日本におけるタイ人クラブの20年史
BY:YESはBILL

はじめに

 僕が日本で初めて「タイスナック」なるものを知ったのは今から丁度20年前のことです。その後タイ人女性達とかかわりを持ちながら現在に至るわけですが、最近つくづく「日本のタイは終わったな。」と思うようになりました。その理由は後述しますが、ここいらでこの20年間を総括してみたいと思い、発表の場を探していました。

 タイ人女性(風俗嬢)に関するサイトはたくさんあります。「外道の細道」はタイ国内の風俗情報を中心としたサイトです。日本の情報は趣旨に合わないと思ったのですが、僕はここに集う「外道士族」の方々に「おぬし、同族でござるな。」というシンパシーを感じてしまうのです。そこで外道紘さんに連絡を取ったところ、僕の趣旨を理解してくださったので、ここに掲載したいと思います。

 また外道平民の方々のなかには僕より「この道」に詳しい日本外道が絶対にいるはずです。僕の知識に足りない所、間違っている所があったら是非情報をお寄せ下さい。あと僕が遊んだのは茨城を中心に埼玉、千葉なのでそれ以外の地区については知りません。東京では値段が高かったようです。

 外道の細道





第1章  総論

 僕(40代半ば)より上の人達にとって日本での外人遊びといえば何といっても韓国と台湾人でした。70年代以前のことです。80年代になるとフィリピンとタイが台頭し、90年代になってコロンビア、チリ、ロシア(旧ソ連含む)がやってきましたが、一過性で終わったようです。中国も入ってきてここは完全に根付きましたが、僕の守備範囲外だし言及するのが怖いので無視します。現在はルーマニア、インドネシアが台頭しつつありますが、この先どうなるでしょうか。

 これらの国をA(韓国、フィリピン、ルーマニア)、B(台湾、タイ、インドネシア)と分けてみます。この分け方は例えばタニヤで言えばオフ不可とオフ可の違いのようなものです。しかしオフ不可といってもこれはあくまで「店の営業時間中の外出は不可」ということで、何が言いたいかわかりますね。またAグループがどちらかというと抗日的な国であるのに対し、Bグループが親日的であることは興味深いです。やはり異国の地で売春という非合法行為を堂々とやるためには、その国に対する信頼感がないとなかなか難しいということでしょうか。. Aグループの代表としてフィリピン、Bグループとしてタイそれぞれの来日方法を説明しましょう。フィリピンではまず現地のプロモーターが来日希望の女の子を集めダンスなり歌なりのレッスンをします。そして即席のダンサーなり歌手に仕立て上げ、日本大使館に「興行ヴィザ」を申請します。滞在期限は3ヶ月または6ヶ月です。この子達を日本側のプロモーターが受け入れ日本各地のフィリピンクラブに派遣するのです。1人につきクラブ側は日本プロモーターに1ヶ月30万円程度を払い、その中から6万程度が彼女らに給料としてプロモーター側から支払われます。これは20年前も今もほとんど同じです。また法律ではクラブに対してその規模やステージがあること、接客の禁止など細かい規定があるので、厳密にいえばほとんどのクラブが違法営業していることになります。勿論、売春などもってのほかです。しかしわざわざ日本までやって来て彼女らがこれだけの金で満足するでしょうか?とにかく一応、「合法」の中で活動しています。

 これに対しタイでは女を日本へ密入国させるシンジケート(と言っても大したものではないが)が「旅行ヴィザ」で日本に送りこみます。日本で一旦女をアジトに集め、「エージェント」に売るのです。エージェントとなるのはタイスナックの経営者の他、売春で金を稼いだ台湾人、タイ人などです。これはそれまでタイ国内で行われていたシステムをそのまま日本に持ち込んだものと思われます。エージェントは買値の倍程度の「借金」を女に背負わせタイスナックで売春婦として働かせます。女は騙されて連れて来られる者もいれば、売られることを承知で来日する者もいます。料金はショートが2万、泊まりで3万です。これも20年間変わりません。2.5万の3.5万という店もありますが5千円は店の「仲介料」と考えればよろしいでしょう。2万、3万の店でも客が女を連れ出すとなると勘定にいくらか上乗せする店が多いようです。店のメリットとしてはホステスの給料がいらないことです。彼女らは体を売る以外は無給なのです。とにかく最初からすべてが非合法です。勿論、オーバーステイします。

 こうして(僕の確認できた限りでは)1981年に始まった商業的タイ人売春はその後栄華を極め、これは多少意見が分かれるでしょうが、1991年を頂点として衰退を始めます。これにはさまざまな理由がありますがそれは後述します。しかしそれは僕達日本外道がタイ女性に飽きてしまったからではないのです。考えてみればタイ女性の値段は20年前と同じです。これは物価の優等生といわれる卵、および日本の株式と並ぶ日本の3大優良商品ではないでしょうか?

 タイ女性の日常生活についてですが、彼女らは常に入管に対する恐怖、客に対する恐怖(異国の地で見ず知らずのの男と一夜を供にするのですから)に怯えながら暮らしています。そのため酒、タバコ、ギャンブル、薬にはまってしまう女性も多くいます。こうなってしまった女性の末路は概して悲惨なものです。ギャンブルで一般的なのは何といってもパチンコとレーンパイ(トランプ賭博)です。薬は一応合法ですが厚生省が認めてない薬とまったく非合法な薬とがあります。前者はタイ人が集まる場所で手に入れることができます。後者は知りませんとしかいい様がありません。

 エージェントつきのうちはエージェントの用意したアパートに寝泊りしていますが、借金が終わると「自立」しなければなりません。そうなると自分でアパートを探さなければならないのですが、勿論契約などできません。一般的なのは客の中から「これぞ」という男を見つけ、この男の「プチ妾」になるのです。こうしてこの男の名義を借りてアパートをゲットするのです。アパートが決まればそこを根城に日本全国売春行脚に出ます。普通、一つの店に腰を据えるのは数ヶ月です。タイスナックの客層は何処へ行っても大体決まってますし、数ヶ月で体を「売り尽くして」しまうのです。逆に一つの店で何人ものリピーターがつくような「上玉」は間違いなく客に本当に身請けされるか結婚するかしてしまいます。名前についてですが、タイ人は本名の他にチュ−レン(通称、あだ名)を持っています。本名は戸籍、身分証明関係にしか使わずチュ−レンを通常使っています。「外道の細道」に登場する名前もすべてチュ−レンです。しかし本名、チュ−レンとも日本人にとっては聞きなれない名前なので「ヨシコ」「ジュンコ」など日本名の源氏名を使っています。ほとんどの場合エージェントが命名しますが、自分で選ぶこともできます。かつて女子プロレスの萩原ミミがタイでブレイクした時、そこら中に「ミミちゃん」がいました。

 売春といっても一応「スナック」なので彼女らにとってもカラオケは必須科目です。しかし80年代にはタイのカラオケなどありません。日本の歌を必死で覚えて歌ってました。圧倒的に演歌が多かった。やはりタイ人には演歌のメロディが親しみやすいのでしょう。僕は洋楽人間なので英語の歌ばかり歌っていたので全然受けなかった。彼女らの知っている洋楽といえばエリック クラプトンの「ワンダフル トゥナイト」、エア サプライの「ロスト イン ラブ」、グレン メディロス(ジョージ ベンソン)の「変わらぬ想い」。これらは今でもタイではスタンダードです。タイ語のカラオケが日本に上陸したのは90年頃、LDで数枚程度。本格的になったのはVCDが普及した97年以降です。

 給料に関して言えば前述した通り「無給」です。売春による収入が彼女らの給料となります。タイスナック側は入管に踏み込まれた時、「彼女らは従業員ではない。店に勝手に遊びに来ているだけ、客と勝手に仲良くなって外へ出ていくが何しているかはわからない。」というスタンスをとります。80年代の法律では「管理売春」を証明できない限り、店主を逮捕出来なかったのです。

 某国人が日本で本格的犯罪を繰り返しているのに対し、彼女らが犯している犯罪は「不法滞在」と「売春」です。これ以外の犯罪はほとんど犯していません。ギャンブル禁止と言いながらパチンコ屋が、売春禁止と言いながらソープランドが堂々と営業していて、不法滞在のI国人をテレビコマーシャルに使う日本において、彼女らは本当に犯罪者でしょうか?「ODAだと思って大目に見てやれよ。」と法務省及び外務省に言いたい。!!!!!!!!







第2章 黎明期(1981〜1985)

 僕の悪友でありタイ人と結婚歴1回、同棲歴6回のヤーバー三等兵によると茨城県A町、S町、S市において初めてタイ人を目撃したのは、本人曰く仏歴AB(AFTER BUDDA)2524年のことである。三等兵は頭がタイ化(退化?)してしまっている。彼女等がいた店もタイ人専門のスナックはまだ少なく、台湾人と混成の店が多かったようだ。年は30前後でほとんどの女性が今から考えれば賞味期限を過ぎていた。「金を稼ぐために黄金の国ジープンにやって来た。」というよりバンコクで稼げないからしょうがなく日本に出稼ぎにきた、という風情であった。

 サービスなど全くと言っていいほどなしで、ホテルに入れば勝手にシャワーを浴びて、出てくれば、おそらく妊娠線をかくすためであろう、部屋を真っ暗にして客が風呂から出てくるのを待つ。完全マグロ状態で客が果てればまた勝手にシャワーを浴び、そそくさと身繕いをして「お金頂戴。」外道平民の方々であれば絶対怒り出すであろう女性達であったが、珍しさもあって20年前はこれで充分通用したのである。

 彼女等がエージェントから負わされた借金は当時で30万円。30万?そう、当時は借金というよりも日本へ来るための飛行機代を立て替えて貰って、そのお礼に倍返しするといった程度の本当に平和な時代であった。ヴィザもほとんどフリーパスで発行されていた。どの国の人間がどの程度日本に不法滞在しているかなんて、まだ入管でも把握していなかったのではないだろうか。

 最初にエージェントとなったのはおそらく80年代以前に日本人と結婚し来日していたタイ人女性であろう。どこのスナックも経営者がエージェントではなく誰かしらから女性を「預かって」いた。店としても売春をしていることにさえ目をつぶればホステスの人件費がかからないのだから大きなメリットである。だから飲み代も比較的安かった。ただことが売春であるためにおおっぴらにやっている所は少なく、マスターの人間関係の中でやっている店が多かったようだ。

 僕が初めてタイ人に遭遇したのは前述したとおり1982年のことである。僕の住んでる町でたまたま入ったスナックに3人のタイ人が勤めていたのである。その頃はまだヴィザのシステムどころかタイがどんな国かさえも知らなかった。なにしろ飛行機にさえ乗ったことがなかったのである。僕にとって初めての外国人である、何とかならないものかと思い通いつめた。勿論、売春をやっていることなど知らない。3人ともほとんど日本語は通じなかったが幸いなことに一番可愛い子が片言の英語が通じたので一生懸命くどいてみた。しかしどうもおかしい。店に顔を出すとすぐ彼女がとなりに座ってくれるのだから嫌われていたわけではない。「食事に行かない?」とか「ドライブ行こうよ。」と誘って見ても嫌がっている様子はなく、どちらかというと困惑しているのだ。それにこの店はいつ行っても客がほとんどいないし、彼女も時々は出勤していない。マスターに「彼女は?」と聞くと、「11時には出勤するよ。」と、どうも変な店だ。

 そうこうしているうちに店はつぶれてしまった。僕が真実を知るのはずっと後になってからのことであるが、僕は金で買える女をくどいていたのだ。僕の正体がわからなかったのでマスターは彼女に僕とは売春させなかったのだ。店を閉めたのは売春が地元のヤクザにばれてしまったためらしい。

 こういった理由のためかタイ人売春が始まっても最初の何年かはブレークはしなかった。深く静かに日本社会に根付いていったのである。この間、僕はひたすらフィリピンクラブに通っていた。フィリピン人は売春はしなかったが何とかなった。方法は二つあった。一つはフィリピン嬢の物欲につけ込む作戦である。成田からNWやUNITEDでバンコクに通っている方なら同時刻にマニラ便もあるので御存知であろうがフィリピンクラブ嬢たちの荷物はみんなかなりの量である。金以外、日本製品には目もくれないタイ女性と違って彼女等はとにかく「日本製品」を持ちかえりたがる。彼女らはプライドがあり絶対売りはしない。「How much?」と言ってしまったら以後口も聞いてくれない。店に通いながら彼女らが何を欲しがっているかを聞き出し、「じゃあ明日○○を買いに行こう。」と誘いだす。これなら彼女等は勝手に「私は売春したんじゃない。○○を買ってくれたやさしい日本人にちょっとつきあっただけだ。」と解釈してくれるので結構うまくいく。「食事に行こう。」ではあちらは複数でくるし「同伴しよう。」ではあちらの思う壺。もう一つの方法は、「好きです。結婚して下さい。」どうせヴィザが切れれば帰ってしまうのだ、あとは関係ない。但し既婚者がこれをやると家庭崩壊を招く恐れがある。

 僕は勿論タイ風俗が大好きだがフィリピン経由でタイへ行ったため、「金を払って即アオカン」というのが未だにしっくりこない。「出会い」と「アオカン」の間に「くどく」が入らないとだめなのだ。だからMPへ行っても初めての女性の時は30分位カウンターで飲み物や食事をおごって、話し込んでからでないとやる気がおこらないし、置屋やゴーゴーバーの女性はホテルに帰る前に必ずレストランかデイスコに寄る。なじみの女性には日本から梨なり林檎なりお土産を持っていく。多少金はかかるがこうした方がサービスが良い(ような気がする)。

  話が脱線してしまった。このようにこの時代は僕にとっては苦い思い出のの時代であったが、タイ女性にとっては一番幸せな時代であったであろう。何しろ借金もこの程度なら一週間で返し終わっていたし、ヴィザも簡単に出たのでオーバーステイする人もほとんどおらず、皆三ヶ月で国に帰っていた。すぐに来日できるのだから。現在のように子供を国に置いたまま十年も不法滞在を続け、働いている女性とは雲泥の差である。そしてこの時代に来ていた「一期生」たちが後の日本におけるタイスナックの繁栄に大きくかかわっていくのである。シンジケート、エージェント、運び屋、スナック経営者として。 





第3章 成長期(1985〜1989)

1984年わが町に2件目のタイスナック「ハル」が開店した。開店というよりそれまでババアホステスばかりで客の入らなかったスナックがホステスを全部タイ人にしてしまったと言ったほうが正しいであろう。ここのママは地元のヤーさんともつきあいがあったので、堂々と売りをやっていた。平民の方々、客が席の開くのを待って店の外で並んでいるスナックというのを見たことがあるだろうか?一時期のハルがまさにこれであった。タイ女性達もほとんどの子が1日でショート2回の泊まり1回、という「仕事」をこなしていた。ママはスナックの2階にアパートを借りそこに女性達を押し込んで各々から家賃と称して3万円を取っていた。この上がりだけでスナックとアパートの家賃をまかなえたそうである。女性達も100万以上は稼いでいた。本当にいい時代であった。

 僕は当時はまだフィリピンクラブに通っていた。時々タイスナックにも顔を出したがオバさんばかりでフィリピン嬢の方がずっと若かったからだ。フィリピンとタイをハシゴする客もいてフィリピン嬢から「最近、タイ人が売春やってるから日本人の客で「今晩いくらだ?」と言い出す客が増えてきて頭にくる。」と愚痴をこぼされた。しかしこういうことを言い出す子は必ず落とせた。バンバン金を稼ぐタイ人に嫉みを持っているのだからそこをつけばよかった。とにかく当時はフィリピンはタイ人のことを「売女」と、タイはフィリピンを「貧乏人」とお互いに罵り合っていた。

 ヤーバー三等兵は茨城を中心にあばれまくり当時すでにタイ人と結婚しすぐ離婚して、2人目のタイ人と同棲していた。僕が彼と知り合ったのは1985年のことである。タイスナックで意気投合したのがきっかけだった。僕等はこのようにタイスナックで知り合った友達を対人関係(タイ人関係)と呼んでいた。彼とは「フィリピン人とタイ人とどちらが良いか?」という議論もかわし、僕もだんだんタイ人とも関係を持つようになっていった。「一期生」の口コミのせいであろうか、このあたりから来日するタイ女性も一気に増え始め若い子もちらほら見かけるようになってきた。それと同時にこれを本格的に商売にするタイ人も現れ、女を日本に送りこむ日タイシンジケートも組織されるようになった。それと同時に彼女等が背負わされる借金の額も増え始め85年で70万、90年には150万と跳ね上がっていった。こうなるとちらほら不法滞在する子も増えてくる。特に偽造パスポートや他人名義のパスポートで来た子などは強制退去になっても痛くも痒くもないので不法滞在する子が多かった。

 いつの世でもそうだが儲かる商売には人も群がる。タイスナックの数も日増しに増えていった。経営者も70年代にしこたま金を稼いだ台湾ママ、日本人と結婚したタイ人一期生、またはつぶれかけたスナックの日本人経営者なども参入してきた。どの店もつぶれたスナックを居抜きで借り、タイ人ホステスを置くというとにかく金のかからないやりかたであった。いつでも逃げられるように。だからフィリピンクラブに比べるとタイスナックはどうしても見劣りしてしまう、まあ目的も違うのだからそれでもかまわないが。しかし後にリトルバンコクと呼ばれるようになる茨城県T市からA町にかけての一帯には最初からタイスナック用にそれなりのタイ風内装をほどこした豪華な店もオープンしてリトルタニヤと化していったし、S町には大きな駐車場を2階建てのテナント群がとり囲み、その中にタイスナック、フィリピンクラブ、デイスコ、タイレストランが入居するいわばリトルナナプラザも出現した。

 この一帯、特にT市はこれだけ派手に「売春」活動をやっても不思議と入管のガサ入れは極端に少なかった。これはあくまでも噂であるがT市は移転してきた国立大学を中心とした新興都市だったので回りに娯楽施設も何もなく、学生や若い研究者達も精神的に不安定な状態だった。自殺者も出たらしい。そういう理由で当局もこの一帯に関しては、せめてもの娯楽ということで、目をつむっていたという話だ。

 在日タイ人の増加に伴いタイの食材や雑誌を売る店、いわゆるタイストアーも各地に開店した。値段は非常に高く、ナンプラーが確か一本1,200円だった。それでも飛ぶように売れていたのだから当時のタイ女性達がいかに裕福であったことか。この手の店は端っこにテーブルがあって座ってビアシンが飲めるようになっていた。店の主人と仲良くなってここに座っていると近隣のタイ女性をすべて眺めることができた。わざわざ店を回らなくてもここでいい子を見つけて店を聞き、行けば良いのである。しかしタイ女性の化け方の見事なことといったらなかった。つい数週間前にホテルへ行った女性に声をかけられても全く誰だかわからないのだ。源氏名と店の名前を言われて、「えっ、僕、こんな猿と!」と思っても後の祭り。こういうことは知らない方が幸せなのか?それとも明日のために現実を知っておいた方がいいのか?しかしこの時期があったおかげで、今ではMPのひな壇の前に立っても化粧の奥に隠された素顔をかなり正確に推理できるようになった。

 これだけタイ人が増えてくるといろいろなトラブルも起きる。トラブルのなかで最も深刻なのは「行方不明」である。行方不明と言っても仕事が嫌で店から逃げ出したという類のものではなく、日本に行ったきり何年も親族に連絡がないというものである。10年以上連絡がつかない子も何人もいる。おそらくもうこの世にはいないであろう。この場合、偽名で入国されていたら手のほどこしようがない。本名であって警察に捜索願を出しても、一応受理はしてくれるが解決したためしはない。一体どの程度の捜査をしてくれているのであろうか。

 何年か前に白人の女性が日本で行方不明になりマスコミあげての大騒動になり両親まで来日して挙句の果て「警察の徹底的捜査」により遺体が発見され犯人が逮捕されるという痛ましい事件があった。親族の方々には大変気の毒な事件であったが、僕はこの報道を聞いて非常な「違和感」を感じた。この白人女性が日本で何をしていたのか報道では一切触れていないし、入管のコメントもない。僕は所謂「金髪クラブ」にも通っていたのでよくわかるのだが、彼女等は日本へ旅行ヴィザで入国し3ヶ月の間この手のクラブで小遣い稼ぎをする。そして金を手にすると世界中へ「バカンス」に出かける。金がなくなると日本へ戻ってくる。彼女らを口説くのはフィリピン人を口説くのより簡単だ。あちらは最初からその気があるのだから。犯人が彼女を別荘につれこんだのと僕が白人とホテルにいったのとどこが違うのだ?同じじゃないか。(しかし金髪なのに下が黒だと詐欺にあったような気分になるのは僕だけだろうか?)それに彼女等とタイ人ではやってることのどこが違うのか?一方は旅行ヴィザがあるうちの資格外労働だから手厚い捜査をし、一方はヴィザが切れてからのそれだから無視するのか?そうではない。日本という国は明らかに白人と有色人種を「差別」しているのだ。
   





第4章 絶頂期(1988〜1992)

 日本のバブルが絶頂を迎えると時を同じくして日本のタイ女性も絶頂期を迎えた。日本中に金が溢れていたこと、現地から若くて綺麗な女性がどしどし入荷していたこと、「泊まりありの風俗」というのが日本人の体質にマッチしたことなどさまざまな理由が考えられるが、我々日本外道にとってはこの先二度と訪れることのない黄金の時代であったことは間違いない。

 僕もこの頃になるとフィリピンからは完全に足を洗っていた。タイ人遊びの面白さを知ってしまったらフィリピンなんぞおっくうで面倒くさい。それに女の子のレベルも当時は完全にタイ人がフィリピン人を上回っていた。三等兵と僕は毎日のようにT市を中心としたタイスナックを遊び回っていた。仕事が休みの日などは女の子のアパートに出入りしてアッシーをやったり逆メッシ−してもらったりの毎日であった。アパートに行く楽しみとは毎週のように新人が入荷していてしかもみんな若くて可愛かったことである。「黄金の国ジープン」という概念がタイでも定着していたのであろう。とにかくフィリピン人もそうだが日本に来たばかりの子は概ね素直でいい子だ。それが滞在期間が長くなるに連れすれっからしになっていくのだ。

 この当時めぐりあった子の一人にミキちゃんという子がいた。チェンマイ出身で本当にキャンディーズのそれにそっくりな子だった。それまでは「タイ人はマグロ」と思っていた僕にとって彼女はカルチャーショックであった。サービスが素晴らしいのである。お風呂で潜望鏡までやってくれるのだからあとは説明の必要がないであろう。今から考えれば彼女は明らかにタイのMP出身だったのでそういうサービスが自然に身についていたのであろうが、その頃の僕はタイへ行ったこともなかたし、タイのこともほとんど知らなかったので、勿論、タイにMPがあることも知らなかった。「同じ女は二度買わない」が当時の僕の主義であったがこの子だけは1ヶ月で3回買ってしまった。案の定、彼女は来日1ヶ月で土建屋の親父に身請けされてしまったが、ミキちゃんがきっかけとなって僕のタイ人娼婦に対する考えも変わっていった。「動くダッチワイフ」ではなく一人の人間として彼女等に接するようになっていったのである。

 こうした態度で接していくと逆に彼女等の僕に対する目も変わってくる。単なる客としてではなく「特別な日本人」として接してくれるのだ。これがうれしくて僕もだんだんとタイ人にはまっていった。スナックで飲んでいても他の客を一人一人指差してその男のホテルにおける変態ぶりを披露してくれたり、個人的な悩みの相談を受けたり。こうしてかなり親密になってからやるセックスというのは格段に楽しかった。わかるかなあ?

 それまではほとんど無条件で出ていた渡航ヴィザもこれだけ来日する女性が増えると大使館としてもそう簡単に出さなくなる。それに困ったシンジケートは何をしたか?我々「親タイ派」日本人にお呼びがかかった。我々を3泊4日でタイに招待してくれるのである。ただし条件としてバンコクで来日希望の女性と一緒に日本大使館へ行き身元保証をしてヴィザを取り、日本へ連れて来る事。三等兵にも当然声がかかった。三等兵は連れてくる女性とタダでやらせてもらうことを条件に承諾した。

 これって厳密にいえば「公文書偽造及び行使」とかいう犯罪にあたるのだろうが、三等兵には罪の意識などなかった。「もし問い合わせがきたら、タイで世話になったんで日本に招待したけど途中でいなくなっちゃってこちらも困っている、と言っておけば問題ない。」とのこと。これをやった日本人を何人も知っているが、身元保証をして連れて来た女性がオーバーステイしても外務省からの問い合わせなど一件もなかった。外務省さん、ちゃんと仕事してるの?それともヴィザ発給は外務省、入国管理は法務省という日本御得意の縦割り行政のおかげでバレなかったのか?とにかく三等兵は3度同じおいしい思いをやったが、3度ともバレず、お咎めもなかった。三等兵曰く、以前タイでパスポートをなくし大使館へ行った時ひどい仕打ちを受けたのでその仕返しだとか。

 入管による取締りもだんだんと増えてきた。しかし捕まって強制退去になった子でも僕の知る限りでは最短で2週間で帰ってきた。バンコクに帰ってすぐに姉の名前でパスポートを取り、姉になりすまして再来日したとのこと。日本での仕事を覚えちゃったらバカらしくてタイで売りの仕事など出来ないと言っていた。さらに日本での商売の味を覚えた子は自分の姉や妹を積極的に日本に呼び寄せた。この時、なじみの日本人に頼んでこの「三等兵方式」で連れて来れば最初から借金を背負わなくて済むのだ。なかなか頭がいい。それに入管の影に怯えながらの毎日の中で身内がそばに居るというのは何にも増して心が落ち着くらしい。僕はこういう姉妹を好みではなくても積極的に買った。だって我々の人生において「姉妹丼」を味わえるチャンスなんてそう何度もないでしょ。ここで「姉妹における生殖器の比較解剖学的考察と生殖時における生体反応の相違について」なんぞという論文を発表したいところであるが本題と関係ないので別の機会に譲ろう。

 彼女らは金を持っていた。そうなると彼女等の金目当ての商売も始まる。タイスーパーでは24金のネックレスやタイ直輸入の服まで売っていたし、地下銀行の役目もやっていた。タイレストランは日本人の味覚を全く無視したタイ人専用の味の料理を出していたし、タイ人ホストクラブやディスコもオープンした。朝起きるとパチンコへ行き開店前から店の前に並ぶ。タイレストランで遅い昼食を取った後タイスーパーへ買い物に行く。仕事に出て客が決まると支払いは客持ちでタイディスコへ。その後ホテルで本来の仕事をして1日が終わる。仕事が休みの日は1日中パチンコに明け暮れ深夜になるとホストクラブへ繰り出す。これが平均的タイ女性の暮らしであった。我々から見てもうらやましいような優雅な日々を送っていた。一般的に言って東北部タイ人は金を気前良くどんどん使うのに対して、北部タイ人は金だけ貯め込んで質素な暮らしをする傾向にあった。

 だから友達付き合いするには東北部の子の方が楽しかった。金儲けもうまいが儲けた金はどんどん使う。その国の景気を良くするためにはこういう輩が絶対に必要なのだ。現在、日本はタイ人に対して完全鎖国状態にあるが、もう一度、彼女等に対して開国してみてはどうか?廃家電に料金をかけて家電の売上を落としてみたり、酒気帯びに30万もの罰金を課して夜の街の灯を消して見たり、みんな景気が悪くて困っているのにさらに景気を悪くするようなバカな政策しかできない政府なのだからバカついでにこれくらいのことをやってみればいいのだ。だって日本中にナナプラザやタニヤが出来たら日本の景気は間違いなく回復する。





第5章 衰退期(1993〜)

 水は高い所から低い所へ流れる。金のある所に人は集まる。外道さんによるとこのサイトは入管のお偉方も覗いているとのことなのであえて書くが、ブッシュ大尊師から「悪の枢軸」と名指しされている国がある。イランである。我が日本はこの国とつい10年前まで「相互ヴィザ免除協定」を結んでいたのだ!法務省や外務省の役人にとって国家の危機管理とは一体何なのだろうか?ホントにちゃんと仕事やってるの?

 バブル絶頂期には週2便、成田に到着するイラン航空機は不法滞在と不法就労目的のイラン人で溢れていた。ヴィザなしで黄金の国に来られるのだから当たり前である。その後あわてて協定を破棄し、取り締まりだ強制退去だと多額の税金を使って「忙しい。忙しい。」と騒いでいるのだから、ペンキ屋が仕事欲しさに近所の塀に落書きしているのと同じじゃないか。民間企業だったら雪印みたいにとっくにつぶされてるぞ。こいつらを馬鹿と呼ばずに何と呼べばいいのだ?アホ?ノウタリン?鬼畜?外道?違うか。

 このイラン人騒動は社会問題化した。タイ人はといえばどしどし入ってきたといってもジャンボ機1機にせいぜい2人か3人、問題にはならなかった。それに日本に住んでいても、まあ料理の臭いが強烈なくらいでさしたる問題もおこさなかった。しかしこの入管によるイラン人取締りのとばっちりを食ってタイ人狩も一段と強化された。イラン人だけ捕まえていてはまずいと考えるお役人達のスケープゴートにされてしまったのだ。

 もともと入管はタイスナックの場所を、強制退去のタイ人からの事情聴取により、かなり正確に把握していた。ただ面倒くさかったのか人手不足のためか、あまり真剣には取り締まっていなかった。勿論スナック側もそこいらは承知していて、働いていた女が店をやめる際に既に閉店したタイスナックの名前と住所を教えて「捕まった時はこの店の名前を言え。うちの名前は出すな。」と釘をさすのであるが、相手はタイ人である。そんなこと忘れちゃって全部しゃべっちゃう。僕の知人で捕まったのではなく帰国するため自ら出頭した子がいた。この場合日本人がついていかないと収監される可能性がある。僕は身元引受人としてついていった。勿論その後の肉体的見返りを期待してである。彼女も店のママや友達のことを気にしていたので入管に向かう電車の中で閉店した店の名前と住所を復習したのであるが、いざ出頭して入管の取調べ官に「君、可愛いね。」と煽てられて全部しゃべっちゃった。入管もやるなあ。遊んでんじゃないの?豚も煽てりゃ木に登る。タイ人煽てりゃ全部しゃべる。

 そんなわけで入管の取り締まりの強化によりタイの灯火は一軒また一軒と消え始めた。それと同時に92年か93年頃からであるがタイの日本大使館でのヴィザ発給も非常に厳しいものになっていった。この当時バンコクにいた方は御存知であろうが大使館の前には夜明け前からヴィザを求めるタイ人の行列ができていたし、回りにはヴィザ申請書の代書や日本の戸籍謄本を売るあやしげなテント村も出現した。

 シンジケートも困ってしまった。以前のように日本人を雇ってもヴィザが下りないのだ。そのため彼等も色々なことを考え出した。まず日本とヴィザ免除協定のあるシンガポール。タイ人もシンガポールへはヴィザなしでいけるので、偽造パスポートでシンガポール人になりすまして入国する。または香港、台湾と渡り歩きいかにもアジアツアーを装って入国する。アメリカのヴィザを取ってストップオーバーで成田から逃げ出す。入国希望者数十人でJALパックのような日本観光旅行を企画し宿泊したホテルから一斉に逃げ出す。これに利用されてつぶれてしまった旅行会社も実際にある。究極は入国希望のタイ人の男と女をタイで結婚させる。そしてハネムーンと称しサイパンへ行く。グアムはアメリカ領なのでヴィザが必要だがサイパンは自治区のようになっていて必要ないのだ。タイからサイパンへ行くには日本を経由しなければならず、そこで「夫婦」そろって逃げ出すのだ。あとは偽装結婚であるがこれについては後述したい。

 こう挙げてみるとタイ人の考える悪い事って何か笑えるよね。某国みたいに漁船につめ込まれて日本をめざして、難破したら全員死亡なんてシャレになってないもんね。あと上記のことは今や全て日本の入管にバレバレである。外道平民の方々がバンコクでオキニを見つけ上記の方法で日本に連れてこようとしてもダメである。あしからず。

 こうして入国方法が難しくなると彼女等に負わされる借金も増えてくる。現在でもまれにタイ人(しかしひな壇に並んでいても絶対に指名がかからないような女)が入荷するが借金は500万である。こんな女では1年働いても借金は終わらない。こうなると若くて可愛い子にとっては危険を犯して日本に行くよりバンコクのほうが稼げる、ということになってしまう。当然タイスナックの女性の質は落ちる。日本に残った女の子たちも可愛い順、性格の良い順、若い順に日本人に身請けされたり結婚したりしてますますいい子がいなくなる。すると客もよりつかなくなる。こうして日本におけるタイ人スナックは滅亡の一途をただることになる。最近では長年不法滞在している女が「スナックで働くより工場で働くほうが実入りがいい。」と言い出す始末。僕だって可哀想だとは思うがこんなブスオバさんじゃタダでも嫌だ。

 日本大使館がヴィザを出さなくなったことはあらゆる方面に波及した。まずタイ人娼婦を中心とした経済圏に多大な打撃を与えた。だから役人なんぞに権限を持たせていてはいつまでたっても経済は回復しないのだが、まあコレに関してはあちらも非合法なことをやっていたのだから良しとしよう(本音では良しではないが)。純粋に日本観光をしたいタイ人や日本に嫁いだタイ人のもとを訪問したい親族にもヴィザを出さなくなってしまったのである。この事は今でも多くのタイ人から大顰蹙を買っている。ヴィザを出さないだけならまだしもヴィザ申請に行ったタイ人に対する大使館員の態度が最、最、最悪なのである。ねえ、外務省の皆さん、大使館の大きな役割っていうのはその国との友好関係を築くことだよね。でもあんた達のやってることは税金の無駄使いしながら、タイ人の反日感情を煽っているだけじゃないか。外道平民の方がよっぽど日タイ友好に貢献してるぞ。しかも自腹で。

 今日(10月17日)の「煩悩の夕暮れ」の編集後記で外道さんも言及しているので書いてしまうが、拉致された5人の人権は当然尊ばれるべきである。前に書いた白人女性もそうだ。なにしろ「人間の命は地球より重い。」というのがこの国の見解らしいから。だったら言わせてもらうが、タイ人も人間だぞ。知ってた?行方不明問題はどうするんだよ。あとあの5人はパスポートなしで日本に帰国できたよね。素晴らしい配慮である。だったらパスポート無くしてバンコクで困っている日本人も自由に帰国できるでしょ。大使館でいじめたりしないよね?気の弱い人間は話を聞いただけで怖くて大使館へも近づけないよ。それと5人がかの国へ行く場合、日本人であるなら当然パスポートと、あなたたちがいつも大上段でふりかざす天下の印籠「ヴィザ」が必要だよね。当然かの国当局にヴィザの申請はするよね?ヴィザが出なければ出国させないよね。ヴィザが出たならばかの国が5人を文字通り日本人と認めたことになるので、当然24年間拘束したことに対する賠償をつきつけるよね、被害者家族の方々だってこれまで多大な出費を強いられたのだから。それがあなた達の仕事でしょ。バンコクの某MPに高官専用の入り口を作らせて女漁ってるヒマがあったら少しは仕事しろ。

 何かとても「外道の細道」とは思えない内容になってきてしまった。とにかくこのようにタイ人自身以外の問題で衰退を始める。しかし店側の努力も見られた。ショータイムと称してタイ女性のストリップを始めたり、アヌスもOKを謳い文句にする店が出現したり、店自体がピンキャバ化したり。しかし、いかんせん、いい女のいない店に客は集まらない。三等兵も現在6人目のタイ人と同棲してるが、端から見ても明らかに質は低下してるし、同棲期間も長くなってきている。昔は同棲しててもすぐ他のタイ人に目移りしたが、最近は目障りしかいないとのこと。考えてみれば2人目か3人目の女(1990年頃)が一番よかった。結婚しちゃっておけばなあと。後悔先に立たず。僕もここ数年はタイスナックにほとんど顔を出してない。直接バンコクに乗り込んでいる。タイ女性(若くて可愛くて性格の良い子限定)よ、永遠なれ。
 





第6章  国際結婚

 フィリピン人にしろタイ人にしろじゃぱゆきさんの目的は家族への送金である。しかし興行ヴィザではその滞在期間はわずかだし、不法滞在では捕まればそれでおしまい。そんな彼女等にとっていつまでも合法的に滞在でき就労もOK、母国との往来も自由というオールマイティーのヴィザがある。「日本人の配偶者等」つまり結婚ヴィザである。彼女等にとってはそれこそ喉から手が出るくらい欲しいヴィザである。

 タイ人娼婦にその恋愛観、結婚観を聞いてみる。勿論彼女等は売春をしなければならないような貧しい家庭環境にあるということを前提に聞いて欲しい。みんな口をそろえて言うことは、「恋愛なんて時間の無駄。一銭にもならない。結婚するなら年齢や容姿、国籍は関係ない。私と家族の面倒を見てくれる人。愛情は一緒に暮らしているうちに自然に生まれてくる。」僕の回りを見渡してみても、実際にそうなのだ。

 フィリピンクラブのタレントさん。彼女等の最終目的は日本人との結婚と言いきってしまってもいいだろう。娘が日本人と結婚すると、その家は町の英雄となる。フィリピン嬢をくどくファイナル ウェポンは、「一緒に君の故郷へ帰って君の両親に会いたい。」特に初来日のフィリピン嬢であればこれで落ちない女はいないと断言してもいい。日本人を家に招待するだけでも彼女等にとっては非常に栄誉なことなのだ。但し最近は既に日本人と結婚してるのに「ニホン ハジメテデス」と言ってのける輩も多いので御注意あれ。

 現在の日本はタイに対して鎖国宣言をしているといっても過言ではない。とにかくヴィザを発給しないのだ。こうなってくると、未だに密入国の仕事にしがみついているタイシンジケートにとって最後の手段が偽装結婚である。適当な日本人男性を見つけタイに連れてくる。ここで「出会い」の証拠をつくる。そして帰国後婚姻届を提出させ結婚ヴィザを取り、来日させるのだ。まずは1年のヴィザが下りる。次の申請でも1年、3回目の申請で3年ヴィザというのが一般的であろう。このヴィザが下りた時点で「離婚」する。これで都合5年、タイ女性は合法的に在日できる。男の報酬は総額で100万から200万といったところか。「女はいいよな。いざとなったら体売ればいいんだから。」などと嘆いてはいけない、外道平民の方々よ。男だって日本人であれば「国籍」というりっぱな売り物があるのだ。

 以上のような理由で日本人男性とアジア人女性との国際結婚はここのところ飛躍的に増えている。勿論、日本の女が結婚しなくなってしまったことも一因であるが。ところがこう並べてみるとどこまでが本当の結婚でどこからが偽装結婚だかわからなくなっている。例えば男が本気でも女が就労目的であった場合、これは偽装か?また、これは実際にあった話だが、ある男がシンジケートに頼まれてタイ人と偽装結婚した。女性が来日後、入管の内偵があるとの噂が立ち、とりあえず男のアパートで同居することになった。一緒に住むうちに男はこの女に惚れてしまい結局は本当に「結婚」した。こいつ「結婚しようと思ったら既に結婚していた。」という名言を吐いた。これって偽装か?

 日本人同士が結婚する場合、婚姻届は通常その場で受理される。国際結婚も昔は同様に簡単であった。そしてこれはフィリピンという国自体の問題なのだが、この国はカトリックである。結婚は1度しか認められない。だから日本人と結婚する場合でも、日本でだけ籍を入れ本国では籍を入れない。これなら日本人と離婚し本国へ帰っても堂々と「再婚」できる。ばっかだよな法務局も。こういう結婚も認めちゃってたしヴィザの更新も何も調べもせず認めちゃっていたんだから。せめてヴィザ更新の際に本国での結婚証明書を提出させるべきだったの。あんたら東大でてるくせに脳味噌あるの?これが通るのならとある既婚フィリピン女性は試みた。フィリピンに夫がいながら日本人との婚姻届をだしたらこれが通ちゃった。これって重婚だぞ。

 1992年頃からだと思う。法務局も自らのバカさ加減に気づいたのかイラン問題での外務省のバカの尻拭いのためか、国際結婚の審査を格段に厳しくした。というよりもそれまでがザルだったと言った方が正しいか。特にフィリピン人に関しては独身証明書の提出なしには審査を受け付けなくした。当然である。しかし「馬鹿は死ななきゃ直らない。」とは昔の人はいいこと言った。何と法務局はタイ人にも独身証明書の提出を義務付けたのだ。あのねえ、タイには独身証明書はないんですけど。日本と同じで戸籍謄本が独身証明書のかわりなんですけど。少しは勉強しましょうね。僕は何年かに一度タイ人との国際結婚の相談を受け、手伝うのだが、そのたびに「独身証明書」と言われる。そのたびに役所に説明するのだが、役人というのは学習能力がないらしい。次の時はまた同じ話。多分マニュアルがあってその通りにやっているのだろうが、間違いがあってもマニュアル自体を直そうとしないからこんな問題が起きるのだ。本当に一度死んでみなさい。しかしタイ人も負けていない。あるタイ女性は何と独身証明書を用意していたのだ。聞いたら偽造したとのこと。タイ人諸君。僕はあなた達が大好きです。実際にあるものならいくら偽造してもかまわない。しかしないものは偽造しないでくれ。こちらが困惑する。

  こういう事情なのでもしあなたがタイ女性と結婚を決意し、役所へ行くと、「知り合ったきっかけは?」とまず聞かれる。お前は桂三枝か!「新婚さんいらっしゃい」やってるのか。お前の知ったこっちゃない、プライバシーだ、人権侵害だ。などといって怒ってはいけない。あなたは偽装結婚の共犯者の疑いをかけられるのだ。偽装結婚かどうかだなんて、あとでその男の身辺調査をすればすぐにわかることなのだ。しかし役人というのは、たとえば警察が雨のの日にはネズミ取りをしないのをみても明らかなように、面倒くさいこと、うざったいことは一切しない。ありとあらゆる書類の提出を要求し自分等は机の上だけで仕事を済まそうとする。だから今では申請からヴィザ発給まで1年かかってしまう。しかもプライベートを洗いざらい暴かれて。こんなことをされて一番困っているのは誰でしょう?そう真面目に国際結婚を考えているカップルである。 

 このような問題を解決するにはどうしたらよいか。答えは簡単だ。タイ人のヴィザを免除してしまえばいい。そうすればわざわざ偽装結婚する必要もなくなるので、こんな人権侵害まがいの結婚審査をしなくて済む。前にも書いたがタイ人は日本へ来ても不法滞在と売春以外悪いことはやってない。ヴィザを免除すれば不法滞在の必要がなくなるし、売春がはたして犯罪であるかについては後述したい。また日本で外国人の凶悪犯罪が起こった時、マスコミはよく「犯人はアジア系外国人」という言葉を使う。ふざけるな。どこの国かは特定できてるだろ。戦争責任とかでこの国に特別な配慮をするからあえて国名は出さないだけだろ。だからこの国の人間を益々増長させるのだ。他の在日アジアの人々がこの言い回しにどれだけ傷ついてるか考えたことがあるのか。ひとつの国名を言うのにわざわざ北○○(○○○○主義○○○○国)と漢字の無駄使いをするマスコミである。アジア系外国人(但し東南アジアは除く)くらいの配慮をしてもいいだろ。

 実は国際結婚というのは日本にとって非常に重大な問題なのだ。日本は今さまざまな問題に直面している。その中でも最大の問題は「少子化」だ。これこそが経済低迷の一因でもある。それよりも何よりも人口が減るということは国家存亡の危機なのだ。(外道の細道に国家存亡などという単語を使ってしまった。すいません。)原因は簡単なこと。日本の女性が子供を産まなくなってしまったからだ。だいたい少子化が叫ばれている時にアメリカの圧力かなにか知らないが「男女雇用機会均等法」などという法案を成立させてしまう政府がばかなのだが、まあこれ以上無能政府の批判をしてもしょうがない。「女は家庭に入り、子育てをし、家庭を守る。」というのがアジア式民主主義なのだが。「男女雇用機会不均等法」を成立させない限り、日本の人口減少を食い止めるためには、「外国人女性に日本人を産んでもらう。」これしかない。そのためには日本人男性が外国人女性と接するチャンスをもっともっと多くする必要がある。そのためにも日本は「開国」しなければならないのだ。外道平民は先駆者過ぎる。

 これは何も偏見で言っているのではないが、白人や黒人と日本人のハーフを「日本人」と呼ぶには多くの人が違和感を感じるだろう。しかし、民俗学的考察は省略するが、日本人とタイ人特に北部タイ人とのハーフは純粋な日本人と見分けがつかない。理由は簡単だ。これも戦前の帝国軍事政権の策略についての話は省略するが、日本は本来、多民族国家なのだ。日タイ国際結婚の促進のためにも外道平民の方々、頑張ってください。

 PS:今回はマジになってしまい、Hな話が全く出てきませんでした。ごめんなさい。政府や役人の批判ばかりになってしまいましたが、日本にいて外国人とかかわっていくこととはイコール行政のバカさかげんに直面するということなのです。どうか御了承下さい。





第7章 お金の行方

 現在、1人あたりのGDPは日本34,000$に対してタイ2,000$である。この事実だけを見てもタイ人が日本で働くということはタイ人にとってはとんでもない金を稼ぐことになることは容易に想像がつくだろう。逆にこのGDPの差こそが我々外道をタイへ向かわせる大きな原動力となっている。と言ってしまうと1,200$のフィリピン、700$のインドネシアさらには200$の幻の国のほうがさらに良いということになるが、タイは安さだけではないことは外道の方々には説明の必要もないだろう。

 となると今まで数え切れない位多くのタイ売春婦が来日したのだからそれこそタイ国内中に「ジャパンマネー御殿」が建っていてもおかしくはない。タイでは車より家のほうが安いのだ。ところがそうではない。金を残せるのはほとんど一握りで多くの女性は命を削って仕事をしてもその報酬は手元に残っていない。ここではその理由を説明しよう。日本で働いていた女性の事情を説明するが、おそらくバンコクの売春婦にとっても事情は大同小異であろう。

 まずは自分で使ってしまう。これについてはほとんどコメントしようがないが、異国の地に不法滞在しながらの仕事によるストレスは相当なものなのだろう。ギャンブルや男に走ってしまう女性も多い。ギャンブルもパチンコ程度なら笑えるがタイ人同士のトランプ賭博となると遊びではすまない額が動くことになる。タイ人同士の借金で消息不明となる女性も多い。男に関して言えばタイの男が在籍するホストクラブも各地に存在したし、おそらく女性と同数位の男が日本で不法就労していたのだ。タイの男というのは普段は見てもわかるように大雑把でいいかげんでアバウトであるがことお金に関してだけは冷静沈着、非常冷徹なゴルゴ13である。虎視眈々と女の金を狙っている。心の琴線に触れるような甘い言葉をささやきかけられては我々の「クン スワイ ナー。ポム ラックン。」では到底勝ち目はない。こうして女は金を貢いでしまうのである。中には結婚を餌にタイ男から金を奪い取る豪傑もいたがこの勝負は圧倒的に男の勝ちであった。うらやましい。

 さて日本で稼いだ金はタイの銀行に送金することとなるが、来日する前に自分の銀行口座を用意するほどタイ女性は賢くない。多くの場合、親兄弟の口座に送金することになる。自分の口座を用意していてもタイの銀行は2名連記の預金通帳を作ることができる。通常は親と連名の通帳なのだ。いずれにせよ「自分以外の人間がいつでも引き出せる」口座にタイではとんでもない額の大金を送金しているのである。何が言いたいかわかるでしょ。10年日本で働き送金を続けついに逮捕された。しかし彼女は「これがいい潮時だろう。お金も十分たまったし、帰ったら家を建て車を買ってあとは利息で優雅に暮らそう。」とウキウキしながらタイに帰った。10年ぶりに会う家族である。懐かしさで涙が止まらないがそこは冷静に、「私の通帳は?」父親は、「そんなこと後でいいじゃないか。それより今夜はお前の帰国パーティだ。」次の日渋々差し出された通帳を見て、これ以上は書きたくない。

 これは実際に僕自身が遭遇したケースだがマヤちゃんは長野で4年、茨城で4年働いている。かなりの金が貯まったし家も老朽化していたので新築する決意をし、タイの父親に電話し連名の通帳から50万バーツを引き出し家を建てるよう依頼した。その後電話をかけるたび、「今日、屋根が出来た。」「来週には壁が出来る。」との返事。たまたまマヤのタイの実家のそばまで行く用事のあった僕に彼女は家の写真を撮ってくるよう頼んだ。僕は下心見え見えで快く応じた。ところが実際マヤの家を訪ねて見ると家など建てていない。父親に面会を求め、僕がマヤの友人であることを告げると、彼は驚きそしてオロオロし始めた。8年間、マヤが送り続けた金を全て使ってしまっていたのだ。送金停止を恐れうそをついていた。どうか内緒にして欲しいと逆に頼まれてしまった。帰国後、僕はマヤに「ごめん。家まで行く時間がなかった。」これしか言いようがないでしょ。

 日本で無駄使いもしなかった。家族もしっかり者で金に手をつけなかった。帰国して数百万、数千万バーツが手元に残った。さあでは幸せな人生が待っているか?いやいや、まだ甘い。彼女の金は何処にあるでしょうか?そう銀行である。これが問題なのだ。はっきり言ってタイの銀行員は日本と違って(同じかな?)銀行員としての倫理観が全くない。例えばユキちゃん、彼女は日本で7年働き1,000万バーツを貯めた。帰国し、とりあえずバイクを買おうと思い通帳を持って3万バーツを下ろしに銀行へ行った。応対にでたのはソムサップ、28歳、独身、一流大学卒。ユキちゃんの通帳をみた途端、彼はゴルゴ13に変身する。まずは「凄い額ですね。」と軽いフック。「この額ですと定期預金にしたほうが利息がかなり違いますよ。何なら今すぐに僕が変えてあげましょう。このままじゃ勿体無い。」とやさしいとこをみせる。誉められ、すかされ、ユキちゃんもつい、「実は日本に行って仕事をして、」としゃべってしまう。ゴルゴ13は全てを見抜く。

 バイクを買って帰ったユキちゃんのもとをソムサップは訪れる。銀行員であればユキちゃんの住所を知ることなど思いのまま。「実は僕、副業で保険の仕事もやっているのですが(実際そうなのだ。)あなたの資産は銀行より保険会社のほうが、」と話を持ちかける。最初は相手にしないユキちゃんであるが、彼は自分の経歴などを話に交えながら、「今度、一緒にゆっくり夕食でも食べながらあなたの有効な資産運用について、、、」もうこれ以上ダラダラ書かなくても外道の方々なら結論はおわかりであろう。とにかく銀行に大金を預けると不動産屋は来るは車のセールスマンは来るは、個人情報が漏れてるとしか思えない。まだヴィザが比較的容易だった頃はそれこそ数え切れない位の女の子が帰国し、タイで身ぐるみ剥がされ、素っ裸のまま日本に舞い戻って来た。

 僕はこのような女の子たちにいろいろと諭してあげた。金は小口に分けてありとあらゆる銀行に貯金すること、日本で仕事していたことは絶対に口外しないこと、金がからむと親族でさえ悪魔に変身するので金の管理に関しては自身以外絶対に信用しないこと、等。痛い目にあった後の彼女達は真剣に僕の話を聞いてくれた。こうして信頼関係を結んだ後のセックスは格別に楽しい。僕は外道である。彼女等の金が目的なのではない。より充実した楽しいセックスが目的なのだ。「たかがセックス」と言うなかれ。より良いセックスのためにタイ語を初めとしてありとあらゆるタイ情報を頭にインプットすることこそ外道の本道ではないだろうか。





最終章 売春という「お仕事」

 我々は(タイ)売春婦に一体何を求めているのであろうか?勿論それは人によって千差万別であろう。しかし大きく分けてみると、射精のための動くダッチワイフ(Aグループ)そして擬似恋愛の相手(Bグループ)の2つではないだろうか。これは僕が勝手に考えたものではなく、タイスナックの女の子達が客をこのように仕分けしているのである。三等兵とはそれこそありとあらゆるタイスナックへ通ったものだが、同じ店で三等兵は誰でも連れだしOKなのに僕は1人の女(例えばミミちゃん)に何故か限定されてしまうのだ。これは我々の行動に問題があった。三等兵は店に行っても誰とでも平等に会話をする。しかし相手の身の上を聞くとか自分のプライベートの話は一切しない。タイの一般的な話とか下ネタに専念する。それに対し僕は気に入った子としか話しないし、相手の身の上話とか自分自身のことに話を持っていってしまう。三等兵は誰彼なく触りまくるのであるが、僕は店の中ではしない。ホテルに行って2人きりになってから触りまくるのだ。こうなると三等兵は「今日はけい子ちゃん、来週はよし子ちゃん」と連れ出せるのに、僕はミミちゃんしか連れ出せなくなってしまう。僕が途中で女を変えようものなら、それこそ修羅場である。タイ女のジェラシーは棲まじい。これは何も僕がミミちゃんの好みの男であったからではない。僕がミミちゃんに感情移入を求めて、または許してしまうとその時点でミミちゃんは僕を「自分の客」と認識する。すると他の女の子の僕への介入を排除するのだ。この結果、三等兵は「みんなの客」となり僕は「ミミちゃんの客」と分類されてしまう。これを知ってから僕は「1軒の店に女は1人」を心がけている。フィリピンクラブも同様である。三等兵は売春婦との心のふれあいなんぞうざったいというが逆に僕はこれがないとセックスを楽しめない。

 誰でも恋愛は好きなはずだ。しかし恋愛はいかなるシチュエーションであれ1歩間違えると人生を棒に振りかねない。恋愛は出会いに始まり、いろいろゴチャゴチャあって、セックスに至り、男はここでおさらばしたい所だが女は「その次」を求める。売春婦相手の場合はこの「いろいろゴチャゴチャ」を「金」に置きかえることによってセックスに至り、あとはこちらの都合で好きな時に終結できる。勿論、彼女等もそれを承知しているし、客の心を見抜きそれに応じた扱いをする。僕が売春婦に求めるのは正にこの擬似恋愛の相手であったような気がする。そしてさらにタイ人である。あの、非常に良く言えばおおざっぱな、普通に良く言えばいいかげんな気質に今までどれだけ仕事の悩みやストレスを癒されたことか。

 外道の細道を読んでみると外道士族の方々はA:B=7:3といったところか。ヒロポン軍曹は「MPの心得」などを読ませていただくとAであろう。外道紘さんはBのような気もするがよくわからない。以前「煩悩の夕暮れ」で外道さんが「○○という店の○○ちゃんに男がいるかどうか調べて下さい。」というメールに怒っておられた。あたりまえだ。そんなことは人に聞くもんじゃない。自分で調べなさい。君はストーカーB,またはオタクBだ。ただ気持ちもわからないではないのでヒントを差し上げよう。まず女をカンクンで連れ出す。少しはチップもはずみなさい。もし彼女が次の日の昼近くまで君と一緒にいてくれたらまず男はいない。なんだかんだ理由をつけて深夜か早朝に帰ってしまったら夫か男がいる、またはエージェント付きと思って間違いない。エージェントの有無は本人に聞けば結構正直に答えてくれる。但し君の性格自体に問題がある場合は誰であろうと早く帰りたがるのであしからず。タニヤあたりは既婚の売春婦が結構多いよ。

さて話は変わるが。売春婦にとって必須科目とは何であろうか?この問いには自信を持って答えたい。フェラチオである。原始の時代より男はその役割上、ある程度の凶暴性を持っていた。交感神経が働いているのだ。女はこの凶暴性を持った男とまぐわらなければならない。そして男は自らの男根があのなめらかな舌の感触に浸ると、交感神経の機能を停止してしまう生き物なのだ。すると副交感神経が働き出す。従順な生き物に変貌してしまう。自分自身のことを考えればわかるでしょ。そうフェラチオとは女が生まれながらにして持った護身のための本能なのだ。だからこそ出会ったばかりの男とセックスをしなければならない売春婦にとってフェラは必要欠くべからざる行為なのである。売春婦の皆さん、身の安全のためにもフェラはしっかりやりましょう。できれば30分位していただけると非常にうれしいのですが。すいません個人的なことを言って。

 しかしながら明らかにタイはフェラチオ後進国である。これは文化や宗教の違いによるものなのか、はたまた情報の伝達に問題があるのか。来日したタイ人でもMP出身者以外は最初からフェラをする子はあまりいなかった。僕自身の説によればフェラは女のDNAの中にインプットされているはずなのに、日本へ来て覚えた子がほとんどではなかっただろうか。僕は以前、タイの農村で近所の農民を集めて日本のウラビデオの上映会をやったことがある。皆最初は興味津々に眺めていたがフェラのシーンになると一様に驚きの声を上げ、「吐き気がする」と言って部屋を飛び出した奴もいた。聞いてみると農村では夫婦でもフェラはやらないらしい。農耕民族ゆえか?あんな世界一楽しいことを知らないなんてタイの農民は可哀想だ。

 フィリピンは積極的だ。僕は一度だけ処女といたしたことがあるが、それでも口元に持っていくとごく自然な感じで咥えてくれた。但しクンニは拒否。「女のあそこは汚い。男の人が舐める場所じゃない。」と。これって文化?白人はもっと凄い。挿入中でも萎えてきたのを感じとると取り出して即フェラ。男女同権がここまで浸透しているのか?

 外道の方々もタイ特に置屋などでフェラNGの女に遭遇したことがおありだろう。でも怒ってはいけない。こういった背景があるのだ。しかしフェラは売春婦にとって避けては通れない道である。こういう子にめぐり合ったらやさしくやり方を教えてあげるのが外道の良心というものではないだろうか。必ずその子に「増収」という形で返ってくるのだから。僕のやり方はこうだ。まず常套手段として恋人モードに突入する。心を開いてきたらコンドームを取り出し舐めさせて見る。無味無臭であることを確認してもらったら、「どうせゴムを舐めることに変わりないから、」と言って己にコンドームを装着し(こういう楽しいことやっていると妄想だけで勃起している。)ゆっくりと口腔内に挿入。この時必ずと言っていいほど相手は瞳を閉じている。頃合を見計らって気付かれないようにサッとゴムをはずす。相手はパッと目を見開くが時既に遅し、両手で顔を固定してしまえばまさか噛み付くことはない。

 処女相手のセックスが楽しいか否かについては賛否両論、議論白熱するところであろうが唇処女を奪うのは絶対楽しい。昔、顔なじみのタイスナックのママから、来日したばかりの子にフェラチオを教えてやって欲しいと頼まれたことがある。しかも僕好みの子だった。僕は初体験の時以上に興奮してしまいホテルに向かう車の中で声がうわずっていたのを覚えている。僕って変態かな?
 
 この連載を始めるにあたって外道紘さんと、最後は「売春とは何ぞや?」という議論にまで持っていきたい、ということを話し合った。「世界最古の商売は何か?」というクイズがありその答えが「売春」であることは御存知であろう。さて、困った、結論が出ない。僕は「人間」についての疑問が生じた時、思いを原始の時代に及ばせる事にしている。今から500万年前、人類がチンパンジーから枝分かれした頃、我々の祖先は人類の証である23対の染色体を与えられ、それの交雑を繰り返し現在に至るわけだ。この当時はまだ火も道具も使えない。人類の起源については黒人であるという説が有力であるが、チンパンジーの肌の色や民族分布などを考え合わせると我々黄色人種こそが起源ではないだろうか。学術的証拠はないが、こう考えればおそらく亜熱帯のジャングルに生息していただろうから、我々が観葉植物に癒しを求めるのは500万年前のDNAの記憶ということで説明がつく。普段は男女区別なく木の実や小動物を採って生活していた。しかし女は子を宿すと出産前後に著しくその運動能力が低下する。食料の確保も外敵から身を守ることもできなくなる。女は自らの体を筋骨たくましい男に提供するかわりにこの時期の食料と身の安全を男に委ねた。男は自分の使命を果たすと、次なる美しい女を求めて旅立つ。

 この「食料と身の安全」を「お金」に置き換えたら「売春」とならいかな?もしそうだとすれば売春とはフェラチオ同様、女の本能に刻み込まれた禁断の処世術と言えるのではないだろうか。ちょっと強引かな?でもだとすれば売春は犯罪ではない。一部の白人国家では合法化されているし、イスラム国家や共産国家を除けば売春管理者や未成年者に対する法律はあるが、売春そのものとなると公序良俗とか教育上の問題に逃げてしまっている。またそれらしいものがあっても国家としてそれを積極的に行使することはない。

 となると日本にいるタイ人娼婦が犯している犯罪とはオーバーステイのみ。しかもオーバーステイ自体が犯罪であるかということになると、もうこれは彼女等の問題ではなく日本国家自体の問題である。だって僕たちだってタイにオーバーステイすることあるでしょ。その時だって1日100バーツで済んじゃうじゃないか。

 PS:11月8日の朝日新聞朝刊社会面に「タイ人相手の地下銀行業者逮捕。日本初。」という記事が載っていた。まさか僕がこの連載に書いたのがきっかけではないだろうが、案の定タイ食材店の経営者だった。おまわりさん、お仕事ご苦労様です。でも他にやることがいっぱい、たくさん、いろいろあるんじゃないですか?タイ人て1回せいぜい50万ですよ。他の国の奴と額が2桁違うでしょ。

 それなら僕も逮捕して下さい。僕も日本にいるタイ人に頼まれてせいぜい50万をタイの家族まで運んだことが何度もあります。違いといえばこの店主が「不特定のタイ人」を相手に「利益追求」を目的だったのに対し、僕は「若くて可愛くて性格の良いタイ人」を相手に「その後の楽しいセックスのための信頼感を得る」目的でやっていただけです。  

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