外道日記

徒然なるままに昼寝暮らし、心にうつりゆく邪事を書き綴れば、寝苦しいほど股間が熱い
バンコクで自堕落に暮らすオレの外道な日々を振り返ると一体何をやっているのだ!”と言う事が多いことに気づきました。これはその自省の記録です。

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ROAD  TO  GEDOH

 11月**日 第壱話 キックを蹴り下ろせ

 オレがロード(旅)に出ることにしたのは、知人のハングルM家の家庭崩壊がきっかけだった。

 ハングルMは、タイに填った若い日本人にありがちなパターンでタイ女性を女房にしていた。

 離婚・蒸発・慰謝料・養育費・裁判・弁護士等々・・・悲惨なニュースしか耳にしない日本人男性とタイ女性の結婚が多いなか、ハングルM家は”愛しているなら拳で示して”を標語にしているとしか思えないセックスとバイオレンスに満ちた家庭ながら、何とか存続していた。二十代前半に頭が空のままのぼせ上がって結婚してしまった二人は、その夫婦喧嘩からして微笑ましく、ハングルMは真夜中過ぎに電話をしてきては「ヒロさん聞いてくださいよー!ウチの嫁がフェラチオしてくれないんですよー」電話の後ろでは奥さんの罵声と嗚咽が聞こえる。・・・こいつは一体何を訴えたいのだ?オレは眠気と馬鹿馬鹿しさに耐えながら「ウンウン、それは君がクン二をしてあげないからいけないのだ。もう一度最初からやり直しなさい」などと、いい加減な答えを与えて電話を切るのが常だった。三十過ぎても独り者のオレは、正直この馬鹿夫婦が羨ましかった。若いけど曲がりなりにも家庭を持ち、二人で人生を築いていこうとして一生懸命だし、彼等の一人息子はまだ2歳にもならないカワイイ盛りだ。家庭を持ったことのないオレにとってこのハングルM家は心に安らぎを与えてくれる癒しの場だった。何時までもこのまま続いて欲しかったのだ・・・。

 だがやはり、この馬鹿家庭もついに終焉の時を迎えた。奥さんが出ていってしまったのだ・・・。直接の理由はハングルMの浮気だが、二人の間にある真の理由は他人のオレにわかりようもない。理不尽だと言うことは理屈でわかっていても、オレはハングルMに対して猛烈に腹を立てていた。「・・・あの大馬鹿野郎が!甲斐性もないくせに浮気なんかしやがってロクデナシの三国人め、釜山港へ帰れ!」「子供はどうなるのだ!思いっきり典型的な日本人の落とし子じゃないか!」「子供は奥さんが引き取るんだろうな・・・もうあのカワイイ子にも会えない・・・」こうした独り言をブツブツ言いながも、オレには彼等に対して何かしてあげることも、またする気も無いことを知っていた。オレの不平は無責任な傍観者の力ない正論に過ぎないのだ。
 
 冷たい風が横殴りに吹きすさぶような荒涼とした心に外道先達者”ジム・ファッキン・モリソン”の詞が思い浮かんだ。
〜 孤独の時 人が醜く見える 孤独の時 世界は汚れて見える 〜
 オレは自分の内にある孤独と醜悪さに気づき、自分も含めた全てが嫌になった。日常のしがらみを捨てて以前のように旅に出よう、孤独ではあるが自由な方が良い。と思うとオレは向こう10日間の全ての仕事をキャンセルし、また連絡が付かないところはぶっちぎる事にした。いいのだ、いいのだ、仕事ぐらい!そんなことで誰も死にはしないのだ!そう決めると急に晴れ晴れとした気持ちになった。

 映画”イージーライダー”のなかでビリーとキャプテン・アメリカは、時間に支配され自主性を失った現代社会から決別するため時計を捨てて旅に出た。時計の刻むリズムに支配されることなく、自分の内なる宇宙の刻むリズムに従って生きることを選んだのだ。オレは荷物をまとめながら、そっと左手の腕時計”ローレックス・パッポン限定モデル”を外して、ベットにおいた。”オレも時間を含めた諸々のしがらみから決別しよう、自分の内なる外道時間に従って生きるのだ!・・・でも、携帯は持っていこう。アラーム機能も付いてるし・・・”などと、結局何もわかっていないことをしながら荷物をまとめベットについた。

 翌朝・・・早朝に渋滞を避けてバンコクを出るつもりだったが、オレの体内時計は普段でもかなり外道時間に合わせて時を刻んでいるので、起きたときには昼前になっていた。・・・何と言うことだ!オレは急いで荷物を愛車に載せた。

 一応北に向かって走ろう、行けるところまで行って日が暮れたら宿を探せばいい。

 こんな気ままな旅は久しぶりなのでオレの心は躍った。オレは流れ者の外道だ!自由と煩悩に向かって突っ走るのだ!

 オレは愛車のキックを思いっきり蹴り下げた。タイ製150ccカブ型バイク"外道号"は、パルパルパル・・・パンパンパン・・・と芝刈り機のような爆音を響かせて、バンコクをあとにしたのだった。

 (第2話に続く)




5月**日  白昼の死角

 オレはオンヌットに来ていた。

 BTS終点のオンヌットはスクンビットの馬鹿高い駐在員アパートから離れ、比較的安めのアパートやボロイ民家の並ぶ地域だ。とは言っても市中心部からは近いし、BTSに乗れば市内の移動が非常に簡単なので、ナナ・カーボーイを初めとして多くの水商売女性及び貧乏人達が住み着いている。

 バンコクも他の大都市の例に漏れず、生活環境の劣悪な市内にはあまり金持ちは住まず、中流以上の人達は郊外に一戸建てを求め、そこから市内の通勤する人が多い。頑なに市内に住んでいるのは一部の大金持ちか、土地勘のない外国人、他は行き場のない貧乏人達だ。オンヌットは貧乏人比率の非常に高い、言ってみれば一昔前はスラムと呼ばれても仕方ないような場所だった。

 オレがオンヌットに来たわけは、一通の投稿だった。

>スクムビット近辺にも絶滅と噂されているお茶屋は実在します
>貴 外道の細道HPで紹介されていたソイ71を過ぎた運河の橋をUターンしたところ以外にもパカノンにはもう1件あります。
>BTSパカノンの駅を降りてパタヤ方向に歩くと左手に映画館があります。
>その裏手にはエロ映画館がありエロ映画館のならびにお茶屋はあります  
>(念密な市場調査を行った様な立地条件 (笑))
>ソイの入り口にタイ語でローンナムチャと書いた看板あるので 
>タイ語が読めればすぐに発見できます
>お茶屋の中はひな壇があり 
>10人ぐらい座っていますが若い女はいません 
>価格はB420と言われましたがタイ人価格はもっと安いと思います

 この情報をもとに、今や幻のような存在になってしまった冷気茶室を求めてやって来たのだ。こんな日の当たらない場所を発掘し、広く世に知らしめるのは、オレのような外道者が天から与えられた使命だ!ロマンのあるオマンコを追い求める愛の戦士なのだ!!と使命感に燃えてやって来た。と言うのは嘘で、本当のことを言うと週末なのに金もなく、遊びに行けるところが限定されてしまったので、仕方なく来たのだった・・・。

 パカノンからオンヌットにかけては電気屋街になっていて、サバ・エレクトロニクス・西城電気・丸菱電気等の聞いたこともない日本メーカー製テレビや、懐中電灯付きラジオのようなどうしようもないバッタ物が雑然と店先に並べられていた。そんな店先を冷やかしながら歩いているとオンヌットまで来てしまった。変だなー?映画館なんてないぞ・・・ガセネタだったかな??と思っていると。ソイ(小道)71沿いに鄙びた映画館があった。閑散としていて人のいる気配はないが近寄ってみるとまさしくエロ映画館だった。「オオッ!ここだったか」と辺りを見渡したがどこにも(ローンナムチャ)の看板はない。ずいぶん歩いて汗もかいたし、エロ映画館なんて高校の時以来だ。オレは暑さと、ノスタルジアに誘われてエロ映画を見ることにした。

 一階は吹き抜けのガレージのような構造になっており、またもバッタ物電気屋屋台や、海賊版CD屋、ぶっかけメシ屋などがある。その中に階段があり昇ってみると切符売り場やポップコーン売りなどがあり意外に賑わっていた。もっともそこに蠢いているのは、今日は非番ですと主張しながらブラブラしている軍服姿の若い兵士や、サンダル短パンT−シャツと言う普段は屋台を引いていそうなオヤジばかりで、賑わっていると言うよりギラついていると言った方がピッタリする人達だ。チケット売場の向かいには裏本専門の本屋まであり、エロで充満した場所だ。革靴を履いているのはオレだけでダレた格好で来たにも関わらず、変に目立ってしまう。
 
 上映中のプログラムポスターを見ると、洋ピン・香港物・タイ物の三本立てのようだ。しかし、上映時間は朝10時からよる10時までと、夜10時から朝10時までの二回しかない。・・・12時間も流しっぱなしにするのだろうか?なんだか訳が分からなかったが、もぎりのオヤジは「100%満足!!」とダミ声で絶叫している。魚河岸のような雰囲気の映画館だ。オレはチケット40バーツを買って入場した。

 館内は当然ながら真っ暗で足下が見えない。暗さに目が慣れるのを待ってオレは席を探した。驚いたことに館内は満席状態で、スクリーンそばのかなり前の方まで行かないと空席がなかった。ウーン・・・何処の国も男達は性欲を持て余しているのだなー。オレは席について上映中の洋ピンを見ていた。

 洋ピンは字幕スーパーではなくタイ語吹き替えで、ロケットのようなオッパイをした白人女優が「シィアウー(感じる)」とタイ語で喘いでいる。オレはしばらくこの異様な雰囲気の洋ピンを見ていたが、すぐに飽きてしまった。つまらないなーと思いながら館内を見渡すと、スクリーン脇にトイレのドアがあり、客がトイレに行く度に、真っ暗な館内に光が射し込んでくる。

 その時だ!外から差し込む光を浴びて女の姿がシルエットに浮かび上がった。

 何故こんな場末なエロ映画館に女がいるのだ?オレは映画そっちのけで、そのトイレ前女を観察していた。わずかにドアが開くときしかそのシルエットは見えないのだが、間違いなくダイナマイトボディーだ。もの凄いプロポーションをしている。その上に服装はそのままベトナム戦争物の映画にでてくる淫売で、タンクトップにホットパンツ。トイレに向かう男達に何か一言二言話しかけては、一緒に消える。・・・間違いない!!淫売だ!

 オレは別に用もないのにそわそわして席を立ちトイレへと向かった。映画館のゆったりとした傾斜の階段を一段また一段と降りるたびに女の姿がハッキリとしてくる。暗さで表情までは見えないが、結構大柄で突き出たオッパイをした女達が3人ほどドアの前で屯している。オレは初めて恋をした少年のようにドキドキしながら近づいていった。オレがドアを押し開けようとすると女達は一斉にそして押し殺したような小さな声で「ティアオ・マーイ?(遊ばなーい?)」と声を掛けてきた。オレは出来るだけ平静を取り繕ってその声を無視し、トイレに入った。

 「ウーン・・・いい女だ!なんであんないい女がこんなところで商売しているのだ??」「此処の客層からして100か200バーツだろう、それなら安い物だ!」「しかし、何処でやるんだろう?この臭いトイレかな?やだなー」「まさかこんな所にまで淫売がいるとは・・・白昼の死角・・・タイ人恐るべし!!」などとオレの心は千々に乱れた。

 その時一人の女がトイレに入ってきてオレの思惑は中断された。

 女はションベンをしているオレの横に立って右手を軽く握って輪を作り、それを口の前まで持ってくると、「チュ!」っと口をならして、「アオ・マーイ?(やらなーい?)」と言った。最早オレの心はパニックだ!尺八のようだが、とりあえず値段を聞かなくては!オレはなるべく動揺を看取られないように平静を装い、どうでも良いけど値段だけは聞いてみるようなそぶりで女の方に振り返った。そして、オレは愕然とした。

 カマじゃねえか!!


 どうりでダイナマイトボディーなわけだ・・・。オレは内心の動揺を隠しながら「けっ結構です」とことわり、逃げるようにトイレを出て映画館を後にした。

 しかし、タイ人とはなんという奴らだ。映画館にまで淫売を置くとは・・・それもカマの。オレは今後も付き合っていかなければならない、タイ民族という種族におそれをなし、自信を喪失したまま肩を落として帰路に就いたのだった。




5月**日  さようならバンコク、さようならビタミン剤

 5月のある日、オレはついに日本に帰国することに決めた。
 理由はっきりとしていた。情けないことにオレは30過ぎにしてビタミン剤にはまってしまい、単なるポン中になってしまったのだ。

 昨年暮れのノックとのビタミン剤ファック以来、オレとノックはすっかりその虜になってしまっていた・・・。この様な行為が良い結果を生むわけはなく、オレは仕事をサボりがちになり、友人は離れていき、社長Mにいたっては「ケッ!ポン打ちなんぞになりやがってとっととくたばれ」と罵ってオレを避ける・・・。ノックはパトロンに対してのファック拒否という致命的なミスを犯してハゲに逃げられ、再びタニヤへと舞い戻っていった。

 だが、二人とも悪運は強いようで、オレは仕事を首にならず、何時もなにか上の空で疲れたような表情を見せるオレに、上司や同僚は心配してくれ、「どうした?少し日本で休んできたらどうだ?ちょうど研修があるから2〜3ヶ月だけど行ってみるか?」と言ってくれるのだった。ノックもすぐに新しいハゲを生け捕りにし、また店に出ずに済む身分となった。新たにつかまえたハゲは某邦銀勤務。日本国内をその賛否を巡って沸かせた金融機関への公的資金導入は、巡り巡ってバンコクに暮らすイカレ達をも救済していた。

 俺達は声を合わせて「人生って甘いなー日本の皆さんありがとう!」などと罰当たりなことを言い交わしながらビタミン剤ファックに熱中していた。時折こうしたイカレ生活に嫌気がさし、ビタミン剤と縁を切ろうと決意するのだが足並みがそろわない・・・。

 ある時はオレが「もう止める」と宣言し、一週間ほどは大人しくしているのだが、すぐ横でノックが銀紙を炙っているのを見るとつい、「オレにも一口やらせろ!」ということになり元の木阿弥。また、ある時はしばらくノックがオレの部屋に来ないので、どうもヤツも、このままではイケナイ!と思い控えていたようなのだが、オレの部屋に来ると、オレは相変わらずビタミン剤でヘロヘロ・・・。その様子を見てノックは「ウー!私の彼が悪い人になってしまった。私って本当に男運のない女・・・」と水商売の女性にありがちな自己憐憫ナルシシズムに浸って泣き崩れ、それでも結局「私にも一口やらせて」と言い、元の木阿弥・・・。

 オレ達は全くお互いを補完し合うことなく、かえって坂を転げ落ちるかのようにお互いを助長し合う最悪のイカレ外道コンビとなり、破滅に向かって爆進していた。

 そんなある日オレは自発的にこのイカレ生活を抜け出すため日本帰国を決めた。それはある小さな出来事がきっかけだった。

 ビタミン剤の副作用の一つとして幻聴がある。人によっては「お前を殺してやる」とか「警察が追っている」とか「電話が盗聴されている」とか聞こえるのだ。これが人をバットと言う一種の恐慌状態に追い込むのだ。勿論全ての人がそうなるわけではないが、ビタミン剤にはその人の持っている本質的な恐怖心や不安などを幻聴や幻覚によって現実化してしまう効果があるようだ。友人のハングルMにいたっては警察無線が聞こえ、それは何故かタイの警察なのに日本語で「ヤツを追え!市内全域に網を張れ!」と聞こえたそうだ。

 数日前から、オレにも幻聴が始まった。危険信号と受け取らなければならないのだが、オレの幻聴は何かふざけていて真剣味に欠ける物だった・・・。頭の奥底から耳鳴のように響いてくるのは、ノックのあえぎ声だったのだ!「オーイ 死んじゃうよー オマンコ気持ちいいー」とか「アウーイ もっとしてー いっちゃうよー」などと言う、少し変な発音の日本語だった。

 その日いつものように仕事場へ向かうためボロバイクを運転していると、突然前のソイ(小道)から一台の馬鹿派手なBMWが飛び出してきた。急ブレーキを踏んで何とか事故には至らなかった。運転マナーなど皆無に等しく、優先順位は車体価格によって決まっているようなこの街では珍しいことではない。普段であれば気にせず運転を続けるところだか、ビタミン剤で切れやすくなっていたオレは烈火の如く怒り、遙か前方で信号待ちのために停車しているそのBMの前に回り込んで、後輪をロックさせて停めてメットを脱いで地面に叩きつけ馬鹿派手BM野郎を睨み付け、「降りてこんかい!」と変な関西訛りで怒鳴っていた。

 最新型スポーツタイプBMWの前に回り込んで進路をふさぎ、訳の分からない言葉で怒鳴り散らす国籍不明のボロバイクに乗ったオヤジと言う、この国ではあってはならない非現実的な情景に対処法を見失ったらしたらしい大デブ中華系のBMオヤジは驚愕した表情を見せた。

 その時だ!オレの耳に「マンコ気持ちいいー」と言うノックのあえぎ声が聞こえてきたのは・・・。
 
 恐らくオレの顔はにやけていたのだろう・・・。BMオヤジはさらに恐怖の表情を浮かべて、信号を無視しオレのバイクを避け、強引にユーターンしてオレの視界から消え去った。

 オレは心の中で力無く呟いていた。「もうダメだ・・・日本に帰ろう」オレは自分自身に廃人宣告を下した。

 毎朝通勤電車に揺られて定時に出勤し、少しだけ残業して帰宅しテレビを見て寝るだけと言う規則正しい日本の生活は、日本にしか住んだことのない人にとっては当たり前のことだが、一度楽をしてしまったオレにとっては強制収容所の中で更正の道を歩むようなものだ。我が祖国である収容所列島日本でラーゲリ生活をし心身共に更正しよう・・・そう心の中で呟いた。

 オレはバイクのハンドルを切って今来た道を引き返し、部屋へと帰った。仕事場に電話し体調が悪いのでしばらく休むと伝えると共に、以前より奨められていた日本での研修に参加したい旨、上役のハゲオヤジに伝えた。ハゲは全てを見透かしたかのように優しくそれに賛成してくれた。

 と言うわけで、俺の帰国にともないこのサイトも一時お休みになります。
 さようなうら皆さん。さようならバンコク。さようならビタミン剤。

追記:何かを諦めると人はヤケになるようで、日本帰国を決めた日から、帰国当日までオレは体調不良を理由に仕事を休み続け、大量のビタミン剤を仕入れて廃人三昧の日々を送った。帰国のフライト中も最後の三錠を飲んでしまい、成田の入国審査を通るときは思いっきり瞳孔の開いたバキバキのポン中患者となっていた。

 入国審査の係官は当然その道のプロなので、オレの顔を見ればすぐに"あっポン中だ!"とわかるはずなのだが、キマリ過ぎで馬鹿になっているオレはそんなことは気のせず、この木っ端役人の慇懃無礼な質問「もちろん、大麻や麻薬のような物はお持ちではないですよね?」にも、血走った目をギラつかせて「もちろん持ってませんよ!私がそんな人間に見えますか?」と逆に食ってかかっていた。

 今考えるとその時のオレは”そんな人間”以外の何者にも見えなかったと思うのだが、このお役人様は人間の良くできた、心根の優しい方だったようで、とっさにこんな馬鹿ポン中相手にしても仕方ないと判断したのかあっさりと「行ってよし」と言ってくれた。オレにはその事務的で乾燥した声が「逝ってよし」と言っているように聞こえ、これから続く北の国の厳しさを覚悟させたのだった。



5月××日 サセ馬鹿ソウルトレイン

 AM1:00今夜もスパッソは盛況だった。このクラブはバンコクでは珍しく外人バンドを入れていて、市内のスノッブ達が好んで集まる。とは言ってもRCAやソイ5にいるような若い外人ヤッピー達ではなく結構年輩で金もそこそこ有り、その気になればいつでも高級クラブに出入り出来るのだが、今更風俗店はちょっと・・・と言う30代後半から50代までの仕事も私生活も油のに乗りきった男達だ。つまりかのソウルトレインの世代なのだ。そのせいかバンドがやる曲も黒人ナツメロ路線で、二十代前半をロンドンの黒人街で過ごし、”男版山田詠美”みたいな生活をしたいた事のあるオレは、個人的にこの手の曲が大好きで、初めて訪れた夜に黒人バンドが”GIVE THE POWER WHAT THE WANT(邦題 ソウルパワーのテーマ)”を演り、DJが回した曲が”LADY MARMALADE”だったとき”今だにこんな曲を回すクラブが地球上にあったのか!”とすっかり痺れてしまい、二週間ぶっ続けに通い詰め、危うく社会生活が崩壊しかけた経験がある。

 とにかく客層は白人駐在員及び、出張者が主だ。この金が服を着て歩いているような男達をタイ人娼婦が見逃すはずはなく、開店当初から高級娼婦が集まるようなってしまった。最近それに新たな集団が加わった。

 日本人の女の子達だ!!

 オレとはDJと通して、ある仲良しグループみたいな女の子達と知り合いになった。

 彼女達は、駐在員若奥様とAUAなどの語学学校にかよう女の子達だった。・・・まあ、つまりはサセ馬鹿達なのだが、彼女達の気持ちもわかる気がする。夫は残業もないくせに毎日午前様で、週末はゴルフだと言って出掛けたまま愛人にあったり、風呂屋に行っていることは明らかなのだがスクンビット村とまで言われる狭い日本人社会では世間体もあって、派手な痴話喧嘩も出来ず、フラストレーションは嫌が応にも高まる・・・。

 まだ独身である語学留学もどきの女の子達にしても、周りにいる日本の男は、変にオタッキーなストーカー君か、タイに来てから生まれて初めて女に相手にされてため、すかっり舞い上がってしまった勘違い野郎ばかりなので魅力を感じない・・・。

 男としての魅力を感じるのは、強引に口説いてくる白人やタイ人に限られてしまう。そして、”男らしい”と言う言葉が”馬鹿”と同義語であると気づいたときには手遅れで、何故か女性である彼女達が、男に金を使わなければならなくなっている・・・日本人は男も女もこの外道王国タイでは”カモ”にならざるえないようだ。

 彼女達は、別に此処で身体を売っているわけではなく、その自覚もない。だが、気のあった男と寝て、相手が金を差し出せば黙って受け取る。その日オレの部屋まで来て一緒にビデオを見ているうちに、何となくやらせてくれたエミさんは、寝物語に「白人やタイ人のオヤジは黙ってってもお金置いて行くわよ。別にお金くれなんて言わないけど、くれるって言うなら受け取るわよ。くれないならそれでも良いの・・・」と少し寂しそうにいった。オレは世界最古の職業と言われる”売春”の成り立ちを感じさせるその言葉に黙ってうなずいていた。やはりこの仕事は女性が自発的に始めたのではなく、男達が始めさせたものだろう。

 何となく気の重い雰囲気が流れていたので、オレはゴソゴソと”眠くなくなるビタミン剤”を取り出して、炙り始めた。それを見ていたエミさんは「ねーねー、それってもしかしてイケナイ薬じゃない?」と、好奇心と不安がない交ぜになったような表情で尋ねた。オレは”悪い女になったつもりだけど、成りきれない”彼女の様子がかわいく、つい「一寸やってみる?」と言ってしまった。

 これが間違いの元だった。

 エミさんはオレの真似をして銀紙を炙りビタミン剤を吸い込んだ。「たばこより簡単ね」と言うと、彼女は強がりもあってか「なんだか効かないみたい・・・」などと言ので、面白くなったオレは「変だなー、もう少しやったら効くよ」と煽り続け、気がついた時にはかなりの量を摂取していた。
 オレ一人では、決してやらない量を炙ってしまい。オレ達はヘロヘロに成っていた。目はすっかりラリッているのに「効かないわ・・・」と言い続けるエミさんを無視して、オレはビデオの”マーズアタック”に填ってしまい、大笑いしていた。

 眠くなくなるビタミン剤の特徴とも言えるのが、この自覚意識の希薄さだろう。それ故に、間違えて量を過ぎてしまうものだが、これはオーバードープにもつながりかねない危険なことだ。本来ならオレが途中で彼女を止めるべきだったのだが、自分自身もラリラリだったので、最早彼女のことをかまう余裕はなく、馬鹿みたいに大口を開けてビデオを見ていた。

 その時、突然エミさんは「ねえ、今日何日?」と言った。

 オレは最初、彼女の質問の意味が分からずボーっとしていたが、彼女は続いて「旦那が出張から帰ってくるのよ、早く家に帰らなきゃ」と言い始めた。此処で初めてオレは彼女の意味することが朧気にわかり始めた。

 つまり、彼女はキマリすぎて日時の感覚がブッ飛んでしまったのだ。オレ自身もイカレになっているので、今日の日付を思い出せない。シンガポールに出張中の旦那が帰ってくるのは一週間後だから、オレの部屋に遊びに来たはずなのだが、そんなことは馬鹿になっているエミさんには思い出せなかったらしい。当然オレも忘れていた。仕方がないので「ウーン、何日って言われても・・・確か2000年だよ」などと、全く答えになっていないことしか言えなかった。この一言で彼女は恐慌状態に陥った。「ヤダ・・・どうしよう。子供はアヤさん(家政婦の意)に任せてあるから良いけど、旦那が帰ってきて私が家にいなかったら、やっぱり拙いわよね・・・」と言いながら無意味に部屋をウロウロしている。当たり前だろうと思ったが、それは口にせず彼女の恐慌状態を見てやっと少し冷静になったオレは、こうした場合の応急処置を始めた。

 オレは時計のバックライトを押して、今日の日付を彼女に見せた。「ほら、今日は××日でしょ、旦那が帰ってくるのは○○日以降だって言ってたじゃない?大丈夫だよ!」と言って彼女を宥めた。それを見て彼女は少しホッとした様子だったが、すぐに「でも、予定より早く帰ってきたら困るわ・・・」と言いだした。なら、初めから浮気なんてするな!と言う言葉が喉まで出かかったが、それを言うと益々彼女をパニックに陥れてしまうので、オレは、またも応急処置で「バンコクに着く朝便は7時だよ、5時に明るくなったらタクシーで送り届けてあげるから・・・」と言った。それを聞いて彼女は安心したようで、暫くは大人しくしていたが、すぐにまた「今何時?」と聞いてくる。最初オレはいちいち時刻を告げていたが、5分と間を置かずに訊いてくるえみさんにウンザリしてきた。元々気の弱い彼女は、どうもビタミン剤の細かさに填ってしまったようだ。

 此処でオレは最終的な処置である、彼女の興味を他の移すことを試みた。ビタミン剤は何かに集中してしまう特徴があるので、本でもビデオでも良いから、彼女の関心を”浮気がばれたら困る”と言うのから、他に引き離せばよいのだ。素面であれば良いアイディアも浮かんだのだろうが、オレ自身もかなりのイカレになっていたので、その時オレが施したことは”オッパイを揉む”という処置だった。

 ビタミン剤の催淫効果が異常なまでに来ているのだろう。エミさんはオッパイを揉まれただけで目を閉じ、ハアハアと荒い息をし始めた。オレ自身もキマっているので、かつて見たレズ物のエロビデオにあったように優しく、そして執拗にオッパイを攻め続けた。そのうちエミさんは急に目を開けると、潤んだまなざしでオレを見つめながら「しゃぶっていい?」と言い、オレの股間をまさぐり始めた。

 オレ達は、タオルを身体に巻いただけの姿でソファーに座っていたので、すぐにタオルは落ちてしまい、二人ともスッポンポンになった。エミさんはゆっくりとオレの股間にかがみ込みしゃぶり始めた。当然子供まで生んでいる彼女のフェラは丁寧で上手く、まとわりつくように舌を使う。オレはもの凄い快感に襲われた。

 ”ウーン、やっぱり尺八はスリンか日本の女の限るな”と馬鹿なことを考えていたとき、またもエミさんは「今何時?」と訊いてきた・・・どうも完全な治療は不可能なようだとオレは諦め、その度に「何時何分」と答えていた。BGVは”マーズアタック”だ。こうした異常な”尺八・時刻確認、反復活動”は、夜が白々と明け始めた5時過ぎまで続き、「もっとしゃぶりたい」と面倒なことを言うエミさんを無理矢理タクシーに乗せ、スクンビットへと向かわせたとき、正直オレは心の底からホッとしてしまった。

 ”もうしばらく日本の女はいいや”と思えた夜であった。

追記:彼女達の遊び場はスパッソから他に移った、今行っても会えないよ。当然オレはその場所を知っているが、此処では言わないことにしよう。誰にでも秘密を持つ権利はあるのだから。そして、時として知らない方がお互いにとって良いこともあるのだから。そうでしょう?駐在員の皆さん。



3月**日 十六歳の少女

 夕方六時頃に友人の社長Mより電話があり「おいヒロ!遊びにいかねえか?」との誘いがある。

 誘いとはいえ社長Mの口調はほとんど命令だ。この人はバンコクで会社を興したベンチャービジネスマンで、言い方によっては青年実業家といえなくもないが、その実体は”新暴対法が出来たので仕方なく会社組織にした”と言うアグレッシブな会社の名目上の社長だ。外見はわかりやすく言うと”他の商売考えられない大仏様”みたいなちょっと怖い人なのだ。本人は頑なに「違うよー、オレはただの零細企業経営者だよー!」と言い張っているが、その様子は殆ど「手前共はただの商人でございます」と大岡越前の前で申し開きをしている越後屋で説得力が皆無だ。名目上の社長と言ったのは、実際には他に金主的な経営者が居て、これも表向きは千葉の不動産屋で、何故か指が八本しかない通称”タコ社長(誰も本人の前ではこう呼びはしないが・・・)”と言う益々怖い人だ。社長Mとは取引先の会社のパーティーで知り合ったのだが、オレは何故かこの手のヤクザっぽいひとに好かれやすく、若い頃からイロイロ良い思いや恐ろしい思いをさせて貰った。今日も社長Mはオレと一緒に場末風俗ツアーに行きたいのだ。税金払ってない金が沢山あるのだからタニヤとかの高い店に連れていって貰いたいのだか、何故か社長は場末好みでテメやフェラチオバーとかにばかり行きたがる。社長にとってタニヤは仕事で行くところだそうだ・・・。オレは気乗りしなかったので「何処行くんですか?オレ金無いッスよー」と言うと。社長は「アタミの前にあるサオ・シップホクって店知ってるか?」と言った。

 「・・・サオ・シップホク・・・」オレは突然後頭部を殴られたような衝撃を受けてそう独言した。タイ語の出来る人ならわかると思うが、日本語訳すると十六歳の少女だ!オレはその語感だけで十分に興奮して「なんだなんだ!その店は?」と聞くと、社長Mは「たいしたこと無いよー、パヤタイにあるスワンイサーンと似たようなものだから・・・」と多少オレの興奮に押され気味に答えた。

 ・・・スワンイサーン!これもオレは数度しか行ったことがないが、何故かカフェーのステージみたいな所に超ミニの女の子が踊っており、店内で売っている花輪を買ってその子に掛けてあげると、一緒に踊ることが出来ると言う安直なものだ。それだけなら他愛のないものだが流石は外道王国タイ!後にその子をテーブルに呼んでお話、又は連れ出しも出来るらしいと知った。意外にカワイイ子が沢山いて穴場的なところだ。サオ・シップホク!十六歳の少女を連れ出せるなら花輪だろうが、埴輪だろうがいくらでも買ってあげるぞ!オレは興奮を抑えることが出来ず「行こう行こう!今すぐ行こう」と言うと社長は「しょうがねえなこの馬鹿野郎は・・・えーっと、8時頃に車で行くから待ってろよ」といって電話を切った。

 オレはそれから約束の八時まで意味無く部屋をウロウロしたり落ち着き無く社長を待っていた。約束の時間より少し遅れて社長は現れた。
 社長の車は、当然の事ながらその筋の業務用車であるドイツ車で、運転しているのは社員と言うより、構成員又は若い衆と呼びたくなる外見のテツ君だ。テツ君が少しロンパリ気味の顔をウィンドーから出して大声でオレを呼んでいる。マスコミや大学関係者も多く住む静かなアパートなのだから、もう少し大人しくして欲しいのだが、この人達には無理な注文のようで、テツ君は「ヒロさーん、早くしないと女が売り切れちゃいますよー!」などど怒鳴っている。どの部屋に用があるのか?と聞きに来たヤーム(守衛)に対しても無意味に「なんじゃお前は!」と日本語で凄んでいる。

 テツ君は、かつて大志を抱いてタイへとやって来た青年だ。ムエタイの本場タイで修行を積んで世界チャンプになってやる!と意気込んでバンコクにやって来たのは、つい二年前の事だったのだが、ストイックなトレーニングをするにはバンコクには誘惑が多すぎた・・・若い彼には我慢しろと言うのが無理だったのか。すぐに風呂屋の女の部屋に転がり込んでヒモ同然の生活を始め、やがてその女のも捨てられてフラフラしているところを社長に拾われて社長の運転手兼雑用係となっている。

 役人が五月蠅いから会社組織にしたという邪な会社の大仏頭経営者と目がロンパリの運転手、そしてオレは何を生業にしているのかわからない正体不明の日本人と言う組み合わせに、アパートの大家までが窓から顔を出して様子を見ている。オレは何故か卑屈な気持ちになってコソコソと車に乗り込まなければならなかった。

 やがてペッブリー通りはボッタクリで有名な風呂屋アタミの前まで来たところでテツ君は強引にユーターンして、小さくタイ語のネオンに”サオ・シップホク”とある路地に入っていった。路地の奥には予想外に大きな平屋の建物がありその前の敷地は駐車場になっている。気になったのは通常こうした風俗店の駐車場には高級車が並び、一目で此の店の客層がわかるものだが、此処の駐車場は妙に閑散としている。まだ時間が早いのか?と思ったが車の少なさに反比例するかのように店の前に止めてあるバイクの数が多い。これは風俗店ではなくて パブ と呼ばれる、タイ人の若者が集まるところに共通した傾向だ。オレは何となくイヤな予感に苛まれつつ此の店のドアを開けた。

 店内に一歩はいると其処は必要以上に照明が落とされていて足もとが見えないくらいだ。案内役のオバサンがすぐに寄ってきて、オレ達を席に案内する。オレ達は取りあえずビールを頼んで乾杯と言うことになった。このころには薄暗い店内にも目が慣れて辺りの様子を見回すと、確かに何組かの客とその間を蠢く女達の気配が感じられる。しかしやはり暗すぎてそのまで表情はわからない・・・。オレは社長に「これじゃ闇鍋じゃないですか?」と言うと。社長は「後で顔見せがあるから待ってろ」とのことだった。オレとテツ君は社長に言われるままに大人しく酒を飲んでいた。一人社長はお気に入りのオムちゃん(21歳 シーサケット県出身)を脇に座らせ、襟から手を突っ込もうとして拒否されたりしている。十六歳の少女という邪な店名と大仏頭の社長でさえ21歳の女をゲットしているのだからオレ達なら間違いなく十代の子を捕まえられる!オレとテツ君はジリジリしながらステージの女の子顔見せタイムを待っていた。

 しばらくするとステージの照明がともり急に店内が明るくなった。それと同時に沈黙していたスピーカ−からは大音量のイサーン民謡が鳴り響き店内は突然活気ずいた。

 明るくなった店内を見回してオレは唖然としていた。客層が悪い!どう見ても十代のガキや普段は屋台を引いてそうな親父達が女を侍らしてにやついている・・・。M社長の隣にいるオムちゃんにしても21はサバの読み過ぎだ、どう無理をしても20代半ば過ぎの容姿を持ったオムちゃんは「これから踊りがあるからちょっと待っててね!」と無理のある不気味なしなを造って席を立った。

 ぞろぞろとダルそうに女達がステージに出てきてそれと同時に泥臭いイサーン民謡と言うかタイ演歌みたいな曲に合わせて盆踊りのような踊りを始めた。此処に至ってオレはM社長に騙されたことをハッキリと認識した。十六歳どころか20代の女も数えるほどしかいない殆どは30過ぎのオバサンばかりだ!・・・場末好みの社長の嗜好を忘れていた。聞けば此の店はボッタクリ専門の風呂屋アタミと同系列だそうだ。”アタミでも使えなくなった女を此処に捨てて居るんじゃないか?”オレはガックリして半ば投げやりな気持ちになり、呆然と顔見せ踊りを眺めていたが、テツ君は「ヒロさん一番右の子オッパイがでかいですよ!」どと言いながら楽しそうにビヤチャンをラッパ飲みしている。彼は20前後のうら若い身空で年増の風呂屋女の囲い者になっていたせいか痛ましいことに嗜好が偏ってしまったようだ。それもババ専に・・・。

 ”やっぱりこの人達とはわかり合うことが出来ないな・・・”そんなことを寂しくそして何故かホッとしながら痛感した夜であった。



1月**日 中華街の絶叫マシーン

 暇があると遊び歩いていて風呂屋や歓楽街に詳しいオレは、以前から日本から来る仕事上のお客・知人などを、風呂屋やタニヤ・パッポンなどの風俗街に案内したり、また後に彼等がお忍びでバンコクに来て、以前につくった愛人との通訳として付き合わされたりする事が多かった。これも仕事の内だと割り切ってはいるが、ダミ声の50過ぎのオヤジから「ヒロさん、この子に『今の嫁は愛していない、本当は君を愛しているけど、子供がおるから嫁とは別れられへん』ってゆうてくれませんか?」と脂ぎった顔を近づけて通訳を頼まれるのは辛かった。しかし、ほとんどの人がオレより年輩で、酒や風呂屋を奢ってくれるし、別れ際に財布から数枚の万札を抜いて「これは気持だから…」と言い渡してくれるので、オレとしてはいい小遣い稼ぎになっていた。

 しかし最近になってオレのエロサイトを見た人から案内を依頼されることが多くなった。オレは最初どうしようかと考えた。以前と違って見ず知らずの人を案内するのは、なんだか嫌だったのだ…。

 オレがエロサイトを作ろうと思ったきっかけは、友人のハングルM氏の言葉だった。その日、プロバイダーと契約したものの、一人で接続の設定が出来ないオレを助けに来たハングルM氏は、オレがいくら読んでも意味不明な暗号文としか思えなかった接続の取説をほとんど見もせずに設定を始め「ヒロさん、これからはインターネットの時代ですよ、これからはこれをやらん奴は完全にアウトですわ、使いものにならへん!」とか「インターネットで一番儲かるのはエロサイトですわ、バナー広告で月30万ぐらい稼いでいるヤツはゴロゴロいますわ!あれは寝てても金が入ってくるから堪らん!」とか「ヒロさんはバンコクに住んでるんやから日本の法律は関係ないのと違いますか?裏ビデオ売ったらええのや、アメリカには月何百万も稼いでる奴がおるらしいですよ」とか、オレが訊きもしない事をベラベラと喋りながらアッという間に接続の設定を終えた。初めてPCを買ってから、まだ日が浅く"出来るウインドウズ98"を読んでは「なんという複雑な機械だ!恐ろしい物を買ってしまった…」と考えていたオレには、一人で接続の設定が出来るハングルM氏は神に近い存在に思えた。彼の言葉は神の啓示だったのだ!その時からオレの頭には エロサイト → バナーか裏ビ → 楽して金儲け と言う単純な構図が刷り込まれた。

 まもなくオレは、テキスト本"ホームページは難しくない!"と、HP作成ソフト"IBMホームページビルダー"を入手して、オレの持っている唯一のエロネタであるバンコク風俗に関するエロサイトを作り始めた。それがこの"外道の細道"なのだ。しかし、やっと接続出来るようになったインターネットを見たり、他の人から話を聞いているうちに段々と事情がわかってきた。
それは"すぐにはバナー広告は取れない""海外在住でも裏ビデオを売ったら駄目"と言うことだった…フッフッフ…話が違うぞハングルM!

 さらに悪いことに、すでにバンコク風俗に関するHPは沢山あったのだ。「こんな複雑な機械を使って、こんなくだらないHPを作るのは自分だけじゃないだろうか?」と少し後ろめたかったオレは、ホッとすると同時にそれらの先進バンコク・エロサイトの内容に戦慄した。もの凄い情報量、プロが作ったのかと思うような綺麗なデザインのサイトの数々…。しかし、なによりオレを驚かしたのは、それらのサイトの掲示板だった。MP LB SS など意味不明な記号のまじったオタッキーな風俗情報のやり取りを延々と続けている。オレは「MPってなんだ?…ああ、なんだ風呂屋のことか」「…こいつらは本当に普段日本に住んでいるのか?なんでこんな事まで知ってるんだ…」などとモニターに向かって呟きながら、その掲示板から放射される女を求める男達の暗い情熱に圧倒されていた。

 「もうエロサイト作るの諦めようかな…なんか気味悪いし…金にもなんないみたいだし…」なによりオレは、それまで入門書を読みながら楽しく作っていた自分のサイトがどうしようもなく惨めなモノに思えた。しかし、結局オレはエロサイトを完成させた。すでに作りかけのサイトに愛着がわいていたのだ…。

 そんなわけで、"寝ていても金が入ってくる"はずだった当初の目論見は見事に外れて、オレのエロサイトは全く金にならない個人の趣味サイトになってしまった。だが、無料のサーバーに登録して、恐る恐る公開したオレのエロサイトはだんだんとアクセスが増え、反響のメールも増えて、オレとしては毎日のアクセスアップを確認したり返事のメールを書くのは楽しい作業となっていた。

 金には成らないけど楽しいサイト運営を続けるうちにオレは"酒乱でない""ケチではない""顔が怖くない"人に限りアテンドの依頼を引き受けるようになっていた。月1〜2回の小遣い稼ぎ…ずいぶんとスケールダウンしたものだが、「まあ、無いよりいいだろ…」と考えている。なによりオレは自分の悪い性格である"目先の金に弱い"ことを知っているので、大金に成らなかったことを心の何処かで安堵していた。

 今日も、そんなオレのエロサイトを見てタイに来た、Sさんとその友人のTさんを案内してバンコクの各種風俗店巡りツアーをしてきた。真夜中過ぎにサイアムホテルでようやく解散となり、気を使って疲れたオレは、なんだか一人で遊びたくなった。しかし時刻はもう一時過ぎだ「…もう何処も開いていないか…なんだか一人で静かに飲みたいな…」そんなことを考えながら車を運転しているオレの脳裏に懐かしい景色が浮かび上がった。

 排気ガスと騒音で充満する通り、屋台から立ち昇る肉や得体の知れない臓物を焼く煙、饐えた臭いのする歩道を徘徊する乞食と安淫売、正体不明の長期滞在者達……ヤワラート(中華街)だった…もう10年以上も前、まだ学生だったオレは、かつて此の地にあった伝説の外道宿ジュライホテルの住人としてブラブラ自堕落な生活を送っていたのだ。その時は将来この国に住むことなるなんて想像もしなかった…。

 ロータリー前の屋台ならまだやっているだろ?駅前のソムタム屋でもいいや!と考えてオレは懐かしいヤワラート(中華街)へと向かった。

 久しぶりに訪れた7月22日ロータリーは予想していたほど変わってはいなかった。"ジュライ・ジジイ"と呼ばれていた長期滞在者の姿が見あたらないくらいか…オレはロータリー沿いに車を止めて、かつて毎晩のように屯した一杯飲み屋屋台に向かった。

 その屋台は10年前と全く同じ場所に、全く同じオバサンを店主として今夜も営業していた。いや…10年前はオバサンではなく、日本人旅行者の間で結構人気のある女の子だったのだが…。オレが近づくとオバサンは「あー!ヒロ何処行ってたの?久しぶりねー」と言い、オレも「久しぶりだねー元気だった?」と挨拶を交わし、サンティップソーダ割りを注文した。しばらくお互いの近況を話したり共通の知人の消息を訊ねたりしていた。此処には、酔っぱらったパッカーや脂ぎったカラオケ親父やバンコク風俗オタクはいない。オレはなんだか故郷に帰ってきたような安心感に包まれていた。

 だが、それ以外の人物は沢山いた。シャブが切れてフラフラしている安淫売や、ビニール袋を片手の持ったトルエン乞食、安淫売を求めてきたファッションセンスが田舎にいるときと全く変わっていない出稼ぎ労働者達…なにも変わっていないことに安堵しながらオレはタイ製安ウイスキーをチビチビ飲んでいた。

 その時もう一人、此処にしかいない人物がオレの前に立ちはだかった。
 

オシ(聾唖)のポン引きだ!


 
女を求める男達を口先三寸で丸め込み、女をあてがって幾ばくかの金を得る、これがポン引きと言う職業の本質だとすると、オレは以前からこんな間違った職業選択はないと思っていたのだが、奴も10年前と同じように此の地で営業を続けていた。

 言葉の話せない奴は両手で女の形を作り"いい女だ""オッパイでかい"を表現し、左手の親指と人差し指でマルを作り、右手の人差し指をマルの中に突っ込んで"オマンコ"そして、マルをすぼめて"締まりが良い"その合間に500バーツ、300バーツなどの金額を指の数で示す、これが奴の営業手法の全てだが、その生き方には"生まれつきの障害を乗り越えて"とか"ハンディキャップを克服して"みたいなありきたりの褒め言葉が似合わない迫力がある。また、下手なパントマイムを見ているより面白く、10年前毎日やることも無く暇だったオレは、いつも奴に一杯の安ウイスキーを奢っては、滅茶苦茶な手話を駆使してのパントマイム合戦を繰り返していた。そんなオレを奴もおぼえていたようで、なつかしそうに近寄ってきて、また女をあてがおうとパントマイム営業を始めた。

 思えば奴の紹介で女を買ったことはない、10年前のオレは、まだ若く性欲は有り余っていたが金を持っていなかった、お馴染みの娼婦に声をかければ、僅かな金で一夜を共にしてくれたし、わざわざ奴の世話になって割高な料金を取られるのは馬鹿らしかったのだ。今日はすでに先ほどのSさん達を案内して、お風呂屋"ポセイドン"を奢って貰っていたので別に女は欲しくなかったが、このオシ(聾唖)ポン引きとも長い付き合いだ、今も相変わらずの貧乏暮らしとはいえ、あの頃に比べるといくらかましになった。オレは奴の商売に一度も貢献したことが無いのを思い出して少し後ろめたくなり、また奴の10年前から全く変わらない服装や暮らしぶりに同情して、初めて奴に「女はいくらか?」といい加減なパントマイム手話を使って訊ねた。奴はすかさずオレの時計を指して「ショートか?オールナイトか?」と訊いてくる、オレはまたイカレ手話で「ショート」と答えると、奴は指を三本立てて「300バーツ」を示した。…ぜんぜん物価の上がらない所だな…此処だけ時代から取り残されてるんじゃないのか?試しに「オールナイトはいくらか?」と訊ねると、奴は指を5本立てて「500バーツ」を示す。…カンボジアか此処は?何故こんなに値段が変わらないのかよくわからないが、10年前と比べてそれほど変わっていない…オレは指でOKを示すと、奴は訳のわからない動作をしてオレの前から立ち去った。どうも「お前は此処で待っていろ、いま女を呼んでくる」とオレに指示したようだ。オレは勝手にそう解釈して安ウイスキーを飲みながら奴が女を連れてくるのを待つことにした。

 やがて、オシのポン引きが連れてきた女の子は意外なことに可愛かった。服装こそ田舎者丸出しで、最近のバンコクではちょっと見かけないダサさだったが、ダボダボのTシャツの上からでもはっきりわかる大きな胸と、ちょっとたれ気味の目を持ったカワイイ女の子だった。何故こんなカワイイ子がこんな所で商売しているんだ?オレは不思議に思ったが、その疑問はすぐに解けた。彼女もオシ(聾唖)なのだ。まさかオシのポン引きが連れてくる女までオシだったとは…やっぱりこんな奴に同情するんじゃなかった。

 事の成り行きに頭を抱えているオレの横で、ポン引きと彼女は聾唖者同士独特の猛烈なスピード手話を使って何か会話している。やがてポン引きとのコミッション交渉が決着したらしいその子は、オレの手を引いてホテルに行こうと合図する。オレは飲み代を払い、彼女に手を引かれて台北旅社へと向かった。

 台北旅社はロータリ沿いにある安宿で、かつてはジュライ同様に日本人宿泊客の多かった中国系ホテルだ。ここは短時間の部屋貸しもしているので、付近の娼婦達には一発部屋として使われることが多い。

 部屋にはいると彼女は一枚の紙切れを折れに手渡した。それにはこう書かれていた…

私はオシです。
名前はダオちゃん。19才です。
ダオは日本の男の人大好き!
ダオのことを可愛がってね!
ショート 200バーツ
オールナイト 500バーツ
ポケベル 152−******

 お客の日本人に書いてもらったのか汚い文字が書きなぐってある。ダオちゃんは日本人の客がつくたびにこの紙切れを使い回しているのか、すでによれよれで判読しづらくなっている。言葉のしゃべれない女の子に渡された紙切れには娼婦の悲しさがつまっているかのようだ。オレは少し寂しい気持ちになって横に座るダオちゃんをみると彼女はすでにやる気満々で早くも服を脱ぎだした、だが…彼女が身につけていた物には今まで出会ったどの娼婦も身につけていなかった物があった・・・ダオちゃんが右耳から外した物はピアスではなく補聴器だったのだ…オレは初めてみるこの珍しい器具を手にとって眺めていると、ダオちゃんは手真似で「これを付けると良く聞こえるのよ」みたいな説明をしている。オレの気持ちは益々沈んでいく…しかし悲しいかな勢い良くTシャツを脱いであらわになったダオちゃんのオッパイをみた瞬間オレのチンチンはギンギンに立ってしまった…何という節操のない身体だ!情けない…。

 ダオちゃんは素早く身体にタオルを巻き付けシャワー室に消えると手早くシャワーをあびてきて、ベッドに座ってボーッとしているオレに手振りで「早くシャワーをあびろ」と指示する。オレは言われるがままにシャワーをあびて出てくるとすでに部屋の明かりは消されていた。僅かに窓から差し込む街灯の明かりを頼りにベットにたどり着くとそこには一糸まとわぬ姿になったダオちゃんが横たわっていた。予想していた通り抜群のスタイルのダオちゃんのオッパイは仰向けに寝ているにもかかわらず、ツンと天に向かってつき立っていた。五体満足なら相当な美人としてチヤホヤされるのだろうに…言葉の話せ無い子とお相手するのは初めてだったのでどうしたものかと形の良いオッパイを揉みながら迷っているとダオちゃんは急に起きあがり手振りでオレに「横になれ」と指示する。

 オレは言われた通り仰向けになっているとダオちゃんはオレの股間のかがみ込んでシャブリ始めた。ダオちゃんのフェラは当然無言で行われたが上手くて丁寧!無声フェラを楽しんでいると突然フェラが止んだ…どうしたのかな?と思い起きあがるとそこには四つん這いになってケツを高くあげたダオちゃんがいた。どうも"入れろ"と言う意味のようだ。このようにしてサイレントファックは宗教儀式のように黙々と行われていたのだが、オレが指示通りにバックから挿入すると、突然

パァ〜!!

 と言う大音響がしてオレは驚きのあまり腰の動きを止めた。「な、なんだ今の音は??」とビビっていたが、音の発生源はすぐにわかった。

 ダオちゃんの喘ぎ声だったのだ。

 知っている人も多いと思うが、聾唖者とゆうのは聴覚が不自由なために自分の声を聴くことが出来ず、結果的に言葉がしゃべれなくなってしまっただけで、べつに声帯に異常があるわけではなく音を出すことはできる。

 この"パァー"はダオちゃんの喘ぎ声なのだが、彼女は声の大小を制御することが出来ず喘ぎ声と言うより、もはや未知の騒音だ!
 オレは試しに早いリズムで腰を打ち込むと

 「パッパッパッパッパッパッパァ〜」とダオちゃんは喘ぎ。


 強く打ち込むと

 「パッヒャ〜ッ!!」と絶叫する。


 オレはバックから

 「パァ〜


 横ハメで

 「パァ〜」


 そして正常位で

 「パァ〜」


 とやって果てたが、ダオちゃんの喘ぎ声はエアコンの室外機と外からの騒音で充満する台北の部屋ですら外の漏れるのではないかと不安になる大絶叫だった。
 部屋に帰るために夜の明けかけたバンコクの道を走る車内でオレは耳がキーンとなっているのに気づいた。
 耳が痛くなるファックは生まれて初めての経験であった。

 追記:忘れていたが、ダオちゃんから渡された紙片はもう一枚あり、其れにはこう書かれていた。
 
アナルは止めて下さい




12月**日 眠くなくなるビタミン剤

それは、クリスマスイブの夜に始まった。
 
 普段特定の彼女もつくらず、気ままに遊びまわっているオレには、こういう特別な日を共に過ごしてくれる相手はいない…メオもノックもケイもエーもニンちゃんも、そしてジェムちゃんさえも全てスティディーな彼氏と一緒か、パトロンへの法外なプレゼント要求を兼ねたきつい一発を決めているようだ。

オレは一人ぼっちだった…フッフッフ…つまらないぞ!

仕方がないので友人宅でのホームパーティーに参加し、オレにしては珍しく健全に遊んできた。

 誰もいない部屋に戻って、寝る前にメールチェックをしていると一通のメールが来ていた。「HPに入れませんよ!」とそのメールには告げていた。親切にもオレのエロサイトを見た人が知らせてくれたようだ。変だな…早速、調べてみるとなるほどトップページの途中で切れている。何が起こったのか分からないが、もう一度全部アップしてしまえばいいんだろ!と思い、その通りにしてみた。念のため確認してみると、これが前と全く同じ、途中で切れたままだ…どうしたのだろうか?

 オレは一旦接続を切り、HP制作ソフト"IBM ホームページビルダー"を開いた。オレはHTMLを全く知らず、このIBM先生に頼り切ってエロサイトを造ったのだ。今回も分からないことはIBM先生に訊こうと思い、早速"HTML構文チェック"をスタートさせた。すると、どうした事だろうか?エラーの嵐!。IBM先生曰く「〜のルート違反です。ファイルの属性を確認して下さい」…ファイルの属性ってなんだ?基礎が全くなっていないオレは、エラーの警告文を前に呆然としていた。仕方がないのでヘルプで"属性"を調べ、意味不明な説明文にかえって混乱した。
悪いことに時刻はもう4時近い、明日は仕事がないから、いくら夜更かししても構わない、しかし…眠い!「もうどうでも良くなっちゃった、だいたいクリスマスの週末に、オレのエロサイトを見るヤツなんかいないだろ?いたとしても、そいつの不幸はオレのエロサイトでは癒せないぞ!もう寝ちゃおーと」と"嫌なことは後回し"を信条にこれまでの人生を過ごしてきたオレにしては珍しく、今回は"早くなんとかせねば!"と考えていた。始めて間もないエロサイトだが愛着がわいているのだろう。オレはエロサイト運営者としての義務感に燃えてモニターを睨み付けた。しかし…眠い!ここに至ってオレは、その絶大な効果故に長い間封印してきた伝家の宝刀、日本陸上自衛隊演習時携行薬でもある"眠くなくなるビタミン剤"の投与に踏み切った。

 それはオレの薬箱の底に銀紙にくるまれて転がっていた。あまりに長い間放置してきたため効果のほども疑わしかったが、流石はカンボジア・クメールルージュ特製のビタミン剤だ、たった一錠摂取しただけで、眠くて意識不明になりかけていたオレの頭は、雲一つない秋空のように晴れ渡り、疲れ切ってゴロネジジイになることを要求して止まなかったオレの身体は、これからフルマラソンを完走した後でもオナニーが出来るくらい力がみなぎった。再びオレはモニターに向かい、一心不乱に問題解決に向け打ち込んだ。

 それからどのくらい時間が経過したのだろうか?気が付くと窓の外はすっかり夜が明けて明るくなり、ガラス越しに射し込む朝日のために部屋の気温は上昇して暑くなってきた。HPのトラブルは直るどころか益々おかしくなり、トップページからのリンクが全て切れて繋がらなくなってしまった。オレはクーラーのスイッチを入れ、気分転換のためコーヒーを入れようと台所に行ったとき、ふとあることを思い出した。

 このビタミン剤にはある恐ろしい副作用があるのだ。それは、疲れた頭脳を無理矢理はっきりさせる事の反動として、思考の順序をバラバラにしてしまうのだ。そう言えばオレはさっきから支離滅裂なファイル操作を繰り返して事態を一層悪化させているではないか。しまった…ビタミン剤は単調な作業を繰り返す苦痛を癒してくれるが、物事を順序立てて考えなければならない作業には向いていないようだ。こうなってしまっては、一旦PCから離れて再び冷静な判断力が持てるまでじっと寝ているしかない。オレは自分のしてしまったことに呆然としてコーヒーを飲んでいた。その時突然ノックが部屋に来た。

 「あー、あのハゲ!頭に来るー」勝手に人の部屋に来るなりノックは怒っている、どうしたのだ?とオレが聞くと「車をプレゼントしたんだから、もっとやらせろってしつこいの、55のくせして一晩で3回もするのよ!あーマンコが痛い!」どうもパトロンの事らしい。ノックは元タニヤの女の子でオレの遊び友達だ。その卓越した日本語能力と妙にしつこいフェラによって、ある現地法人社長の囲われ者となり、金には不自由しない身分となって、週三回のパトロンが部屋に来る日以外は、市内のディスコで気ままに遊びまわっている。彼女にとってオレは”口が堅くて尻の軽い”都合の良い浮気相手となっていた。今度は車をせしめたか…次はきっと田舎に家だな?とオレは、人事ながらそのパトロンがこれから使わなければならない金額を考えていると、ノックはモニターの横に散乱した銀紙を見つけ「ヒロ!あんたこんなモノやってるの?」とオレを睨み付けながら言った。ビタミン剤を見つかった事にあわてて、オレがしどろもどろになっているとノックは「駄目じゃない、こんな事して。もうしないって約束しなさい!」オレは「しないしない、したこともない!」と言い訳をしていると、ノックは妙に嬉しそうに「ヒロが悪い人にならないようにしなきゃ!こんなモノは早く終わらせてしまいましょう!」といい、銀紙を延ばしてラインを作りだした。なんだオマエもやってるんじゃねえか!偉そうに説教しやがって…それからノックとオレの盛大なビタミン剤パーティーが始まった。

 オレとノックは壁を背にして並んで座り、時折
「正月何処行くの?」
「ハゲと一緒にバリ。ヒロは?」
「いいなーオレなんてパタヤがいいとこだぜ」とか、
「あー!ノックそんなにビタミン剤をやるんじゃない。それはオレが楽しみにとっておいた分だぞ」
「なによケチ!だから貧乏なのよ」などと、どうしようも無い事を話しながら次々にビタミン剤を摂取していった。ここでオレはもう一つビタミン剤の副作用を思い出した。イヤ…自覚した。

 やりたくなるのだ!

 
隣には壁を背にしてだらしなく座り、目はすっかりラリっているノックがいる。もう裏も表もすっかり見てしまって普段は全く魅力を感じない女だが、ビタミン剤の催淫作用が働いているオレには堪らなくいい女に見えた。そっと手を伸ばしてオッパイを鷲掴みにすると、ノックは「駄目よヒロ!」と言いながらも、オレにもたれ掛かってきた。やはりノックにも副作用が出ているようだ。オレは調子に乗って深くスリットの入ったノックのスカートに手を差し入れた。またもノックは弱々しく抵抗しただけですぐに腰を浮かして喘ぎだした。オレはノックを後ろから羽交い締めにするような格好で片手はオッパイもう一方の手はマンコを触りまくっていた。ノックは時折小さく喘ぎ「イヤ…駄目よ…」と言っているが、その言葉とは裏腹に大きく開かれた両膝はブルブル震え、片手を後ろに回してオレの股間をまさぐっている。

 お互いの身体をまさぐり合うオレとノック、床には銀紙とタバコの吸い殻が散乱している。"なんという退廃的な光景だ!"と、多少なりとも自分の行動を客観的に見ることが出来たのはここまでで、あとは大量のビタミン剤摂取による怒濤の狂気に圧し包まれた。…これから後におきた事は正直言って文字にするのが恥ずかしい…ほぼあらゆる体位でハメ合い、お互いの身体を舐めまくり、心にもない甘い言葉を囁き合いながらのロングランファック。オレ達は二匹のイカレ猿と化してはてしない交尾を繰り返した。

 やっとビタミン剤の効果が薄れ、少し冷静になったノックが恥ずかしそうに微笑みながら帰っていったのはもう夜更け過ぎだった。オレ達はトータルで何時間していたのだろうか?しらふでは考えられない長時間ファックを終えた後もオレの思考は正常に戻ってはいなかった。なんとPCのスイッチを入れてトラブル中のHPをいじりだしたのだ。もはやオレの思考はパタヤのシャブ中淫売以上にイカレていたとしか思えない。オレはモニターを無意味に睨み付ける狂気のエロサイト運営者と化し、ノックとのビタミン剤ファックのせいで中断していたHPトラブルの解消に向け、支離滅裂で無秩序なPC操作を続けた…危うく全てを消去してHPを一から作り直そうとしていたオレを救ったのは、一通のメールだった。

 お風呂屋大魔人ことデジャブー氏からのメールだった。氏には昨日トラブルについてアドバイスを求めるメールを送っていたのだ。これはその返信だった「昨日は夜勤でメールを見れませんでした。属性について説明すると長くなるので、それはまた今度にします。HPのトラブルについてはHPビルダーをもう一度インストゥールしてみて下さい。多分これで直ります…………」デジャブー氏はオレのコンピューターの先生だ。なにも分からず「プロバイダーってどこにあるの?」とか言っていたオレを手取り足取り指導してくれた恩人なのだ。しかし、イカレ外道になっていたオレは、この大恩人の言葉に対しても"今までさんざんいじって直らないのに、HPビルダーの再インストゥールぐらいで直るわけねえだろ!この風呂屋オタクが!"とモニターに向かい毒付いていたのだが、言われた通りにHPビルダーを再インストゥールするとあっさりトラブルは解消した。

…フッフッフ…なんだったのだ今までの努力は?…

 トラブルが解消して安心したのと、丸二日寝ないでいたのとが重なり、ようやくビタミン剤の効果の薄れたオレはベッドに倒れ込み死んだように寝入ってしまった。

後日談…その後もイカレた日々は続き2000年の元旦をパタヤで下品に迎えようという計画は、ドタキャンとなりサナムルアンでのカウントダウンにナナの女の子と一緒に参加しました。初日の出を彼女の部屋の窓から迎え「2000年最初の日に、こんな事をしていていいのだろうか?」と考えながらも"人生沢山笑った者の勝ちだ!"を信条として今年も馬鹿をやろうと決意しました。皆さんはどんな元旦を迎えましたか?
 トラブル続きのHPについては、イカレ外道者になっていた間に色々余計なところをいじったようで、その後もトラブルは絶えません。近くHPを一から作り直そうと考えています。その際、今まで「オタクっぽい」「分かりづらい」「重いぞタコ!」などと評判の悪かったオレのエロサイトを根本的に改善しようと考えているのですが、未だ骨組みすら決まっていません。そんなわけで相変わらずですが今年も「外道日記」をよろしくね!



11月**日  裏切りのカウンター1,2,3

 夜10時頃知り合いの駐在員M氏より電話があり「ヒロちゃーん、遊びに行こうよー?」との誘いがある。このオヤジが毎回オレを誘うのには訳がある。バンコクの現地駐在員と言うのは、つまりサラリーマンであり日本で暮らすのと同じ様な世間体がある。仕事上の取引がある相手や同僚とでは、あまり外道な店には行けないのだ。何故か、タニヤのカラオケ屋や風呂屋はOKなのだが、ゴーゴーバーは駄目!などのタブーがあり、仕事上の関係は何もないオレのようなブラブラしているヤツを連れて遊びに行くのが一番気楽なのだろう…それにしても毎回ナナプラザばかりに付き合わされるのは飽きてしまった。オレは「今日は雨が降ってるから行かない」と言うと、M氏は「車で迎えに行くからさー、ちょっと付き合ってよー」としつこい、何年もバンコクに住んでるくせに、そんなにゴーゴーバーに行きたいのか?しかし、オレは車で迎えに来てくれると言う言葉に心を動かされヤツと遊びに行くことにした。

 服を着替えてM氏が来るのを待っていると、今度は日本から遊びに来た友人B氏から電話がある。彼も同じように「遊びに行こうよー」との誘いである。最近この手の誘いが多いのは、別にオレの人徳でも何でもなく"夜の女性に知り合いの多いオレと遊びに行くと彼女たちとお知り合いになれる!"と言うスケベ根性が働いているようだ。オレは今まで何人もの女の子を彼らに紹介してきたが、彼らからオレに女の子を紹介されたことはない…オレはなんだか割を食っているような気がするが、いつも何かと世話になっているので付き合うことにして、B氏を含めた3人で遊びに行く事になった。

 すぐにM氏とB氏がオレの部屋に来て車に乗り込み出発した。車を運転しているのは当然M氏のお抱え運転手だ。オレとB氏はなんだかVIPになったような気がして嬉しかった。車の中で何処に行くか相談したがゴーゴーバーに行くのは飽きてしまったので何処か行ったことのない店に行きたかった…そうだ!前から聞いていた"カウンター1"に行ってみようと言うことになった。

 "カウンター1"とは、ラチャダピセーク通りのディスコ"ハリウッド"があるソイにあるカラオケクラブだ。オレは前からこのクラブの無法ぶりを聞いており一度行ってみたかった。この狭いソイに店の女の子が溢れ返り、通る車を片端から止めて店に引き込もうとしている。この通りには、カウンター1/2/3/5/6/7と同系列の店が並んでいる。オレ達はソイの入り口に車を止めて一番最初にある店"カウンター1"に入った。店の中は必要以上に照明が落としてあり中で蠢く客やホステスの顔も見えないくらいだ。オレはママさんを呼んでこの店のシステムを訊いた。ビール1本220バーツと少し高めだが、テーブルチャージはないそうだ、個室もあってそれは一時間800バーツだそう…オレ達は個室の必要は無いので普通のテーブルに着きビールを注文した。それと同時にママさんに女の子を選ばせてくれと言い、ママさんはすぐに店の女の子をオレ達のテーブルに連れてきた。全部で15人ほどか…これだけなのか?と訊くと、ママさんは他の子もいるけど皆客が付いて個室にいるとのことだった。どうも此処は個室を利用する客が多いようだ。オレは邪な想像を巡らせて興奮した。オレはその中から一番若い子を選び、B氏は一番カワイイ子を選んだ。M氏はしばらく悩んでいたが一番顔のスケベそうな子を選んだ。

 各自の嗜好がモロにでた女の子を横に座らせ、おつまみやビールも運ばれてきて乾杯と言うことになり、女の子にもジュースを奢り、皆で盛り上がっていた。オレの横に座った子はダオちゃん、18歳でチェンライ市出身。まだ、働き初めて3週間だそうだ。カワイイ!オレはダオちゃんの胸元に手を突っ込んだりして喜んでいたが、嫌がる様子はない。それどころかダオちゃんはオレの股間をさすってくる、オレはすぐギンギンになってしまった。それを見てダオちゃんはウフフと笑い、ジーンズのチャックをおろし始めた。おもむろにオレの一物を引きずり出すとしごき始める、"此が噂に聞いていたカウンターグループのスペシャル・サービスか?"なるほど、個室を利用する客が多いわけだ!オレは喜んでしごいて貰っていた。周りを見渡すとM氏とB氏もズボンを膝までズリ下げてハアハア荒い息をしている。オレ達は三匹のサルと化していた。前のテーブルではタイ人の客一人に三人の女の子が付き、一人の女に尺八をさせながら、他の二人を上半身裸にさせオッパイを揉んでいる。予想以上に外道な店だ!タイにはあまりこうしたピンサロ的な店がないのでオレ達は興奮しまくった。オレもダオちゃんに尺八してくれとお願いしたが、彼女はまだ新人なのでそのサービスは出来ないようだ。しかし此でビール代220バーツだけなら安い物だ。オレは良いところを見つけたと思い喜んでいたが、やがて会計になり運ばれてきたビルを見てオレ達はうろたえた。

 4500バーツ!!何故だ?ビール220じゃないのか?とママさんに詰め寄ったが、ママさんは「220は、あなた達のビール代だけよ!女の子のサービスチャージ30分150バーツとドリンク代200バーツ、それにおつまみのフルーツ代もあるのよ!」と言った。何故最初にそれを言わないのだ!オレは抗議しようとしたが、B氏の一言がオレを冷静にさせた「そりゃ、220じゃこんな事までさせんわな…」タニヤに行けばこんな金額では済まないし、しごいてもくれない…オレ達は納得してお金を払った。一人頭1500バーツの割り勘…お風呂屋一回分だ。なんとなく裏切られた様な気持ちになった一夜だった。



10月**日  ビバ・パレスは遠かった


 約束通り、朝11時にヒロポン軍曹から電話が有り、ほどなくして軍曹がオレの部屋へ来た。今日は前々からの懸案だった"ビバ・パレス探索の旅"の日だったのだ。オレ達は、まず飯でも食おうということになり、タニヤの"神田"へ向かった。

 日曜日ということもあって"神田"には日本人リーマンの姿はなく、オレ達の他には、ダサイ格好をした日本人オヤジが黙々と不味そうに飯を食っていた。ここでヒロポン軍曹は"カレーライス大盛り辛さ20倍"を注文し、オレは普通のカレーライスを注文した。すぐに運ばれてきたヒロポン軍曹の大盛りカレーライスを見てオレは言葉を失った。それはオレの持っていたカレーライスの概念を根底からぶち壊す代物で、洗面器のような大皿に山盛りになった飯とタイのケツ洗い桶のようなドンブリになみなみと入ったカレールーの二部分に別れていた。カレールーは20倍の辛さのせいか黒色をしていた。軍曹は、これを桶ごと持ちドボドボと飯の上にかけて犬のように食い始めた。やがて運ばれてきたオレのカレーは普通の物だったので安心しながらオレは"軍曹は自衛隊時代、満足に飯が食えなかったのだろうか?"と考えていた。どちらかと言うと痩せている軍曹は時折凄まじい食欲を見せてオレを驚かす。ヒロポン軍曹は「風呂屋に行く前にスタミナつけなきゃ!」と言いながらオレよりも早く食い終わり「プハー、食った食った!今日は乳行くッスよー、乳!乳!!」などと言っている。早くも乳フェチ丸出しだ。オレと軍曹は神田を出てスリウォン通りからタクシーを拾い風呂屋へと向かった。
 
 前日に場所は調べてあるので何処に"ビバ・パレス"があるのかは分かっていた。ラムカムヘン通りソイ106と104の間だ(スカピバーン3)。バンコク在住の日本人でも、そう言われてピンとくる人はほとんどいないだろう。それほど遠いのだ!!スリウォンからタクシーで45分、メーター読みで20qかかった。此処はもうバンコクの郊外で周りにはゴルフ練習場や自動車解体屋などが寂しくあるような所だった。その寂しい風景を一変に覆すかのように"ビバ・プレイス"はド派手な原色の建物でそびえ立っていた。真向かいにある西友ストアがひどく地味な建物に見える。

 タクシーで"ビバ・パレス"の入り口に入る、此処は巨大な風俗コンプレックスになっていて敷地内を通る道の両側には、カクテルラウンジ・スヌーカー・カラオケクラブ・レストラン・コンビニまで有り、道の一番奥にカフェー兼風呂屋"フージン"が有る。ビバ・パレスとは、この風俗コンプレックスの総称の様だ。さらに風呂屋の裏手にはゴルフ練習場まで付属している。

 此処でタイの小金持ちオヤジ達は、すっかり女をやめてしまった女房に「ちょっと打ちっ放しにでも行って来るよ」と言ってゴルフバッグを担いで出かけ、実際に少しだけ練習をして汗をかいた後、カフェーかカクテルラウンジで一杯飲み、酔い覚ましと汗を流す為に風呂屋で若い子と一発!と言う小金持ち休日ゴールデンプランが全て此処で行えるようになっているのだ!男であれば誰もが一度は夢見るであろう浦島太郎のような事が出来る施設を本当に造ってしまう…タイ人とは恐ろしい民族だ。とオレは恐れ、そして心の底から興奮した。

 オレ達が風呂屋に着いたのは、まだ昼過ぎの3時だったが、ヒロポン軍曹が「週末は早く行かなきゃダメッスよー」と言うので来たのだが、此処は市内の風呂屋とは違い日曜日は女の子達が全員早番で出勤してくるという事はないようで、雛壇の中には数人の女の子が居るのみ。「ヒロさん、こうなったら持久戦ですよ」とヒロポン軍曹は訳の分からないことを言い、女の子の数が増えるまでじっくり待つことにしたようだ。オレも此処まで遠い所に来たのだから、満足のいく子が見つかるまで待つことにした。オレ達は雛壇正面のソファーテーブルに陣取り、ゆっくりとビールを飲み始めた。そして、そのままオレ達は…3時間近くも雛壇を睨みながら粘っていた。全然女の子が増えないのだ、沢山いる女の子の中から"これは!"と思う子を指名したいのだが、雛壇の中の人数は10人以上になることはなかった。最初にオレが根負けし「軍曹、もう決めようよ」と言うと、軍曹は「イヤー、もうちょっと待ってみませんか?」と言い。その繰り返しで、時間が過ぎてしまった。とうとうオレは「軍曹、オレはあの子にするよ」と言って立ち上がろうとすると軍曹は「そおっスか?じゃあ、自分は、ウーン」などと言いながらコンシアと相談を始めた。あのままほっておいたら、いつまでも待っている気だったのだろうか?…風呂屋通とは恐ろしい奴らだ!やっと軍曹が指名する女を決め、オレ達はそれぞれの部屋にしけ込んだ。

 オレの指名した子は、小柄でショートカットのよく似合ったオレ好みのカワイイ子だった。彼女の名前はオプちゃん、22歳でイサーンはロイエット県出身。此処の前はラヨーンのカフェーで働き、その前はチャオプラヤー2(16歳当時)にいたそうだが年齢制限に引っ掛かる事が警察にバレそうになり、しばらく風呂屋勤めはしていなかったそうだ。今でも十代で通用しそうなベビーフェイスにロリコン気味のオレは興奮した。まず風呂に入り入念に身体を洗って貰う。高級ソープの常で、サービスが非常に良く、礼儀正しい。風呂から出るとオプちゃんはすぐタオルを持ってきてオレの体を拭いてくれる。"ウーン、こんな事が毎日あるならオレは風呂屋の女の子を嫁に貰おうかな?"などとバカなことを考えていると、いきなりオプちゃんがオレの上に覆い被さり一物をシャブリ始めた。部屋には妙なところに鏡があり、ベッドに仰向けに寝ているオレからは、チュポチュポ音を立てながらしゃぶっているオプちゃんの顔や四つん這いになって高く持ち上げたケツが良く見える。男のスケベ心理を研究し尽くしたかのような憎い配慮だ。オレはすぐにギンギンになってしまった。それを見てオプちゃんはウフフと可愛く笑い、上になって挿入した。いろんな体位でやった後、彼女の両手を壁の大鏡に付けさせて立ちファックの体位になり、後ろからバンバン打ち込んで果てた。久しぶりに満足できるファックだった。その後、彼女とお喋りしたり、ベッドでふざけたりしている内に時間になった。

 ロビーに降りてみると、すでにヒロポン軍曹が待っていて「イヤー、良かったッスわ!」と軍曹も満足したようだ。その後、市内に帰るタクシーの中で軍曹と話したのだが、オレ達二人の感想は、遠いけど行く価値はあり!との結論を見た。なんだか秘密の場所を手に入れたようか気分になった一夜であった。



10月**日  出稼ぎファック

 久しぶりにヒロポン軍曹と遊びに出かけることになり、何処に行こうか?と話し合った結果、毎回ナナばかりではつまらないので、ソイ・カーボーイに行ってみることになった。

 久しぶりに訪れたソイ・カーボーイは土曜の夜だというのに客より呼び込みの女の子の方が多く閑散としていた。オレ達は通りをブラブラ歩きながら"どの店に入ろうかなー"と考えたが思いつかない…つまりどの店も客が入っていずつまらなそうなのだ!ロング・ガンはいつも行っていてワンパターンだし、何処か他の店にも入ってみたいのだが…オレはヒロポン軍曹に「カワイイ子がいる店ないか?」と訊ねた。すると軍曹は「ヒロさん、無理っスよ!だいたい呼び込みの女からしてブスじゃないっスかー」と核心を突く事を言った。そうなのだ、此処カーボーイに限らずどの歓楽街でもバーの呼び込みの女の子には特にカワイイ子を配置し、それにつられて男達は店に入っていくものなのだ…しかし此処ソイ・カーボーイでは、その原則すらあてはまらないようだ。仕方がないのでオレ達は"まだ一度も入ったことがない店に行こう"と暗黒大陸に足を踏み込むリビングストンのような気持ちで決意した。

 最初に入ったのは"ローハイド"という店だった。"ローハイド"は店名がカントリー風なのに、内装は柱がヤシの木、ゴーゴー・ガールが掴まるポールはてっぺんにガス灯の付いた近世ヨーロッパ風で、いったい何をイメージして店を造ったのか想像すら出来ない支離滅裂な店だった。その上女はブスばかりを40人以上も集めている。客はオレ達を会わせても10人も居ないのに…皆やる気なさそうにブラブラしている。しかし、ソイ・カーボーイにしては大きな店で、ソファーやテーブルもゆったりとレイアウトされている。だがいかんせん女が酷すぎる。何故かママさん、キャッシャーはすべてカマといゆう異常な店にオレ達は居心地の悪さを覚え、すぐに店を出ることになった。

 "次はどの店に入ろうか?"と、通りを歩いていたがあまり良い店はない、その時偶然大きな看板が目に付いた"スージー・ウォン"に入ることにした。

 店に入るとすぐに女の子が寄ってきて横に座る。オレの隣に座った子はブスだったが、他の女はもっとブスなので納得済みで座って貰うことにした。カーボーイに来ると"諦観"が身に着くように思われる。ヒロポン軍曹の横に着いた女は、オッパイがやたらに大きい!しかし…このオッパイで5人の子供を育てたと言われても驚かないようなオバサンだった。軍曹は"オッパイ"さえ大きければ、他は何も見えなくなってしまうたちなので、時々とんでもないババアや大デブ女を捕まえている。この時も軍曹は「イヤー、このおねいさんチチがデカイっスわ!」とご機嫌で、事もあろうかオバサンにコーラを奢っている。軍曹が女に飲み物を奢ったいじょうオレも奢らなければならなかったが、広い店内を見渡すと他はもっと酷いブスばかりなので、これでもいい女が付いたと言えるのかもしれない…土曜の夜だというのに客はオレ達の他にはインド人数名がいるのみ。店は比較的大規模で窓が透明のガラス張りのせいか、トップレスや丸出しの女はいない。もっとも、丸出しをして欲しい女もいないが…オレ達は此処も長居が出来ず、店を出た。

 最後は結局"ロング・ガン"に行くことにした。

 オレは今まで、何故この店にだけ客が入っているのか理解できなかったが、この日その答えを見つけたような気がする。"他の店よりまだまし"なのだ!この店にだけは、かろうじて女の子と呼べる女やカワイイと言っても差し支えの無い女が少数ながら生き残っていた。まさに、"掃き溜めの鶴"的な店だ!オレ達はやっと満足できる店を見つけてホッとしてくつろいだ。

 ロング・ガンを出たときには時刻は一時をまわっていた。そろそろバーは店じまいの時間だ。オレ達は何となく遊び足りず、"夜には決して閉まらないバー" "戒厳令が布告されても営業を止めない根性の入った淫売喫茶" の異名をとる"テメ・コーヒーショップ"に行くことにした。ソイ・カーボーイからなら、歩いて数分の所にある。

 テメは意外なことに土曜の夜にもかかわらず、あまり混んでいなかった。オレとヒロポン軍曹は、白人のジャグラーが作る花や動物の風船細工を眺めてボーっとしていた。その時目に付いた一人の女の子に俺は話しかけてみた。彼女の名前はダオちゃん、イサーンはロイエット県出身のオッパイの大きなカワイイ子(店内が暗くてそう見えた)だった。彼女の身体をまさぐりながら話をしている内に、オレは段々ムラムラしてきてしまった。彼女の方も何とか商売をしたいようで「一緒に帰ろう?」と誘ってくる。しかし…その時、オレは金を持っていなかったのだ!彼女に「ゴメン!お金がないから、また今度ね」と言うと、彼女は「お部屋には有るんでしょ、500でいいから!私お金無いのー」と食い下がる。実は明日ヒロポン軍曹とお風呂屋に行く約束になっていたので、あまり無駄な出費は避けたかったのだが…しかし、好みの女が500バーツという安値で目の前にぶら下がっているという状況に、冷静な判断が下せるオレではなかった。ヒロポン軍曹から「ヒロさん、明日の約束大丈夫なんでしょうねー」と非難を受けながらもオレは彼女を連れて部屋に帰った。

 部屋に帰ってダオちゃんといろいろ話をしている内に分かったことは、イサーンのロイエット県に実家があって、一人の娘がいる離婚経験者、毎年田植えの終わる6月からバンコクの縫製工場で働き、週末の夜だけテメでパートタイム売春をしていると言う嬉しくなるくらい典型的な出稼ぎ娼婦だった。そのせいか、なんだか慣れていず、一緒に風呂に入るのを恥ずかしがり、ベッドに入ってからも、どうするのかいちいちオレに指示を仰ぐ。例えば"しゃぶるのか?"とか"もっと舐めるか?"とか"もう入れて良いか?"とか…テメから連れて来た娼婦なのに、なんだか素人とやっているみたいだ。別にテクも無かったが、何かにつけ恥ずかしがり、カワイイ!!

 素人とやったような得した気分になった一夜だった。



10月**日  お風呂屋放浪記

 10月のある日、オレは友人のd氏と共に風呂屋に行くことになった。彼と二人で何処に行こうか?と話し合ったが、二人とも優柔不断でなかなか決断が出来ないまま夜になってしまった。取り敢えず飯でも食いながら考えようということになり、オレ達はスクンビットにある日本食居酒屋"まぐろ屋"に行った。「風呂屋に行く前にこんな名前の飯屋で夕飯を食うのは縁起が悪いのではないか?」とか、「いや、マグロを食ってから行くのだから、風呂屋の女はマグロではない」とか下らないことを言いながら、オレ達は鰻丼を食い精力をつけた。

 腹もいっぱいになったので、オレ達はd氏の行きつけの風呂屋"シーザ["へ向かった・BR> B "シーザー"はラチャダーピセーク通りの元日航ホテルそばにある大きな風呂屋だった。これは期待できるかな?と思いつつ入ったが土曜の夜八時という時間のせいか、広い雛壇の中に4人の女の子が暇そうに座って居るのみ…これはいくら何でも酷い、所在なげに雛壇の前でウロウロしている客の方が多いくらいだ。オレ達は他の風呂屋をあたることにした。

 次は"RCA"そばにある"ホノル・/B>"だった。しかし、此処も僅か10人ほどの女の子が雛壇の中に居るのみ、オレはその中の一人が気に入ったがD氏は気に入る女がいなかったようで「ヒロさん、コーヒーでも飲みながら女が増えるのを待ちましょうよ」と言う。オレも、もしかしたらもっといい女が増えるかもしれない!というスケベ心がうずき、もう少し待ってみることにした。"ホノルル"のコーヒーショップは広々としていて綺麗!!何故かウエイトレスはセーラー服を着ていて女子高生のようだ、中には頼むからセーラー服を着ないでくれとお願いしたくなるようなおばさんも居たが…ここでオレ達はコーヒーを飲み鷹揚に構えて馬鹿話をしていたのだが、注文したコーヒーがきたあたりから10人ほどの日本人団体客が店に入ってきて雛壇を見ている。まずい!数少ない女がますます減ってしまう!と思いオレとD氏は急いでコーヒーを飲み会計して貰ったが、雛壇のあるところに戻ってきたときには、すべてが手遅れだった。雛壇の中の女は根こそぎ先ほどの団体客に持って行かれ僅かに2人が残っているのみ…オレ達は此処もコーヒーを飲んだだけで立ち去らなければならなかった。

 今度こそ間違いがないようにと、D氏が「女の数の多いジュリアナにしましょう」と言った。確かに"ジュリアナ・/B>"には15人ほどの女がいたが、あまり気に入る女がいなかった。しかし、それよりも気に入らなかったのはコンシア(風呂屋の案内人みたいな係員)の態度だった。いかにも日本人客が多いようで変な発音の日本語を話し態度が悪い!アタミやモナリザのコンシアと同じような横柄な接客態度だ!料金は1800バーツで一時間半だそうだが、それならシーザーやホノルルと同じで時間だけ短くなっている。時刻はもう九時をまわっていたがオレ達は風呂屋を求めて彷徨っていた。

 今度こそ本当に最後のチャンス、もうミスは許されないのでヒロポン軍曹御用達の・B>メリーに向かう。ここは期待どおり雛壇にギッシリと女が並び壮観!!やっと満足のいく風呂屋のたどり着いた。すでに時刻は10時近い、二時間ほども風呂屋を求めて放浪していたことになる。オレは87番の子を選び、D氏は1600バーツクラスのオッパイの大きな女の子を選んで部屋にしけこんだ。

 オレの選んだ女の子の名前ヘドゥエンちゃ・/B>、19歳でチェンライ出身、バンコクで働き初めて一年になるそうだ。オレは彼女と一緒に風呂に入り入念に身体を洗って貰う。二時間にも及ぶ風呂屋放浪がきつかったせいかオレは風呂に入っているうちに眠くなってしまった。ウトウトしつつあったオレをドゥエンちゃんの強烈なフェラが現実へと引き戻した。彼女のフェラは口を大きく開けて竿を横にくわえ"ウウーン"という鼻声と共に始まった。玉を吸い上げ、ケツの穴に舌先を突っ込み、竿から口を離すときはチュッポと音をたてる。まるで洋物エロビデオ女優のようなフェラだ!オレは彼女の洋ピンフェラに対抗しつつ「もういいから、ベッドでしてくれ」とお願いした。

 ベッドに戦場を移した後もドゥエンちゃんのフェラ攻撃は続き、彼女は口内射精OKなようで「いきそうになったら教えてね」と言う。せっかくの嬉しい申し出だが、オレは口でいかされてしまうのが勿体ないような気がして「入れてくれ」と言った。彼女が上になって激しく腰を振ると情けないことにオレはアッという間にイってしまった。ドゥエンちゃんは、どうも本物の淫乱のようでオレがイった後も腹の上で暴れ続け、段々と萎んでくるオレの一物に気付いて悲しそうに腰を上げた。

 時間はアッという間に過ぎ、オレは下の雛壇前ロビーに戻るとD氏はすでに俺を待っていた。感想を聞くとシーザー・ポセイドン等の高級ソープが行きつけの彼には今一物足りなかったようで「ウーン?此処なら1300のでじゅうぶんですよねー」と少し不満そうだった。この店の料金は1300バーツの普通コースと1600バーツの上級コース、そして2000バーツの特別コースに別れているのだが、あまり女のレベルに差は感じられない。友人のヒロポン軍曹に言わせると「1600の方のオネイサンは何か必ず秀でた芸をもっている!」と言うのだが…。時間はどちらも二時間なのでゆっくり出来る。

 お風呂屋を求めて放浪の一夜であった。・/SPAN>



9月**日  ボタン・/FONT>


 先日タイ人の友人に連れられて”ボタ・/B>”という風呂屋へ行った。その時は場所を教えてもらい、雛壇を観ただけで帰ったのだが、彼らから聞いた料金800バーツというのが印象に残った。今どき1000を切る値段とは・・・確かに店の構えは汚いし、妙にわかりずらい所にある。しかし、雛壇に並ぶ女の子達の中にはカワイイ子も少なく無かった。その時からオレは、必ずまた来ようと心に誓っていた。

 そして、9月のある日オレは再びボタンを訪れた。今度は一人で心の中は外道な気持ちが渦巻いていた。入り口を入ると、いきなり雛壇がありその前には、いくつかのソファーが置かれていて、何人かの客がビールを飲んで女を眺めている。オレの行った時間がもう10時近かったせいか、女の子は少なく15人ほどがやる気なさそうに雛壇に座っていた。コンシアに相談して女を選んでいたのだが、あまり好みの女がいない!仕方がないので消去法的に”あの女は身体がでかいから駄目””この女はババアだから駄目”とやっていくと、2〜3人が許容範囲に入った。その中の79番の子を指してコンシアに「あの子は良い仕事をするか?年はいくつなのだ?」と質問すると、コンシアは「歳は19!テクはオレが保証する!」とまで言い切ったのでオレはその言葉を信じて79番を指名した。

 会計で800バーツを払い、雛壇から出てきた女の子と五階の部屋へ。・BR>
 部屋に入ってから気付いたのだが、19歳にしては老けている。「歳はいくつ?」と訊ねると「27歳」という答え・・・コンシアに一杯食わされた。しかし、その子は話好きで、なかなか性格の良い子だった。

 彼女の名前はニンちゃん。27歳でチェンライ出身。前はチェンマイで働いていたが、バンコクに出てきて3ヶ月になると言う「バンコクは人と車が多くて嫌い!早く休みを取って田舎に帰りたいわ」だそうだ。

 部屋は狭く、内装は中の下と言ったところか?・・・フロはオレのアパートにあるのと同じで、二人で入るには無理があるし、ベッドはそえつけで、片側の壁にへばりつくように置かれている。

 まず部屋に入ると飲み物を注文し、タバコを吸う。その間にニンちゃんは風呂にお湯を張っている。風呂の用意が出来たようでニンちゃんはオレを風呂に誘う。お湯は熱くて気持ちいい!!だいたい何処の風呂屋でもあるようなサービスで身体を洗ってくれる。

 その後ベッドへ、フェアらの後ニンちゃんが上になって腰を降り始め、最後はバックでフィニッシュした。・BR>
 あっというまに時間だ!一時間半は少し短いな・・・サービスは中の下と言ったところか?800バーツという料金だから仕方ないが、何となく物足りない。

 終わってからニンちゃんが内輪の話をしてくれたu本当は、外人とか日本人とかが来たら800バーツは入浴料だけで、後から500バーツ貰うことになっているんだけど、貴方はタイ語が上手いからコンシアが気付かなかったんだと思うわ」だそうだ!またしても二重価格だ。こうしたダブルスタンダードはタイ社会の至るところに見られ、あまり不当だとも思われていないようだ。コンちゃんが言うには「だって、タイ人はお金が無いから可哀想でしょ!」だそうだ。

 800バーツなら、まあ納得出来るが、プラス500バーツの外人料金1300バーツなら他の風呂屋に行く方が良いだろう。オレはしばらくタイ人のふりをして、また来ようと心に誓った。 



9月**日  ヤワラー温泉紀行

 前々から謎に思っていたチャワラー(ヤワラー温泉と日本語の看板が出ている)に、9月のある日行って来たB

 せまい入り口から中庭のような駐車場に入る、右側にタイの裏本を売るスタンドがあり、左側に風呂屋の入り口がある。入って右側が雛壇だった。左側にはレストラン兼コーヒーショップになっているようだ。コンシア(風呂屋の案内人みたいな係員)に”良い子はいるか?”と訊くと、”みんな若くて良い子だ!ここから見て見ろ ”と言われて、長細い覗き窓から雛壇を見ると、若い子も良さそうな子もいず、生活に疲れた様な顔をしたおばさんばかりだったが、一人だけ小柄で若いオレ好みの女の子が居たので「あの子は良い仕事をするか?」と訊くと、コンシアは「ウーン、あの子は新人だから・・・27番の子だったら、ベテランだ!オレが保証する」と言うので、オレはこのオヤジを信用し27番の子を指名した。

 会計所は、雛壇のすぐ横にありオレが「いくらだ?」と訊くと・B>A一時間300バー・/B>cと言う答え。今どき300バーツな訳はないだろうと思い、もう一度コンシアに「全部で300なのか?」と訊くとコンシアは言葉を濁して「後は部屋で女と話せ」と言う。どうも直接交渉しなければいけないようだ。オレはそこで300バーツを払い、27番の子に連れられて二階の部屋に行った。

 部屋に入ってまずビックリしたことは、狭いことだった。診察台のようなベッドとオレの部屋のより狭い風呂が有るのみ、そして部屋はベニヤで仕切られており、隣の声がまる聞こえだ!この部屋に一番近いのは、今はもう絶滅寸前の冷気茶室かカオサンのパッカー部屋だ。

 オレはこの異様な雰囲気の風呂屋部屋に半ばビビリつつも、何かとんでもないサービスがあるのではないか?とわくわくした・BR> B
 女の子はまず、何か飲み物は?と質問し、オレはコーラを注文し、彼女はオレンジ・ジュースを注文する為に壁に着いているインターフォンで階下のレストランに注文している。その間にも彼女は風呂に湯を溜始め、風呂屋七つ道具のような各種ローション・ボディーシャンプーなどを部屋の各所に配置している。部屋が狭いせいかなんとなくせわしない風呂屋だ!オレは忙しそうな彼女に遠慮しつつもいろいろ質問してみた。彼女の名前はプンちゃん、チョンブリ県出身で24歳、ここで働きだして二年半になるそうだ。オレが「へー二年半も!それじゃベテランだね」というと、プンちゃんは「ここでは10年20年も働いている人もいるのよ、私なんかまだ新人の方よ!」と言った。・・・どおりでババアが多い訳だ。

 しばらくすると、プンちゃんはオレに”服を脱げ”と言う。まだお湯がたまってないのに変だなと思いつつもオレは言われた通りに服を脱ぎ腰にタオルを巻いた。このまま風呂に入るのかと思ったが、プンちゃんは”ベッドに横になれ”と言う。言われた通りに横になると足から順にマッサージを始める。10分ぐらいマッサージをしていただろうか、その後、風呂に入るよう言われて入るとプンちゃんは風呂の横に座ってオレの背中を流し始める。全く服を脱ぐ様子はない・・・やっぱり300バーツじゃやれないのかと思っていたが、プンちゃんは、やたらにオレのチンポコばかりを入念に洗う。その刺激でオレのチンポコはギンギンになってしまった。プンちゃんはそれを見てウフフと笑っている。

 風呂から出ると、もう45分が過ぎていた。プンちゃんはまたオレに横になるように言い、そしてこう言った「ここまでが普通よ、これからは特別サービスになるけどどう?」当然オレは特別にしてもらいたかったが、その前に「その特別サービスって言うのはいくらなの?」と訊くと、「一時間は1000バーツ、2時間は1500バーツが普通よ」と言った。オレは考えた”ということは、一時間で1300バーツのなるわけだ、これは安くない!第一一緒に風呂に入ってくれないし、部屋は汚いし・・・”オレが考え込んでいるとプンちゃんは「コンシアに黙っててくれるなら私へのチップ500バーツだけで良いわよ」オレは即座にコンシアには言わないと約束しやってもらうことにした。そるとプンちゃんは、オレの上の覆い被さってきてオレの乳首を舐め始めた。まだ服は脱がない・・・彼女の口はだんだん下に下がって行き、オレの物をくわえた。そしてプンちゃんは「これが特別サービスよ!」と言った。

 彼女のフェラは上手くオレはすぐにいってしまったが、尺八だけとは・・・とうとう最後まで服を脱いでくれなかった・BR> B
 300プラス500バーツで、女の子にしゃぶってもらう、オレは風呂屋の門を出ながら得をしたのか損したのかわからなかった・/SPAN>B




8月**日  ソムタム・ファック・/FONT>


 ジョイから電話があり「今夜部屋に行ってもいい?お金無いの〜」と言ってきた。

 ジョイはこのところ良くオレの部屋に出入りしている元パッポン・ガールだ。ジョイは金が無くなると甘い声で電話をしてくる。オレは彼女の都合の良い預金通帳となっていた。オレの方としても別に”彼女にしてくれ”だの”一緒に住みたい”だのとうるさいことを言わないジョイが気に入っている。

 ジョイはオレとのセックスをパートタイム・ラブ”と呼び、オレはもっと簡単に”ドライ・ファック”と呼んで楽しんでいた。普通こうした心の通わないセックスは2〜3回もやれば飽きてしまうものだが、未だにジョイが部屋に来ることを許しているのは、オレが彼女の身体に惚れ込んでいるためだ。

 ジョイは、パッポンのゴーゴーバー”キングス・キャッスル2”で二ヶ月だけ働いていたことがある。何故たった二ヶ月だけかというと、その期間彼女は店のナンバー1だったのだ。彼女の美貌にのめり込んだある白人がパトロン・ハゲとなり、ジョイは働かなくともお金の入って来る身分となった。それから三年が過ぎた今、ジョイはそのあまりの浪費癖からパトロンに逃げられ、再びパッポンに戻ってきた。ジョイと初めて寝た夜、オレはパッポンのオープンバーで酒を飲んでいた。お互い以前からの顔見知りなので「久しぶりだね、どうしてたの?」と挨拶をし、その夜初めて彼女を部屋に呼んだ。それ以来たまに電話をしてきては、一発やってオレの金を持って行くとゆう関係が続いている。

 夜遅くに来たジョイは、ベッドに寝転がりながら何かノートに書き込んでいる。傍らには、綺麗な表紙の本がある。何をしているのかと訊ねるとジョイは「詩を書いているの!これは有名な詩人の詩集よ!」と言った。ウーン、娼婦と詩集!昔の文豪のような生活だ ”などとオレは一人でナルシズムにひたっていたが、すぐにジョイの形のいいケツが目に入り、本来の目的を思い出した。

 うつ伏せになって詩を書いているジョイのケツを掴み、マンコをまさぐっていると、最初は「ヒロ、駄目よ!字が曲がっちゃうじゃない」などと言っていたジョイはすぐに反応しだし、形のいいケツが波打ちだす。オレがジョイのケツを引き上げて四つん這いにさせると、ジョイは詩集を放り出して「良いわ、良いわ、ここ舐めてー」と言いながら両手を後ろに回し自分でケツを拡げて喘ぎだした。その格好が妙にいやらしいので、オレは人差し指と中指をマンコに突っ込みパンパン音をたてさせ、もう一方の手でケツの穴とクリトリスの三点責めにした。ジョイはギャーギャー言いながら喘いでいたが、サイドテーブルの上に置いてあるソムタムの棒を取り出してオレに渡し「これで突いて!」と言った。

 ソムタムの棒とは、タイの辛いサラダ”ソムタム”を作るときに香辛料を潰したり、混ぜ合わせたりする為の物だ。オレの部屋にあるのは、おみやげ物屋でよく売っているミニュチアで本物と比べるとたいして太くはないが、なにしろ木製で堅い!オレは、こんな物が入るのだろうか?と思ったが、何度か角度を変えたり、ねじったりしている内にスッと入っていった。ジョイは「アウー、堅いーお腹が壊れるよー!」と喘いでいる。当たり前だろ”こいつは一体何を考えているのだ!”オレは少しビビってしまったが、ジョイのケツが別の生き物のように波打ちだすのを見ると面白くなって、ズボズボ入れてやった。ジョイは「ウー、気持ちいい!」「堅いよー!」などと言って喘いでいたが、そのうち我慢できなくなったのか「あなたのを入れてー!」と言った。オレはそれまでのソムタム攻撃ですっかり興奮していてギンギンになっていたのでソムタム棒を抜いて、オレの一物を差し込んだ。ソムタム棒を抜くときにスポッという間抜けな音がしてオレは益々興奮した。

 そのままバックで突きまくりあっという間にいってしまった。

 シャワーを浴びてベッドに戻ってくるとジョイはまたノートを取りだして詩を書いているところだった。オレに向かってジョイは「ねーねー、此処の『楽しいことは全て終わった、でも花は咲いたままだ』ってとこ素敵だと思わない?」と言った。さっきまで、ソムタムの棒をマンコに突っ込まれてギャーギャー言っていたのに・・・女は恐ろしいと痛感した一夜だった。



8月**日  ソムちゃんとのブロウジョブ合戦!

 夜の一時、ノイちゃん・B>ノすっぽかされ・/B>。自分の方から電話してきて「ヒロ、今夜仕事が終わったら会いに行くね!愛してるわ!」なんて言っておきながら、「ゴメン、お客さんが食事に行こうってしつこいの、また今度ね」だって。オレは一人で気分を盛り上げていたのにそれはないだろノイちゃん!

 オレは有り余る性欲を持て余し、部屋にいてもイライラするだけなので、出かけることにした。気がつくとオレは、ナナ方面へと向かい車を走らせていた。「何処に行こうかなー、もう時間が遅いからバーには行けないし・・・そうだ、マイちゃんから教えてもらった新しいディスコに行こう」オレは、レインボー2000と言うディスコに行くことにした。ここはソイ・ナナの有名なゴーゴーバー、レインボー1/2と同じ系列で、今月にオープンしたばかり、前から一度行ってみようと思っていたのだ。

 着いてみると意外なことにレインボー2000は、この手の風俗店経営のディスコにありがちな、やる気の無さや安っぽさなど微塵も無く、内外装とも綺麗で結構洒落ている。しかし、やはり客のターゲットは貧乏外人と見えてエントランス・フィーは無し、飲み物もビール100バーツからと安めに設定してある。店内は幾つかのテーブルとカウンターがあって、一人で来た外人達はダンスフロアの回りのテーブルやカウンターに座って女の品定めをしている。 オレが店に入った一時半頃は、まだあまり客は入っていず閑散としていた。ここも混み始めるのはバーが閉まった後の二時過ぎだった。初めての店なので知り合いも居ずボーっとしていると、ナナの工藤静香ことノイちゃんに会った。彼女は「今はレインボーで働いていないの、ちょっと疲れたからお休みね!」と言った。どうもノイちゃんは、何処からか金が入ったようで、長い間NO1として君臨してきたレインボー2を一時的に休んでいるようだ。「ヒロは一人で来たの?」オレがそうだと答えるとノイちゃんは「ふーん、ヒロが一人なんてめずらしいね!ノイ今日は友達の誕生パーティーに来たの、後でまた来るね!」と言って自分のテーブルに行ってしまう。彼女のテーブルを見ると一人の日本人にノイちゃん達レインボー軍団五人がたかっている。すでに何本かのボトルを空けたようで、テーブルの上はグラスやボトルが散乱している。さすがレインボー軍団、決して自分の金で酒は飲まないようだ。

 オレはまた一人になってしまい、手持ち無沙汰にしていた。ときどきノイちゃんが来るがスポンサーを気にしてか長くは居ない、つまらない・・・その時オレはキップをダンスフロアで見つけた。キップは、かつてオレが住んでいたアパートのお隣さんでオレとは長い顔見知りだ、日本語が話せるというだけで、見た目はがりがりのシャブ中女だが旅行者は簡単に引っかかるらしく、何時も若い日本人を連れている。今日も学生バックパッカー風の気の弱そうな日本人二人組と踊っていた。

 オレはキップに近づき「一人で来てつまらない、一緒のテーブルで飲んで良いか?」と訊いた。二人組は、何が起こったのか?と不安そうな顔をしている。ヤツらとテーブルの戻ると二人組の一人が「あのー、もしかしてキップちゃんの元彼ですか?」と訊いてきた。”馬鹿なことを言うな、誰がこんなシャブ中と”と内心思ったが、おだやかに「違うよ、前に近所に住んでたから顔見知りなんだ」と言うと「そうなんですかー、びっくりした」と関西訛むき出しで言った。しばらく彼らと馬鹿話をしていたのだか、どうも彼らとは話が合わない、「あのー、この子いくらくらい渡せばいいでしょうかねー?」とか「田舎のお母さんに仕送りしなきゃいけないから、金くれって言われてるんですけどー、本当でしょうかね?」そんなこと知るか!オレは再びつまらないなーと思いつつダンスフロアを眺めていた。その時、誰かがオレの背中をつついた。振り返るとソムが立っていた。

 「あなた先週ここに来たでしょ?私見たわよ!」とソムが言った。この店には、今日初めて来たのだから、そんな訳はないのだが・・・ようは、ナンパなのである。元々、開放的なタイではこうした夜の盛り場で女が男をナンパするのはめずらしいことではない、話しかけるきっかけは何でも良い。オレは以前パッポンのディスコで「あなたは、ジャッキー・チェンに似ている」と言われ、どう反応して良いのかわからなかった事がある・・・。

 ともかく、ソムとは以前からお互いの顔は見知っていたが、こうしてお互いの名前を知ったのはこれが初めてだった。・BR>
 彼女は二年ほど前まで、レインボー1のナンバー1として、その・B>ダイナマイト・ボディで白人達から金を吸い上げる名物女だったのだ。レインボーのオーナーとは当然顔見知りで、ディスコオープンの話を聞いて遊びに来たそうだ。ここ数年姿を見なかったので、てっきりパトロンが出来て引退したのかと思っていたのだが、ソムは「一年前から自分のオープンバーを開いているの、今はママさんよ」と言った。オレは「ふーん、お金持ちになったんだね」というとソムは「元彼と外人の友達に出資して貰って始めたんだけど、なかなか上手くいかないわ!あなたも今度遊びに来てね、ビリヤードもあるから」と言う。オレは適当に返事をしながらもやっぱり男から金を引いたな”と思っていた。ソムは、すでにベロベロに酔っていて一緒に遊びに来た店の女に子に「ママあんまり飲んじゃ駄目よ」とか言われている。
 ソムとこうして面と向かって座ったのは初めてだが、服の上からでもそのボリュームのある身体が、はっきり感じられる。白人が弱いタイプの派手な女だ!しばらくソムとイチャイチャしていると、ソムは「私の部屋に来ない?お店の女の子が下宿してるけど・・・」と言った。オレはすでにソムのダイナマイト・ボディを触りまくりギンギンになっていたので、「行こう行こう、いますぐ行こう!」ということになった。

 ソムの部屋はスクンビットにあり、偶然オレが以前住んでいたアパートの裏だった部屋にはいると、そこはタコ部屋だった。五人もの女の子がオッパイ丸出し大股開きで床に転がっている。想像していたよりもスラム化が進んだ部屋だった。これではソムと何かするわけには行かないな・・・と思っていたのだが、ソムは、「大丈夫!みんな私のお店の子だから」と言って服を脱ぎ抱きつていて来た。そうゆう問題じゃないんだが・・・と思っていたのだが、ソムに股間をまさぐられている間にギンギンに立ってしまった。

 二人で頭からシーツをかぶり、中でイチャイチャしていたのだが、そのうちに暑くなってシーツをはねのけて公然とやり始める。部屋にいる他の女の子達が息を殺して狸寝入りしているのがはっきりわかり、オレは少し恥ずかしかったが、ソムは全く気にしていない様子で「マンコ舐めてー」などと言っている。69の体勢でお互いを舐め合っていたのだが、ときどきソムは腰をガクガクと振って「あー!マンコが熱い、お汁いっぱい!」などと言っている。とんでもないド淫乱だ。オレはマンコの舐めすぎで頭がクラクラしてきたので止めようとすると、ソムはオレの頭を両手で股間に持っていき「もっと舐めてー!」と命令する。仕方ないタダでやらせて貰ってるんだし、これもサービスだと思いソムの好きなように舐めてやっていると、すっかり夜が明けて部屋が明るくなってきた。

 前から思っていたのだが、オレは何故か女のマンコを舐めていると頭がクラクラしてくる。マン汁には頭痛を誘発するような毒素が含まれているのだろうか?いい加減に疲れ、頭も痛いので「もう口が疲れた!頭も痛い!」と言うと、ソムはオレの上に馬乗りになり「あー!マンコ感じる」と言いながら腰を降り始め、ソム一人で勝手にいった。オレはもう疲れ果てていて、頭痛もするので続けることが出来ず、いかないままSEXを終えた。

 横でぐったりしているソムを見るとやはりダイナマイト・ボディーだ。シリコンを入れているわけでもないのに、仰向けの寝ていても盛り上がった綺麗なオッパイ、もう結構な歳のはずなのにケツは垂れていない。オレはソムに仕事があるから帰ると告げ、タコ部屋を出た。

 すでに朝の渋滞が始まっており、オレは頭痛でフラフラになりながら部屋に帰った。
 ブロウジョブ合戦に敗れた一夜であった。