ロイカートンの夜  BY:インタマラ

プロローグ
 
バンコクに通いだして約十年。ナナやソイカ、地方都市にも飽きてきた僕がスティサンと呼ばれる場所で出逢った天使。彼女を超える天使は僕の前にはもう2度と現れることはないだろう。これは、大都会、バンコクの街の片隅で人生を翻弄された天使とバカな日本人のどこにでもあるような物語。
  1. コンプレックス
  2. 出会い
  3. 再会
  4. すれちがい
  5. 進展
  6. 写真
  7. コ・サメット
  8. 待ち合わせ
  9. 電話
  10. ドラえもん
  11. 部屋
  12. おばあちゃん
  13. 最後の夜
  14. 別れの理由
  15. 最終回  ロイカートンの夜に・・・
  16. その後 〜それぞれの道へ〜
執筆者への お便りは こちら まで
外道の細道

コンプレックス

彼女は背が高く、細身ですらりと長い手足をしていた。彼女が歩くと外国人もタイ人も振り返るほどの美人であったし、実際、彼女とすれ違いざまに彼女を見て、スーアイと口にする女性たちが何人もいた。
顔は面長で大きな目をしている。吸い込まれそうなこの眼で見つめられると僕はいつもめろめろになってしまっていた。彼女は少し、額が広く、額を見せることを恥ずかしがっていた。左の耳には少し大きめのいぼのようなものがあり、人前ではあまり髪を上げることがなかった。そして、彼女は歯の矯正をしていた。笑顔になると歯には銀色の矯正具が光った。僕が今でも大切にしている彼女の写真のほとんどのものには歯に矯正具がはっきりと写りこんでいる。時折、痛みがあるようで、痛め止めの薬を口にしていた。ひどいときには、食事をできずにいてかわいそうになるくらいだった。みんなから、きれいだねといわれる反面で、彼女は、自分に対してある種のコンプレックスを持っていたけれど、僕はそんな彼女のことが大好きだった。





出会い

数年前、僕は友人のIさん(タイではコボリと名乗っていた)と一緒にスティサンのバーで酒を飲んでいた。Iさんはその昔ベトナムに駐在していて、今はバンコクをこよなく愛する中年で、僕とは1周りほど歳が離れている。日本では金払いのいいIさんだがバンコクに来ると何故かとてもけちになる。そんな彼がその日に限ってとても金払いがよく、店のママや店員にも100B札をばら撒いていたので、この日のことがとても印象に残っている。
入店してすぐ、ママは僕たちをテーブルへと案内する。客の姿はほとんどなく、薄暗い店にいるのは客も含めて僕たち以外はみんなタイ人だった。
テーブルに着くと僕たちはハイネケン大瓶を注文し、ひとまず、タバコに火をつけた。2人で乾杯をし、しばらくすると、Iさんとママが2人で話をし始めた。何もすることがなくなった僕はトイレに行くことにした。ナナやソイカ以上に汚いトイレに辟易しながらテーブルに戻るとIさんとママのほかに知らない女性が座りIさんと話し込んでいた。僕がトイレに行っている短時間の間にIさんはもう夜の相手を決めていたようだ。
ママは戻ってきた僕に向かって、しきりにあの娘はどうかこの娘はどうかと薦めてくる。何人かお断りをした後、更衣室のドアの横にちょこんと立っていた娘を僕に薦めてきた。正直、顔も良く見えなかったが、断り続けるのも悪いと思った僕は彼女を指名することにした。
僕の隣に座った彼女は僕には話しかけずにママやIさん、Iさんの隣に座っているBにばかり話しかけていた。正直、きれいだけど、はずれを引いてしまったと後悔し、一人でタバコを吸い、酒を飲み誰とも口をきかずに数分間を過ごしていた。しかし、しばらくすると、Iさんのタイ語のヒアリング力と語彙力が足りなかったようで、途中から、僕が通訳を行う場面が出てきた。それまで僕は、タイ語は話せないと言ってあったため、周りのみんなは少し驚くとともに、僕とも話しをするようになってくれた。そして、僕の隣に座った娘も急に僕に向かって話をするようになっていた。
改めてお互いに自己紹介をする。彼女の名前はN。年は2○才で普段は学生。店で働いてまだ4日目であること、店ではまだ指名を受けたことがないこと等・・・。
彼女に対する僕の第一印象は変わり、時間はあっという間に過ぎていた。気が付くと2時で、僕は3時には日本へ帰るために空港へと向かわなければならなかった。名残惜しさを残しながら、僕は店を出ることをママに伝えた。ママはしきりに、Nは僕のことを気に入っっているから今夜一緒にいろと勧めてきたが、僕は、1週間後にまたタイを訪ねてくるとママと彼女に約束し、Iさんとともに帰路へとついた。





再会

1週間後、僕は再びスティサンのバーにいた。店に入ると同時にママが僕を迎え入れ、Nを呼ぶ。彼女はとびっきりの笑顔で僕に抱きついてきた。ビールを飲みながらひとしきり再会を祝った後、僕と彼女は店を出ることにした。客引きに声をかけ、タクシーを呼んでもらい、僕たちはソイカへと向かった。タクシーに乗っている間、携帯電話を持っていなかった彼女に、もし本気で僕の恋人になるつもりがあるのなら、次に会うとき携帯電話を買ってあげるよと伝えると、彼女は笑顔で恋人になることを承諾してくれた。ソイカに着くとロングガンに向かった。彼女はソイカを知らなかった。ディスコに向かうと思っていたらしく、席についてもつまらなそうに、所在なさげにしていたため僕らはすぐに店を出た。そばにあるホテルに入ると、彼女はとてもとても恥ずかしそうにしていたし、振る舞いはこのような状況に慣れているとはとてもいえないものだったが、僕たちはその夜初めて結ばれた。結ばれた後、僕に何度もキスをしてくる彼女がとてもいとおしく思えた。そしてこの時、彼女が過去に商売で人と寝た経験がないことを初めて知った。
翌日から僕はひとりでプーケットへとダイビングに向かった。夜になるとNの友達から僕の携帯に電話がかかってきた。電話に出ると、その声はNの友達ではなくまぎれもないNの声であることに驚きながらも、嬉しくなり、キトゥーンと連呼する彼女に会いたいという感情が高まったことを今でも覚えている。
数日後、バンコクに戻ってから僕はMBKでNOKIAの携帯電話を買い、Nに会うためにスティサンへと向かった。携帯電話を差し出すと、彼女はとてもうれしそうに袋を抱えて更衣室へと走っていった。僕のもとへと戻ってきたのは30分後。携帯を充電しながら説明書を読んでいたらしい。僕はなかなか戻ってこない彼女にいらいらしながらも、戻ってきたときの彼女の笑顔で怒る気力もなくなってしまっていた。この時点で僕は彼女にどっぷりとほれ込んでしまっていた。





すれちがい


次の訪タイ時に、僕と彼女はチャーン島へと遊びに行く約束を電話で交わしていた。バンコクに着いた晩に店に会いに行くと、いきなり彼女は僕を連れて母親の元へと向かった。彼女の母親はバンコクのはずれのとある市場で店を構えていた。初めて会う僕に母親は優しいまなざしでワイをして出迎えてくれた。僕のことをあらかじめ母親に説明してくれていたようであった。母親の店は繁盛しているようで、Nは母親の仕事を、洋服が汚れないように注意しながら手伝っていた。
忙しさが一段落したのを見計らい、僕たちはホテルへ帰ることになった。ホテルに着くと、Nは僕だけを残し、友達の家に預けてある服を取ってくると言い、そのまま出かけてしまった。僕は少しやきもきしながらも朝まで仮眠をとることにした。しかし、約束の時間になっても彼女がホテルに戻ってくることはなかった。僕は、騙されたんだなと思い、むかつきながらも、約束の時間が過ぎても1時間ほどホテルで彼女を待った。結局、電話もつながらず、彼女も来なかったため、僕はチャーン島に向かうべく一人バスターミナルへと出発した。バスターミナルについてからも僕は1時間ほど彼女の携帯に電話をかけ続けた。でも、やっぱりつながらない。僕はとても困惑した。信じていたのに裏切られてしまったことがとても悔しかった。
それまで僕は、タイの女の子たちに本気で惚れたことはなかったし、一人の女性に執着するということはほとんどなかった。でも、このとき僕は凄く彼女が好きで嫉妬深くなっているということに自分自身で気が付いた。

僕は、島でダイビングがしたかったし、ホテルもすでに予約してあったため、とうとうあきらめトラート行きのバスに乗ることにした。でも、バスに乗ってからも僕は諦めがつかずに何度も彼女に電話をかけた。1時間ほど移動したとき僕の電話が鳴り出した。Nからの電話だった。僕はすでにバスに乗って一人で出かけてしまったことを告げた。Nは友達と話し込み、熟睡してしまい電話に気付かなかったと泣きながら謝っていた。そして、どうしても一緒にチャーン島に行きたい。どうして一人で出かけてしまったのかと泣きながら怒っている。僕は、途中で降りて待っているから一人で来てほしいと伝えるが、行き方が分からないという。僕は、仕方なく、バスの運転手に、用ができたからバンコクに戻るので途中で降ろしてほしいと伝えた。20分後、僕はバスを降り、道路の反対側へと渡り、バンコク行きのバスに乗ることとなった。バンコクに戻ることを電話でNに伝え、アソークで待ち合わせをした。しかし、僕がアソークに着いても、まだ彼女は着いていなかったし、また電話がつながらなくなっていた。僕はまた騙されたと思い、戻ってきたことを後悔した。待っている間に僕の足元には何本ものタバコの吸殻ができていた。再び、僕の電話が鳴る。Nからの電話で、今着いたけどどこにいるの?とあっけらかんとしている。あまりにもタイ人らしいその対応に僕のイライラと怒りは再び消えうせて、怒る気がなくなっていた。無事再会ができると、本当に申し訳なさそうな顔で、コートーマークと謝る姿がとてもいとおしく思えた。その日のうちにチャーン島に着けるかどうか分からないぎりぎりの時間になってしまっていたけれど、僕達はバスターミナルへと向かい、バスに乗った。





進展

 バスの中で僕たちは寄り添いながら沢山の話をした。彼女は、すでにスティサンの例の店をやめており、わざわざ僕に会うために店に来て待っていてくれたという。店には10日間しか在籍せずに、僕以外に誰かと出かけたことはなかったという事実も知り、僕はますます彼女のことが好きになっていた。今までの男性経験は1人だけで、そのあとは2人女の子とレズとして付き合っていたこと。女の子と付き合っていたことを母親に咎められ、反発してスティサンで働いていたこと。僕が彼氏になり母親とも和解したことなど少しびっくりするような話もしてくれた。長いはずのトラートまでの道のりがとても早く感じられた。
しかし、実際にトラートについたのは夜の9時過ぎで、雨も降っており、チャーン島に渡れる船はもうなかった。
仕方なしに僕らは市内に宿を取り1泊することにした。その夜、彼女と僕は、今まで以上に濃密なときを過ごすことができた。2人きりで旅したこともあるだろうし、後で知ることになるが、彼女が本気で僕を好きになったがこの日のことだったという。





写真

翌日は朝1番の船でチャーン島に到着。ホテルにチェックインしてモーターサイをレンタルし、ダイビングの予約のためツアー会社へと向かった。でも、天気が悪いからとその日の海のツアーはどれも中止だという。あきらめきれないながらも、どこかで泳ごうとNの水着を買いに道端の店にはいる。何軒か回ってやっと気に入った水着を見つけ着替えると、僕らは滝に泳ぎに行くことにした。外国人とタイ人の料金になぜこんなに差があるのだろうと不満を抱きながらも、支払いを済ませ、滝つぼまで歩く。滝つぼに着くまでに何度か足を滑らせそうになりながらも、お互いに気を遣い合って・・・。天気がよくないせいか滝つぼの水の温度は低く、Nが水に入ることは結局なかった。2人でよりそって岩の上で日向ぼっこをする僕らに、ファランの女性が写真をとってもいいかと尋ねてきた。ちょっと躊躇する僕を尻目にNは気軽にOKと即答していた。
昼ごはんを軽く済ませホテルに帰るとNは少し眠るという。僕はマッサージを受けてくるねと言い残し部屋を出ようとするが、Nの顔はふてくされていた。普通の日本人なら1時間のマッサージを受ければ帰ってくるまでに1時間半はかかると誰でも理解できるが、Nは僕が部屋に着くなり約束の時間に帰ってこないと一人で怒っていた。自分が何時間僕を待たせたなんてすっかり忘れているようだ。そして、後で分かったことだが、勝手に僕の携帯の写真を盗み見して、沢山の女の子が映っていたのでやきもちを妬いていたそうである。





コ・サメット

チャーン島に行ってから2ヵ月後、僕らは2人でサメット島に向かった。バンコクからそれほど遠くないし、ダイビングやシュノーケリングも手軽にできるこの島は僕の一番のお気に入りの場所で、何度も行くから定宿や店のスタッフも僕のことを覚えていてくれるので何かと使い勝手がいい。いつもは男友達と一緒か一人で島を訪れるため、Nを連れて行ったその日は、初めは冷やかされたが、その後は2人の時間を割かれるようなことはなかった。
部屋でゆっくりと昼寝をしていると、僕の携帯に電話が入り、僕は部屋の外に出て話を始めた。話が終わり部屋に戻ると彼女はそっぽを向き、顔を見せようともしない。女からの電話だろうと僕を一方的に攻め立ててくる。頭にきた僕は、いい加減にうんざりし、信用できないなら一人でバンコクに帰れと彼女に怒鳴りつけた。彼女は、私は女だから一人で帰るのは危ない、返すつもりなら送り届けろとわめきたてる。埒が明かないので僕は部屋を出て、たばこに火をとつけて一服し、深呼吸をした後でそっと部屋に戻る。ベッドで横になりそっぽを向いている彼女の横にもぐりこみ、彼女の細い体を抱き寄せ、そっと口付けを交わす。僕が、ごめん、愛してるよと伝えると、彼女もごめんなさいと謝り、僕に泣きながら抱きついてきた。
翌日から、僕らは周辺の島々を巡るシュノーケリングツアーに参加した。僕らのほかはスタッフ以外ファランだけ。僕がシュノーケリングをしている間、日に焼けないように気をつかいながら椰子の木の陰にたたずんで僕の帰りを待っている彼女の姿はちょっと寂しそうだけど、なんとなく僕を幸せな気分にしてくれた。





待ち合わせ

何度目かの出会いからか、彼女は僕を空港まで迎えに来てくれるようになっていた。でも、すんなりと合えたことは1度もなかった。いつも違うゲートで待っているか、遅れてくるのが常だった。久しぶりに会ってけんかをするのも嫌なので、ホテルで待ち合わせをしようとすると、迎えに来てほしくないのだろう、女と遊びに来るのだろうと怒り出すので、結局はいつも空港で待ち合わせをすることになった。空港で会うと、すぐに僕たちはタクシーに乗り込み彼女の母親が働く市場へと向かうのが約束事のようになっていた。親やご近所さん公認の仲になっていたのは言うまでもない。彼女は、スティサンの店をやめてからは普段から親の仕事を手伝っていた。いつもきれいな格好で僕を空港まで迎えに来るけど、市場の母親に会いに行ってもそのままの格好で服が汚れないようにと気をつけながら手伝いをする。いつも疲れるし、大変だからやりたくないよと愚痴をこぼしていたけれど、彼女が市場で母を手伝う姿を見るのが僕は好きだった。飾らない普段の彼女の1面が見られるようで・・・





電話

タイと日本で離れているときでも、僕と彼女は毎日電話をした。長いときには5〜6時間。何とはなしに話をした。1日でも電話ができない日があると彼女の機嫌はとても悪くなり、機嫌を直してもらうのはとても大変だった。彼女は電話の代金なんて気にもとめず、毎日国際電話をかけることがどれだけ大変なのか理解していない。はじめは、携帯や固定電話から普通に電話をしていたけれど、支払いの額も安くない。そこでいろいろと調べ、インターネット電話を利用することになった。その当時はあまり普及していなかったAにはじまり,次にB、最後はCと徐々に安い代金で電話ができるものへと利用するものを変えていった。でも、彼女は、インターネット電話は音質が良くないから嫌だと毎日のように文句を言っていたけれど・・・。僕に言わせれば、タイの電話自体が音質良くないだろって思うのだけれど。
 僕は彼女に1年半の間に4台の携帯電話をプレゼントした。1台は僕が怒った際に八つ当たりして壊したのだけれど、ほかの2台は彼女がタクシーに忘れてなくしてしまった。だから僕たちは、連絡が取れなくなることがよくあった。でも、僕の番号を彼女の友達も知っていたし、僕も彼女の友達の番号を知っていたため、逢えなくなるということはなかった。僕自身もバンコクにいる間、24時間で2台の携帯をなくしたことがあるので、人のことは言えないけれど、タイ人はよく携帯やものを無くす気がする。そして絶対に見つからない。そのうえ、なくすたびにより高いものを欲しがるのは、計算してなくしているとしか思えない・・・。





ドラえもん

 タイの女の子たちは日本のキャラクターグッズが好きな子がおおいけれど、彼女はドラえもんが大好きだった。電話をかけるとドラえもんのビデオをみていたり、沢山のぬいぐるみを持っていた。そして僕が彼女に会うときのお土産はいつもドラえもんグッズだった。
探してみると良く分かるが、ドラえもんのぬいぐるみを探すのはなかなか大変で、毎回違う種類のものを見つけるのは難しかった。いろいろ考えた結果、種類の多いユーフォーキャッチャーの小さいぬいぐるみを持っていくのが定番となった。ドラえもんには沢山の思い出があるし、今となってはいい思い出だけれど、電話で何回もドラえもんの歌を歌わされ、その意味を説明させられたときほど苦痛だったことは無い。いい大人が、一人で電話に向かって何回もドラえもんの歌を歌い、アンアンアンなんていってる姿は恥ずかしくてとても人に見せられるものではない。そのほかにも、彼女の友達にカップ麺やイカの燻製を頼まれて何度かもって行ったけれど、僕の自分の荷物よりもお土産のほうが多いときには僕は何しにタイまで行っているんだろうと少し悲しくなったときがあった。





部屋

 それまで、僕のホテルか彼女の友達の部屋を借りて一緒の時間を過ごしていた僕たちだったが、あるとき彼女が突然、次回僕が来るときまでには自分で部屋を借りるから、そこに泊まるようにしてと言い出した。そして、洋服をいっぱい持ってきてその部屋においておいてと。もともと彼女の家はバンコクのはずれにあり、そこから学校に通うのは大変なので部屋を借りるか、車を買うといっていた。そしてついに、自分のアパート部屋を持つことができた彼女はとても上機嫌だった。初めて部屋を訪れたときには、Nとその友達と一緒にウイークエンドマーケットに買い物に行き、部屋を飾りつけたりした。そのアパートにはNの学校の友達がたくさん住んでいた。その大半はレディーボーイやその気のある男の子たちがおおかったけれど・・・。彼女は母親と仲直りして市場の手伝いも良くしていたし、お金には困っていない様子で、よくその友達たちにご飯をご馳走したり、作ってあげたりしていた。彼女の作る料理は、その辺の屋台で食べる料理より断然おいしかったし、何よりも一緒に料理を作り、彼女が料理している姿を見るのがとても好きだった。
 しかし、あるとき彼女の部屋を訪れた際、僕は1冊の見かけない写真集を見つけた。その写真集の一番後ろのページには、I LOVE YOU,N とかかれていた。部屋には、僕とNが一緒に映っている写真が沢山飾ってあったし、Nが僕のことを好きでいてくれている自信はあったけれど、とてもショックを受けた。僕は、怒りに身を任せ、写真集を破り捨て、Nと口論をした結果、彼女を突き飛ばし、ホテルの部屋へと一人で戻った。彼女がよく他の男から口説かれていることは前から知っていたし、一緒にいるときも男から電話があり喧嘩になることもよくあった。僕はいつも、目の前で電話をかけさせてそいつらを振らせていたけど、男からのプレゼントを大切に持っていることが気に入らなかった。結局、その日は彼女が電話を何度もかけてきて、泣きながら謝るので、仕方なく彼女の部屋に戻り仲直りをしたけれど、僕がバンコクにいない間の彼女の行動が気になって仕方なくなってしまった。





おばあちゃん

僕たちが出会い、1年が過ぎようとしていたころ、僕は彼女と母親、母親の新しい彼氏と4人で彼女のおばあちゃんに会いに行くことになった。夜中、空港に着いたその足で市場に向かい、母親たちと合流した。そばにある母親の家で、おばあちゃんへのお土産などの準備をした後、母親の彼氏の運転でノーンカイへと向かう。彼女の母親の車はトラックで少し窮屈だったけど、僕はNに膝枕をしてもらい何とか横になることができた。親の前で膝枕をしてもらうなんて少し恥ずかしかったけど、Nはキスもしてくれたし、胸まで触らせてくれる始末だった。途中、コンケーンの街を通過する際に彼女は寝ている僕を起こし、窓の外を指差した。彼女は高校時代をその街で過ごし、その思い出を次から次に聞かせてくれた。初めて彼氏を作ったのは高校生のときで、初めてHをしたのもこの街だったと聞いたとき、僕は凄くやきもちを妬いてしまったけれど、正直にいろいろと話してくれる彼女がますます好きになった。
昼すぎにノーンカイにある、とある村に到着した。道路は舗装されておらず、コンビニさえない田舎の村だった。おばあちゃんに久しぶりに会ったNはとても嬉しそうにしていた。僕も、おばあちゃんにワイをして挨拶をするとにっこりと微笑をうかべてくれた。その後、近所の人やNの幼馴染が次々におばあちゃんの家に集まり、大人数での宴会が始まった。後で分かったことだが、Nが婚約者の日本人を連れてくるとおばあちゃんが近所にふれまわっていたそうだ。その宴会に圧倒されてしまい、誰にも話ができなかった僕を見て、Nは少し怒っていた。彼女にとって僕を田舎に連れて行くことイコール結婚の報告にいくという儀式だったのだ。だから、何も言わずにただ座り、食事をしている僕を見て、彼女はイライラしていたのだと思う。
僕が彼女と結婚したいという言葉をおばあちゃんに伝えたのは翌日の昼過ぎだった。それまでは、おばあちゃんと二人になる時間は無かったし、Nの前で伝えるのは正直恥ずかしかった。おばあちゃんは結婚を快く許してくれた。結納金は、家を建て直したいので50万バーツほしいと具体的な話まで進んだ。正直、お金の話をされたときはひいてしまったけれど、特に大きすぎる額ではないと思ったし、避けては通れない道だと思ったから最後まで真剣に対応をさせてもらった。おばあちゃんは、僕が帰るときにお土産をたくさんくれた。そして優しく、またおいでよと声をかけてくれたのがとても印象に残っている。Nがおばあちゃんとの別れを悲しみ涙ぐんでいた姿も目に焼きついてはなれないでいる。その後色々とあってNとの結婚は先延ばしにしていた。彼女は嫉妬深く喧嘩が耐えなかったのだ。





最後の夜

 ロイカートンの夜。僕はチュラ大で行われたロイカートンにSKYPEで知り合った女性といた。ここでロイカートンをするカップルは別れるというジンクスがあるらしいけれど、一緒にいるのは初対面のただのチャット友達。彼女はいろいろと世話をやいてくれるけれど、お互いに友達以外のどんな感情も持ち合わせてはいない。
今回は、僕はNとの恋愛に区切りをつけるために、バンコクを訪れていた。別れ話のようなことは電話でしていたけれど、僕自身の心に決着をつけるため。僕は彼女とのゆかりのある場所は訪れなかったし、タイの携帯電話はあえてもっていかなかった。本当はNと一緒にロイカートンに行く約束をしていたし、彼女に電話をして仲直りをしたい衝動に駆られていた。でも、あえて連絡は取らなかった。
日本に帰るため、空港に向かう30分前にシャワーを浴びようとした瞬間、目覚まし代わりにするためスイッチを入れておいた僕の携帯電話がなった。Nからの会いたいという電話だった。僕は凄く彼女に会いたかった。でも、僕の財布には空港に行くための最低限のお金しかのこっていなかったし、彼女の部屋へ向かうには時間が足りなかった。僕は、彼女に空港で会おうと誘いをかける。でも、彼女の答えは本気でまだ好きでいてくれるなら部屋まで来てという言葉だった。結局、お互いまだ好きだという感情を残しながらこれを最後に僕たちの連絡は途絶え、関係は終わってしまった。彼女も電話番号を変え、僕も電話番号を変えた・・・。





別れの理由


おばあちゃんに会いに行ってからというもの、彼女の束縛は激しさを増してきた。もともと電話にでなければ怒るし、一緒にいるときに日本からの電話に僕が日本語で対応しているととても嫌な顔をしてふてくされ、きまって、女からだろうと責められていた。僕の仕事のことなどおかまいなしに電話をかけてくる。仕事中だからと電話を切るとふてくされるし、運転中や電車に乗っていて電話に出れなくてもふてくされる。そしてきまって女と一緒にいるんだろうと切れまくる。そして、仕事や私生活でも支障が出始めたため、僕はNと分かれる決心を固めた。こんな状況になっている人たちは少なくないと思うし、タイの女の子たちと付き合う上で覚悟しなくちゃいけないことなのだろうけれど、僕はそれに耐えることができなかった。僕の親友、ジャンキーのYは、浮気をして果物ナイフで彼女に刺されたことがあったけど、今ではチェンマイに家を買い仲良く暮らしていこうとしている。恋愛にはいろいろなパターンがあって、人それぞれが思い思いにタイでの女の子たちとの出会いと別れを繰り返していると思う。僕がここまで綴ってきたことは、よくある男女の思い出話。でも、彼女と過ごした間に、僕はタイという国を、タイ人の気質をより深く知ることができたと思う。そして、タイという国が僕にとってかけがえの無い存在になっていた。

その後
別れてから、友達伝いにNの噂を耳にした。Nがしばらく塞ぎこんでいたこと。それが理由で親と喧嘩をし、また家を出てしまったということ。家を出てお金がないため、スクンビットのとあるバーで働いているということ。僕と別れてからの彼女の人生は悪い流れへ変わってしまったようだ。彼女は将来きちんと銀行で働くんだと、学校を卒業した後の夢を語っていたことを思い出すたびに胸が痛む。僕は今でも彼女に会いたいと思うことがあるし、分かれてしまったことを後悔している。でも、彼女に会うことはできないし、彼女も僕に会うことを望んではいないだろう・・・





ロイカートンの夜に・・・



物語は、本当は前回を最後に完結していた。でも、この話には続きができた・・・

別れてから1年が経過し、彼女への思いを断ち切れない僕は、これで最後にしようと久しぶりにバンコクを訪れた。スティサンで知人たちに会い、酒を飲みムーカタを食べる。みんなが僕とNとの関係を知っている。そして、キトゥーン、N、マイ?と問いかけてくる。僕は当たり前だろと答える。それまでも何度か、みんながNに連絡を取ろうとしてくれたことがあったけれど、連絡がつくことはなかった。今回も、TがNにとりあえず連絡を入れる。
今まで連絡の着かなかったNの携帯の呼び出し音がなり、僕はNと話をすることができた。でも、Nの声は暗く、すでに彼氏がいると聞いていた僕も何を話していいかわからなかった。最後に、Tが食事にくるよう誘ってみてもそっけなくことわられてしまった。
 翌日、僕はパタヤのバーで一人ビールを飲んでいた。Nと別れて以来、バーで女の子と話をしても面白くない。それでも、今回が最後と決めたタイへの旅行、存分にたのしんでやるぞと意気込んで・・・。ふと、携帯を見ると見知らぬ番号が着信していた。とりあえずかけなおしてみると、出たのはNだった。正直、驚いたしうれしかった。でも、口調はとげとげしいし、喧嘩口調のため、なんのために電話をかけてかけてきたのか分からない。僕は怒って電話をきってしまった。1時間後、電話を切ってしまったことを後悔し、改めて電話をすると、バンコクに戻ったら電話をかけてきて欲しいと伝えられた。
 結局、バンコクに戻った夜、僕は彼女へと連絡を入れた。しかし、つながらないため、彼女にまた会えるかもと期待していた僕は、また寂しい気持ちになって、落ち込んでしまった。どこかに出かけて飲む気にもなれなかった僕はホテルで早めに就寝することにした。ちょうど、うとうとし始めた時、僕の携帯がなる。でもその番号はNのものではない。Nが慕うウエイトレスのKの番号だった。Kは僕がNに会いたがっていることをNに伝え、NをKの働く店までよびだし、Nに電話をかけさせてくれたのだった。ホテルからKの働く店までは道路を1本隔てただけ。僕は、Nに会えることを喜びすぐに店へと向かった。店員たちに冷やかされながら、Nの待つ席に案内される。昔と違いNは僕の隣には座らず、正面に座っている。久しぶりに見た彼女は、化粧や服装がずいぶんと派手になり、以前に増してかわいくなっていた。スクンビットのバーで働き、性格も変わってしまったのだろうと正直会ったのを後悔した。でも、電話での対応とは正反対に、彼女は笑顔で、「久しぶりだね」「元気にしてた?」「ちょっとふけたんじゃない?」と昔と同じように語りかけてくる。途中から彼女は僕の隣へと席を移り、僕らは1年分の思いを語り合った。僕は泣きながら、別れを決意した本当の理由を話し、今でも忘れられないでいることを伝えた。彼女からは今、彼氏はおらず、とても会いたいと思ってくれていたことが伝えられた。そして、彼女が電話で怒っていた理由は、1年前に会いにきてくれなかったことに対する非難とともに、ある女の子が、今僕の彼女でお互いに愛し合っていると、Nに嘘を教えていたことに原因があったことがわかった。僕たちは1年の時を経て再び恋人となって結ばれた。それは偶然にも、別れてから1年後のロイカートンの夜だった。
 彼女はもう昔のような素人ではないし、1年もの時が流れ去っている。お互いが、再び愛し合っているとしても、状況は昔とは異なる。彼女は「店をやめて、ブティックではたらこ〜かな」なんて言っているし、再会してからはほとんど仕事にも行っていないけれど、どこまで本気か分からないし、完全に仕事をやめたわけではない。1日に何時間も電話で話をしていても、寂しくなると昔のように電話をかけてきて、何でそばにいてくれないのとわめきたて、わがままっぷりを発揮する。僕は彼女のおばあちゃんやお母さんに電話をかけ、1年前の非礼をわびて、再び公認の仲になってはいるけれど、いつまで彼女のわがままに耐えられるかはわからない。
タイとの決別を果たす旅行のはずがこの結末。一生、タイの呪縛から逃れることはできないのだろう。この先どうなるか分からないけれど、ロイカートンの日に別れ、1年後のロイカートンで再び結ばれたことに運命があることを信じて、なすがままに身を任せていきたいと思う。





〜それぞれの道へ〜


 私的な理由で一方的にNと連絡をとらなくなり、しばらく足を運ぶことのなくなっていたバンコクの街。
その街に、僕は9ヶ月ぶりに降り立った。今回は、Nと会うつもりはさらさらなく、新しい出会いを求めての訪タイ。
 今回の旅は、4泊5日の強行で、僕は空港に到着してすぐにパタヤへと向かった。目的は2つ。夜遊びとダイビング。初日から、ソイ6、ソイ7、ソイ8をはじめ、ブッカオ、ダイアナイン、ウォーキングストリートまで精力的に足を運んだ。もちろん、2日目も同じように・・・。
 でも、これはと思える女の子との出会いはなかった。
 どうしてもNと比べてしまう。
 もちろん、それなりにかわいい子は沢山いたし、性格のよさそうな子も沢山いた。
 でも、何かが違う。
 結局、僕のパタヤ滞在はダイビングをしただけで、後は、ただただ飲み歩き、空っぽの心のまま、時間を潰して終わってしまった。
 バンコクに戻ってから、僕は紘さんと連絡をとり、雨の中、色々な店を飲み歩いた。インタマラのソイ36近辺のカラオケで、放置プレイをされた後、雨が収まってきたのを見計らって、僕のベース、スティサン(インタマラ・ソイ1近辺)に移動。客引き立ちは、僕を見つけるなり、Nの彼氏だよね?と話かけて来る。
 いつもNと一緒に、よく面倒を見てもらっていたKのいる店に顔を出すと、即座にKは僕たちのテーブルに駆け寄ってきた。一通りの挨拶を終えた後、Kは、Nに連絡したのかと問いかけてきた。
 僕は、Nと連絡をとらなくなった理由を話し、もう一緒にいることはできないから、ホントは会いたいけど、今回は会うつもりがないことを説明した。
 Kには、会いたいなら連絡してあげるから、絶対に会うべきだと何度も説得された。そして、初めからこんな流れになるだろうことは予測できていた。そして、ホントは心の中でこんな流れになることを望んでいたのかもしれない。
 Nと再会するためのセッティングはいつもこんな風に進んでいく。これの繰り返しだ・・・。
 明日になれば、もう一度Nに会える。僕は心の中で、何故かほっとしていた。
 その後、紘さんとスティサンで数件飲み歩き、立ちんぼエリアめぐり等したけれど、なかなか僕の心に入り込んでくるような女の子には出会うことはなかった。
 と言うよりも、僕の中にはすでにNのことしかなくなっていた。
 翌朝、目が覚めると僕の携帯には数件の着信履歴が残っていた。その中に、Nの番号を見つけ、僕は即座にダイヤルしていた。しかし、何回か電話をしたものの、結局、彼女が電話に出たのはお昼を過ぎてからだった。
 電話に出た彼女は、いつも久しぶりに連絡を入れたときと同じように不機嫌だった。
 今から会えない?という僕の申し出にも、風引いて病院にいくから駄目とそっけない返事。その上、初めに自分で電話をかけてきてくれたくせに、何しにきたの?って冷たい対応だった。しかたなく、僕は彼女と会うのを夜で我慢することにした。
 夜、8時過ぎ、僕の携帯にKから連絡が入る。
 もうすぐ、Nが店に来るからはやく店に来て・・・と。
 僕が店について5分くらいしてからNは店へとやってきた。
 久しぶりに会う彼女は、水商売をしていたころに比べ、だいぶ化粧や服装も落ち着いていた。
 何より、見栄のために使っていた高い携帯ではなく、安物の携帯を手にしていることが驚きだった。
 彼女は僕の正面に座ったが、何も話そうとはしなかった。
 明らかに、連絡を取らなかった僕を怒っていた。
 僕たちがロイカートンの夜によりを戻してからすぐに、彼女は水商売から足を洗った。
 そして、今は以前のように学校に通っている。
 昔のように毎日何時間も電話で話をして、しばらくすると精神的に不安定になり、
どうして一緒にいてくれないんだと泣き出し、最後には僕を罵倒する。
 こんな状態がしばらく続いた後で、彼女は僕に、もう、友達に戻ろうと口にした。
 そうでなければ、タイに来てずっと一緒にいてほしい・・・と。
 最後には、あれだけ嫌だと言っていたのに、
私が日本に行くからずっと一緒にいてほしい。とまで言ってくれるようになっていた。
 僕自身、それを受け入れようと努力をしていた。
 でも、どうしてもそれができない状況に陥り、僕は一方的に彼女への連絡を絶った。
 僕の日本での環境が不安定な状況にあることを話したとき、彼女は優しく、辛い時はいつでも電話してきていいんだよって言っていてくれたのに・・・。
 だから、今回彼女と再会することが決まったとき、僕はどんな仕打ちを受けてもかまわないと思っていた。
 僕は、連絡を絶った後のことについて話し、なぜ連絡を取らなかったのかを説明した。
 彼女は僕の説明には納得してくれた。でも、今回、僕と二人きりで時間を過ごすことは嫌だと否定した。何度も別れ、よりを戻していることに対して嫌気が差したとともに、僕に対する不満を込めての彼女なりの抵抗だったのだろう。
 怒っていても、彼女は時々以前の優しさの片鱗を見せ、スプーンで僕にご飯をたべさせてくれたりもしたが、彼女は、僕の希望を受け入れず、そのまま店を後にした。
 その直後、僕が彼女に電話を入れたとき、彼女は僕にある条件を出した。
 それは、以前とまったく変わらない彼女からの申し出だった。
 「お願いだから、タイで一緒にいて。それができないなら、もう会いたくない。」
 僕は今回の旅行で彼女と会うつもりはなかった。
 何度も同じことを繰り返し打ているし、それに嫌気が差していた。
 でも、いろんな場所で遊んでいても、彼女を思い出し、比べてしまい、結局はまた彼女に会いに行ってしまっている。
 僕はタイの魅力から逃げられずにタイに訪れていたのではない。
 僕はタイの天使たちを求めてタイに訪れていたのではない。
 僕は彼女への思いを断ち切れずにタイに訪れていた。
 僕は彼女を求めてタイに訪れていた。
 そして、僕は、彼女が最後に与えてくれたチャンスを実行することができない。
 今でも彼女のことがすごく好きだし、本気で一緒にいたいと思っている。
 でも、それは不可能なこと・・・。
 僕がタイに通い出して約10年。そのうち約4年を彼女とすごしてきた。
 僕は彼女と出会ってから、外道という存在ではなくなってしまった。
 僕たちはそろそろ、本気でそれぞれの道を歩んでいくべく時期に来たのだ思う。
 彼女への思いを断ち切ることができるまで、タイという国に僕が訪れることはもうないだろう・・・。

 今回が最後の滞在になるかもしれないと口にした日。Kが旦那のTと色々と世話を焼いてくれた。
そして、帰りにはタクシー代まで出して僕を見送ってくれた。お互いに涙を流して、抱き合っての別れだった。僕は感動を胸にバンコクの街を後にした。
 しか〜し、日本に帰国してから僕の財布からお金がなくなっていることに気づいた。僕がシャワーを浴びている間、部屋にいたTにやられてしまったようだ。
 最後の最後でタイに嫌な思い出を作ってしまった。
 
 外道が外道であるための条件として・・・
 ・特定の彼女を作るべきではない。
 ・特定の彼女を作ったとしても何年も一緒にいるべきではない。
 ・情がわいてしまった時点で、付き合いに終止符を打たなければならない。

 タイで遊ぶ上で、外道を続けたいなら最低限の条件を守らなくてはいけないと思う。
 もし、僕ような出会いを経験してしまうと、一番いいときの思い出ばかりを求め、純粋な外道遊びができなくなってしまいます。
 人それぞれ、遊び方、女性との付き合い方があると思いますが、後悔の無いように遊んでください。ちなみに僕は、後悔なんてしていません・・・・・・・・・・・・・・・。
 
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