸カルシウムがいつも必要だとすぐに気づいたのだ。ポーンパットはこれがこの地方でも集められることを知っていた。この肥えた稲作地帯の数フィート下にあるのだ。そして彼はすぐに小さいサプライビジネスを始めた。
彼にとって幸運だったのは、このセメント工場がチュラロンコン国王(ラマ5世)が先導するロイヤルプロジェクトだったことだ。このプロジェクトが大きくなるにつれ、ハイナン島の移民のビジネスも大きくなっていった。そしてロイヤルファミリの知るところとなり、その功績に対してナイトの称号が与えられた。“クンルワンパッポンパニッチ”。後でこの名前はタイの新しいファミリネームとなって行く。
ハードワークと幸運にも恵まれて、 クン ルワンパッポンパニッチは彼の息子を最初はイギリスにそして次にアメリカへ留学させることが出来た。このため、ウドンは日本がタイへ侵攻した1941年にはタイの外、アメリカに居た。そこで彼はタイ自由化運動に参加し、日本のアジア侵略に反対運動を行った。そして1945年、彼は日本憲兵隊がシーロムの北部の例の家から退散した2,3ヶ月後に帰ってきた。
その土地と建物はホンコンと上海銀行には戻されず、1956年タイ政府によりオークションに懸けられた。ポーンパットはそこを当時59、000バーツ(約3、000ドル)で競り落とした。中国の何人かの友人にヤワラートからこんなに離れた土地を買うなんて頭でもおかしくなったかと言われたが、ポーンパットはそこをビジネスに利用するつもりはなかった。親戚家族が集って住む一角を作りたかったのだ。
この引退後の構想は彼の息子ウドン パッポンパニッチには理解されていなかった。ウドンはこれからのバンコクは大きくなり開発がこの一角まで伸びて来ると考えいたのだ。その衝突はポーンパットが彼の息子へスリウォンからこの区画までのつなげる道路を6メートルの広さでアレンジするよう命令したことから始まる。
ポーンパットはちょうどこの時フアヒンへ休養に出かけていた。彼は帰ってきて驚いた。ウドンは幅12メートルの道路を作っていたのだ。「あの時は父はとても怒って、私はもう家族から追い出されてしまうと思いましたよ。」当時を振り返ったウドンパッポンパニッチは語った。
ポーンパットが幾ら怒ってもしかたがなかった。もう広い道路が既成事実であるのである。彼はウドンにスリウォンから通りの終わりまで、両脇に店と家を兼ねる建物(ショップハウス)のアレンジをを任した。これがパッポンソーイ1である。しかしここが今の歓楽街に変わってしまうとは当時、誰も考えていなかった。バンコクには赤線地帯はすでに在ったし、怪しげな薄緑のランプが掛かっている青線地帯も、ヤワラートや他の所にも在った。
このとき、ウドンはこの地区のショップハウスに西洋ビジネスマンを呼びたいと考えていた。彼は賃貸の時、デポジットをたくさんとり、月家賃を少なくする中国式のやり方を止めて、最初のデポジットを少なくし、月家賃を高くした。中国式が西洋人に合わないと彼は留学の経験から知っていたのだ。
彼の西洋に合わせたやり方は成功した。まず、最初の客は小さな航空会社のパシフィクオーバ.シーエアサービスであったが、すぐにシェル
オイル、アメリカンジェスターナ、日本航空が続いて入ってきた。そして日本との関係は1954年に強くなっている。このときタイを愛した旧日本兵によって「Mizu's
Kitchen」がオープンしたのだ。
話を戻して、パッポンは航空会社がたくさん入ってきた。Civil
Air Transport(CAT)、Air Vietnam、Air America(ここは後にチベットからインドネシアへの共産主義者の広がりを押さえるCentral
Intelligence Agencyの所有となる。)などである。Air
Americaでたくさんの合衆国兵士や冒険家たちがやって来た。そして彼らと共においしいワインや風俗業や歌なども入って来た。
セックス産業の始まり
パッポンにセックスサービス業が始まったのは1956年10月である。
Mizu's Kitchen 隣にバンコク オンセン マッサージパーラーが出来たのが最初であった。当時を知る記者や作家アランダウソンによれば、ここで働く女性の多くは日本人だったと言うことである。客は主に日本の移住者とタイ警察の将校だった。
1958年にはこのオンセンは無くなったが、このエリアにはすでにバーが並び西洋風の東洋レストランがいっぱいだった。それはパッポンが今の歓楽街に変わる始まりだった。
名前が知られるのは1966年にバーナードトリンクがパッポン地域を、本「バンコク世界」に“バンコクの不夜城“として、バーやレストランのリストを載せてからだ。小さいリストであったが、それによりパッポンは大きくなりバンコクの他の歓楽街を追い抜き、世界でも有名になっていった。
1960年代はピー.バー(お化けバー)の時代だった。お化けはバーで働く女たちを言う。彼女たちは全くバーから給料を貰わない。正式に雇われてはいないのだ。代わりに彼女たちは客たちに個人的サービスをしてチップを貰うのだ。しかし、お化けバーは減り始め、1960年終わりには給料制が始まり1970年の始めにゴーゴーバーが始まってから無くなってしまう。
パッポンセックス産業の成長はベトナム戦争と重なって始まった。それはビジネスとエンターテーメントの地域をバーを本拠地とする赤線歓楽地帯に変えてしまった。パッポンのソーイ1は1969年の終わりには5件だったバーが1970年代の終わりには、100件以上にもなり、それからも数は増え続けた。
その現象で、驚くこともないが、そこを借りていた航空会社や他の会社は、長期賃貸契約をしていたタイダヌ銀行以外は当然のことながら出ていってしまった。タイダヌ銀行も去年とうとう出ていった。そしてそこはゴーゴーバーに変わった。
これからのパッポン通り
ウドン亡き後もパッポン通りは今までのやり方で残り続けるのであろうか。パッポンパニッチ一族はまだこのエリア全てのオーナであり、ウドンの2人の妹ソムタウィンとブーンウィンが管理している。彼らは言う「私たち家族は団結しています。みんながお互いにうまくやっています。ウドンが亡くなっても今すぐにパッポンを変えることはありません。」
彼らが保証しても今のままでパッポンは残り続けることができるのであろうか。世界で有名なナイトライフエリアとして多くの観光客を呼び、年間に何百万ドルをタイ経済にもたらしている。しかし、エイズの時代の中、だんだんと社会の不平等を利用してセックスビジネスで儲ける害悪を気づく者が増え始めている。豊かになって行くタイでは急速にパッポンが時代錯誤で、国の悩ます物になって来ているのではないだろうか。
今のままでパッポンは続いて行くのかと言う疑問の答えは「Yes」とも言えるし、「No」とも言えるだろう。パッポンの稼ぎ出すお金が道徳や健全な社会へと言う意見を黙らせてしまう。しかし、この土地の価値を考えると変わっていってもおかしくない。50年前3000USドルで買われたこの土地は今や数百万ドルの価値がある。しかしパッポンの建物はウドンが1950年代に建てたままのショップも幾つかあるし、この地区にある多くが2階建てである。
高沸するシーロムの賃貸料で各店の財政はどれくらいあと持ちこたえることができるのであろうか。収支で考えればパッポンは今のかたちから変わらなければならない。それはバーやマッサージパーラがシーロムの会社組織に変り、全てが鏡のようなガラスとコンクリートで出来たバンコク.ウオールストリート.ビルディングに変わることかもしれないが...。
上と別の考えとして、再開発されるエリアのある部分は数階建てのエンターテイメント.モールになり、隣の日本エンターテーメント.エリアのタニヤ通りと似たものになるかもしれない。
パッポン通りをそのままに続けるのであれ、変えてしまうのであれ、中国系タイ人の典型であるパッポンパニッチ一族は少しの先見性とハードワークによりきっと成功を収めることだろう。