BY:DR.フェラあり

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はじめに

 8月に「外道を生きる」を終えたとき、外道諸氏からたくさんのメールをいただきました。執筆中はほとんど反響がなく「無視されてるのかなあ、やっぱり煩悩ネタでないと外道の細道はだめなのかなあ。」とぼんやり考えていたのですが、このメールの山には感謝感激涙ポロポロ、中にはわざわざプリントアウトして仲間内で回し読みしているという最優秀外道の方も数名いらっしゃいました。豚もおだてりゃ木に登る。よし、また書くぞー、と意気揚々に紘さんに相談したら、「やりたきゃ勝手にやれば。」いつか殺してやる。いやいや、僕の観客は紘ではなく外道の皆さんなのだ、僕のロックンロールを紘がグッタリするまでぶちかますぞ。

 御存知の通り我々はプラチャー副大臣から「質の低い観光客」というありがたい名前をつけていただきました。多分、日本人のほとんども我々のことをこう思っているでしょう。しかし本当にそうでしょうか?例の中国での集団売春事件(集団買春事件ではない!)に対して、「同じ日本人として恥ずかしい。」としかコメント出来ないテレビのニュースキャスターやコメンテーター、本当にそうでしょうか?売春婦とは間違いなく社会の歪みそのものであります。その娘たちに素直に反応し、一緒に遊んでしまう我々こそが本来の人の道を歩いているのではないでしょうか? 

外道の細道

国際結婚ノススメ



 数千年前のイスラエル、収穫期には神殿の前に農民達が神に捧げる穀物を大八車に積んで行列を作っていた。神殿に捧げられたこれらの収穫物は当然、神官達が横流しをする。しかしわざわざ作物を運び出すのが面倒だと考えた神官は入り口に社務所をつくり、「お前ら平民が手をつけた穀物は汚れておる。そのままでは神に献上出来ぬ。ここで穀物をこのお札(おふだ)に交換して、このお札を神殿に捧げよ。」と。勿論、社務所の裏には作物を引き取りに来た商人が控えている。神官の仕事といえば神殿からお札を回収し新たな農民の作物と交換するのみ。

 このお札が現代社会において何を意味するか?聡明な外道諸氏ならもうおわかりでしょう、そう、紙幣です。さらにこのシステムを発展させたものが株券、商品先物、デリバティブ、、まだあるだろうけど僕は知らない。僕の青春時代にはこの神官と農民の関係が資本家と労働者として語られていた。これを今に置き換えるとさしずめ、自らは何も生み出さずに巨万の富を得ていい女を独り占めしているホ○エ、ム○カミ、ミキ○ニ、ソ○あたりが正しく現代の神官であろう。その結果、このシステムがよくわからない現代の農民である我々に回ってくるのはタイの安マンコのみである。

 日本には現在1.400兆の個人資産があり1,000兆の借金がある。そして借金は小泉の下で毎年80兆づつ増えている。これなら聡明でない紘さんにもわかることだが、わが国はあと5年で破綻する。そして破綻のツケは必ず現代の農民に回ってくる、いやもう既に手を変え品を変え回ってきている。この国に住み続けるということは借金で破綻した債務者の連帯保証人としての責任を果たし続けなければならないということである。そこで他人の借金を背負わないためにも無い知恵を絞って考えた結論は「海外逃亡」だ。そしてふと気がついた、僕のかあちゃんはタイ人だ、ラッキー。しかもここ十数年、夜な夜な僕の財布から金を抜き取り、タイに田んぼをたくさん買っておいてくれた。愛人の存在がバレない限り、僕の老後はとりあえず安泰である。

 幸いにも未だチョンガーで日本に大した不動産もない外道諸君、悪いことは言わないから老後の安心のためにもタイ人女性との結婚をお勧めしたい。カネとは何か?僕にはどうしても紙幣とか株券とかいう紙切れだとは思えない。無い知恵を絞って考えた結論はカネとはコメである。そしてコメといえばタイである。21世紀に値崩れの心配ない商品といえば食料以外にあり得ない。紘さんを見習ってまずは日本人というブランドで資産家の娘を狙い、それでダメなら淫売の中からドケチだが性質(タチ)の悪くない相手を選ぶ、そしてまだまだ安いタイの田舎の田んぼをなるべくたくさんカミさん名義で手に入れておく(タイでは外人は不動産や車を所得できない)。カミさんに裏切られたら終わりだが、日本に住み続けるよりはずっと生き残れる確率は高い。

 自分の給料だけでは心許無い場合はカミさんを日本に連れてくる、そして現在はタイよりずっと給料の高い日本で働かせる。こうしてタイに田んぼを貯めておいて、いよいよ日本が破綻となったら手に手を取ってタイへ逃げ出せばよい。タイは日本と違ってこれからも経済発展を続けるだろうから将来は農業人口が不足するかもしれない、それでも田んぼさえあればタイの周りにはカンボジア、ラオス、ビルマ人という万年百姓が溢れているのだからこいつ等を小作人に使えばよい。そして夜は数百万円あれば充分に建てられる御殿の中でテレビで日本の惨状でも見ながら優越感に浸ればいいのだ。

 この計画で一番大事なのはカミさん選びです。生涯の資産を相手に委ねることになるのだから僕のように行き当たりばったりではなく慎重に性格を見抜くこと、今ならまだ日本人から結婚を迫られて拒絶するようなタイ人はまずいませんよ。ネッ、もしあなたが金も美貌もない単なる貧乏人だと思ってもあなたにはまだ今なら世界一の資産である日本の戸籍謄本があるのです。でもこれも賞味期限が迫っているから使いたい人はお早めに。





外道的税制改革

 小泉の大勝(マスコミのバカヤロウ!)により増税は避けて通れない規定路線となった。税制改正に伴いいつも論議されるのは税の不公平である。例えばヤクザやソープのネエちゃんは高収入であるにもかかわらず払っていない。小規模店舗の商店主でも払っている奴はまずいない。サラリーマンはガラス張りであるが独身で不動産持ちでなければ住所を転々として住民税を逃れている奴もいる。最もまじめに納税しているのは公務員だけだろう。しかし公務員に対しては税金以外の面でさまざまな民間との不公平が指摘されている。ではどうすれば公平な税制が実現するのだろうか?そのためには税金に対する基本的概念を根本から変えなければ不可能である。

 今までは、「金を儲けた奴から取る。」というのが税金の概念であった。これを、「金を使った奴から取る。」という概念に変えてしまうのである。何も難しいことではない、ヨーロッパではほぼこの体制になりつつある。維新以来、日本は「脱亜入欧」のスローガンの下に近代化を進めて来たが、これからの日本に必要なのは「脱米入欧」、「脱米入亜」である。要するに税をたとえ30%でも40%でもいいから消費税に一元化してしまうのである。勿論、弱者に対しては行政が責任を持って集めた税金を還元しなければならない。なにも無理して小さな政府を目指す必要はないのだ。

 こうすれば国の税収は国民の経済状態に依存することとなり、政治家や役人も必死で働かなければならなくなるし国民にとって不利な法律は全て廃止せざるを得なくなる。国民にとっても働きそして消費しないことが国の存亡につながるのであるからニートもなくなるだろうし無駄な貯蓄もしなくなるだろう、そうすれば金の流れのも大分よくなる。そしたら面倒くさいから年金も健康保険や介護保険料も、さらにはNHKや水道、ガス、電気の基本料金部分までもこれに一元化しちゃえばよい、何よりも公平である。

 竹下により3%の消費税が導入された時、金持ちはほくそえんだはずである、何せ高級車や宝飾品の税金はドカンと下がったからだ。それに対してタイでは今でもベンツが数千万する。どちらが公平だろうか?「ベンツ転がすような奴からはいくら税金を取ってもかまわない。」これが庶民の正直な意見ではないだろうか?よって高級品、贅沢品の消費税はタイ並みの200%、300%に設定する。そのかわり所得税、住民税は一切なし、一見は金持ち優遇に見えるかもしれないが細かく計算すれば今の税制と大して変わらないはずである。何よりも金を使うことが社会貢献になるのだから金持ちも気持ちよく、無駄金を使うようになるだろう。「○○地方の震災復旧に貢献するため、私はベンツを10台買いました。」っていいと思いません?

 さらにこの税制は我々外道にとっても願ってもないことである。我々の行動パターンというのは日本ではあくせく働きながらも仙人のような生活をし、貯金に励む、そしてタイへのり込んで淫売相手に湯水のごとく金を使う。これだと我々に税金はほとんどかからないでしょ。そうすれば外道人口の大幅な増加も期待できるので紘さんも儲かるだろうし、タイ政府にしてもわざわざ日本の役人に頭を下げてODA資金を貰わなくても、日本人のスケベがタイのオマンコの前で土下座して金をばらまいてくれるのだから国家としてのプライドを保てるでしょ。我々への呼称も「質の低い観光客」から、「愛と平和のODA大使」に変わるかも知れない。








泰国自動車事情

 またまた日泰FTA交渉が決裂した。輸入自動車への関税が障害になっているようだ。タイ人が買いたい輸入車と言えば日本車に決まっているので、これは正しく日泰問題である。「国内の自動車産業を守りたい。」というのがタイ政府の意向だろうが、ここがタイ人のバカさかげん、タイの自動車産業って言ったってそのほとんどが日本企業なんですからーーー。残念、、斬り。

 それにしても日本からの輸入車はバカ高い。かつて日本に、「いつかはクラウン。」という言葉があったが、タイ人にとって純正の日本からの輸入車は高嶺の花である。タイの道路事情を考えると、「いつかはパジェロ。」というところかな?これが300万B、さらに上をゆくランドクルーザーは400万B、レクサス(セルシオ)に至ってはなんと800万Bである。スポーツカーもバカ高い、マツダロードスターが200万B、ホンダS2000は日本で398万円、タイでも398万Bという冗談のような値付けである。これじゃ一般のタイ人には手が出ないよな、日本との価格差が全て関税と考えればよい。

 タイで一般的な車と言えば何と言ってもピックアップトラックである。これは現地生産なのでベース車としては40万B位からある。これならば日本と比べても高くないし、タイ人でも何とか手の届く車でしょう。そこで現地で考えついたのがこのピックアップのシャシを使ったニセパジェロである。まずトヨタがハイラックスをベースにスポーツライダーという車を作った。3列シートで4WDで見てくれはちょっと背の低いパジェロというか、ちょっと長いハイラックスサーフなのだが乗ってみれば何のことはない、要するにトラックであった。よって頭の良いトヨタは生産中止とした。イスズや三菱は今でも作っている。値段はどれも100万B前後。

 タイでこんなバカな車に乗らないためにも関税撤廃は是非必要なのだが、では日本も日泰FTAを遅らせても良いかというとそういう問題でもない、憎き中国が登場する。中国は今タイ政府に日本の常任理事国入りに反対するよう迫っている。タイ政府も日本との関係から態度を保留しているが、泰中FTAは既に締結済みなので日本もモタモタしていると外交的マイナスになる。ちなみに中国はカンボジア、ラオス、ミャンマーに対して日本からODAでせしめた金をバラ撒き、日本の常任理事国入りに反対を表明させている。別に日本が理事国入りしようがしまいが僕には関係ないが、即刻日本はこれらの三国へのODAを中止すべきである。そうすればタイ人も喜ぶでしょう、なにせタイ人はこの三国人が大嫌いなのですから。

 また、タイの現地法人ではこの高い関税に対抗するため、セダンの国内生産も始めている。タイ人を教育して工場内で日本人並みの精密作業をさせるという、タイ人を良く知る人から見ればトンデモない発想なのだが、まずトヨタがこれをやってのけた。そしてソルーナという車が誕生した、要するに2世代前のカローラで日本車に比べるとフィニッシュは甘いが、アメ車よりはマシである。ホンダもこの手法でジャズを作った、いずれも50万B前後。タニヤの愛人に車をせびられている外道の皆さん、彼女等が欲しがるのはセダンですから買ってやるならソルーナにしましょう、カローラより30万B程度節約できますよ。

 現地生産のピックアップもここのところ随分出来が良くなった。10年前のタイトヨタ車を日本の社員が見たら、「こんなものにトヨタの名をつけるな〜。」と発狂したと思うが、最新のもの、特にハイラックス・ヴィーゴは素晴らしい、4ドア車などはまるでセダンの乗り心地である、これならヨーロッパへ輸出しても立派に日本車として通用する(ところがカタログのドリンクホルダーの写真に日本のレモンサワーが置いてある、タイでは飲酒運転推奨ということか?)。ということで僕は絶対タイでパジェロは買わないのです。わかりましたね、紘さん。





外道の聖地ドッカムタイ

 「チェンマイ美人」という言葉がある。40代以上の外道諸氏なら御存知であろうが、かつてチェンマイ出身者がミス・ユニバースに選ばれたことから有名になった言葉である。しかしタイ人にとってはこの言葉の意味はどうも違うようだ。かつてはタイで淫売といえば北部出身というのが通り相場であった。小柄で色白でバカなところが売春宿の経営者や当時からの金持ちで淫売の主な購買者であったタイ華僑に受けたためであろう。「チェンマイ美人」とは「北部の淫売」という意味のようだ。その後パタヤが米兵の保養地となり、色黒を好む白人達によってその商品価値を見出されたイサーンや南部出身者も淫売に加わりタイは正しく世界一の淫売天国となった。

 そして北部では何と言ってもパヤオ県が最大の淫売供給地であった。パヤオは元々チェンライから分離独立した県でチェンライに輪をかけたド田舎で、しかも丘陵地が多く米作には向かないため米よりも効率の悪いトウモロコシ畑が多い。こんな場所では産業と言っても娘を売るくらいしかないのだろう。そんなパヤオの中でも淫売率が最も高いのがパヤオの中心部から東へ10Km程行ったところにあるドッカムタイ(DOK KHAM THAI)という田舎町である。かつてはこの町の娘は全て淫売だったと言っても過言ではない。いわば我々外道の聖地でもある。

 ここは辺境にもかかわらず淫売マネーで建てたであろうド田舎には似つかわしくない綺麗な家が立ち並び(但し有り金全てを建築費につぎ込むため室内に家具はほとんどない。近所どうしで家の豪華さを競い合っているのだ)、メインストリートには歩道橋まで架かっている。地方財政も豊かなのだろう。道行く人も美人(元美人を含む)揃いだ。今回はかつて僕が「メーコック」に書いた1980年代はスティサンの「ホームナンバー6」という巨大置屋にいた娼婦たちのその後の消息を尋ねてみた。

 置屋出身者ではバンコクに残った子と日本を始めとする海外へ出稼ぎに行った子が半々だった。バンコク組はエイズで死んだか、町に帰り地元の百姓と結婚して貧乏暮らしをしていた。中には人権団体に保護され、職業訓練を受けて地元に帰された、という子もいたが極貧生活を送っていた。逆に海外組は外国人と結婚したり外国人のパトロンをガッチリつかんでいて豪華な家に住み、数台の車を所有し裕福な生活を送っていた。ちなみに海外組とは当時の置屋の非道なシステムに気づき置屋を脱走し、バンコクではヤバいので海外に渡った子たち、バンコク組とは置屋に縛り続けられた子たち、簡単に言うとこういうことになる。

 「子」と書いたが彼女等も30代半ばになっていた。この年になっても貧乏で、しかも旦那が百姓だったら浮き上がるチャンスは自分の娘を淫売にするしかないだろう。逆に外国人を捕まえた女達はその資本を使ってこれからも益々裕福になっていくだろう。元々彼女等は全て、小学校卒業と同時に親の手によって、さもそれが当たり前のように、人身売買され淫売となり現在に至っている人達なのだ。それが人生のある時期のちょっとした判断の差により天と地に分かれていたのだ。人生なんてこんなものかも知れない。

 アムネスティだか何とか人権擁護団体だか知らないが、これらの連中は自分等の価値観でのみこの少女達の幸不幸を判断し、この売春システムに強制介入し、少女達を取り戻して地元に帰している。但し職業訓練とかさせて国に帰しても貧乏は終わらない。彼等はその後は知らんぷり、果たしてこれが少女達にとって本当に幸せなのだろうか?僕だったら置屋の少女達に、「早くこんな置屋脱走して日本へでもヨーロッパへでも行きなさい。そこで体を売りながら旦那なりパトロンなりを見つけるんだ。それがあんた等が這い上がれる唯一の方法だぞ。女は年を取るほど商品価値が下がるのだから今すぐ実行しなさい。」と教えてあげる。この方がよっぽど人道的だと思うのは僕だけだろうか?紘さんだったらもっと凄いことを言うだろう。

 ちなみに僕が「メビウスの輪」に登場させた神技のフェラ技ジーン(もう今なら実名出してもいいでしょう。139番、ジョイ)も例のMP賄賂事件で、外国人であるがゆえにナタリーの職を失い、買ったばかりのトヨタソルーナのローンを抱えて呆然としていた。しかし返ってそれでふんぎりがついたのだろうか、ナタリーへ客として足繁く通っていたシンガポール人と結婚した。彼女にしてからが10年前、雲南省から人身売買でメーサイに売られてきた身なのである。来月にはシンガポールから訪泰し、バンコクの友人に預けておいた車を自分で運転して故郷に届ける(そんなこと出来るの?)そうである。

 タイの経済や社会もここ数十年、随分と良くはなってきているし、農村部の経済状態も随分と改善された。しかしながら農民が一般市民と同じような生活をするにはまだまだ農産物の値段が安すぎる。僕がこんな百姓の娘たちに贈る言葉はこれしかない、「幸せになりたかったら体を売りなさい。でも性病にだけには気をつけてね。」





誕生曜日

 最近の朝のテレビは番外地のテレビ東京以外はどこも情報番組をやっている。しかし6時50分からと7時50分からの10分の時間帯はどこも判で押したようにかったるい時間帯となる。星占いなんぞを流しているのだ。その日の情報を得るためにテレビをつけているのにこんな科学的根拠の全くない戯言を流されて違和感を感じてしまうのは僕だけだろうか?生年月日によって人の運命が左右されるとしたら、例えば4月20日のドンムアン空港午後11時45分発のTG642の中で離陸直後に生まれてしまった日本人は牡羊座なのかそれとも牡牛座なのか、考えると夜も眠れない。

 星座占いと似たものに血液型と言うのもあるが、これの方がとりあえずの科学的根拠というものはある。なぜなら血液型とは究極的にはその個体を作っているタンパク質の型のことであり、ヒトの行動や思考を司る脳もこのタンパク質の集合体なのだから血液型による性格の違いというものも考えられなくはない。しかし、これで一発当てたのが能見とか言う人だったと思うが、どのような信頼性のある統計の方法によってどれくらいの数の標本を調べたのか、ということを考えるとこれだってインチキだろうし、「人の性格は血液型よりも生まれ育った環境の影響を受ける。」という説の方がよっぽど科学的である。おそらくこの人も「O型の血液は他の血液型の人にも輸血できるから気前のいい人だろう。」くらいの感覚で本を書き上げたのではないだろうか?

 両者ともインチキだとすると星座だと12もウソを考えるのが大変だし血液型だと4つしかないのでウソがバレやすい。そこでタイに目を向けると誕生曜日というものがある。日本人は「何曜日生まれ?」と聞かれて即座に答えられる人はいないだろうがタイ人なら誰でも知っている。そして週刊誌や新聞には日本の星占いの感覚で誕生曜日占いが載っているし、どっかの寺院にはその曜日を司る仏さまの像が並んでいて自分の誕生曜日に合わせた仏像にお参りしている。タイ風俗嬢と仲良く付き合いたいと思っている恋愛志向の外道諸氏は自分の誕生曜日くらいは調べておくべきである。

 星座や血液型を簡単に信じてしまうバカな日本人である。これを流行らせない手はないでしょ。こういうインチキが大好きな人というのを僕の交友関係から思い浮かべてみると、、、、紘さんしか思い浮かばない。ここは一発誕生曜日の本でも出版してみたらいかがですか?もし当てれば一生楽しい印税生活ですよ。

 本の書き方なんて簡単、タイでは誕生曜日に関する本はいくらでも出ているのだから2,3冊見繕ってごちゃ混ぜにして日本語に訳せばいいでしょう。ただし日本人受けを狙うなら相性診断は欠かせない、例えば月曜日生まれの男と金曜日生まれの女の相性は最高に良いとか。7つの曜日(実際には水曜日が朝と夜生まれの2つに分かれるので8つ)に男女2つの性で組合わせると64通りの相性診断をしなければならない。紘さん、何とかサイコロやトランプでも使ってでっち上げて欲しい。そうすればかなりの確立でブレイクすると思う。

 しかし僕自身はこんな非科学的なことに関わるのはまっぴら御免です。僕の外道にしたってちゃんとした科学的根拠に基づいているんだぞ。このことは今まで僕の文章につき合って下さった外道諸氏なら御存知ですよな。






バックパッカーの悲劇

 当HPに投稿させていただくようになってから2年以上になるが、その間にたくさんの外道諸氏からメールをいただき、その内の何人かとは飲み仲間となった。時々ウチへも遊びに来てくれるのだが、まさかカミさんに「外道友達。」と紹介するわけにもいかないので、「タイが大好きなバックパッカー。」ということにしてある。ちなみに紘さんは、「バックパッカーにタイ情報を提供するHPの主宰者」とカミさんには説明してある。しかし考えてみれば我々は、求むる所がタイ人オマンコと多少特殊ではありますが、言ってみればバックパッカーのはしくれみたいなものですよね。

 さて皆さん御存知のようにイラクで我々同様のバックパッカーのはしくれがザルカウイ師一派に拘束され、そして首をはねられた。小泉がつくづく運のいい奴だと思うのは丁度同じ日に新潟地震が起き、人々の関心がこの事件に集まることはなかった。そして今は日本人の記憶の中からも消え去ろうとしている、正に政府の思う壺。しかし誤解を恐れずに言わせて貰えばこの首切り事件は新潟地震とは比べ物にならない位の、日本の9・11と言っても過言でないような大事件だと思う。

 今まで日本人が海外で拉致されるのは身代金目当てか、訳のわからぬ北朝鮮かと言うのが通り相場であった。何せ平和憲法のもと、軍事力の行使さえ出来ない平和ボケ日本である。我々は常に国際紛争やテロの対岸にいた、その結果として外道なる人種も大量発生した。そう、外道とは平和の象徴なのです。その日本人が戦時における「敵国の人間」という理由で拘束され処刑されたのである。これは大大大問題だ。この瞬間から世界における日本人の立場が逆転してしまった。拘束されても身代金が役に立たない世界に突入してしまったのである。

 小泉失言その一、拉致が発覚した時点で「自衛隊は撤退させない。」と即座に言い切ってしまった、これは「K君、死んでくれ」と同意である。小泉の目が日本国民でなくアメリカに向けられているのがよくわかる。「そういえば12月が撤退期限だなあ。」で良かったのだ。かつて「人間一人の命は地球より重い。」と発言した同じ自民党からは随分と豹変したものだ。しかし我々にとってさらにヤバいのは失言その二、「日本政府から身代金の要求があったが応じなかった。」というザルカウイ一派の発言を、「身代金の申し出など一切していない。」と真っ向から否定してしまった。黙って無視してればいいのに。

 これでは相手に喧嘩を売っているようなものだ。もし僕がザルカウイ一派なら、「よし、じゃあもう1回日本人を拉致して今度は身代金の申し出の証拠テープを取りアルジャジーラで放送してやるぞ。」と当然考える。日本人、特に海外在住者をさらなる危険にさらしたようなものだ。即座に否定した理由はわかる、アメリカの敵に金を渡すことはアメリカに対する敵対行為になりブッシュの怒りを買うと考えたからだ。しかしそれならば政府が人質解放のために何をしたと言うのだ?身代金以外にないだろ。

 彼らに拘束されても殺されずに開放された例が一つだけあった。トルコである。丁度ブッシュが来訪したため国を挙げての反米デモとなり、それに気を良くした彼らが人質を解放したのである。しかし今の日本の若者にトルコを求めるのは無理だろう。そうなると我々五十代がもう一度ヘルメットと角材で武装して火炎瓶を持って国会議事堂を取り囲まねばならないが、腰痛が心配で。タイは既に兵力を撤退させているのでタイ人は安全だろうが、南部ではかつての自治区でアルカイダと結びついたタイモスリムが独立運動をしている。我々外道が彼らに拘束される可能性はゼロではない。

 そうなると我々が政府なんぞをあてにせず身を守る方法は、、これは以前にも書いたがビンラディンT−シャツを着てタイ国内をうろつくぐらいかなあ。パトナムに行けばまだ売ってると思うよ。まさか彼らもビンラディンを纏った人間の首ははねないだろう。間違っても外道T−シャツは着ないこと、拘束されて死体がネットで公開された時、胸に「死して屍拾う者なし。」これじゃあシャレにもならないよ。





タイ女という奴は

 日本在住のタイ人妻の実態に関しては以前にも書かせていただいた。要するに夫以外にも別の日本人や出稼ぎに来ているタイ男の「お友達」を作っては金をせしめたり遊び歩いたりしているのだ。僕は今までこういうことをしているのは日本に来たタイ女だけだと思っていた。ところが、、、である。昨年末、チェンライのノンブア村に帰省した時、たまたまドイツとシンガポールに嫁いでいた村の女達も帰省していたので酒を飲みながら話す機会があった。話を聞いてみると、何とタイ女は世界中の何処へ嫁いでも同じ事をしているらしい。

 みんな隠してはいるが国際結婚をするタイ女の前歴は99%淫売と言っても過言ではない。だって考えて見なさいよ、もともと貞操観念が強く外国語に関しては日本人以上にダメなタイ女が外国人相手にまともに結婚まで至るような恋愛が出来るわけないでしょ。だいたいからしてタイ女相手にまともな恋愛をするということ自体に非常な違和感がある。それなのにタイ女の国際結婚率は異常に高い。まあ普段はポルシェやジャガーやセルシオを駆っている男がレンタカー屋でカローラを借りているうちにそのコンパクト且つ高性能なボディに乗り慣れてしまい、いつのまにかマイカーになってしまっていた、というのがタイ女と結婚した男の現実なのではないだろうか?

 ただし浮気するタイ人妻を持った夫を観察してみると顕著な共通の特徴を見出すことが出来る。みんなタイやタイ人が好きではないのだ。妻が里帰りするにしても夫は付いて来ないか、付いて来てもバンコクかチェンライで言えばウィアンインかワンカムというホテル泊まりで、妻の実家には決して顔を出そうとはしない。こういった夫を持ったタイ女は必ず別に男をつくる。この日のドイツ人夫もバンコクのホテルに泊まり、妻だけを帰省させていた。日本でもタイ人妻を持った夫と話す機会がしばしばあるが結婚して10年以上経つのにタイへ行ったこともなければ妻の両親にも会ったことがない、というのがむしろ普通で僕のように年に何度もタイ詣でを繰り返す方がおかしいのだ。

 最近思うのだが、タイ人というのは死ぬまで「自己」というものを確立出来ない人種なのではないのだろうか?家族の一員としての自分は存在するのにそこから切り離された自分は存在しない。結婚しても夫が自分の家族と同化すれば自己確認が出来るのだが、そうでないと自分の存在を見失ってしまう。そうなると別の男と体を重ねるという「自分探し」の旅に出る。1月12日の煩夕に投稿を下さったヒカル氏はタイ人妻を称して「聞き分けの悪い幼稚園児」と表現されていたが、さすがわかっていらっしゃる。ということは幼稚園児に子育てを任せている我が家の将来には恐ろしいものがある。

 さらに言ってしまえば幼稚園児どころか相手の人格を認めてしまうと腹が立つことばかりなので犬や猫のようなペットのつもりで付き合うことが正しいタイ女との接し方なのではないだろか。また僕も今の愛人との付き合いも4年近くになるが風俗をやめた時にちゃんと愛人の実家まで行き、家族に挨拶をし、幾許かの金をタムブンしてきた。これがタイにおける正しい愛人の作り方であることも間違いない。






タイ人にもビザを

 僕は全く知らなかったのだが今年の3月から半年間、愛知万博というのがあるらしい。皆さん知ってた?そして日本はこの期間中、韓国人に対してはビザの免除を、中国人に対してはそれまで3市5省に限っていたビザの発給対象を中国全人民に広げるらしい。そうなれば街の浄化作戦で職場を失ったソウルの淫売が大挙して日本の韓国エステに殺到するだろうし、ここのところ急激な勢いで増えつつある中国人売春スナックにも採れたて新鮮ピチピチ女が大量入荷するだろう。いやあメデタシ、メデタシ。

 しかしながらこの事は我々外道にとってはうれしくもなんともない。そう、肝心のタイ人淫売に来てもらわないことには話にならない。ところが日本政府はタイ人に対してはこのような便宜を計る気配すらない。これって不公平なんじゃない?だってタイ人は潜水艦で日本の領海侵犯もしないし、日本の領土を自国の領土だとふざけたことも言わないし、日本の領海内の天然ガスを盗むこともしないし、李登輝さんにビザを出しても口挟まないし、一家四人強盗殺人事件も起こさない。

 それなのに国民一人あたりのGNPが中国の2倍以上あるタイ人に対してビザを発給しないというのはどういうことなんだ?実際に僕が身元保証人になってカミさんの妹のビザを申請してもおりたためしがない。姉が日本に住んでいたらたまには立ち寄りたいと思うのは兄弟として当然の心情だろ。タイ政府もこのようなタイ人をバカにした日本政府の態度にはキッチリと抗議をしてもらいたい。実はこれは在タイ日本大使館の元一等書記官から聞いた話なのだが、抗議ではないがタイ政府からの要望でわずかではあるがある一定の割合で旅行ビザ申請者にもビザを必ず発給するような取り決めになっている、とのことである。

 バンコクの淫売でも出来れば日本で働きたいと思っている女は相当数いる。そこで外道の皆さんに提案というかお願いがあるのだが、自分のオキニを是非、愛知万博に誘ってやって欲しい。そしてビザ申請書の身元保証人の欄に署名してあげて欲しい。これは僕が保証するがまかりまちがってビザがおりてその女が日本に不法滞在したとしても身元保証人に対するお咎めは一切ないのでご安心を。大事なのは多くのタイ人が愛知万博を理由に旅行ビザの申請をすることである。

 おそらく99%は却下されるだろう。しかしもし中国人にはバンバン発給しタイ人に対しては発給しなかったとしてその事実を明らかに出来れば、これは間違いなく国際問題になる。こうして騒ぎをドンドン広げていけばタイ人に閉ざされていた日本の扉も再び開くことになり、バンコク風俗嬢たちも心置きなく日本での淫売業に励むことができるだろう。これこそが我々外道のタイ国に対するODAである。そうなれば紘さんだってタイ娘を次々に騙して日本へ売り飛ばし、年金のない老後の糧とすることが出来るし、その売り飛ばされた女が日本人との間にドンドン子供を作れば、日本の最大の問題である少子化対策にもなる。正にいいことづくめではないか。

 ついでに言っておくと、先ごろの専門職ビザ発給の審査見直しで、フィリピンから要請のあった介護保険による看護士のビザは認可されたが、タイから要請のあったタイ料理や古式按摩の専門職ビザは却下された。怒れ、タイ人、あんたらは中国どころかフィリピンよりも下に見られているぞ。






外道の魂、百まで

 先のスマトラ沖地震の被害状況は外道諸氏も御存知の通りである。日本も含めた先進国でも多くの被害者が出た。しかし今までのこのような災害との相違点は被害者(行方不明と言ってももう一ヶ月以上だぞ)の氏名がほとんど明かされないことである。「被害者宅の空き巣予防のため。」なんぞという最もらしい理由をつけているが、被災地の一つが外道のメッカであることを考えれば、外道諸氏ならその理由はもうわかっていますよね。

 例えばの話ですよ。日本の公務員親子が被災したとします。その公務員は仕事のため家族でバンコクに滞在してたとします。そしてタニヤあたりで愛人をつくったとします。当然、愛人と不倫旅行に行きたくなります。でも妻には言い訳が出来ません。息子をダシにして、妻はバンコクに残して、愛人と3人でカオラックあたりに出かけてたとします。例えばの話ですよ。そしてあの津波で親子とも死んじゃったとします。これはイラクで死んだ奥野大使は実は米軍の誤射だった、というのと同じくらいのヨタ話ですよ。

 だとしたらこの人は外道として本望だろう。奥さんはこの状況では労災はおりないけど保険金が入るからまあいいか、可哀想なのはこの息子、死んでも死にきれないぞ。でもこれは作り話ですよ、だって外道尊師が盆夕の編集後記で「外道の被災者はいない。」とはっきり宣言しておられるのですから。我々の中にも外道のために周りの様々な人にウソをつかねばならない状況に陥っている人は多いと思う。僕だって愛人との密会のアリバイづくりに子供を利用したことも何度もある。もしもその時に事故にあったら、、、、、しかしそれくらいの覚悟がなければ外道はできない、「死して屍拾う者なし」これが外道なのである。

 では何故我々はウソをつかねばならないのか?それは「妻が怒る。」「世間体のため。」まあこんなもんだろう。だとしたら教育が悪い、前にも書いたが雄とは元々死ぬまで不特定多数の雌に対して精子をバラ撒くことを運命づけられている。今は花粉症の季節なのだから小学校から杉花粉でも例にとって、「雄はこのように花粉をいっぱい撒き散らすでしょ。これが雄の宿命なんですよ。宇宙の真理なんですよ。」とキチンと教えるべきである。そうすれば外道は道徳的良事として世間一般に認められることとなる。そうなれば我々も正々堂々と胸を張って外道が出来る。

 ロリコンで悩んでいる人だってトンデモナイ、初潮直後の雌をはらませようという本能は言ってみれば世代交代の促進である。種を環境に適応させるために非常に重要な行為である。地球環境が激変する現代においてはロリコンこそが人類の救世主なのである。でも実行に移すと刑務所行きですよ。






質の低い国士からの提言

 僕の文章をこまめに読んで下さっている外道諸氏なら御存知だと思いますが僕のカミさんはタイ人です。別に深い考えがあったわけではなく成り行きでこうなってしまったのですが、今になって考えてみるとラッキーだったと思う。「ラッキーだった」と言ってもカミさんが良妻であったという意味では決して、絶対に、天命に誓って、ない。他の日本人にはないもう一つの選択肢を得た、という意味である。現在の日本を憂い、何とかしたいと思っても我々に出来ることと言えばせいぜい選挙で野党か与党かを選ぶくらいでしょ。官僚に至っては我々にはアンタッチャブル。しかし今の僕には「日本を捨てる。」という道も選ぶことが出来る。これは結構、、、でかい。

 日本を捨てる決意が出来れば次に考えることは当然、今まで日本国に支払っていた金を如何にしてバンコク銀行への貯金に回すかである。まずは某国営放送局の受信料は支払わない。これだけで年間5ナタリーになる。ここの受信料徴収員とMPのコンシアとどちらが手ごわい相手であるかを考えればこんなことは外道にとっては容易いことである。次に税金、マイカーを持つことは厳禁である、ガソリンも含めて税金の塊だ。そして(僕にはまだ出来ないが)同様の理由で酒とタバコもやめよう。

 次に地方税、基本は不動産など絶対に持たないこと。国税はヤバいが地方税はチョロいものである。定期的にアパートを移動し住民票をあちこちに移動させていれば地方税逃れは可能である。不動産さえなければこれが出来るし会社員でなければ年金からも逃れることが出来る。国民健康保険も若い人の保険料で年寄りの赤字穴埋めをしているのが実態である。いつでも加入出来るのだから若いうちは入らず、健康が気になる40代になってから加入するのが統計的にも賢いやり方である。

もしあなたが公務員であるならばこういったことは不可能でしょう。だとしたらなるべく国家に損害を与える生き方、つまり自分自身に得な生き方を選ぶべきである。それは間違っても出世しようなどとは考えないこと、必要最小限の時間だけ職場に顔を出し、残業や必要以上の仕事は一切せず、余った時間は自分のために使う。民間企業と違ってこれでクビになることは一切ないし、こうして心と体の健康を保つことがその後の楽しいタイの生活につながる。どうせ日本を捨てるのだったら無理して出世して中途半端な天下り先など探す必要もないのだ。そうやってても現役時代の給料は大して変わらない。 

 御存知の通り日本は有色民族国家としては唯一の先進国となった。その理由は明治維新や大東亜戦争の敗北をも乗り越える人材が多数存在したからに他ならない。しかし今の日本にも将来の日本にもそんな人材は見当たらない。今は何とかヨタヨタ歩きをしているが今度つまづいたらそれこそ一貫の終わりである。そして今の日本というのはまるでヤクザ社会そのもので、一部のキャリア官僚という親分の横に舎弟という政治家がいて、公務員という子分を従がえて民間人と呼ばれる我々からカツ上げしているようなものである。このカツ上げから逃れようとすれば、、、紘さんのような生き方をするしかない。

 こんな日本になってしまった原因は正に日本の戦後教育の賜物であろう。アメリカにとって建国以来の最大の脅威は神風特攻隊であったことは間違いない。9・11を目にして「まるで神風特攻隊だ。」と思わず口走ったアメリカ高官に対し、すかさず「いや、むしろ広島原爆だ。」と言い返した石原東京都知事、あんたはエラい。天皇と国土のために命をも捨てる、という集団主義の日本人の脳味噌を徹底的に洗脳し軟弱化させ未来永劫、アメリカに逆らうことのない個人主義民族に変えることこそがこの教育の目的であったはずだ。その目的は見事達成された、だからいつも僕は思うのだ。日教組の裏にいるのは共産党ではなくアメリカなんじゃないのかと。

 僕は近い将来、間違いなく日本を捨てる。できればたくさんの日本人が日本を見捨てて欲しい。もっと言えばかつてのユダヤのように一旦国家自体が消滅し、民族は流浪の民となり、数百年、数千年後に再びこの日本列島に終結する、これくらいのことをしなければ戦後の麻薬を吸ってしまった我々が再びかつての日本を構築することなど不可能なのではないだろうか?こんなことは何も考えずに、将来の目算も何もなしに、いの一番に日本を見捨ててしまった紘さん、やはりこの人は僕の尊師だな。










外道賛歌

 先日、NHKBSでポール・マッカートニーの2003年の赤の広場でのライブを放映していた。僕としてはくだらない解説なんぞは一切カットして純粋なライブ映像だけを流して欲しかったのだが、そこはNHK、この映像のテーマは何と「ソビエト連邦崩壊とビートルズ」。ポールがプーチンと会談する場面では、「君も若い頃はビートルズを聴いて育ったのか?」とか、「地雷の永久放棄条約にサインしなさい。」とか、超大国のトップにこんなこと平気で言える民間人というのは世界で一人しかいない。凄い。

 ロシアの音楽家や文化人が登場して、当時はレコードなど持ち込めなかったかったためレントゲンフィルムに音源を焼き付け、密かにビートルズを聞いていた話や、共産主義ガチガチだったソビエトの若者に自由の素晴らしさを教えたのはアメリカではなくビートルズだった、この風潮がソビエト崩壊へと繋がった、という当事者ならではのコメント。映像は会場へのプーチンの登場を合図に始まるあの名曲イエスタデイ、しかし観客が最も熱狂したのはこの曲ではなく最後に歌われたバック・イン・ザ・USSR。この曲は今考えてみると、もう35年以上前にビートルズからソビエトの若者へと発せられた自由解放へのメッセージだったのだ。凄い。

 今の若い人は知らないだろうが僕が小学校の頃は日本ではビートルズは社会悪そのものである、という捉え方をされていた。汚らしい髪、騒々しいだけの音楽とは言えない雑音、1966年の日本公演時にも学校から各家庭に子供を公演に行かせないよう通達が出た。要するにビートルズを聴く奴は不良だったのだ。しかしビートルズの音楽の陶酔感を知ってしまった僕は親の叱咤も無視して聞き続けた。少年時代のことである、僕の人格のほとんどはビートルズの影響下で形成された。結果、親が意図したのとは全く異なる人生を歩むことになる。ちなみに僕の英語力は学校の勉強ではなく、ビートルズの全ての歌詞を丸暗記したことに由来する。

 社会に出た僕の前に最初に立ちはだかったのはジャパゆきフィリピーナだった。学生時代はナンパとか格安ソープで用を足していたのだが、「たまには外人女とヤッてみたい」という日本男児として当然の欲求からピンパブ通いをした。オキニを何とかクドき落としてホテルに連れ込み成功。この時のセックスは今までに経験したことのないまるで別世界の出来事だった。「こんな陶酔感、初めてだな。いや、待てよ、前にもあったような、そっ、そうだ、ビートルズを初めて聴いたときのアレだ!」実はこの時、僕には日本人の婚約者がいたのだが、この陶酔を知ってしまった時から日本人とはセックスできなくなってしまった。

 その後、狂ったように韓国、台湾、イタリー、コロンビア、イギリス人と次々と外人女を追い求め、遂にフィリピン以上の陶酔感に浸れる女にたどりついた。それがタイ人だった。僕にとっては正に第二のビートルズ、僕の少年時代のビートルズが不良の象徴であったのと同様、イイ年こいたオヤジがタイ娘の尻ばかり追い回しているのは確かに世間に胸を張れる行為ではないし、はっきり言って変態であることは僕も自覚している。しかし、タイ人のカミさんにはいいかげん愛想をつかしてはいるが、ビートルズとタイ娘が僕に与えてくれる陶酔感は僕にとってかけがえのないものなのだ。

 我々が何故、生活共同体としての社会を営んでいけるのか?その理由の一つとして我々は物事の判断や選択基準を自分自身ではなく他者の尺度に委ねてしまっている。だからこそ共同体としての共通性を見出せるのである。しかしながら僕自身、今までの50年近い人生を振り返ると他者の尺度ではなく自分自身の尺度によってのみ選択したものが二つある。ひとつはビートルズ、そしてもうひとつが外道なのだ。

 僕は以前、「外道とは物事の全ての価値観をタイ女への挿入に集束できる人間である。」という意味の事を書いた。今でもこの思いは変わっていない。「何故ビートルズか?」と問われればそれはソビエト連邦の崩壊により一つの答えが出たと思う。しかし、「何故タイ女か?」と問われても答えはわからない。只ひとつ言えることは「マイペンライ」。こんなことを言うとまた紘さんに突っ込まれそうだが、僕はこの言葉は仏教思想に基づくものであり、「全ては無常である。」という意味であると解釈している。このいいかげんさと紙一重のおおらかな包容力に身を委ねる陶酔感、これこそが我々を外道に向かわせているのではないだろうか?

 これからも外道の細道に投稿を続けながら、この答えを見つけてゆきたい。皆さんもよろしければつきあって下さい。





「タイ夜の歩き方バンコク編」正誤表

 1999年にデータハウス社から「タイ夜の歩き方」という風俗本が出ていたが、今年に入って改訂版として「タイ夜の歩き方バンコク編」というのが出版された。外道の皆さんの中にも買った人がいるのではないかと思います。ただ前著でも感じたのだがこの本の著者達は一体何考えてるの?パッポンとかギャラクシーとか僕の興味範囲外の箇所は読んでいないのだが、それでもかなりの基本的事実の誤りが発見された。本を持っている人はまず赤ペンで訂正して下さい。

P53  コンソーシア              善良な外道やタイ風俗嬢はコンシア又はコンチアという言い方をする。
P54  プレッソ                パラッゾの間違い。なおこのホテルはビジネスホテルで風俗施設はない。
P57  1ドル39バーツ           今どき日本からタイへ行くのに米ドルを持ち込むバカはいない。
P60  カーム                 カーウ(白)の間違い。ダム(黒)カーム(白)って自分のバカをさらけ出してる以外の何物でもない。
P62  中国人と思われるコンシア      タイ華僑のことくらい勉強しておけ。 
P68  ノーチャカチー            タイ人がこんな言葉使うわけない!じゃあノーペンライって言うか?ノーダイって言うか? 
P96  店外デート料を払って彼と暮らす  だったら最初から店休ませろ。
P97  連れ出し料は700B前後     MPの連れ出し料は入浴料の2,3回分。パッポンのペイバーと一緒にするな。
P131 注の11               タイ人の本名は長過ぎる?本名とあだ名に脈絡はない?僕の義妹は本名ワンナー、チューレンはナー 
P205 バートゥサラップ           バートゥラサップ(電話番号)の間違い。同じ言葉を2度続けているので誤植はない。
P207 タンクン                カンクーンの間違い。前版でも同じ間違いをしていた。

 探せばまだいくらでもあるが、ツッコミが本題ではないのでこれくらいにしておく。不幸にもこのいいかげんな本を買ってしまった人はせめて間違い探しゲームを楽しんで下さい。また本書では風俗情報サイトとして「バンコクMPへようこそ」を紹介している。ン?「外道の細道」を知らないワケないだろ。まああちらのサイトもいいサイトで僕も時々覗いては参考にさせて貰ってはいるが、当サイトをさしおいてというほどのものではない。理由は推測できる。マッケイガン師の「お風呂屋黙示録」だけでも本書の内容を軽く越えてしまっているのだ。その上に、紘さんの解説や士族のとんでもない量の投稿が加わっていて、タダ、向こうは定価1,300円。この本を買ってしまった読者が外道の細道を知ったら怒るぞ。だからバンコクMPくらいが丁度良いのだろう。

 いくら質の低い観光客向けの低俗本だと言っても値段をつけて世に出す以上、生半可な知識でいいかげんなことを書くな。初訪泰の時、ケップ・ムー氏は本書をバイブルとして、バービアで「アオカン・タンクン!!!」と何度も叫んだのだが全く通じず恥をかいたそうだ。僕は前著を読んでカミさんに、「泊まりはカンクンでショートがチョカウだよな?タンクンじゃないよな。」とうかつにも聞いてしまい、「アンタ!まだ悪い遊びやってんでしょ!バカヤロウ!」とブン殴られてしまった。一体どうしてくれるんだよ。





吉田メビサちゃん事件

 外道諸氏は「吉田メビサちゃん事件」というのを御存知でしょうか?タイで両親と死別し、親戚もなかった少女が日本人と結婚していた祖母を頼って来日しました。現在は日本の中学に通っているのですが入管当局はビザの延長は認めず、期限切れを理由に強制退去を迫っています。その期限は10月6日です。

 別に僕は人道主義者を気取るつもりはないですが、「ちょおっと待てよ。」くらいは言いたい。確かに法律では養子縁組による在留申請は6歳までとなっているし、日本人と結婚したタイ人に対しては一等親までは無条件にビザを出すが二等親以上には出さない慣例になっている。勿論、タイ人の不法残留防止のためである。メビサちゃんは現在13歳だし祖母から二等親離れているので機械的に法律および慣例を適用した結果であろう。これが「法治国家」というものの正しい姿なのだ。

 日本がアジア人に対してビザを出さなくなった顛末というのは、まず日本は石油欲しさにイラン人に対してはビザなし渡航を認めていた。しかし日本のバブルとイランの経済的困窮によりイラン人が大挙押し寄せて不法滞在、不法就労を行うようになった。挙句の果ては上野の山を占拠してのニセテレカ売りやシャブ密売である。業を煮やした入管当局がイラン人摘発に乗り出した時、一緒に目に付いたのがフィリピン人ホステス及びタイ人娼婦の不法就労だった。その後タイ人に対してもビザはほとんど発給しなくなった。

 現在、不法滞在、不法就労そして犯罪が問題になっているのは中国である。これは日本に限らずシンガポールでも同様である。しかし小泉は現在、中国の特定都市に限るが中国人のビザ免除を画策している。イランの教訓が全く生きていない、というかそんなことがあった事さえ知らないのだろう。言っておくがタイ人の日本における犯罪とは不法滞在と売春のみ、中国人はさらに強盗、殺人が加わる。どちらが日本にとって有害かは考えるまでもないだろう。ちなみにタイ人淫売はフェラしてくれるけど中国人は絶対にしないぞ。ヒドい奴はパンツだけ降ろして突っ込ませようとする。

 ウチで子供が出来た時、カミさんの身の回りの世話をさせるために義妹のビザを申請したが却下された。理由はさっき述べた二等親、僕はこの時「基本的人権」の侵害を感じた。僕も外道諸氏もタイの愛人をたまには日本に呼んで、温泉にでも連れて行ってかぶりよりたいというのが正直なところだろう。ところがこれはビザの問題で絶対不可能である。これだって基本的人権の侵害である。アメリカやシンガポール(ビザ免除国)に愛人を作ればいつでも日本に呼べるのにフィリピンやタイだとそれさえ出来ないというのはとんでもない差別ではないだろうか?日本人が身元保証人になればどこの国の人間でも日本に招待出来るというのが本来の平等な法治国家の姿ではないだろうか?

 メビサちゃんに関して言えば、平気な顔してオーバーステイすればいいと思う。スナックへ踏み込んでタイ人ホステスなら平気な顔で逮捕できる入管にも中学生の少女を逮捕出来る勇気などあるわけない。身寄りのないタイへ帰ったって野垂れ死にするか紘さんみたいな悪い奴に捕まって売り飛ばされるのがオチだぞ。





ゴルフ馬鹿と風俗馬鹿




 バンコクが世界一の風俗地帯であることに異論はないだろう。しかし聞くところによるとゴルフ場も大変素晴らしく、しかも安いらしい。外道平民にはいないだろうが昼はゴルフ、夜は女という日本人観光客も多いのではないだろうか?駐在員に関しては言及するまでもないだろう。僕は以前に述べたようにロックを志す者としてゴルフはやらないし、「個人的嗜好」という意味ではゴルフもスキーもテニスも同じだと思うのだが、何故か世間ではゴルフは人生に成功した一流人のステータス、という評価があるようだ。そこで、つき合いでしかたなくやってる人は別にして、ゴルフにハマッている人間をよく観察してみると外道者とはまた違ったおかしな性癖が見えてくる。

 まずこの人達はゴルフ以外にコミュニケーション・ツールを持っていない。だから普段でもゴルフの話しかしないし、「友人」と称する人々もゴルフ人間ばっかりだし、「19番ホール」とか「100を切る」とか別のものの例えにもやたらゴルフ用語を使いたがる。そしてやっかいなことにゴルフを嗜む自分をエクゼクティブだと勘違いしている。外道諸氏の上司にもこういう勘違い人間はたくさんいるでしょ。初対面なのにこちらが医者だと知ると、「スコアーはいくつですか?」なんぞと聞いてくる。社会的地位(僕がこういう言い方をするとすごく変)のある人間はゴルフをやるのが当たり前と思っているのだ。冗談じゃない。こういう奴には、「相手が変われば1日4発は軽いですよ。」と答えることにしている。

 言うまでもなくゴルフはイギリスで生まれたスポーツ(?)である。ロンドンからバスに揺られて一歩郊外へ出ると延々と丘陵牧草地帯がリバプールまで続きビートルズ博物館へと至る。つまり国中が天然のゴルフ場なのだ。しかしながらこれを山と森の国、日本に持ち込もうとするととんでもないことになる。まさにブルドーザーと伐採機の賜物として日本のゴルフ場は存在する。彼らは「グリーン」なんぞと呼んでいるがとんでもない、たかだか1Cm程度の芝にどれほどの二酸化炭素浄化作用があるというのだ。そのために伐採された木々の量とは比べるべくもない。さらに猛毒である除草剤、我が家にも猫の額、、、とは言わないが紘の額(約20坪)ほどの庭に芝を張ってある。ここの芝生を除草剤を使わずに維持しようとすると相当の労力を要する。あの広大なグリーン(?)を維持するための除草剤の量を考えると怖いのもがある。

 つまりゴルフとは環境破壊し尽くされ、しかも猛毒を撒かれた荒涼地で1日中玉転がしをするという非常に反社会的かつ不健康な遊びなのだ。とてもじゃないがまともな神経を持った人間のすることではない。現在の大企業は環境問題を前面に打ち出さないと生き残っていけないが、それだったら「我が社は役員全員、ゴルフはやりません。」これこそが環境保護ではないだろうか?

 ここにもう一人、まともな神経を持たず反社会的かつ不健康な遊びに勤しんでいる奴がいる。そう、我々外道である。常に感染の危険に身を晒し、一歩間違えば社会的非難の的となり、家庭崩壊との狭間をさまよいながらもこの遊びをやめられない。考えてみれば玉入れと竿入れの違いこそあれゴルファーと外道は同族でござるがな。だから僕も彼等を非難するつもりはサラサラない。但し我々の同族なのだからエラそうな顔はせず、世間の目を気にするように、うつむき加減にゴルフに励んで欲しい。勘違いして舞い上がってる奴って端から見てても不愉快なんだよ。





プージン、プーイン論争

 外道諸氏の中でタイ語の勉強にうつつをぬかしている方も多いと思う。僕、Dr.フェラありにとってもタイ語は英語、タガログ(フィリピン)語に続く第3外国語である。英語は勿論教科書から、タガログ語も文字はアバカドという全くのローマ字だったので学習本から入った。しかし御存知の通りのタイ文字である。あの蛇の行進に拒絶反応を起こしてしまいタイ語に関してはもっぱら日本にいたタイ娼婦からの「耳」であった。しかも僕の好みはチェンマイ、チェンライに限られていたので、恥ずかしいことに、正式にタイ語本と向き合うまでは「こんにちは」は「サワッディチャオ」(チェンマイ方言の女性語)だと信じて疑わなかった。まわりのタイ人は僕のことをカトゥーイ(おかま)と呼んでいたらしい。ちなみに相手が全て北部タイ人のためロイクラトーン(精霊流し)はロイカトーン、プラー(魚)はパーとも覚えてしまった。

 そんな僕の耳がジープン(日本)やプージン(女性)という言葉も覚えた。ところが外道士族の投稿やタイ語本の中にはイープン、プーインという標記がしばしば見かけられる。何でだろう?そこで「タイ民族はいいかげんで大雑把である。」という大原則を心に、いろいろと調べてみた。元々タイ文字にはJやZに相当する文字がない。シルクさんお得意のハジャイにしてからが英語標記ではHAT YAIなのだ。日本の自動車メーカーの名前ではイスズはタイ語でイスス、スズキはススキと書く、しかしタイ人はしっかりイスズ、スズキと発音する。いいかげんだよな。

 JとYは我々日本人にとっては全く別の発音だと思うのだが世界の言語を見てみるとそうでもないようだ。顕著な例は英語とヘブライ語である。イエスはジーザス、ヨハネはジョンとなる。南アの首都ヨハネスブルグは英米人はジョンズバーグと発音する(ドイツのハンブルグは勿論ハンバーグ)。国によってはJとYの違いなど日本人にとってのLとRの差くらいしかないのではないだろうか?

 タイ文字を調べてみると前述のようにJに当たる文字はないがYにあたる文字は2つある。何か臭いぞ。子音番号11番のヨージン(ヨーイン)と32番のヨーヤックがそうだ。手元にある数冊の学習本を見てみると32番は「鬼(ヤック)のY」で一致しているのだが11番に関しては国際語学社の「タイ文字の第一歩」には「女性のJ」、大学書林の「やさしいタイ語 文字の読み書き」には「女性のY」と記されている。訳が解らん。外道諸氏がタイ語で困った時、頼りになるのは何と言っても「指差し会話帳」、これを覗いてみるとこの本は全てカタカナで、プージンでもプーインでもなく、プゥ(イに点々)ンと記されていた。勘弁してくれよ、こんな文字どうやってパソコンで打ち込むんだよ。最後に日タイ辞典で引いてみると(発音記号なので正確には打ち込めないが)phuutying、もうダメだ。

 但しうちのカミさんに何度発音させても僕の耳にはどうしてもプージン、ジープンとしか聞こえない。ここはタガログ語の日本つまりハーポンの語源がニッポンであるのと同様、ジープン(イープン)の語源はジャパンなのだから、JとYではJの勝ち、ということでいかがだろうか?こういう話題というのはタイ人のプライドをさりげなくくすぐることができるし、ケップ・ムー氏言うところの風俗嬢との「言葉の前戯」としては最適だと思う。「僕いまタイ語勉強してるんだけどさあ、プーインとプージンってどっちが正しいの?」しかし返ってくる答えは容易に想像がつく、「アライコダイ マイペンライ」(何でもいい、気にするな)本当にいいかげんな奴らだ。





ヌアVSイサーン

 3月13日の煩夕の編集後記は面白かった。紘さんの長年の経験からタイの風俗嬢には「不幸顔」と「バカ顔」が圧倒的に多く、紘さんがつき合ってきた女は全て「バカ顔」だった、という内容である。「超可愛いアイドル系」が一番始末が悪い、という指摘も書かれていたが、格安マンコを求めて日夜バンコクの街を俳諧している我々外道にとっては縁のない存在なのでこれは無視してもいいだろう。さて、僕が今までつき合ってきた女は、紘さんとは全く逆で、全て「不幸顔」の女であった。チェンライ命の僕に対して紘さんの好みは、僕が実際に紘さんから話を聞いたり紘さんが女を選ぶのを目撃した限りでは、イサーン(東北部)人である。ということはおおざっぱに言えば「不幸顔」はヌア(北部)、「バカ顔」はイサーンということではないだろうか?

 さらに乱暴な言い方をしてしまうとヌアはモンゴルから降りてきたタイ人、イサーンはクメールの血を引くタイ人ということになる。性格的にはヌアがネクラ、自己中心的、悲観的で金の亡者なのに対してイサーンはネアカ、破滅的、刹那的で遊び人、(こう並べてみるとイサーン人って正に紘さんだな。)こんな連中同士が仲いいわけがない。ヌアとイサーンは「タイの田舎者」という共通項があるにもかかわらずお互いを毛嫌いしているしバカにしている。

 だから愛を求めてのセックスに励む外道諸氏にとっては、例えばウボンの女をホテルに連れ込んで、「チェンマイって最高だなあ。」などと言ってしまうと一巻の終わり。逆に僕はヌア専門なので、「あのさー、イサーン人って1,000バーツ持って酒飲みに行くと2,000バーツ使ってきちゃうんだよね、バカだね。それに比べてヌアの人は1,000バーツ持ってても500バーツをパンツに隠して飲みに行くんだって?」なんぞというヨタ話で受けを狙う。こういう話を嫌がるヌアはいない、それどころか、「それだけじゃなくてイサーンなんてさあ、、、」とイサーン人の悪口が止まらなくなる子も多い。逆もまた真なり。

 形成外科学的に言うとイサーン人の欠点はあの低く開いたクメール鼻、ヌア人の欠点はエラ張り顔つまり下顎骨の下顎角部の肥大、しかしながらタイでも整鼻手術は非常に安価であるのに対し下顎骨切断手術には莫大な費用がかかりしかも顔面神経麻痺等の後遺症の可能性もあるので化け顔で雛壇に並んでいるのはイサーン人が圧倒的に多い。また顔の各パーツが地味なヌアに比べてイサーンは派手なので化粧での化け方もイサーンのほうがずっとうまい。ここいらあたりは外道諸氏の好みが分かれるであろう。

 それとこれは僕の思い込みかもしれないがゴーゴーバーには絶対にイサーン人が合っているのに対し置屋は何と言ってもヌア人で決まり、また一晩連れ回して面白おかしく遊ぶにはイサーン人が向いているのに対し、サムイ島等に一緒に連れて行って濃密なセックスを楽しむにはヌアがいい。もっと言うと西洋人にはイサーンが人気があるのに対し東洋人にはヌア好みが多い。

 聡明な外道諸氏ならもうおわかりでしょう。「タダマン」を狙うなら絶対イサーン人だぞ。ヌアは愛があっても金を要求するぞ。





言葉は文化

(お詫び:前書きにも書いたように当コラムは文章による3分間ポップスを目指してきました。つまりパソコン1画面に収まる文章の量です。ところが今回は内容が内容だけにキング・クリムゾンになってしまった。)

 今から20年位前かなあ、フィリピンクラブは今のような完全にシステム化されたキャバクラではなく、正に「穴場」と言うにふさわしい遊び場だった。この頃はまだ日本でも台湾人や韓国人の売春が盛んだったため、勘違いした客が席に着くなりフィリピン嬢に「ショートでなんぼや?」なんぞとほざいて顰蹙を買う光景を何度も目にした。彼女等は名目上はシンガー又はダンサーとして来日していたのだ、売春婦ではない。しかし売春婦ではないと言ってもオマンコを持った女、しかも外国人であることには変わりはない、何とか交尾しようと試行錯誤を繰り返した。外道、フェラあり誕生の瞬間である。

 わかったことは、まず日本語しかしゃべれない客は彼女等の餌食になっていた。彼女等は彼等をショッピング・コストメル(カスタマーのスペイン式発音、デパート等に連れて行っておねだりする客)、レストラン・コストメル(ステーキを奢ってもらうだけの客)、成田コストメル(「あなたが本命」とか言って帰国時に成田まで見送りに来させ、膨大なおもやげ用荷物の超過金を払わせる客)等と呼んでいた。英語がしゃべれる客でもかなりビジネスライクに扱われていた。やはり彼女等を安価でホテルに連れ込むためにはタガログ語の習得による意思の疎通が必須であった。

 適切な動機づけがあればどんなグータラでも必死で勉強する、僕のタガログ語力も瞬く間に上達して行った。そして不思議なことに語学を学ぶとその国の文化や習慣まで身に着いてしまう。これら全てを駆使してフィリピン嬢をくどくのに最初は6ヶ月かかった。つまり来日直後に狙いを定め、帰国直前にやっとベッドイン。要領がわかってくるとこの期間もだんだん短くなり、タイへ乗り換える直前には店に顔を出した翌日の昼間には即ホテルという境地にまで達した。一度などは裸にしたらパイパンで「フィリピンでパイパンは珍しいなあ。」などと思いながら強引にヤッてしまったら何とバージンでしかも14歳だった。(この頃はロリコン法がないのだから罪にはならないでしょ。)姉のパスポートで出稼ぎに来たのだと言う。「私のバージンを奪ったのだから結婚して一生面倒をみて。」と泣きながらせがまれるという恐怖の体験をしながら、僕も外道として成長していったのであった。

 こういった修行の中で僕が身につけたもうひとつのことは、このためにタガログ語習得が必須だったのだが、「初来日のフィリピン嬢を狙え。」ということである。再来日の女は日本人の客と接したり日本語を覚えるうちに日本の垢に染まってくるので、こちらの下心も見透かされやすくなるし、日本に(金に)染まれば染まるほどフィリピン人としての本来の良さを失ってしまうし、金のかかる女になっている。やはり採れたて新鮮現地直送品のほうが美味しいでしょ、いろんな意味で。

 バンコクのタニヤは僕が言うまでもなく「日本人街」である。ここの風俗嬢には基本的に日本語が通用するのでタイ語がしゃべれない日本人でも気軽に遊ぶことが出来る。しかしながら日本語が堪能なタイ人というのはそれだけ日本人に接する機会も多く日本語の勉強もしているので日本の文化や習慣もある程度理解しているし日本の貨幣価値や金銭感覚も心得ている。つまり、勿論例外もあるが、採れたて新鮮フィリピン嬢ではなく、来日を繰り返したあばずれフィリピン嬢なのである。愛やアルケイディアで女を買った経験のある方は僕と同じ印象を抱いていると思う、彼女等はタイ人ではなく最早擬似日本人なのだ。

 タイへ行っても日本語で会話が出来て、しかもその女と即ヤレるという意味ではタイ語が出来ない(普通の日本人にとっては当たり前のこと、タイ語をしゃべる日本人こそがおかしい)日本人にとって素晴らしい街である。ただし擬似日本人を相手するのだから日本人を買うのと同じ金がかかることを覚悟しないと楽しく遊ぶことが出来ない。この認識のギャップがしばしばトラブルの原因となる。

 我が愛するタンポポでも「ニュウちゃん事件」というトラブルが起こった。詳しくは日本人クラブ、タンポポの奥道さんの投稿を読んで欲しい。登場人物が奥道さん、ミッキーさんということなのでこの二人を肴に僕のタニヤ論を展開したいと思う。二人とも友達だから許してくれるでしょ。来月、飲む予定になっているのだが本人達から真相を聞く前に、こっちの想像だけで論議を進めたい。

 奥道さんは外道歴も長く、タイ国内に留まらずカメンのオマンコの値段にまで精通している。勿論、タイ語も素人タイ女をナンパ出来るレベルである。一方のミッキーさんは外道歴半年でタイ語もほとんどわからない。僕もそうなのだが初訪泰の友人は何はともあれタニヤに連れて行く、やはり言葉が通じないと最初は不安だろうという配慮からだ。奥道さんも同じ気持ちでミッキーさんとタンポポへ行ったのだと思う。ここにニュウちゃんが登場した。これは珍しく紘さんと僕の意見が一致したことであるが、「タンポポはタニヤにあるのにタニヤの店ではない。」僕がタンポポを愛するのはここの女の子が擬似日本人ではなく採れたて新鮮直行便だからである。それでも何とか片言の日本語は通じるので友達を安心して遊ばせることが出来る。ところがニュウちゃんは日本語ベラベラのタンポポには珍しい擬似日本人なのだ。

 話はそれるが、10年以上前、まだ結婚前だったカミさんと日本人の友人数人と一緒にバンコクのシーフードレストランに入った。席に着くなりウェイターがカミさんにタイ語で、「日本人価格にする?それともタイ人価格?儲けは山分けだけど。」と持ちかけて来た。友人の一人がタイ語に堪能なヤバー三等兵だったので、この男の胸座を掴んだのは言うまでもない。それと3年前に連れ出したミラージュの女に連れて行かれたレストランが偶然ここだった。この時には僕もタイ語がわかるようになっていたのだがウェイターと彼女の間にこのような会話はなかった。しかし支払いは僕の予想の倍以上だった。やられた、と思ったのだが後の祭り。挙句の果てにこの女に逃げられた。

 日本の金銭価格が身についているニュウちゃんはタンポポにおける自分のオマンコ価格に不満を持っていたはずだ。だからタニヤの居酒屋を使って自分のオマンコの価格調整をした。それをタイに精通した奥道さんに見抜かれてしまったため、本来の仕事も日本価格に見合ったことしかしなかった。愛の女がホテルへ来てもさっさとやることだけ済ませて20分で帰ってしまうのも時間で価格調整をしているに過ぎない。

 だからといって何も僕はタニヤ女を批判しているわけではない、嫌いなだけだ。多くの日本人は面倒くさいタイ語を覚えるより、たとえ散財しても言葉の障害なく楽しくオマンコ出来た方がいいと思っているだろう。ミッキーさんにしてもこの前日は言葉の通じないナタリーの女と遊んでいたのだから同じ考えだったかも知れない。
それだったら日本価格を適用して、「明日の朝9時に1万バーツあげるから一晩やりまくろうね。」というのが悲しいかな、擬似日本人であるタニヤ女との遊び方なのだ。

 タイ語しかしゃべれない女はタイ人価格、英語に堪能な女は白人価格、日本語の堪能な女は日本人価格、これがタイの風俗嬢の価格である。シルクさん、どうですか?僕のタニヤ論は。





減反という愚作

 今、チェンセーンが熱い。熱いといってもメーサイから炉利が逃げてきて商売を始めた、というおいしい話ではない、貿易である。10年前にもこの地域は大開発を行い、ゴールデントライアングルにはメコン川沿いに港や大きなショッピングモールも出来たのだが、何故かその後はゴーストタウンと化していた。理由は小泉の口癖の「規制緩和」がなされなかったからである。それが最近になって泰中FTAにより農産物の関税が自由化され、メコン川を利用したチェンセーンと雲南の泰中貿易が盛んになり1年に3,000隻もの船が往来するようになったという。ちなみに雲南とはタイ人の先祖でありチェンマイ語に近い言葉をしゃべるタイ族が今でも住んでいて、タイ人にとっても思い入れの深い場所でもある。

 僕も以前からチェンライーチェンマイ間に鉄道が出来るという話は聞いていて、しかも我がノンブア村の近くにも駅ができるという噂もあった。地理的に考えてもおかしな話なのでガセネタだと思っていたのだが、新聞によるとチェンライと言ってもムアン(市内)ではなくチェンセーンからバンコクまでを貨物輸送のため鉄道で結ぶ計画らしい。これなら話はわかる、山があったらトンネルを掘るのが日本式で、避けて通るのが泰式なのだ。これなら鉄道はノンブア村のそばを通る。駅の場所が確定次第、地上げに取り掛かりたい。

 FTAが結ばれた時、タイ農民の心配事は中国から大量に流れ込むであろう安い農産物により自分達の生活が圧迫されることだった。中国女はタイで体を売っているが、タイ女は中国で売っていないので、国家としての格は中国よりタイの方が上なのである。ところが蓋を開けてみると、何とタイからの輸出が3割超過という結果となった。果物のホームラン王であるドリアンも輸出に貢献しているそうだ。みんなおいしいものは知っているのですよ。ノンブア村でも裏のハゲ山がオレンジ果樹園に化けた。もう少し早くわかっていればこのハゲ山なんかタダ同然で手に入れることができたのに、村長に先を越されてしまった。もったいないことをした。そしてこの果樹園というのは相当の労働力を必要とする。村の農民の収入も大幅に増えた。もうこの先チェンライ地方から風俗嬢が供給されることはないだろう。

 日本でも米を始め多くの農産物が輸入制限を受けている。「農民の生活を守ることが食料安保だ。」という大義名分だが何のことはない、自民党の票獲得の手段に過ぎない。食料安保を口にする政治家には、これは前にも書いたが、食料自給率ゼロのシンガポールがアジア有数の経済大国となり、大挙して食料輸出国であるタイのバンコクやハジャイに女買いに来ていることに対してもキッチリとコメントして欲しい。迷惑だよ。

 「輸入させない。」ということは「輸出出来ない。」ということと同義語である。日本でも農業技術の発達や国民の米離れ等により米が余るようになってしまった。供給過剰になったものは値段が下がるのが経済原則なのだが、自民党及び農水省は「減反」という世紀の愚作に打って出た。これは消費者にとってばかりではなく農家にとっても不利益以外の何物でもない。農業をやっている人にはわかるだろうが、野菜と違って米は連作を続けた方が良い。休耕田ではおいしい米は作れないのだ。

 バンコクで女漁りをしながらマズいタイ米を食っている外道諸氏にはわかるだろうが、日本の米は世界一おいしい。心あるお百姓さんは、「オレの作ったおいしい米を世界中の人に食ってもらいたい。そしてもっと収益を上げたい。」と願っているはずだ。小泉も「規制緩和」を口にするならまず米の輸出入を自由化すべきである。だからコイツは大うそつきなのだ。そうすれば必ずや日本は高級米の輸出大国になるだろう。日本のお百姓さんは世界へ出れば誰もが農業博士なのだ。

 ノンブア駅前の地上げに成功した暁には売春宿を作りたい。そして、今の生活がどんどん煮詰まってゆき、近い将来は必ずや乞食をしているであろう紘さんをこの駅前売春宿の店長として雇ってあげたい。僕って優しいなあ。ただし女はメーサイ越えしてターキレックから連れて来る予定なので、警察の手入れの際には臭い飯食ってよ。





成田空港の「何でだろう?」

 もう7年前のことであるが僕は生後6ヶ月の息子を抱え、タイから帰国した。外道諸氏なら御存知であろうが機内で黄色い紙、いわゆる「検疫票」が配られ、これに記入しなければ入国出来ない。僕もいつものように記入したのだが息子の分は書かなかった。そのまま検疫所を通過しようとしたのだが検疫官に呼び止められた。子供の分も記入せいと言うのだ。僕は、例えばヒロさんのグータラぶりもサラッと許してしまうほど心の広い人間なのだが、このように権力をカサに着て物を言う人間は絶対に許すことが出来ない。

 僕は先を急ぐ乗客の流れを止めて若い検疫官に言った。「わかりました、書きましょう。チェック欄に頭痛と腹痛という項目がありますよね。乳児の診断は非常に難しく小児科医でもかなりの経験と診断用具を必要とします。乳児における頭痛と腹痛の鑑別診断のマニュアルを教えて下さい。」検疫官はイヤーな顔をして、「私は医者でないのでわかりません。」うしろの乗客は僕を睨みつけ、別の列に回った。僕はニッコリと微笑み「私は医者ですが科が違うのでこの鑑別診断が出来ません。他の乗客の方はどのように判断して書き込んでいるのでしょうか?」検疫官は苦虫を噛み潰したような顔になり、「とにかく乗客全員が一枚づつ書くのが規則なので御理解下さい。」僕は我が意を得たりと、「じゃあ要するにこの黄色い紙はいいかげんに記入すればいいんですね。」!!!!

 僕はこれで勝ったと思ったのだが、あちらもこういうクレームを想定していたのだろうか、「わかりました。お子さんに異常があるのでしたら検査しますので検疫室まで行って下さい。但し、かなり時間がかかります。」「いや、ウチの息子はいたって健康でした。」「それなら異常なしと記入して下さい。」ここいらへんでやめておくがこの「検疫票」などは正に親方日の丸の利権集金システムの氷山の一角である。まずどうでもいい法律をつくる、そしてそれに伴うどうでもいい事業を行う、そうすれば予算がつき人件費や事業費が確保できるのでその一部が官僚の懐へと流れ込む。あの検疫票の印刷屋からのキックバックだけでもバカにならないだろう。僕はいつも思うのだが検疫所であれだけの乗客をあの短時間でキチンとチェック出来てるなどとは到底思えない。あの事件以来、僕は住所欄に「千葉県大宮市」など、絶対あり得ない住所を書くようにしているのだが検疫所で呼び止められたことは一度もない。結論、今の方法の検疫所なんていらない。質問欄に、「あなたは風俗嬢と生でやりましたか?」というのがあれば話は別だが。

 煩夕の購読者なら御存知だろうがヒロさんが新しい事業を始め、事務所を構えた。ところが早くもその倒産を察知したのか事務所内をゴキブリがうろつき始めた。長くタイに住んでいるとハエとかゴキブリなんて全く気にならなくなるのだが、薬物中毒患者特有の症状として目の前を小さな虫にうろつかれるとそれが現実なのか幻なのか見分けがつかなくなってしまう。そこでヒロさんから外道ライターである奥道さんと僕に、「バルサン持ってきてちょうだいな。」というメールが入った。

 何も僕は、「ヒロはせこい。」ということを言いたいのではない、実際にバルサンはタイでは手に入らないのだ。それに、ヒロさんに発狂されたらこのサイトが終わってしまう、と考えた僕と奥道さんはシブシブとこの依頼を受け入れた。奥道さんは万が一のことを考え友達のミッキーさんにもバルサンを持ち込むよう頼んだ。彼はバルサンを飛行機に持ち込めないことを知っていたのだ。僕は「機内に持ち込まなきゃ大丈夫だろう。」くらいの軽い気持ちでいた。

 結果発表です。22日、UAの奥道さんはなんなく持ち込みに成功しました。25日、TGの僕は4つ見つかってしまい、しかし何故か3っつだけ没収されました。29日、ANAのミッキーさんは全部没収されました。あの第2ターミナルのやる気のない荷物検査に比べてアメリカ系会社が発着する第1ターミナルの検査は殺気に満ちたものがある。それなのにUAの奥道さんだけが完璧に持ち込めたのは何でだろう?テロ対策云々を言いながらもやっぱりアホやなあ、バルサンが爆弾だったらと考えるとまだまだスキがある。頑張れ!ビンラディン。






国家と宗教

 アメリカの宿敵、アルカイダやイラクを支配するのはイスラム原理主義、はたまたアメリカの現政権を支配するのはネオコンサバティブと呼ばれるキリスト教原理主義。このキリスト教原理主義という奴、不勉強のためどんなものかはよくわからないが、おそらく中世ヨーロッパの聖書主義のようなものだろう。ということはいずれにせよコーランなりバイブルなりに書かれていることを一言一句信じ込んでいる連中であろう。こういった輩はからかうと面白いし、ついツッコミを入れてしまいたくなるのだが、あまり度が過ぎると殺される危険性があるのでやめておこう。ぼっ、僕は決して宗教を否定しているわけではないですよ。

 ヒトの性染色体はXとYであり、XXだと雌、XYだと雄になる。つまり卵子は全てXで精子はXとYが丁度半分づつ生産される。我々の絶頂感とともにヨーイドンがスタートしX精子が一等賞を取れば雌が、Yならば雄が生まれる。聖書によればキリストは処女のマリア(VIRGIN MARY)から生まれたことになっている。ブッシュ大尊師も原理主義者ならそう信じているのだろう。これを柳田理科雄風に言えば単性生殖により生まれたことになる。科学的でしょ。神の子を宿すのに進化の初期段階である単性生殖を再現することなど神にとっては朝飯前だろう。ということはキリストの性遺伝子はXX、はい結論です。キリストは女でした。十八歳未満であるにもかかわらず毎日このサイトを覗いている良い子の高校生諸君、明日学校へいったら生物の先生に質問してみて下さい。「先生、キリストは男だと思うのですが、彼のY染色体は何処からきたのですか?」と。最初に、「僕はクリスチャンなのですが、」と入れるとかなりスリリングな答えが期待できると思う。えっ、僕は決して宗教を否定しているわけではないですよ。

 原理主義者同士の衝突、後世の歴史に今度のイラク戦争はこう記述されるかもしれない、全然違うと思うけど。権力者が人民支配の手段として宗教を使う時、必ず多くの人の血が流れる。そして本来宗教とは人を救うためにあるものだと思うのだが宗教が原因となった殺し合いは歴史の中にそれこそ腐るほど登場する。歴史から何らの教訓も学ばないところが人間の人間たる所以なのであろうか?僕も学生時代は日本史も世界史も赤点の連発だった。きっと同じ部類の人間なのだろう。

 イスラムに関して言うとこの宗教では禁酒が常識である。以前サウジ大使館の食事会に招かれたことがあったが、勿論酒は一滴も出なかった(ついでに言うと食い物も不味かった)。しかしバンコクの歓楽街をうろつき回っている外道諸氏ならサウジの奴らが朝から晩まで酒びたりになっている光景は何度も目撃しているだろう。そして売春も禁止である。しかしインドネシアもイスラム国家だが売春婦もたくさんいて日本にまで進出してきて下さっている。何でもキリスト教徒ならこころおきなく売春ができるのだと言う。ねっ、僕は決して宗教を否定しているわけではないですよ。

 タイという国は200以上ある世界の国々の中でも国家と宗教が最も幸せな関係にある国ではないだろうか?別にこの国では国民に小乗仏教を強制しているわけではない。少数だがキリスト教徒もいるし南部にはイスラム教徒も多数いる。日本からも創価学会(あっ、これは一応仏教か)も進出している。そして宗教が国民を束縛することも一切ない。仏陀の日に風俗店へ行ったら閉まっていて悲しい思いをするくらいなものだ。国王が仏門の頂点に君臨しているので、権力者が宗教を利用して事を起こすのも不可能である。弱小国家であるタイが欧米列強の侵略の中、アジアで唯一独立を保てたのもこのシステムのおかげではないだろうか?

 休みの日にタイの子供達は村の中心である寺に集まり坊さんの説教を聴く。その中でタイ人としての道徳を身につけていく。良い輪廻転生をするためには徳を積む(タムブン)ことが重要であること。親や老人を大事にすることが最も素晴らしいタムブンであること。親を助けるためなら体を売ることも悪ではないこと。そしていたいけな少女はバンコクを目指す。僕は宗教を肯定します。





貧富の差

 タイの農村とは言うまでもなく我等がバンコク風俗嬢の供給地である。そして我々の常識からすると、基本的には農民が体一つで同じ労働をしているのだから貧富の差などないと思ってしまうのだが、これが違うんだなあ。農村における金の流れを知ることはバンコクにおいて風俗嬢との会話がより奥深いものになるばかりではなく、これからタイで風俗嬢リクルートの仕事をしようと思っている外道諸氏にも必要な知識であるし、はたまた風俗嬢にハマってしまいこれから金銭的援助をと考えている諸氏にとっても絶対知っておくべき事柄である。というわけでこれからタイ農村経済学の講義を始めます。私語は慎むように。

 まず自作農と小作農がいます。小作農は地主から田んぼを借りて米をつくることになります。田を借りるだけなら収穫の7割が自分のものとなるのですが、米を作るには農薬や化学肥料等、お金がかかります。しかし小作人には金の余裕などありません、こういった物も地主のやっかいになります。そうすると収穫は5割しか自分のものになりません。収穫は概ね12月に集中します。この中から自分の家族の一年分の米を残し、あとは売って現金収入を得ることとなります。この米と現金で一年間生活出来れば問題はないのですが、特に小作農の場合にはこれではとても足りません。収穫前に家族用の米が尽きてしまうなど日常茶飯事です。こういった場合には余裕のある家から米を借りることとなります。当然収穫期に米の利子をつけて返します。こうして毎年貧乏になっていくのです。

 金に余裕のある農家は12月には米を売りません、12月は米の価格が最低になるからです。次年度の収穫前やソンカーンの直前等、米価格が急騰する時を狙って売ります。しかし貧乏人にはこんな余裕はありません。また自作農でも田んぼの狭い農民は収穫前に金が底を尽き、銀行や近所の裕福な農家から金を借りることとなります。担保は田んぼです(先生がシャレを言ったんだから生徒は笑いなさい)。しかし一度金を借りてしまうと結局は田んぼを手離し、小作人となってしまうのです。逆に金に余裕のある農家は副業に万屋(農村のセブンイレブン)を始める等してますます裕福になっていきます。こうして本来は共産主義社会である農村でも貧富の差は二極化していくのです。これこそ資本主義の原理です。

 だからバンコクの風俗嬢は圧倒的に小作農の娘が多いのです。しかし私の講義を理解出来た人なら対策は解りましたね、そうです、最初にある程度の資本があれば小作人でも他の小作農や貧乏な自作農を喰いながらのしあがっていけるのです。この「最初の資本」を体を売って稼ぐことこそ、小作農の娘の本来の使命なのです。しかしほとんどのタイ人の顔に「馬鹿」と書いてあるのを見ればわかるように、娘が働き出したのをいいことに農業をやめてグータラな生活を始めるバカ親や、バンコクで贅沢を覚えてしまい、いくら仕事をしたも全く金が貯まらず、最後はクスリか男に落ちていくバカ娘がいかに多いことか。

 ですから外道を極めようという皆さんはきちんと良い風俗嬢と悪い風俗嬢を見分ける目を養い、それぞれに応じた対応をすることが大事ですよ。バカ風俗嬢に金銭援助を始めたらあなた自身をも滅ぼしますよ。「お父さんが病気で、、」とか「弟が事故おこして、、」とかは常套手段ですからね。「バカ娘にちんちんハメて、ハマっちゃたら身の破滅。」んっ、、君たち何故シーンとしておるんだ?先生がこんなウィットに富んだ三段活用ダジャレを言ってあげたんだぞ。私は怒ったぞ、今日の講義はもう終わり!私の講義は役に立つのだぞ、でも君等のようなシャレもわからない生徒の前では二度と講義してやらないぞ。





風俗嬢の本音と僕の本音

 ここ数年のタイの経済発展によりバンコクの風俗嬢も随分とジャパナイズされてきてはいるが、今でも家族や兄弟のためにしかたなく体を売っている娘が大半を占めている。勿論、中には人格が破綻をきたし羞恥心を失ってしまった女や、プロ根性に目覚めサービス満点のセックスアニマルと化している女もいるが、ほとんどの女の子は基本的には素人である。そして、少なくとも僕は、この素人っぽい、人格もちゃんとしている娘を求めて訪泰を繰り返している。セックスは体でするものではなく心でするものだと信じているからである。日本で心と心のセックスをしまくると家庭破壊を招く危険があるので聡明な僕はそれをしない。

 言うまでもないが風俗の仕事とは会ったばかりの見知らぬ男の前で素っ裸になることから始まる。しかし普通の神経を持った女の子にとってはこのこと自体が堪えられない行為なのである。若い人は知らないだろうが20年前のタイ娼婦というのはホテルに行き客と仕事を始める前にベッドに座り込み、額をシーツになすりつけるようにして仏陀にお祈りを捧げたものだった。理由を聞くと自分がこれから行うであろう不浄な行為を仏様に詫びているのだそうだ。しかし祈りが終わると、決心がついたのか、パーンと気前よく股を広げてくれたりもした。仕事は仕事だよ。

 だから普通の神経を持った風俗嬢こそ仕事に際しては薬に頼ったり、完全に心を閉ざしトカター(人形)になりきってしまったりするのである。中途半端に人格を見せてしまうと客とのセックスがさらに恥ずかしいものに感じるのだそうだ。だがこちらとしてはこんな女相手にしたところで面白くも何ともない。これだったらエデンあたりのプロ根性丸出し女のほうがまだマシだ。

 男にとってと同様、女にとってもセックスとは気持ちのいいものなのだ。風俗嬢にしてからが、もし好きな男とセックスできて、気持ちいい思いができて、しかも金銭までゲットできたら、こんないい話はない。問題は「好きな男と」コレだ。風俗店に女を買いに来る男など風俗嬢にとっては決して「好きな男」ではない。だとしたら、本当に楽しいセックスをするためには出会いからベッドインまでの「背中まで45分」の間に自分が好かれるようになれば良い、これしかない。「金出して買った女に何でそこまで?」という韓国的思考の方はこの先を読んでもしょうがないです。金を出したということはただ単に、挿入する権利を買ったということに過ぎない。如何にハッピーに挿入するか、それが日本的情緒なんだなあ。そのために努力するのですよ。

 「何でこんな仕事やっているの?」なんてのはNG、最初からすべてぶち壊しだ。「僕みたいなじじいが指名しちゃってゴメン、でも君を見た瞬間、昔の恋人を思い出しちゃったんだ。」とか何とか始めて、次にとにかく相手を誉める。しかし容姿ばかりを誉めてはいけない、同時に性格も誉める。相手のしゃべった言葉尻をつかまえて、「そういうこと言う子ってチャイディーなんだよね。」これでいい。さらに相手の家族のことは必ず聞く、これは彼女等のベースにあるものだからだ。これを共有出来ただけでも目の前の風俗嬢はかなり心を開いてくれる。そして姉妹がいたら絶対名前を聞き出すこと、そして例えば、「じゃあノックちゃんと君とどちらが背が高いの?」などと会話の中にわざと相手の家族の名を盛り込む、ここまでくればもうあなたは見知らぬハゲ親父ではない。

 身だしなみも勿論大事、清潔な服装を心がけ、訪泰の前には歯医者さんで歯石を取って貰い、口臭も消しておく。白髪は上も下も染めておく。日本の果物やお菓子を持参しておいて、「これちょっと食べて感想を聞かせてくれるとうれしいんだけどな?」なんぞもかなり有効、ケップさんのようにわざとヘタなタイ語を使って相手に逆に教えて貰っちゃうもの結構イケてる。この時は相手の教えによって正しく発音出来たように装い、大げさに「コップクン」を連発するのも大事な心得である。

 貧乳好みの僕の必殺技、相手が服を脱いだ時、目を輝かせて「僕、こういうおっぱい、だーい好きなんだ。」と言って赤ん坊のようにむしゃぶりつく。貧乳の子は必ず自分のおっぱいにコンプレックスを持っているので、相手のプライドと母性本能をくすぐるダブル効果がある。しかしこんな姿、親兄弟には絶対に見せられない。社会に出たての頃、ロック青年で人とまともに会話も出来なかった僕が、「口先人間」と言われるまでになったのは数十年に及ぶこのような外道のおかげである。





迫害の報酬

 ナチスがユダヤ人を虐殺した事は間違いない事実である。これに異論を唱えると文春のマルコポーロのように廃刊に追い込まれてしまう。外道の細道を抹殺することなど彼らにとっては朝飯前だろうから異論は唱えない。アウシュビッツの悲劇は全くの事実です。しかしナチスによる虐殺とイスラエルの建国は全く無関係ではない。これくらいは言ってもいいでしょ。現在でも、もし我々がベンツやポルシェを買うとその金の一部はイスラエルに渡り、それが武器に化け、パレスチナの人々が、、、、、あっ、間違い、間違い。戦後60年近くも経っているのに中国が未だに日本の戦争責任云々と言うのは、そう言っていれば日本から金を取り続けることが出来るからである。

 僕が生まれ育った町は真ん中に大きな川が流れていてその川縁は「朝鮮部落」と呼ばれる地帯だった。人の話によると川が決壊した時に最初に死ぬのは朝鮮人で日本人はそれを見て逃げればいいとのことだった。全くひどい迫害、差別である。しかし彼らも負けていなかった。パチンコというのは誰がどのように考えても賭博以外の何物でもない。それなのに何故か日本では合法と認められ、しかもその利権のほとんどは彼等が握っている。これなどは正に日本政府と彼等とのギリギリの妥協と暗黙の了解の産物であろう。警察もちゃっかりおこぼれに預かっている。マスコミ的には拉致被害者奪還の急先鋒になっている東京小選挙区で唯一当選した自民党の警察OB代議士がパチンコ業界から4千万の献金を受けていたという記事があったが、その後どうなっただろうか?

 遠い昔の日本でも権力者が農民から搾取するため非人という人々をでっちあげ農民のスケープゴートにした。その名残が現在に残っているのが市役所の同和対策室である。僕には正直な話、今でもこの人達を部落民と呼び、差別の対象にすることが全く理解出来ない、同じ日本人じゃないか。それなのに子供の頃、親からは、「小泉とか山田(苗字の選び方に何ら他意はありません)とか姓が線対称の人は部落だから気をつけろ。」と言われた。何を気をつけろと言うのだ?関係ないだろ。古代から延々と日本人としての同じDNAを育んできた同胞だぞ。しかしながら彼等も逞しい。詳しくは書けないが公共事業に携わっている人に聞けば彼らの逞しさがわかるだろう。

 国家や民族でなくとも迫害や差別を受けている人々もいる。我々が愛してやまないタイ風俗嬢もそうだ。バンコクにいればそこら中で犬扱いされ、村にに変えれば後ろ指差されている。しかしこれは純然たる事実なのだがノンブア村を例にとると、売春に出た女の方が出なかった女より幸せになっている(つまり金持ちになっている)確率が圧倒的に高い。理由は簡単で売春婦は常に外国人の男と接しているのでそれだけ外国人と結婚する確立も高くなる、よって裕福になる。タイでは愛も幸せも金で買うものなのだ。このように人は迫害を受けた時こそ、それを跳ね返し、のし上がっていく力を発揮する。だからイジメを受けたくらいで引き篭もったり、不登校になったり、自殺を考えちゃダメだよ。イジメを受けた時こそ、それをチャンスだと思いイジメを受けたことを利用してのし上がることを考えなさい。わかりましたか?全国の中学生諸君、、、て中学生はこのサイト覗いてないか。





泰エロVCD考

 声を大にして言う事ではないが僕は裏ビデオが大好きだ。僕が若い頃、日本ではヘアーを見せることは御法度だった。確か陰毛が一本か二本映った写真を掲載したエロ本出版社の社長が逮捕された記憶がある。この社長は「これは陰毛ではない、印刷機に紛れ込んだゴミだ。」と主張したそうだがその後どうなったのだろうか?こんな時代なのに米国版プレイボーイにはヘアどころかヴァギナヌードが堂々と掲載されていた。しかし御存知のように日本で手に入る同誌は大事な部分が黒マジックで消されていた。学校で「マジックインキはバターで溶ける。」との噂を聞いた僕は早速、なけなしの小遣いをはたいて同誌を手に入れ、部屋の鍵をかけ、「これから極楽が見えるぞ、ウッシッシ。」とマッジク消しに挑戦したのだが、、、結果は知ってるよね。ちなみに矢沢永吉に「黒く塗りつぶせ!」という曲がある。今までこの曲のヒントはストーンズの「PAINT IT BLACK」だとばかり思っていたのだが、エーちゃんにも僕と同じ経験があったのではないだろうか?

 僕が初めて観音様を拝んだのは高二の修学旅行で、宿舎を抜け出し友達と行った熊本のストリップ劇場だった。感激のあまり涙が止まらなかったのだが、宿舎に帰り(先生に見つかり殴られた。)フトンの中で思い出そうとしても画像が浮かばない。形態が複雑過ぎるんだよ。その後、女の子と交渉も持つようになったのだが何度じっくり観察しても画像が脳裏に焼きつかないのですよ。そんな僕が二十数年前、あの裏ビデオの名作、「洗濯屋ケンちゃん」を初めて手に入れた時の感激、御同輩諸氏ならわかるよね。これで誰にはばかることなくじっくりと観察し、画像を記憶することが出来る。こうして学生時代のバターがトラウマとなり僕の裏ビデオ収集は今でも続いている。しかしながらもし僕が死んだ時、こんなもの誰がどう処理するのだろうか?、、紘さん、お願いね。

 タイにも日本で言うところの「裏ビデオ」は存在する。紘さんお得意の「エロVCD」という奴だ。コレクターである僕は最初はバカにして見向きもしなかったのだが、前回の訪泰時に友人のヒアンが10枚程おみやげにくれたので初めて目にすることとなった。貰ったのは全て「SEX THAI PRIVATE」というシリーズ物だったが、まず思ったより画質が良い、充分鑑賞には堪えられるレベルだ。出演女優はほとんどがクメール鼻を整形済みのイサーン人、あそこは剃りマン又は整髪マン、そしてこの手の低レベル物の常識としてカバーと中身は別人。男優は全て国籍不明(おそらくイランかトルコ)の外国人、ヒアンに言わせるとナニの小さいタイ人男優では絵にならないそうだ。ハッハッハ、タイ男よ、己を知れ。しかし内容はというとこれが米国PRIVATE社の作品をさらにつまらなくしたような代物、つまり男と女が意味も無く交尾するだけのものである。エロと言っても一応「作品」なのだから、せめて何故ここで男と女が交わらなければならないのか、という説明が欲しい。これでは僕のマニア心はくすぐれない。

 しかし外道諸氏にとって最も問題なのは盤によって走査線方式がNTSCとPALのごちゃ混ぜになっていることである、しかもその標記が一切ない。これでは表向きはPALであるがデッキもテレビもほとんどフリフリ化(詳しくは外道を生きるの「タイVCDを日本で見よう」参照)しているタイと違って、PAL盤をつかまされたら日本では見ることが出来ない。外道諸氏もタイで購入の際には充分気をつけて欲しい。ところが僕はこの「SEX THAI PRIVATE」シリーズに限ってはある法則を発見した。タイトル文字が赤で印刷されているのがNTSC盤で紫がPAL盤なのだ。これは大発見である。このネタ、何処に投稿すればいいかな?「伊東家の食卓」かな?それとも「トリビアの泉」かな?





介護保険

 当HPに掲載を始めてから外道諸氏ともメールをやりとりしたり、実際に会って酒を飲む機会が増えた。こういったふれあいの中で実際に感じたことであるが、老後はタイで暮らしたいと思っている人が意外と多い。こんなバカなことを考えているのは僕だけだろうと思っていたのでこのことは心強いばかりであった。年金制度改悪により将来はとてもじゃないが日本では暮らしていけない金しか受け取れないが、この金でタイでなら充分裕福な暮らしができるし外道を続ける余裕もある。なかなか鋭いところに目をつけてるでしょ。

 最近になって介護保険という新しい公的保険制度が発足した。何だかんだ言って国民から金を集め、その一部を自分達の利権に変えてしまうことは官僚や政治家の常套手段だがこの制度も御多分に漏れず。我々のような何の権力も持たない庶民は黙って従うしかないが、それでも健康保険は保険料を払いながらいつでも使えるし、年金だって年齢がくれば確実に受け取れる。ところが介護保険は我々タイ移民希望外道にとってはとんでもない欠陥制度なのだ。なぜならこの保険は40歳以上の健康保険加入者から強制的に保険料を徴収し、64歳以下ならば特定疾病(64歳以下ではほとんど患うことがない病気)のみ、65歳以上なら如何なる理由であれ介護が必要になった時に、保険料が本人に直接ではなく(ここが大事)市町村指定の介護を担当した施設等に支払われる制度である。

 もう言いたいことはわかるでしょ。介護保険は日本国内でしか使えないのですよ。タイへ移住しちゃったら全く介護保険の恩恵には預かれないのですよ。それなのに強制的に徴収されるということは絶対納得できない。大体、日本の為政者というのは国民は絶対この小さな島国にしがみついてしか生きていけないだろうとタカをくくって、我々から摂取を続けている。介護保険とは正にこの発想から生まれた制度である。「国民たちよ、シモの面倒はみてやるから一生この島で飼われてろ!」という制度なのだ。介護保険認定審査委員の僕が言っているのだから間違いない。国民の意向は様々なのだからこういった制度こそ選択権のある民間に任せるべきなのだ。ちなみにこの制度を厚生省で煮詰めていたときの厚生大臣は小泉、よってこいつの口癖「民間で出来ることは民間で。」は大ウソッパチ。

 ではこの保険料を払わないためにはどうしたら良いか?社会保険加入者は全て一括で給料から天引きされてしまうので対処のしようがない。そかし国民保険加入者は、健康保険で飯食ってる僕がこれを言ってはお終いだが、保険から抜けてしまえばいい。そうすればセットで取られている介護保険料を払わなく済むのだ。しかしこれでは健康保険がなくなってしまう、病気になったらどうしよう?実は一部負担が3割に統一されてしまった今、この制度は患者にとっても絶対必要な制度ではなくなりつつある。大きな病気に対しては民間の医療保険がある。小さな病気に対しては、、、日本にはタイのパプサションにあたるような身分証明書がないし、健康保険証も写真つきではないので、本人の確認のしようがない。ウチでも受付で保険証を出されたらそれを本人と信じるしかないのだ。名前を呼んでも知らん顔してて、何度も呼ぶとハッとして診察室に入ってくる患者がたまにいるけど、こちらに免許証の提示を求める等、本人確認をする権利はない。

 でもだからといって友達から保険証を借りて診察を受けるなんて絶対やっちゃダメよ、公文書偽造行使だぞ。絶対にダメ、それを言いたいがためにこれを書いたんだからね。ホントよ。年金の掛け金を日本国にではなく盤谷(バンコク)銀行へ支払うのはいいことだと思うけど。





チェンマイ語入門

 バンコクでオキニと食事をする時、もち米を注文してそれを指でつまんで食べながら「ラム ボ?」(おいしいですか?)なんぞとチェンマイ語を連発しているとバンコク娘からは「みっともないからやめてよ。」とか言われて確実に嫌われる(ケップ・ムー氏談)。しかしながら僕はバンコクでも最初から北部タイ娘しか相手にしていないので関係ない、コレを使って確実に親近感を持たれるし、好かれている。北部タイ人は田舎っぺでバンコク都会人にジェラシーを感じているので、先進国民である日本人が自分達の風習や言葉を使ってくれるのがうれしいのですよ。外道諸氏の内でもおそらく大多数を占めるであろう北部タイファンの皆さん、これを使わない手はないぞ。こちらの気持ちが伝わればいいのだから片言で充分。あと相手がチェンマイ人だったら蕩けるような京都弁風に、チェンライなら喧嘩しているような大阪弁風にしゃべってくれればもうバッチシ。

 まず人称名詞の頭に「イ」をつける、これだけでもかなりチェンマイ風になる。ポー(父)メー(母)ピー(姉)などは其々イポー、イメー、イピー、ビーちゃんならイビー、ノックちゃんならイノック、紘さんならイヒロ。次に二重子音は全て無視する。クラップ(はい)はカップ、プラー(魚)はパー(だからナムプラーはナムパーと言おう)、プレーン(歌)はペーン、日本人にはこの方が発音しやすい。さらにRをHに変える、これは僕の想像だがRとLの発音の苦手なヌア人の生活の知恵だろう、日本人にとってもフレンドリー。チェンライはチェンハイ、ローン(暑い)はホーン(但し声調は変わる)、ローン(歌う)もホーン、ルーチャック(知っている)はフーチャック。

 語源の違う言葉も基本的なものだけは覚えたい。まず否定詞のマイはバッ、外道諸氏がタイで最も多く使うであろう言葉、マイペンライはバッメンニャン、マイチャイ(違う)は勿論バッチャイ。さらによく使う語としてコートート(ごめんなさい)はスマータ(この店本番禁止なの、素股でごめんなさい)、スワイ(きれい)はガム(ガムを噛んでお口をきれいに)、アローイ(おいしい)はラム(ラム肉はおいしい)、アライ(何)はアニャン(兄やんは何だ?くっ、苦しい、でもバッペンニャンとセットで覚えてネ)、これくらいにしておこう。でもこれだけでも基本会話ならかなりイケてる即席チェンマイ人になれるぞ。

 さらに本格的にチェンマイ語を学びたい外道諸氏には国際語学社から出ている小此木邦国光の「すぐに話せるチェンマイ語会話」(2,800円)という本を紹介したい。これは僕が調べた限りでは日本で手に入る唯一のチェンマイ語本です。北部タイ好きの外道諸氏にとっては「キャバクラ嬢攻略法」なんぞというハウトゥ本よりずっと実用的なナンパ本ですよ。





最終回  それでもやっぱりタイが好き

 ちょっと前の煩夕の編集後記に、「バンコクはタイではない。」という記述があった。確かに以前通ったロンドンは英国ではなかったし、東京だって日本と言えるだろうか?どうしても首都というのはグローバル化し均一化しなくてはならないのでその国の特徴は無くなってしまう、田舎こそが其々の国なのだ。おのぼりさんたちはやたら中央線沿線に住みたがるし、六本木や渋谷あたりで遊べばナウいと思っているらしい。しかしこの東京こそが僕の田舎である。下町育ちの僕にとっては浅草こそが東京であり、吉原こそが大人の社交場であった。また住むんだったら足立区、北区、江戸川区あたりが物価も安く人情味も残っていて住みやすい。

 さて、僕も今までタイに関していろいろなことを書いてきたが考えてみればバンコク人についてはほとんど知らない、知っているのは一年のうちの数十日を過ごすチェンライの田舎の人々や生活なのだ。だから外道諸氏のほとんどはバンコクにしか滞在しないでしょうから僕の描いてきたタイに違和感を覚えていたかも知れません。例えば外道諸氏にとって淫売とは「バンコクに住んでいる人」でしょ、ところが僕にとっては「バンコクに出稼ぎに来ている人」つまりお互いにバンコクの異邦人という認識で接しているのである。まあ言ってみれば東北の田舎っぺ同士が東京で知り合って仲良くなるようなものですよ。

 となると僕にはチェンライ人を一目で見分けられるという超能力(但し男に対しては全く発揮できない)があるので淫売を買っても、「チェンライでしょ、チェンライの何処?」「エッ、どうしてわかるの?メーチャンだけど。」「メーチャンの何処?まさかメーサロン?」「バカ!山岳民族じゃないわよ、れっきとしたタイ人よ、身分証明書見てみなさい。」ということで相手の素性も実年齢もバレバレになる。その後で、「何であなたそんなこと知ってるの?チェンライに奥さんがいるでしょ!」という攻撃は受けるがまあそれもいとおかし。僕はこんなタイ人が大好きです。

 最近、日本でもACCESS TVという衛星放送会社がタイCH3の配信を始めた。本国の1日分を6時間にまとめそれを4回繰り返すという内容でドラマが2本、残りはニュースを流している。メインのドラマは午後10時半が初回放送なのだが定時に始まることはなくいつも10分から15分遅れ、遅れるだけならまあ許せるのだがたまに10分早く始まったりもする。カミさんからダビングを命じられている僕はHDDがあるから助かってはいるがVHSだったら気が狂いそうになる。さらに毎日の音量もバラバラ、途中で途切れることも日常茶飯事、映像と音声がづれてたりエンディングの歌が途中で切れちゃったり、日本では絶対あり得ない。仕事のストレスで放火魔になったNHK職員もこれを見たら自信を取り戻せたのではないだろうか?しかもこれで月3千円の有料放送だぞ、恐れ入ったか。カミさんは、「日本人ってひどい、タイの放送だと思ってバカにして日本人スタッフが手を抜いてる。」ふざけるな!日本人がこんないいかげんなことやるわけないだろ。

 本国の本放送と見比べてみるとまず皇室関係のニュースは全てカット、他のニュースも大幅にカットされている。ところが本国では流していないニュースも日本ではちゃんと放送している、タクシン批判のニュースである。十数年前のチャムロン流血事件の時も報道管制が敷かれバンコクでの映像やニュースは報道出来なかった。僕などは日本で流された映像をダビングしてタイへ持って行き、チェンライの百姓に見せていた程である。その時タイの新聞社は抗議の意味を込めて白紙の新聞を発行した。これには強烈な政府批判を感じたのだが、考えて見れば作る側にとってもこんなイージーな方法はない。僕はこんなタイ人が大好きです。

 日本では全く報道されなかったが最近チェンライでのティファニーのナンバーワンおかまと関西の大学教授と称する42歳の男の結婚式の映像を報道していた。現地に飛んだタイの美人ニュースキャスターは新郎が新婦(?)の親に結納として100万バーツの札束と15バーツ(24金の単位)のネックレスを差し出す映像に絡めて「私というものがありながらこの日本人はなんてバカなことをしているのでしょうか。」とコメントしていた。また最近のタイの雑誌に日本の韓流ブームに対して「ペ・ヨンジュンのどこがいいのか?この程度の男だったらバンコクのホストクラブへ来ればいくらでもいるのに、日本人の考えていることはわからない。」というコメントも載っていた。こんなタイ人も僕は大好きです。


終わりの言葉

 「質の低い観光客の呟き」もこれで最後です、というかこれはエッセイでしたので次に始まるブログに移行します。外道健康相談室は相談者との上方漫才のつもりでやっていたのですが、この低観は真面目に書いてきたつもりです。ただ紘さんから、「時節ネタやあまり重いものはまかりならぬ。」というキツいお達しがあったのでかなりの制約もあったのですがこれからはブログでもっと自由にやらせていただきます。例えば去年の暮れにやたら長文の編集後記があったでしょ、ホラ、ローリーと一緒にアユタヤまで日帰り旅行して帰りに渋滞にまきこまれてしかたなくコーラ瓶に放尿してこぼしたっていうやつ。紘さんの編集後記は短くてもキレがあるから読んでて面白いんですよ。読者でも編集後記しか読まないという人が結構いますよね。だけどこれは長文にもかかわらずちっとも面白くなかった。要は紘さんはここで自分のチンチンはとりあえずコーラの瓶には入らない大きさだ、ということを暗にほのめかしただけなのです。こういったこともブログの中で鋭く指摘していきたいと思います。冗談じゃない、あのズングリムックリのホリエモン体型は医学的に見ても明らかに成長ホルモン分泌不足の特徴的な体型です。超粗チンであることに間違いない。ホリエモンがあれだけ大金持ちなのに簡単に女にフられてしまう事実を見ても明らかでしょ。おそらく自分のチンチンがコーラ瓶にスッポリ入ってしまったことがとても悲しかったのでしょう。
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